誰かの夢



 メルは二日と少しの時間をかけて、レナーテイアのためのドレスを完成させた。


 ベオルークのほうの作業はまだ時間がかかるということで、メルはほんの少し仮眠を取ることにした。何しろ、この二日間まともに眠っていない。さすがに騎士学院で鍛えられたメルでも睡眠時間はどうにもならない。


「うわ、目の下クマできてる」

 メルは呆然と呟く。

 手鏡を何度角度を変えて見ても、目の下はクマがくっきりとできていた。

「ま、これも名誉の負傷みたいなものじゃないかな?」

 ひょいと、背後から現れたのは白い人物。

「白、来てたのね」

「メル集中してたしね、邪魔したくなくて話しかけないでいたんだ」

「……ありがとう白。ううん、あのときも本当にありがとう。多分、白が言ってくれてなかったら、私はきっと……諦めてたよ」

 ぺこりと、小さくお辞儀。

「だったら、ありがとうの言葉だけじゃなくて、お礼の気持ちを行動で表して欲しいな――具体的に何をしてほしいかというと、一緒に眠りたい」

「お礼、それでいいの?」

「それがいいの」


 二人は小さなベッドにお互いの顔が見えるように横になって、薄手の布団と毛布をかぶった。

 白は、どういうことになっているのか未だもって謎なのだが、メル以外の生き物と、彼らが触れている物品には触れることはできない。

 だが、誰も接触していない物品には触れられるし、もちろんメルだけが接触している物品に触れることもできた。

 ただ、望まなければ物品に接触しないこともできる。例えば雨や雪などは白を通り抜けて降るのだ。


 ベッドは一人用のものなので、当然二人で入るのは狭いのだが、白と触れ合う体温はとても心地よい。

「メル、とうとうちゃんとした、お店の商品にできるドールドレス、作れたね。僕の言ったとおりだったでしょ? メルならもうすぐだって」

「本当だね……」

 メルは白の体温の気持ちよさに、早速目がとろとろし始めている。すぐにも眠りにおちてしまいそうだ。

「白、あのね……今の私、幸せ。……すごく、すごく、幸福……だ……よ」

 その言葉が終わると、メルは眠りという優しく柔らかなヴェールに包み込まれていく。

 白は、そのメルの寝顔を見て自分も瞳を閉じる。


 ……その閉じた瞳からは、涙が一筋流れたが、それを見ることのできるものは、だれも、いない。







 メルは夢を見た。

 不思議な不思議な夢。


 どんな場所なのかもわからないふわふわしたたよりない空間に居る夢。

 その夢に出てきたのは、輝くような金の長い髪の女の人。

 だけど青い瞳は昏く、生気が感じられない。

 大きめの胸がかすかに上下していたから、呼吸はしているのだろう。

 だけどその女性は、生きていなかった。生きているけど、生きていなかった。生きた人間じゃなかった。


 しばらく、女の人をながめていると、その人もメルを見つめ返してきた。


 「――あ」


 気づいてしまった


 その

 女の人は

 メルにそっくり


 違う


 メル本人 だ







「メルちゃん? 起きて、起きて、ほら、メルちゃん、もう、シャイトの寝坊癖がうつっちゃったのかしら? 起きてメルちゃん」


 プリムローズおかみさんの声だ。

 メルは飛び起きる。……隣に白はいなかった。先に起きてどこかにふらりと行ってしまったのだろうか。

「メルちゃん、ベオルークの方も作業が終わってるわよ。ベルグラード男爵家に行くんでしょう? 白薔薇の貴公子様が馬車でお迎えに来てくれたわよ」

「え、ちょ、ま……」

 プリムローズの言葉に、メルはうまく言葉を返すことができないぐらい焦ってしまう。

 どうしよう、寝起きのこんな格好であの人の前に出られない。

「茉莉花堂の方で待ってもらってるわよ、シャイトが対応してくれているわ。早く身支度しちゃいなさいな。今からなら、お茶の時間ぐらいにはあちらさまに着くでしょうし、ちょうど良いんじゃないかしら」

 くすくすと少女のように笑いながら、プリムローズは部屋を出た。




 メルはどうにかこうにか、手持ちの春物ドレスの中で一番上等な真っ白な絹のドレスを着込み、髪を整え白いリボンを結び、唇にはいい香りのするピンク色の紅を塗った。

 そして慌ただしく一階に降りる。


 と、茉莉花堂ではジルセウスが待っていた。どうやらベオルークと人形談義をしていたようだ。シャイトは、カウンターにわざと行儀悪く座ってなにかの茶を飲んでいる。対応してくれている、とは一体何だったのか。


「おまたせしました!」

 メルが呼吸を整えながらお辞儀をすると、ジルセウスは柔らかく微笑みかけてくれた。

「お疲れ様だよ、メルレーテ嬢。先程、このベオルーク氏が直したレナーテイアを見せてもらったが、ドレスを着けていない姿でも、見事なものだったよ。というわけで早くドレスを着たレナーテイアも見たいのだが」

「それは男爵家のお屋敷についてからお見せいたします」

「おあずけか、自分でハードル高くしてないかい?」

「……う、と、とにかく、男爵家についてからです!」


 用意していたおおきな籐製のバスケットトランクにやわらかいクッションを敷き詰めて、その上にドレスを着せたレナーテイアを寝かせる。そしてもう一枚クッションをかぶせて、トランクを閉じた。

 これで準備完了、あとは男爵家に急ぐだけだった。





 男爵家のお屋敷は、その質実剛健さが感じられる、装飾の少ない旧い館だった。

 メルとジルセウスはメイドによって庭園に案内される。


 庭園は、なるべく自然に近い状態を作り出すタイプのものらしく、大きな岩やねじくれた樹木があり、道には傾斜がある。

 そんな庭園の一角にテーブルと椅子がいくつか置かれていて、男爵夫妻とメアリーベル、それに小奇麗な服装をしたユイハとユウハがすでにお茶を始めていた。


 男爵とジルセウスが一応の社交的な挨拶を交わしている間に、メアリーベルはとことことメルの方に寄ってきてくれた。


 メアリーベルは、すでに喪服ではなかった。

 華美ではないが、ござっぱりとした茶色の格子縞模様の木綿のドレスとフリルたっぷりの白いエプロンを纏っていたのだ。ドレスの色味を抑えた分なのか、髪に結ばれたリボンは鮮やかなピンク色。大陸東方産のサンゴに似た、オレンジ色が入ったピンク色だ。

「メルお姉さん、ごきげんよう、こんにちは」

 メアリーベルはドレスの裾を両手でつまみ、腰をわずかに落とす優雅な礼をしてみせた。その様子が可愛らしくて、メルも微笑みを返してから、丁寧なお辞儀をする。


「先日はご依頼いただきありがとうございます、メアリーベル嬢。お預かりしたドール・レナーテイア嬢をお届けに参りました」



 

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