出張しましょうよ




「よう、メル。今日も暑いな」

「ベオルークのおっさんこそお疲れ様。この季節の魔法窯の前は想像もしたくない暑さだろうね……」

「お、来てみるか?」

「嫌だ、絶対嫌だ」


 茉莉花堂の店舗スペースにふらりと現れたベオルークと挨拶を兼ねたちょっとした冗談を言い合う。こちらへ涼みに来たというわけでもなさそうだし、ベオルークは今日は一体何の用事だろうか。

 

「今日は仕事の話でな、シャイトはカーテンの中か?」

「うん、シャイト先生はカーテンの中で溶けているんじゃないかな」

「そうか。おいシャイト、生きてるかー?」

「……生きてないよ、ベオルーク父さん……」

 ……やや乱暴に開かれたカーテンの中では、シャイトが作業台に突っ伏していた。メルの予想通り、作業もせず溶けていたようだ。




 商談用のテーブルの前で冷たい水出し紅茶で一息つき、シャイトをどうにかこうにか復活させた頃、ベオルークがようやく『仕事の話』を始めてくれた。


「実はな、さっきお貴族様の従者が手紙を届けに来て、で、こんな依頼をされちまったんだよ。俺の方じゃなくて、茉莉花堂の方への依頼だ」

「茉莉花堂に? どんな依頼なんだよ」

 シャイトは行儀悪くテーブルに両ひじをついて、冷たい紅茶を飲みながら続きを促した。

「シャイト、貴族のマギシェン侯爵家って覚えているか? 今から大体二年半ぐらい前に、ドールとドールの服を依頼してきたとこなんだが。ほら、あの、子供の細密な肖像画を何枚も送りつけてきて、それとそっくりな、生き写しのドールを作れって言ってきたとこだよ」


「あぁ……あれなら、うん。忘れてない、だってあの依頼は――」


「ん、でな、そのドールの新しい服がそろそろ欲しいみたいでな。しかしドールの持ち主さんがなんか都には嫌な思い出があるとか、この時期は避暑地を離れたくねぇとかで、その上ドールと離れるのも嫌だと来たもんだ」

「それで、新しいドール服は諦めろとでも言ってやったのかい?」

 そこでベオルークは顔をしかめる。いつも快活で明るいベオルークにしては珍しい表情だった。

「とんでもない。あちらさんはな、ドール服の職人……つまりお前を避暑地にある自分の別荘地へ呼び寄せて、ドール服を作らせようっていう肚らしい。往復の旅費、滞在費、手間賃、材料費、その他出張費に、他にもいろいろと名目をつけて支払うとか言ってたな。……茉莉花堂を普通に営業して稼ぐよりも、遥かにでかい額を提示してきたがったぞ」


「うわ……」

「わぁ……」


 別荘を動きたくないからとそこまでするとは、マギシェン侯爵家というのはよほど羽振りがよいのだろうか。


「金持ちは、計り知れないな……でもそういうのはあまり興味は無いかな」

 シャイトが職人らしい妙なこだわりを見せた、のだが。

「別荘地は星降りの湖アルフェンカのすぐそばだそうだ。あの湖は花咲く都からずっと北にあるし、涼しくて過ごしやすいそうだぞ」

「うん、もちろん行くよ」

 シャイトは職人のプライドもこだわりもなにもなく、あっさり意見を翻した。

 ……さすがは、ベオルーク。シャイトとの付き合いが長いだけはある。彼はシャイトの扱いを完全に心得ている。


 メルはふと思い出す。そういえば、星降りの湖アルフェンカといえば、ジルセウスのリヴェルテイア家の避暑地でもあったはずだ。先日確かにそのようなことを言っていた。それに、近くで大規模な遺跡が新発見されて、ユイハとユウハも騎士学院の実習で調査に行くかもしれないとかなんとか。

 これは、逃してはいけないとメルは勢い良く挙手をする。

「はい、はい! 私も、私もつれてって!」

 その勢いに、ベオルークもシャイトもきょとんとしている。


「えーと、メル、あのな?」

 シャイトがどう切り出せばいいのかと迷っている様子で話しかけてくる。

「えっと、あの、できるだけ先方の迷惑とか厄介にならないようにするし、シャイト先生のお手伝いもいっぱいするから……」

「そうじゃなくて……メル、あのね」

 すると、ベオルークが笑いをこらえきれずに吹き出した。そしてその笑いが止まらい状態のまま、こんなことを言う。

「がはははは! はは! いやぁ、シャイトよかったなぁ? 本当に師匠思いの可愛い弟子でよぉ! ははははははは! メル、こいつが一人でお貴族様の別荘になんぞ行けると……ぷぷっ……本当に思ってるわけじゃないよな……ははははは!」

「え、え、あの」

 大爆笑されてしまっても、メルには未だ話が飲み込めない。つまり――

「つまり、俺が一人で行けるわけ無いから、お前を助手として連れていく。最初からそのつもりだ。……って、父さん、いい加減に笑うのやめてくれないかい、ご近所迷惑になりかねないから」



 


「……というわけなの、この夏はちょっとは涼しく過ごせそう」


 その日の夜、メルは長い金の髪を櫛で梳かしながら、白とマギシェン家の別荘についてあれこれ話をしていた。

「貴族の別荘かぁ。お客さん待遇とかなら、確実にこのベッドよりは広いよね」

「お客さま待遇かはまだよくわからないけど、まぁこの部屋のベットよりは良いベッドなんじゃないかな。白もついてくるんでしょ?」

 白は、いつもどおりメルのベッドでごろごろしながら応える。

「もちろんだよ、メルの居るとこならどこでもついてく。それに、湖のすぐそばなんでしょ? 水も空気もこっちより絶対いいだろうしさ。ベッドが広かったらいろいろお話しながら一緒に寝ようね、メル」

「もちろん。楽しみだね、白」





 もちろん、後日ジルセウスやユイハやユウハにも、星降りの湖アルフェンカの別荘地に依頼で行くことになることは伝えた。

 というよりは、ちゃんと伝えておかないとこの夏メルはジルセウスにも、ユイハにも、ユウハにも、会えなくなってしまう。

「それじゃあ、仕事がないときにでも向こうで落ち合ってデートしようじゃないか。いろいろ案内できるよ。メルとあの湖畔を歩けるなんて楽しみだよ」

「む……私達も、騎士学院の実習で湖の近くの遺跡に調査に行くことになったし、現地で合流できるわよ、メル」

「うん、楽しみだね!」


 すると、さきほどから黙ったまま何か思案顔だったユイハが、真面目な顔でジルセウスに詰め寄り、そしてこう言い放つ。


「ジルセウス、メルに妙な真似はするなよ?」

 ふむ、とジルセウスも顎に手をあてて考えいるような仕草をした後にこう返した。

「妙な、とは? 具体例を挙げてほしいものだね」

 ……たちまち、ユイハは赤面してしまった……一体何を想像したのか。


「言えるか馬鹿! 本気で馬鹿だろお前は!!」



 とりあえず、楽しそうな夏はすぐそこに来ようとしていた。





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