Sakura in Wonderland①

「お久しぶりね」


 ハロウィーンを間近に控えた十月下旬。秋は肌を突き刺す寒さに逃げ出したみたいで、紅葉を楽しむ間もなく神無月は終わりを迎えようとしていた。


 学校が終わり、自室でスマートフォンを眺めていた私は、玄関チャイムに呼び出され戸を開いた。そこに居たのは、日本最強の家、その本筋の次女だった。


「なんか用か?」


「用がなくて神奈川から日月に来ると思う? 片道一時間はかかるんだから」


 そういいながら、緋鎖乃ひさのはローファーを脱ぐと、玄関に上がる。


「お邪魔します」


「いやいや、待て。うちの敷居は跨がせないぞ」


鎖子さこ、貴方きっと桜が結婚する時に嫌な姉になるわ。断言出来る。今の言い方、ドラマで見飽きた頑固親父そのものだもの。いいえ、ドラマではもう見ないわね。今の生息地は……コントの中かしら」


 随分と口の回る女だと思った。かつて私が緋鎖乃と夜を駆けた時は、口を閉ざされていたというのに。





 いや、正確には閉ざされていなかったのだけれど。





「桜は居ないの?」


「二階で宿題してる。しんは野球で玉子たまこは買い物。真凛まりんは鬼束商店街。なんだなんだ、桜が気になるか?」


「いいえ、聞いただけよ」


「再戦の申し出か? 緋鎖乃って、挑戦状とか書きそうだよね。凄い達筆で」


「もしも私が強さに誇りを持っていて、負けず嫌いを拗らせているのならば、今直ぐにでも立ち会うわ。でも、勝てる訳がないもの。私はそこまで愚かではないわ」


 そう言って、古野野江こののえの制服に身を包む緋鎖乃は、和室の戸を開ける。数日の滞在経験で、うちに慣れている。これまた慣れた手つきで座布団を敷いて、座る。


 手元には、黒い袋。記憶を燃やす、あの刀だ。


「来るなら事前に連絡してよ。なにもないぞ……お茶要る?」


「お気遣いなく。別に電話でも良かったのだけれど、折角のおつかいだから、直接出向きたくて」


「おつかい?」


「ええ、姉様から、戸破ひばり家にことづけを」


「それなら父さんに連絡すれば……ああ、携帯繋がった試しがないな……兄貴は?」


一片ひとひらさんの所には、姉様が」


 流石緋奈巳ひなみさん、隙を逃さない。兄貴に会う機会ならば、どんな予定も放り出しそうだ。


「で、託ってなんだよ?」


「ただ、痕跡が見つかった、とだけ」


「なんだそれ?」


「私にも分からないわ。それだけを戸破さんに伝えて、と。ただ、本人は所在が分からないから、私が出来る最大限は、貴方にこの言葉を伝える事だけ」


「ふうん。取りあえず、父さんが帰って来たら伝えておく」


「お願いするわ」


「……」


「……」


「え、終わりか?」


「終わりよ」


「お前、それだけでうちまで来たのか。それこそ携帯で良かっただろ」


「さっきも言ったでしょ? 私が仕事を任されるのが珍しいのよ。だから、張り切っているの」


 そういいながら、鼻息荒く胸を張る緋鎖乃。ああ、そうだ。こいつは、意外と十四歳らしい部分が存在するんだ。


 冷然院れいぜんいんは、実戦に出るのが十五歳から、との取り決めがある。その枠外である緋鎖乃に仕事が回されるのは、とても珍しい事なのだろう。まあ、仕事といっても、ただの伝言であるが。


「じゃあ帰れよ」


「なんでそんなに冷たいのかしら? 鎖子がそんな冷血漢なイメージがないのだけれど」


「だって、お前と私、絶対話合わないだろ」


「そんな事ないわ。女の子同士だもの」


「私と緋鎖乃の唯一の共通点だな。生物学上の性別」


「他にもあるじゃない」


「どこだよ?」


「そうね……例えば、名前に鎖の字が付くわ。名前に同じ漢字があるなんて、素晴らしく気が合うと思わない?」


「あー……」


 言われて、確かにと思う。鎖子と、緋鎖乃。鎖などという重苦しい字が、名前に鎮座している。


「父様と母様には悪いのだけれど、余り気に入っていないけれどね。鎖の字だけは」


「そうなのか?」


「冷然院は、男子は兄弟の間で親の決めた一字を、女子は緋の字を付ける事が決まっているの。だから、緋はいいの。それに、乃は女の子っぽくて好き。でも、鎖とは……姉様は緋奈巳なんて可愛らしい名前なのに、私は鎖、どう思う?」


