07:茸の台座




 梅雨が明けて暫くした頃、自室の隅に珍妙な物を見つけた。見つけてしまった。

 肉厚な傘を広げるそれは、紛れもなくきのこである。


 あいも変わらず原稿用紙は寝台傍の机に散らかしてい、書き損じが数枚机から滑り落ちなどしているものの、それ以外、特に散らかしてはいないはずだ。というより、散らかす物がないのだから仕様がない。衣服やシーツは、お栄さんが毎日洗濯してくれているのでこの上なく清潔である。何が茸の養分となり得たものか。長い雨に湿気た床板が、よほど居心地良かったとみえる。


 茸にはろくな思い出がない。

 学生時代、松林を気儘に散策していると立派な傘が目についたので、これはいい、今夜は松茸の土瓶蒸しだと喜んで持ち帰ったのがいけなかった。蒸し上がったものを、何とも香りの薄い松茸である、しかし食感はなかなか宜しいと突ついていたら、箸を置かぬ内から燃えるような腹痛に襲われ、そのまま夜が更け朝になるまで七転八倒の憂き目に遭った。

 あの時ばかりは地獄を見た。思い出すだに脂汗が滲む。


 元来、茸の種類などには知見がなく、柄が長くて傘が饅頭型ならば松茸、柄が短くて傘が小さければしめじで、大きければ椎茸といった具合にしか判別出来ぬものを、よく調べもせず口にしたのがいけなかったと猛省している。茸とて嫌がらせのつもりなどなく、自衛のために毒を持っていただけであろうし、勝手に食った私が悪いのであるが、爾来茸は苦手である。


 しかし、部屋の隅で悠々自適に傘を広げている様を毎日のように見つめていると、何やら愛着が湧いてきた。

 柄は細長く、傘は肉厚ながらも平らかであるので、松茸でないことは確からしい。色は全身が柔らかな乳白色をしてい、艶やかな傘の天辺などは、上質な桐の木肌のように滑らかだ。


 どうせ愛でるのであればと名前をつけてみた。傘松かさまつさんという。

 傘松さんは、何といってもその傘の美しさが並みの茸の比ではない。それで最初は傘さんとしていたが、呼びかけるにも舌を噛みそうな音の並びに辟易し、松茸のように愛される茸にとの思いを込めて松を付けた。

