白薔薇の誓言




 メルはいつものように、ジルセウスにリヴェルテイア家の馬車までエスコートされ、少し長めのドレスの裾に気を使いながら乗り込む。


 今日のメルのドレスはピンクベージュとくすんだガーネットの色。

 仕立て屋で作ってもらったピンクベージュの秋物ドレスに、シャイトが気まぐれに店にあったガーネット色の布でリボン飾りなどをつけたり、刺繍をしてアレンジをしてくれたものなのだ。

 両耳の上あたりに飾ったリボンも、同じガーネット色。

 メル自身は最近わかったのだが、どうもメルにはピンクが似合うらしい。

 仕立て屋でもいつの季節にもピンクを勧められるし、おかみさんや友人たちもピンクのドレスを特に似合うと言ってくれる。

 ――それに、この人も似合うと言ってくれるし


 ちら、とメルは馬車の向かいの席に座っているジルセウスを見る。

 そのジルセウスは、いつもなら馬車の中ではあれこれと話題を振ってくれるのだが、今日はぼんやりと窓の外を見つめていた。

 一体どうしたのだろう、体調でも悪いのだろうか。

 それなら『仕事』が終わったならすぐに、おいとましたほうがいいかもしれない。

 今日は久しぶりにジルと一緒だから、できるだけ一緒には居たいけど。



 リヴェルテイア家の敷地に入ると、ジルセウスは突然真剣な目になってメルを見つめはじめる。

 少しして、ジルセウスの趣味の邸宅であるノアゼット屋敷がみえてくる距離になると、ジルセウスはほっとため息をついた。

「すまないね……ここ最近は母上がうるさいものだから、どうにも油断できなくて」

「貴族としてのお役目ですか?」

「まぁ役目といえば、役目になるけど……あぁ、ついたね。ちょっと待っていて」

 ジルは先に馬車をおりて、そして……。

「ようこそノアゼット屋敷へ、歓迎するよメルレーテ嬢」

 そう言って、優雅に礼をした。




 屋敷に入ると、出迎えたのはいつもの若い執事だった。彼の名前は確か……ルパートだ。

「準備はしてあるかい?」

「はい、アンヌに任せましたので、滞りなく」

「そうか、なら問題ないね。メルレーテ嬢、行こうじゃないか」

「あ、はい……わかりました」


 二人は階段をのぼったり、廊下をすすんだりしてようやく目的の部屋にたどりついた……のだが、メルはいつも案内されるドールの部屋があるあたりとは違う方角にある部屋ではないか、と思った。

「あの、ジルセウス様、この部屋は」

「入って、君に見せたいから」

 メルはなんとなく腑に落ちないが、とりあえず頷いておくことにする。

「……わかりました」



 中に入って、まず目に飛び込んだのは――部屋の中央にある真っ白いグランドピアノだ。

 そのピアノは、我こそがこの部屋の主であると言わんばかりの存在感でそこに君臨している。

 部屋の隅のテーブル上には、美しくおめかしししたサイズがさまざまのドール達。

「芸術の秋――ということでね、せっかくだから君にも聞いてもらいたくて」

「ジル‥…いえ、ジルセウス様はピアノも弾けるのですか?」

 ジルセウスは、ピアノの蓋を開けながら返答する。

「これもまた、嗜みというか、道楽だよ。椅子はないけど、短い曲だからそのまま聞いていて欲しい。あと」

「はい?」

「今この場では、様付け無し、敬語なし、あと愛称で呼ぶように」

 それを聞いて、メルは青い瞳をぱちぱちさせる。

「……つまり、その、それって」

「ごめんね、仕事ということで君を呼び出してしまった。君が仕事にきっちり責任をもつ性格なのだとわかっているのに」

 メルはかなり複雑な気持ちにならずにはいられなかった。

「……ジル、あなたってひとは……もう」

「許してくれる、かい?」


「……許してあげるから、だから、そのかわり素敵なピアノを聞かせてね、ジル」

「もちろんだよ。僕のメル姫さま」





 ジルセウスのピアノは、音楽の心得のないメルにも見事なものだとはっきりとわかった。


 聞いていると、胸が熱くなるような、切ないような気持ちになる。


 その一曲が終わった時、メルは思わず拍手していた。



「ご満足いただけたかな?」

 ぱたん、とピアノの蓋を閉めてから、ジルセウスは立ち上がる。

「音楽の心得なんて無いけど、なんというか、その……すごく、切ない気持ちになったの」

 それを聞いて、ジルセウスは満足そうに微笑む。

「あぁ、この曲は恋の切なさを表現したものだから、ね。それは正解といえば正解だ」

「……恋の切なさ」

「そうだよ」

 こつ、こつ、こつ、と小さな靴音を立てて、ジルセウスはメルの背後に回り込む。

 そして


「メル、君を抱きしめて……いいかい? いや、駄目だと言われても、僕は」

「……うん」


 ふわりと、ジルセウスの腕がメルの体を包むこむ。

 ふわふわの髪に、ジルセウスが顔を埋めている。

 耳元で、ジルセウスが囁く。



「メル、僕と結婚して欲しい」

「……!」


 ジルセウスは腕の力を少しだけ強くした。

「ちゃんとひざまづいて言いたかったのだけど、どうしても君を抱きしめたくなるから、抱きしめたあとはキスしたくなるから――そうしたら、もう求婚の言葉を言うどころじゃないだろう?」


 がらんとした立派な部屋に、ジルセウスの声が響く。


「場所も、思い出に残るような素敵な場所をとおもったけど、結局思いつかなかったんだ」

「ジル……」


 ジルセウスの声は、震えている。


「結婚して欲しい。貴族の籍は抜ける。そのあとのことも考えてある……決心がようやくついたんだ」

「ジル……」


 メルは、ぐるぐるとあたまのなかがごちゃごちゃに回って、ぐるぐると視界がまわって、ジルゼウスが抱きとめていなければ、多分床に倒れていただろうという状態にあった。


 どうしよう

 なにか言わなくちゃ

 でも何を

 どうすれば


 きっと貴族の令嬢だったなら、どんな求婚をされたとしても、お手本通りの言葉を述べて平穏無事にこの場を終わらせるのだろう。

 でもメルレーテ・ラプティは貴族じゃない。

 貴族みたいな綺麗なドレスを着ていても、貴族じゃないのだ。

 だから誰もが憧れるような貴族の貴公子から求婚されて、お手本通りに言葉を言うことなんてできるわけがないのだ!




「……少しでいいの、その、考える時間をちょうだい」



 それが、メルレーテ・ラプティの必死になってようやく紡ぎ出した、答えだった。



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