その思い出に決着を(その二)
初老の男は、いかにも機嫌よさそうな、とても歓迎しているという表情だった。
「メアリーベルや、帰ってきてくれたのかい?」
「……村長さん、これ、どういう」
しかし、そんなものでは取り繕うことは、当然できない。
現に村人たちは武器や農具をかまえ、じりじりとメルたちを包囲しようとしていた。
「もちろん、メアリーベル。きみが受け継いだ“遺産”を譲渡してもらうためだよ。持っているんだろう?あぁ、持っているね。きみのおとうさんが残した“遺産”はとんでもないものだよ。あれがあればもう私たちはこんなまずしい暮らしに甘んじることもないのだよ。あれがあれば村のみんながしあわせになれる、村のみんなだけじゃないさ、あの“薬”を使えばだれもがみんな幸せに――」
「そろそろ黙りたまえ、不愉快だ」
村長の長いセリフを一蹴したのは、ジルセウスだった。
彼の、常人ならざる威圧感と高貴さ、それに人を服従させることに慣れた者特有の空気が、武器を手にした男たちをひるませている。
「メル、ユウハ。ふたりはメアリーベルを守っていて」
「えぇ」
「わかった、男爵夫妻は……」
「我々なら、気遣いは無用だよ。このお役目をおおせつかっていれば、そういうこともあるのでね。護身の心得ぐらいはある。もちろん妻もだ」
「そういうことですわ。お嬢さんがた、メアリーベルをお願いしますわよ」
男爵夫人もそう言ってじゃらりと大型の鋼扇を構える。
そして夕陽が見守る中、戦端は開かれた――
「背中、預けさせてもらうよ! 侯爵子息さん!」
「こちらこそだよ」
背中合わせになって、それぞれの獲物を構えるのはユイハとジルセウス
ユイハは極東列島風のこしらえの刀を鞘に入れたまま、いわゆる居合いの構えで、ジルセウスは抜き身の直剣をまっすぐ目の前に構えている。
何人かの男たちが襲ってくるが、この二人にはそれを払いのけることは、蚊でも払うのと同じだった。
「斬ってもいいならもっと楽できるんだけど」
「さすがにメアリーベル嬢の前でそれはいけないだろう」
「まぁそうなんだけど、ね!」
セリフの最後の一言とともに、ユイハが刀の峰で村人の手首を叩き、武器を落とさせる。
そう、ふたりとも村人を殺さないように加減していたのだ。
「大した腕前だね、今の音は骨が砕けたかな?」
「だとしたら、加減しきれてないってことで、それほどの腕でもないよ。それより侯爵子息さんがそれだけやれることが驚きだね」
「貴族のたしなみだよ、これもまた道楽のひとつさ。それよりも――」
「何か?」
「さっきまでみたいに、ジルセウスと名前で呼んでくれないのかい?」
「時と場合と気分によるね」
お互いに背中を護りあいながら、敵を払う。
ユイハの視界の端では、男爵夫人が魔炎を纏った豪快な突撃で男たちを何人も跳ね飛ばしていた。
「アレは喰らいたくないなー」
「男爵の方も、なかなかのものだよ」
「あ、そっちも見たい。ちょっと角度変えようジルセウス」
「了解したよ」
位置を変えて見ると、ちょうど男爵は、凍気を吹き出す魔杖でもって敵をなぎ倒すところだった。その動きはまさに紳士。流れるような動きは優雅ですらある。
「なるほどさすがは“魔薬捜査官”だ。見事なものだな」
魔薬捜査官――それがベルグラード男爵の官職だった。
この丘の麓の小さな村は、魔薬作りに手を染めている。
そして、メアリーベルの父親が生前研究していたのは今までのものよりもはるかに効能の高い――まっとうなひととしての言い方をするならば、危険で恐ろしい魔薬の製法であったのだ。
しかし製法が完成する直前、メアリーベルの父親は突然亡くなった。おそらくは、魔薬の失敗作を試しすぎたのであろうというのが男爵の予測だ。
「それは口に出さないほうが良いよ。万一にもメアリーベル嬢が聞いては――」
「わかってる」
そう、メアリーベルは真実を――父親が魔薬に手を染めていたことなど知らないのだ。
「まったく、男爵はお人好しだな」
「あぁ、その意見にはこの、ジルセウス・リンクス・リヴェルテイア、同意せざるを得ないね」
男爵夫妻は、メアリーベルから村のこと父親のことをなにか聞き出せると思い彼女に接近したらしい、しかし、子供のなかった夫妻はそのうちメアリーベルに対して本心から情が湧いてきてしまい、彼女を非公式ではあるが養女とすることを決めたのだ。男爵夫妻は近いうちにメアリーベルを“お披露目”するパーティを開催するつもりでいたらしい。……それを済ませればメアリーベルは正式な男爵令嬢となり、社交界でもきちんと、ベルグラード男爵家の子として知られるようになるだろう。
以前、ファイデア子爵夫人がベルグラード男爵家に子供がいない旨のことを話していたが、それは単純に、メアリーベルが知られていなかっただけのことだ。