 傘松さん、と心の内で呼びかければ、細い柄をくねらせて応えてくれる。そのしなやかな仕草を見るにつけ、どうにも傘松さんには女性性が宿っているように思われてならない。


 日々傘松さんとの親交を深めていると、誰かにこの自慢の友人を引き合わせたくなってきた。ちょうど採血が新島だったので、傘松さんを紹介してみる。

 新島は肩越しに傘松さんを振り返ったが、特に感想もなく「袖を捲ってください」と事務的に告げた。


「冷血漢め。あの愛らしさが分からぬとは」


「真面目に務めを果たしているだけだ。下手に何かを云って、弾みに腕が動きでもしてみろ。流石に痛いぞ」


 それは御免こうむる。


「しかしお前の注射は本当に痛くないから不思議だ。此処へ来てからというもの、身辺に不可思議なことが沢山増えたが、何よりもそれが不思議でならん」


「ならば毎度そうやって顔を逸らすのを止したらどうだ。針が刺さってゆく様も、それはそれで不可思議やもしれんぞ」


「大いに結構。そもそも、僕はこの部屋からの眺めが気に入っているのだ。別に、顔を逸らしている訳ではない」


 はいはい、と気の無い返事をかえし、新島が脱脂綿を押し当てる。私はたまたま見ていた気に入りの眺めから顔を戻した。


「それで、どうだ」


「どうだとは」


「傘松さんだよ。立派なものだろう」


「妙に艶艶としているな。変わった茸ではある」


 流石に採血の時間は忙しいらしく、新島はその間にも片付けの手を休めない。慌ただしく荷物を纏めてしまうと、立ち上がり、傘松さんを見つめてから、再度此方に向き直った。


「しかし、茸に興奮しているお前は気持ち悪いな。妙な胞子でも吸い込んでいるのではないか」


 失敬な事を云う。新島に引き合わせたは誤りであったと、片手でしっしっと追い払った。



 次の朝、差し込む光に目を覚ましてみれば、何やら部屋の様子が常とは違う。何か、強く張り詰めたものを感ずる。しかし嫌な空気ではない。

 傘松さんはどうしているだろうと目を向け、あっと思わず声を上げた。なんと、傘松さんの麗しき傘の上に、手のひら大のお釈迦様が立っておられるではないか。

 慌てて寝台の上で膝を揃える。よくよく考えれば上から見下ろす形となって不敬なこと極まりないのであるが、その時は驚愕のあまりそこまで気が回らなかった。


「どうかなさいました?」


 叫び声が届いたものか、ドアが慌ただしく開けられた。院長先生である。あの、とだけ云って、しかしまさかお釈迦様を指差す訳にもいかず、ひとりもどかしく思っているうちにお釈迦様は忽然と姿を消していた。

 そうとは知らず、慌てて熱を測ろうとする院長先生に心から申し訳なく思い、


「すみません、身体の方はなんともないのです、たださっき彼処あすこにお釈迦様がおわして……」


「ほう? どの辺りに」


「茸の傘の上に」


 院長先生は快活に笑って、それはいい、茸の台座とは一風変わったお釈迦様だと大いに喜び、傘松さんの美しさを褒めに褒めて去って行った。傘松さんは、見事大役を果たしたとばかりに自慢げである。思えば、お釈迦様の御姿も傘松さんと同じ乳白色をしていた。まるで桐の木一本から彫り出したかの如き美しさであった。


 それからお釈迦様は度々傘の上に御来迎召されるようになった。

 その有難みを誰かとも共有したく思うが、御姿を見せるのはいつも部屋にひとりの時である。平素は多くの参拝客に拝まれているため、此処へ来る時ぐらいは静かにいたいとお考えなのだろう。ならば私はその御意思を尊重するまでだ。


 我が友人傘松さんは、ここへ来てお釈迦様の台座という誉れある職を得、そうなると、これまでのようにあまり気安く呼び掛けるのも躊躇ためらわれ、様々な敬称を試してみたが、いずれもお気に召さない様子、結局は変わらず傘松さんと呼んでいる。


 ある日、傘松さんの傘が一層大きく、艶めいているのを見てひとつの考えに思い至った。


 普通、お釈迦様の台座として登場するのは蓮の花が一般的である。これは蓮が濁った泥水の中でこそ大輪の花を咲かせることに由来し、泥水とは即ち人生に於ける様々な苦難であり、その中でこそ悟りは開かれるとの意味を持つという。

 それをこの状況に当てはめるなら、傘松さんがこうも美しく傘を広げているのは、このサナトリウムに様々な苦難が満ち溢れているためではないか。患者は皆胸の病に苦しみ、喀血に怯え、医師は医師で、慣れ親しんだ患者との別れと常に隣り合わせでい、しかし職務には忠実であらねばならず、誰もが苦しみ、捥がき、それでも必死に生きている。

 その苦難を吸い上げ、見事に傘を広げる傘松さんの姿は、まるでサナトリウムの救いの権化のようではなかろうか。


 その考えを新島に話すと、文学者は変わったことを考える、と笑われたが、しかし部屋を出て行きしなに傘松さんを見る目が、これまでとは少し違っていたように思う。


 その夜、夢を見た。不思議な夢だ。

 現実のこの部屋と、さして変わらぬ夢であった。夢は現実と乖離している程に夢らしいように思う。


 夢の中でも傘松さんは堂々たる開きぶりで、その上には有難きお釈迦様の御姿がある。

 いつもは柔和な笑みを浮かべ、じっとお立ちになったままでいらっしゃるものが、ふと思い立ったように、そろりと御御足おみあしを前へと差し出された。危ない、落ちてしまうと叫ぼうとするも声は出ず、身体も動かぬ。しかしお釈迦様は何もない場所を踏みしめるように三歩お歩きになると、ふっと御姿を消してしまった。そこで目が覚めた。


 身体を起こして傘松さんを見遣ると、その傘の上に小さきものが三つ並んで転がっている。何かと思って摘まみ上げれば、それは乾いた豆粒であった。乳白色をしてい、大豆のようだが、角度により様々な色が浮かんで見える。


 しばらく見つめ、一粒口に含んでみた。草の味がした。



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