Sakura in Wonderland②

「……」


「……」


 私と緋鎖乃は、無言だった。無言で戸破家の庭に浮遊する穴を挟んでいた。


 直径一メートル程の穴は、地上から一メートル程の場所を浮遊していて、円の中は黒い。不思議な事に、横から見るとそれは宙に存在が視認できず、また、反対側からも存在が視認出来ない。


 今、私の側からは穴を見る事は出来るけれど、反対側に居る緋鎖乃は穴が見えていない状態である。


 それは正に、空間に穴が開いている状態だった。


「私は……実戦に出た事がないから分からないけれど、こういうのは良くあるものなの?」


「空間分断や空間結合の能力は聞いた事がない訳じゃないけど……」


「白兎と桜の姿がないって事は、きっとこの穴の中に入ったのよね? それなら、空間移送? 異空間生成かしら?」


「鬼束商店街的なものである可能性は高いな。ただの転送装置ならいいんだけど」


「叔父様の様なタイプの能力だったのならば……入ってしまえばお終いね」


「手でも突っ込んでみるか?」


「私よりは鎖子の方がいいリアクションをしそうだけれど」


「馬鹿言うな。しかし、これじゃあまるで――」


「不思議の国のアリス、最初のシーンね。兎穴に飛び込むアリス」


 空想の物語そのものじゃないかと、私が言うまでもなく緋鎖乃が続いた。


「しっかし……どうしたもんかこれ……」


「……意外ね」


「なにが?」


「てっきり、猪突猛進に穴の中に飛び込むかと思ったわ。桜を助ける為なら、そういう事しそうよね、鎖子って」


「今からでもやった方がいいか?」


「止めるわ。得体のしれない穴になんて、飛び込ませない」


「同じだ。桜を助けたい気持ちで、今直ぐ飛び込みたい。が、なんの策もなく突っ込む程私は馬鹿じゃない」


「知ってるわ、私の知っている鎖子は優秀だもの」


「お前が突っ込みそうだって言ったんだろ」


「気持ちの話よ、気持ち」


 なんだか、不思議な感じというか。緋鎖乃ってこんな奴だったか? 古野野江で一緒に居た時と大分雰囲気が変わった気がする。


「あ、分かった」


「なに? 穴の正体?」


「いや、なんか今日お前と喋ってて変だなあって思ってたんだ。会話の仕方変わったというか。それに、態々うちまで来た理由も分かった」


「な、なによ?」


「お前、あれ以来まじで友達居ないんだな」


「……」


「寂しくて此処に来たのか。それで、久々に同世代と会話するから舞い上がってんだろ?」


「……くっ、人の急所を」


「別に悪いとは言わないさ。緋鎖乃が友達が居ないのは仕方がない。お前の功績だ……けど、普通に作ればいいだろ? もう緋鎖乃が気にかける必要がないのに」


「皆、気味悪がって話してくれないのよ。相変わらず私の記憶がないから……私は努力したけど、てんでダメね。大人しくクラス替えを待つわ」


「そら長い道のりなこって」


 緋鎖乃の同級生は、緋鎖乃の記憶を持たない。全てを守る為に、全てを秘匿する為に、緋鎖乃は一度死のうとした。その死によって友達が悲しまないように、焼却の能力を使って、自分の記憶を皆から消した。


 結局、緋鎖乃は死を免れたけれど、死んだも同然の環境だけが残された。友の為に死力を尽くした緋鎖乃に待っていたのは、自分の事を誰も知らないクラス。笑えない話だ。


「私、そんなに雰囲気変わった? 確かに、貴方と話していて舞い上がっていた事は認めるけれど」


「なんか軽口が多いなって印象だ。前はもっと……大人っぽかった……かな?」


「それは買い被り過ぎよ。私は普通だもの」


「いやいや、そんな――」


 言いながら、緋鎖乃がぐるりと円の周囲を周り、私の所に戻って来る。


 それに合わせるかの様に。


「ったはーーー!!」


 穴の中から、人間の上半身が飛び出した。


「わっ」


 私は間抜けに声を上げたけれど、横の緋鎖乃はこれまた瞬時に抜刀の構えを取る。私はまだまだだ、と痛感する。


「ぬっ……抜けない……! っは! よっ! あっ、待って待って、穴が浮いてる!? 落ちる!? たはーーーっ!」


 こちらも、私に合わせて間抜けな声をあげる。断末魔の様な叫びを空に放ちながら、落下する。


「痛い……なんで穴が浮いてるの? 変なとこに開けやがってえええ! で、此処は何処? ……あれ?」


 穴から飛び出したのは、少女だった。

 