「さて、さてさて、そろそろ詰めの段階かな?」
「だな」
「では、どちらが先にキングの駒を抑えられるか、勝負と行かないかい?」
「……あんたは本当に趣味人だな。そういうのは――嫌いじゃない」
メルは、片手でエヴェリアを抱き、もう片方の手でメアリーベルを抱きしめている。
すぐそばで、ユウハが魔力で作り出した大鎌で男たちをふっ飛ばしている。
メルは何も――戦局を見守ることさえしなくてもよかった、ただこの胸の中で震えている痩せた少女の心が、せめてこれ以上傷つかないようにするだけでよかったのだった。それこそが、何よりも大切なことだった。
「……どうして、村長さんも、村の人も、どうして……」
「メアリーベル、男爵さまと男爵夫人が戦ってくれてるよ、きっと大丈夫」
「……おじさまと、おばさまが」
「そう、あなたを、ずっとまもってくれる人たちが、今あなたのために戦ってる」
「……私の……」
そのときだった。
「メルっ!!」
ユウハが警告を飛ばす。
――利き腕の骨を砕かれてうずくまっていた男が、起き上がり、逆腕で剣を持ってメルたちに突っ込んできたのだ。
「きゃっ!」
「きゃあぁああっ!」
体当たりをうけて地面に倒されたメルはそれでも、メアリーベルを離さない。エヴェリアもだ。かばうように彼女たちを抱いて急な丘の斜面を転がってゆく。
「……っ!」
ぐるぐると目まぐるしく回転しながら移動していくメルの視界の端で、銀髪白肌の黒い服のドール……レナーテイアがメルたちとは別に転がっていくのが見えた。メルはメアリーベルとエヴェリアを離さなかったが、メアリーベルはそうもいかなかったらしい。
「レナーテイア……っ」
呼吸さえも苦しい中で、そのドールの名前を呼ぶのは、メルの声なのか、メアリーベルの声なのかもわからない。
衝撃と痛みが襲ってくるとともに、ようやく視界が回転するのがおさまった。どうやら、丘を転がりきったらしい。
メルとメアリーベルのすぐ目の前に、男と、男が持っていた剣が別々に転がり落ちてきた。
メルは剣を取るべきか、ほんとうにほんとうに一瞬だけ躊躇して――それが『彼女』にとっては致命的な時間だった。剣などほおっておけばよかったのだ、なぜならメルはもう『剣を持つことができない』身であったのだから。
男が素早く起き上がる、そして、レナーテイアに迫り『彼女』の胴体を鷲づかみにして――岩に叩きつけた。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
……そのメアリーベルの悲鳴は、まるでレナーテイアの断末魔。
レナーテイアの質素な黒い服は破け、そこから彼女の砕けた胴部がのぞく。
そこから飛び出していたのは……鍵、のようだった。
男はそれを手にしようとして、
「メル!」
……男は、ユウハの魔力の大鎌の柄でもって思いっきり頭を殴られた。
いろんなものがようやく終わって、メルはのろのろと起き上がる。
体はあちこち痛むし、たぶん頭から血が出ている。服は泥と草の汁で汚れているし、何より――レナーテイアを守れなかった。メアリーベルの心を守れなかった。
メアリーベルはレナーテイアに駆け寄って、なによりも大切な大切なその『残骸』を抱きしめて泣いている。
「レナー……レナー……死んじゃ、やだ……おいていかないでよ、レナーテイアぁあああああああああああああああああ!!」
メルは……そのあまりにも悲痛な声を聞いて、自分はなにもできなかったのか、と無力感に襲われる。悔しくて、涙が滲んでくる。何もできなかった、こんなの……。
「まだだよ」
ふわり、と清涼な風を感じた。
背中に体温を感じる。
――誰かに抱きしめられている。
「まだだよ、まだ泣くのは早いさ」
「……白」
メルを抱きしめていたのは、白い腕。
「君ならできる……それと『あのひと』にもできるさ、絶対にできる、だってレナーテイアはまだ死んでいないのだからね」
そうして……白い腕はゆっくりと、メルを解放する。
メルはずっと泣き叫んでいるメアリーベルに急いで駆け寄った。
「レナー……レナー……!!」
「メアリーベル、レナーテイアをよく見せて! レナーテイアはまだ、死んでないかもしれない!」
メルはメアリーベルから半ば奪うように、レナーテイアだったものを引っ張った。
――思った通り、砕けているのは、胴部だけ。頭部は無事、これなら……
「メアリーベル、レナーテイアはたしかに“治す”必要があるけれど、まだ死んでいないよ。茉莉花堂に、ううん、私にほんのすこしの間だけ、預けて欲しいの」
メルはレナーテイアを抱えて、そう宣言する。
月と一番星の輝きが、彼女たちに優しい輝きを投げかけていた。
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