幸福な舞姫
メルは、なめらかな白絹にはさみをいれる。
一枚の布地がさくりさくりと裁断されていくのを見るのは、いつものことだが、なんだか気持ちが良い。
「えぇと……アクセサリーはもう仕上がってきたし、こっちも急がないと……」
今日はリゼッタに注文されたドールドレスのうち、最後の一着――舞劇を見た感想をそのままドールドレスにしてほしい、という依頼をこなすためのドレスを作っているのだった。
メルはそのドールドレスのデザインを先日ようやく仕上げることができた。
型紙もできている。
そうなればあとは裁断して縫い上げるだけだ。
「いい白絹が手に入って本当に良かったよ」
上質な絹の手触りに満足しながら、メルは夜中まで作業を続けた。
メルがあくびをしながら自分の部屋に戻ると、白がベッドに腰掛けてぼんやりと窓の外をみているところだった。
「あ、メル……おかえりなさい」
「ただいま白。何を見ていたの?」
白はなんと答えるべきかちょっと考えるように、首を小さくかしげて――
「運命を、ちょっと見てた」
メルはそれを笑ったりはしなかった。白は、不思議な存在だから不思議なことができても何もおかしくはない。
「星占ができるの?」
「星占とはちょっと違う気もするけど、まぁそんな感じかな。あ、メル髪の毛梳くなら僕がやるよ」
「ありがと」
メルは愛用の木櫛を白に手渡す。
白はメルの背後に回ると、金の髪をまとめていたリボンを丁寧に外して、髪の毛を梳きはじめた。
背中に、白の気持ちいい体温が伝わってくる。
どうして、他の人の体温は気持ちが良いんだろう。
……。
「……メル、寝ちゃった」
その真っ白な人物は、少女を抱っこしてベッドにちゃんと寝かせて、きちんと胸まで毛布をかけてやる。
「……もうすぐだね、メル。もうすぐ……冬が来るよ……」
ベッドに腰掛けて、少女に昔話を語るように、ごく小さな声で話しかける。
いつまでも、いつまでも。
リゼッタがゼローアと共に、ドールブティック茉莉花堂を訪れたのは、とある秋の終わりも近い日だった。
「こんにちは、ごきげんよう」
「……こんにちは」
今日のリゼッタは、いくらか落ち着いた雰囲気の濃い茶色の絹ドレスをまとっている。すらりと手足の長いリゼッタの魅力を存分に引き立てていて、美しかった。
「こんにちは、リゼッタさま。今日はご来店ありがとうございます。さっそくですが、シルフィーニア嬢をお借りしてよろしいでしょうか。ドールに着せ付けたところを最初にお見せしたいのです」
「えぇ、かまわないわ。ゼローア、トランクを」
「はい」
「それではお待ちの間、お茶とタルトでもいかがでしょうか……あ、リゼッタさまは紅茶だけ……でしたね」
その言葉にリゼッタは貴族らしからぬ大声で笑った。
「それがね! さっき私、舞劇団を辞めてきたのよ! もう甘いお菓子だって、砂糖入りのお茶だって飲んでいいいのよ!」
「……そ、そうなの、ですか」
「そうなの、だからタルトはとびきり大きな一切れをちょうだいな! あぁ、甘いものなんていつぐらいぶりでしょう!」
何かから解き放たれたリゼッタの笑顔は、とても開放感に溢れていて綺麗だった。
「シルフィーニア嬢、ごきげんよう」
いつもはシャイトが作業をしている倉庫を兼ねたスペースで、メルはドール・シルフィーニアに話しかけながらドレスを着せ替える。
「貴女が、リゼッタ様の願いを叶えてください。リゼッタ様の、本当の思いを……」
「リゼッタ様、シルフィーニア嬢の着せ替えがおわりましたよ」
そう言って、カウンターにシルフィーニアを立たせ、長い袖や裾を少し直す。
それは……白の花嫁衣装だった。
極東列島の花嫁衣装である「白無垢」を舞劇の衣装風に、裾を短くしたデザインの、花嫁衣装。
内側に見える襟は、鮮烈な赤。それに花模様の刺繍を施して、よりいっそう華やかに見えるようにしてある。
ドレス本体と、打ち掛けとよばれる長い上着は純白だ。ただし、ただの白色ではない。細密に模様と白刺繍が入った、極東列島からはるばる運ばれてきた上等の白絹。
帯も純白だが、そこに赤とピンクの色がある。帯からは磨かれた赤珊瑚を花のように連ねた飾りを下げているのだ。
パニエで膨らませたドレス本体の裾は、膝ぐらいまでしか無いのだが、上着――打ち掛けの方は裾が長く、足首まであった。
そして――ヴェールだ。
ヴェールももちろん純白のレース。そのふちには、メルがひと針ひと針丁寧に刺繍を施している。白金と真っ白な真珠の髪飾りで、それを髪に固定していた。
「見事なドレスだわ……でも、ひとつ聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
「どうして、このドレスを作ろうと?」
質問しながらも、リゼッタは花嫁衣装を着たシルフィーニアから目を離さない。
「……それが、リゼッタ様の……望みだからです」
「……私の」
「リゼッタ様の望みは、これなのでしょう?」
そこでリゼッタはため息をつく。己の敗北を受け入れるため息を。
「そうね、確かに私の望みだわ……ねぇ、このドレスはなんという銘なのかしら。ここのドレスにはみんな、銘があると従兄弟のジルセウスがいっていたわ」
メルは、にっこりと満面の笑みでこう言う。
「このドールドレスは『幸福な舞姫』といいます」
「そう、いい名前だわ。……ねぇ、ゼローア」
「……はい」
「ゼローア、あなた……私と駆け落ちしなさい」
「……リゼッタ、さま……?」
ゼローアは驚きのあまり、呆然と主人の名前をつぶやく。
「私、あなたのことが好きみたいだわ。すべてを――貴族の地位も、舞劇も、なにもかも捨てられるぐらいに、好きで、好きで、しかたがないの」
「リゼッタ様、だけど俺は」
「さぁ、早く私の手を取りなさい。ゼローア。……でなければ、私はヤケをおこしてあなたの手の届かないところに行ってしまうかもしれないわよ」
「それは嫌です!!」
それはほとんど条件反射だったのだろう。
ゼローアは、両手で包み込むようにリゼッタの手をとった。
「さぁ、これで今から私とあなたは対等なパートナーよ」
そう言って笑うリゼッタは、やっぱりとても綺麗だった。
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