 桜やりずっと幼い、多分小学生。濃い青のオーバーオールに、ピンクのシャツ。青臭い顔立ちで周囲を見渡す短髪の少女は、可愛らしい顔立ちをしていたけれど、金色に染髪された頭部はいかつかった。


「……誰?」


 眉を顰める少女が、私と緋鎖乃を交互に見ながら言う。


「……こっちの台詞だよな?」


「ええ、全くの同感。こちらの台詞だわ。貴方、誰?」


 緋鎖乃は受け答えをしながらも、抜刀の姿勢は崩さない。


「いやいやちょっと待ってよ、斬らないで斬らないで、私きっと味方だし……って、え? あれ? え??」


 大きく開いた瞳をで、ぐるりと周囲を見渡す少女。開口したまま数瞬間抜けな表情を続けて、口元を抑える。


「嘘……まじ? 在り得ないでしょ? いや……リリコの事もあるなら……なんて話。本当にあいつ、なんでも在りか!! え……って事は……」


 そして、再度私と緋鎖乃を交互に見る。先程より目を見開いて、強い眼力を感じる。


「……うわ、絶対そうだ。わっ……ああ、だめだ。多分だめだ! ……あの、此処って、戸破のお家ですよね?」


 その台詞が出て来るという事は、父さんか兄貴の知り合いだろうか?


「そうだけど……なんで知ってるの?」


「じゃ、じゃあもしかして……この穴の中に……えーっと、東雲桜さんが入って行きましたか? その……変な恰好で」


「変……あれって、変か?」


「私は可愛いと思ったけれど?」


「私もだ」


「でも、この場合は恐らく通常から逸脱しているか、という質問だわ。だから、答えは変だ、でいいんじゃないかしら」


「そうだな。変な恰好だったぞ」


「ああん、会話がまどろっこしい! ああ! あいつめ! やってくれた! そこまでやるか! いや、私達の所為か……」


「ねえ貴方、焦燥気味のところ申し訳ないのだけれど、身元と状況を明らかにしてくれる? そうでないと、私はいつでも貴方を斬り裂かねばならないから」


「あ、ああ、や、止めて下さい! 違うんです! 私は、し……東雲桜さんを助けに来たんです! っていうか、助けに行かないと!」


「いや、だから、お前は誰なんだよ?」


「オバさんは黙って付いて来て!」


「オバ!? はあ!?」


 私、キレる。


「いいから、今は急いで」


「じゃないだろクソガキ!」


「え!?」


 私は、クソガキにチョークをかけ、そのまま持ち上げる。基本的には体罰否定派であるが、それは教育という環境下での話だ。今は私のプライドが傷付けられた。児童虐待だなんだという話は例外だ。


「うぐぐぐぐちょっ、ぎぶぎぶ!!」


「私はまだ十五だ! 華の女子高生だぞ! JKだぞ! 何様だクソガキ!!」


「鎖子、口の悪い子はやっておしまいっ」


「お、意外と止めないんだな」


「ええ、鎖子がオバさんなら、私も含まれそうだもの。マルティン・ニーメラーは偉大だわ」


「ぎぶって言ってんじゃん!!」


 首にかけた右腕を二十回程叩かれたところで解放してやった。クソガキは首元を抑えて咳き込む。


「げほっ……な、なんて暴力を……」


「言葉の暴力に対して肉体的暴行を働く事を過剰と私は思わない。痛みは痛みによってのみ清算される」


「鎖子、中々いい事を言うわね。私も賛成よ」


「ぐっ、なんてサドな二人……意外だ……」


 膝をついて私達を見上げるクソガキは、目を丸くしながら言う。


「意外だってなんだよ? 私達の事も知ってる様な口振りだな」


「知ってるに決まってるでしょ。第一有名人なんだから」


 第一の使い方が間違っている気がするが、子供に言葉遣いをとやかく言うのは面倒だった。


「緋鎖乃はいいとして、私なんて……まあ、戸破の事を知ってるなら当然か。で、クソガキは何処の誰で、どうして此処に? っていうか、どうやってそこから出て来たんだよ?」


 私は、宙に浮遊している不気味な穴を指差して言った。


「私は……あー……ミ、ミサ……ミサって言います。多分私は、東雲桜さんを助けに……いや、この穴の先、不思議の国の主を倒す為に此処に来ました。多分、私達だけじゃ勝てない」


 不思議な穴から飛び出した、不思議なクソガキは、私の目を見て言う。


「だから、東雲桜さんを助けるのを……手伝って下さい!」

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