双鍵の紋章(その一)
「さぁ、マギシェン家の別荘に到着しましたよ。茉莉花堂の店主さんとその助手のお嬢さん」
たった今、馬を操って馬車を止めた様子の気のいい御者がメル達にそう声をかけてくれた。
……どうやらメルは、マギシェン家へ向かうための上等な馬車の中で眠ってしまっていたらしい。昨夜は宿に泊まって、ベッドでの白と話が盛り上がりすぎてついつい夜更かしをしてしまったのがよくなかったようだ。
だが眠っていたのは向かいの席に座っているメルの師匠シャイトも同じようだ。腕組みをして、目を閉じて、頭はときどきかくんと下がる。……これはどう見たって確実に寝入っている。
「すみません、店主の方を今起こして降りますので……。ほら、シャイト先生、先生起きて……起きて、起きて……もう、お願いだから起きて!」
「ん……なんだ、もう朝なのか?」
自分で選んだ師匠ではあるのだが、騎士学院で厳格に育ったメルはシャイトのこういうところには呆れざるを得ない。思わずため息をつく。
「はぁ…………寝ぼけてないでよ先生。もうマギシェン家に着いたの。ほら、降りるよ?」
「ん、わかった……」
ゆっくりとした動作でまだ眠たいらしい目をこすっているシャイトを残して、メルはエヴェリアの入っているバスケットトランクを手に、さっさと馬車を降りた。
メルたちが乗ってきた馬車の後ろには、もう一台馬車がある。この馬車はメルとシャイト、二人分の仕事道具やら布見本やら布地やらレースやらリボンやらが詰まった鞄や箱を載せてきたのだ。……他にも、メル自身のドレスなども結構な数を持ってきた。マギシェン侯爵家というどこの誰がどう見ても立派な貴族の家に招かれた以上、仕事であっても……いや、仕事であるからこそ、しっかりした格好をしなければいけなかった。特にそのあたりはシャイトには期待できない要素なので、メルが二倍しっかりしなければいけない。
マギシェン家の従僕らしいがっしりした身体の男性たちが、それらの荷物を軽々と持ち上げ、次々に邸内へと運び入れている。
メルはそんな彼らと邸を交互に眺める。
マギシェン家の別荘は、さすがは侯爵家というべきか、別荘であっても立派な建物だった。
どこにも傷んた箇所の見つからない薄い水色の木造の壁に、深い紺色の屋根。それに美しい金色の装飾がいたるところに施された、見事な建築だ。
「ん?」
メルが別荘を見上げていると、あちこちに装飾として『交差する二本の鍵』が使われているのが見て取れた。
「あっちにも……あ、こっちの扉にもある」
そんなメルのつぶやきがきこえたのか、荷物運びの従僕たちの中ではひときわ身体つきが立派な、顔が狼の種族であるヴェールヴの青年が作業の手を止めて教えてくれた。
「あの『交差する二本の鍵』はマギシェン侯爵家の紋章ですよ。こちらはは略式のもので、正式な紋章旗なんかにはもっといろいろ描かれていますけどね」
「二本の鍵……これは何かを象徴してらっしゃるものなのです?」
花の国ルルドでは、その通称の通りで旧い家柄には花の紋章が多い。鍵の紋章はどちらかといえば、大陸の中心にある神聖央国に多く見られる意匠なので、このあたりではかなり珍しい部類だ。
「あぁ、マギシェン家は昔っから双子が生まれやすかったみたいで、二本あるのはそれをあらわしてるって聞いたことがありますよ、実際に今の代にもですね……」
「おいノイド! お客のお嬢さんとくっちゃべってないで仕事しろ仕事!」
「あ、はい! ……それじゃ、ぼくはこれで!」
「えっと、はい……。んー……ちゃんと聞きそびれたなぁ」
先輩らしい中年ぐらいの男性に怒られて、ノイドという名前らしいヴェールヴの青年は走って行ってしまった。
とりあえず、メルも邸内に入ったほうが良いのだろうか、とエヴェリアの入っているトランクを持ち直しながら思案する。
しかし、こうしたちゃんとしたお邸に案内もなしに入るのは、呼ばれた身ではさすがにまずいだろうし――
その時、この世の何もかもをすべてを心得ているかのような顔つきをしたかなり年配のメイドがやってきた。
老メイドはメルの頭のてっぺんから爪先までじろじろと見て――それからほんの少しだけ表情を緩ませた。職人とは言え、この邸に招かれた客人とはしてまぁまぁ合格だったということなのだろう。
「奥様が、茉莉花堂の店主殿とその助手の方にお会いしたいとのことです」
シャイトとメルは、年配のメイドに案内され、別荘の応接室のようなところに通されて、少し待っているように言われた。
ふわふわと沈むこむような柔らかいソファは、メルにはどこかちょっと居心地が悪い。
もっとも、シャイトの方はと言うとテーブルに飾られているきれいな果物をつまもうとしたり、部屋のカーテンやテーブルクロスがどんな織り方の布なのか触ってみたりと落ち着きがない子どものようだったのだが。
シャイトが敷物の質まで触って確認しようとしていたので、さすがにそれは駄目だろうとメルが懸命に止めようとしているところに、応接室のドアが開いた。いや、開いてしまった。
ドアを開けて現れたのは、一人は中年の男性、一人は青年の男性だった。
奥様が会いたいということだったので、てっきり女性が現れるものと思っていたメルはちょっと驚いた。
しかし二人の男性は目玉が落ちるんじゃないかと言うほどに目を見開いて、メルよりもさらに驚いた顔をしていた。
――なぜならば客人であるシャイトが床に這いつくばって敷物を撫でていたからである。
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