あの子のドレス




 一行は馬車で数日をかけて、ようやく王都に戻ってくることができた。

 茉莉花堂の前に馬車がつけられると、メルは荷物を取る時間すらももどかしくすぐに中に駆け込んだ。

 その別れ際、喪服の少女メアリーベルは泣き腫らした目と泣いて叫んで枯れかけた声ではあったが、確かにこう言ったのだ。

「お願い、私はどうなってもいい、レナーテイアを助けてください」

 メルにそう懇願する彼女の背を、ベルグラード男爵夫人が支えていた。

「わたくしどもからも、お願いします……正式に依頼をします、どうか」


 喪服の少女メアリーベル。もう彼女は、孤独ではない。







 胴体を砕かれた人形、レナーテイア。彼女と、彼女を構成していた破片は全て回収してきた。

 今は茉莉花堂のカウンターの上に、黒い布を敷いてそれらを並べている。

 レナーテイアが抱いていた秘密の鍵――あの村の人々が必要としていたもの――は、ベルグラード男爵が叩き折った。男爵はすでに、あの鍵で開けることのできる箱――中身はメアリーベルの父親の研究ノートだそうだ――をメアリーベルの実家から発見し処分していたのだから、鍵もまた不要なものだった。


「なるほど、たしかにこりゃひどいもんだな……これは、さすがにパズルして治すのは無理がある。……となると、胴体パーツを作り直してやるしかないんが、メルはその子にそんな長いことかからねぇとか約束しちまったんだな?」

「うん……」

「……もうすこし、後先考えて行動するんだね。メル」

 少しだけ薄暗い茉莉花堂。そのカウンター前にいるのは、メル、ベオルーク、それにシャイト。

「胴体パーツを作り直すとなりゃ、時間がかかる。ましてやこのレナーテイアという子は、ちょいと特別な肌の色だ。この色を出すのはまぁ、俺にかかればそう難しくはないが、いちからやれって言われりゃ相応の時間と手間暇がかかるぞ」

「そのことで、ちょっと提案があるの。きっと、ベオルークのおっさんならできるから、だから聞いて欲しいの」

「まるっきりの考えなしでもないようだな、策があるなら聞こうじゃないか」

 ベオルークは頷く。


 それを、シャイトは店の壁にもたれかかって腕組みをしながら気怠げに聞いていたが、メルが自分の『提案』を話すと、驚愕に目を見開いた。

 同じく聞いていたベオルークは少しだけ驚きを浮かべた後は渋い顔だった。

「メル、それはドール職人の、いや、一人の……ドールを愛する者として、俺は邪道だと言わせてもらう」

「でも、この方法なら、ベオルークおっさんにならすぐに可能でしょ? ……ね?」

「メル……お前、いや、たしかに俺ならちょいと手を加えるだけで済むし、実際時間も四日……いや、二、三日もかからないが……魔素粘土の術式をちょいと魔法窯で書き換えてやれば……だが……」

「私はドールブティック茉莉花堂の店員だから、ドールでだれかに幸せを届けたい。そのために、必要なことなの」

 メルはカウンター上の小さな椅子に座らせていた自分のドール、エヴェリアを抱き上げ、彼女と目線を合わせる。

 このエヴェリアは二年前のあのとき、シャイトから、そしてベオルークから贈られたメルにとって大事な大事な相棒だった。

「……いいのかい」

 ベオルークは諦めたように白銀の髪をがりがりと掻きながら、メルに最終確認をとる。

「うん……ごめんね、ありがとうね、ベオルークのおっさん。それにシャイト先生にも……ごめん、そしてありがとうだね」

 そう言うと、ベオルークはにかっと明るく、言ってくれた。

「ごめんもありがとうも、どっちもエヴェリアに言ってやんなよ」


「さて、話はまとまったようだな」

 それまで壁際で腕組みをして黙っていたシャイトが、カウンターに近づいてきて、レナーテイアの黒いドレスだったものをつまみ上げた。

「これはもうドレスとしての機能を果たしていないし、それにもうこのドールにも、持ち主のお嬢さんにも黒いドールドレスは必要ないのだろう?」

「うん」

「しかしドレスは何かしら必要だ。まさか、このレナーテイアというお嬢さんを裸でお家に帰すわけにもいかないだろうな」

「そうだね……もしかしてシャイト先生、作ってくれるの?」

 たしかに、レナーテイアを裸で男爵家に帰すのはなんだか気が引ける。だとしたらなにかしらドレスを、たとえ仮のものでも着せておくのがいいだろう。

「いや、俺は作らないぞ」

「え、それじゃなんで……」

 こんなことを切り出したのか、とメルが続けようとしたとき、返されたのは意外すぎる言葉だった。


「お前がドレスを作るんだ、これは師匠からの指示だ」



「…………」



 沈黙がたっぷり数十秒。

 それを破ったのはベオルークの豪快な笑い声だった。

「がっははははは! メル! やっとこのときが来たな! メルのドールドレス職人としてのはじめての仕事だ! これはめでたいじゃないか!」

「ベオルーク父さん、うるさいよ、近所迷惑だ」

「だってよう! メルちゃんはこのときをずっとずっと待ってたんだろ? ずっとずっと待ってた、初仕事なんだぜ? 喜ばしいったらないぜ!」

 ベオルークはこれ以上ないほどの笑顔でシャイトの背中を、てのひらで音がでるほど何度もたたく。

「ちょ、痛い、痛いってばベオルーク父さん」


 その光景をメルはぼんやりと眺めていて――


「あのね、ベオルークのおっさん、ちょっと私のほっぺつねって。全力でお願い」

「お、おう……?」

「夢、なのかな。だったらいい夢? いやでも、その前がいくらなんでもあんまりにもあんまりすぎたからいい夢とも言い切れないような、でも結局はいい夢なような」

 ぶつぶつと呟きながら考え込むメル。

「夢じゃないに決まってるだろう」

「……やっぱり、そうなんだよね?」

「何度も言わせるな、お前がドールドレスを作れ、売り物のドレスを、だ」

「ツンデレだなシャイト、何度も言わせるなと言った後、説明をちゃんとしているツンデレだ」

「ベオルーク父さん、いい加減そろそろ殴り返すよ?」

 ため息をついてから、シャイトは黒い瞳でメルを正面から見つめて、あらためて師匠として茉莉花堂の店主として、彼女に指示を出したのだった。

「デザインも縫製もすべてお前に任せる、材料もどれを使っても良い。使いたければ遠慮なく使え。型紙の原型は今回は作る必要がないだろうから、さほど時間はかからないだろう。ベオルーク父さんが作業を終わらせるまでには作り上げるんだ」





 


 メルは銀の針に、黄色い糸を通す。


 目の前に広げられている裁断した布地は、明るいミモザの黄色。そして粉雪のような清楚な純白。

 在庫の中から選びぬいた上質な柔らかいレースも白。

 差し色に使うのはラピス・ラズリにも似た濃い青の色。レナーテイアの瞳の色にも似ているどこまでも深い青だ。

 ほかに、飾りには白いパールによく似たビーズなどを用意した。


「さて、はじめようか――メルレーテ・ラプティの初仕事だよ」


 メルは、一針目を迷うことなくミモザ色の生地に入れた。



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