「緋奈巳さんも緋奈巳さんで、巳の字は……まあ、見た目が可愛らしいのか?」


「姉様はいいの、今は私の鎖の話」


「どういう意味で付けられたんだ?」


「鎖の様に、強く、固く結ばれた、という意味らしいわ。冷然院という家に深く根付いて、という願いを込めて」


 不満そうに腕を組む緋鎖乃。私は緋鎖乃の字面はかっこいいと思うのだけれど、本人はそうもいかない様子。


「いいじゃんか、意味もかっこ良くて。私なんて最悪だ」


「そうなの?」


「緋鎖乃は……あんま知らないか。私の家の事」


 東雲家。名家と言われた時代もあったらしいが、没落して久しい小さな家。人体変異の血脈を継ぐ、今は消え失せた家。


 私と、桜が


「又聞き程度でしか……鎖子と桜は……逃げて来たのよね?」


「ああ、最悪の家だった。私は途中から、桜は生まれてからずっと学校にも行った事がなかった。私達は、ただただ両親の願いの為に造られて、弄られた。強く完璧な東雲の人間を造るという、単一の願いの為だけに。そんな両親の付けた名前だ、意味が想像出来るか?」


「……いえ」






「鎖に繋がれた子、だってさ」






 鎖子。私の二文字に込められた意味は、もはや呪いに近い。


「文字通り、途中まで名前に反する事のない人生だ。それに比べれば、緋鎖乃の鎖なんて、涙が出る程感動的だ」


「……なんだか、ごめんなさい」


「いやいや、別にそんなしけた話じゃないって。私の名前なんてどうでもいいんだ。桜はかっこいいって言ってくれるし、両親はもう私達の前に居ない。込められた意味も、御覧の通り瓦解してる」


「そう……鎖子は、相変わらず強いのね」


「人生前向きな方が得だよ?」


 私は、暗い空気を飛ばす様に、軽妙な口調に笑顔を添えて言った。


「そういえば、桜は……鎖子が名前を付けたのよね? お姉ちゃんが付けてくれた名前って、とても誇らしそうだったし」


「ああ、桜は私が付けた」


「と言っても、貴方と桜は二歳差よね? 随分聡明な子供だったのね、鎖子って」


「いやいや、妹に桜なんて名前を付ける二歳児だったら、私はもっと頭がよく育ってる。今頃飛び級だ」


「日本には飛び級制度はないわ」


「向こうに行ってんだよ……冗談は置いといて。私が桜って名前を付けたのは、私が七歳、桜が五歳くらいの時だったかな……当時知ってる、一番綺麗なモノが桜だったから……桜って付けた」


「五歳? それまでの名前はどうしたの?」


「なかったんだよ、名前。桜は、とか、って呼ばれてた」


 私達の両親は、どこかおかしかった。完全なる東雲の作る事だけに没頭した。

 私を失敗した両親の関心は、直ぐに桜に移り、桜は、ただそれだけの為に生きていた。だから、識別する記号が両親には必要がなかった。


 失敗した鎖に繋いだ子と、成功に近いアレ。ただ、それだけの認識だ。


「……貴方の両親って……」


「あーあー両親なんて言ってくれるな。私の親は父さんだけだ。ほら、それに比べれば、緋鎖乃の名前の悩みなんて、クマムシより小さい」


「……桜が貴方の事を大好きな理由が分かったわ……納得」


「私も桜の事好きだけど?」


「分かってるわよそんなの。なんだか……世間話のつもりが、随分な話を聞いてしまったわ」


「藪から蛇」


「そんなところね」


 頬杖をついて、大きく溜息を吐く緋鎖乃。こういう仕草には妙な色気があって大人びている。緋鎖乃はなんだか不思議な奴だと思う。


「で、世間話終わりか? それとも、夕ご飯食べて行くか?」


「そこまでお世話になる訳にはいかないわ。ただ……戸破のご飯は美味しいのよね」


「お前もりもり食べてたもんな。玉子が来てから五人前だから、六人前も変わらないよ?」


「それなら、頂こうかしら」


「あ、緋鎖乃って、味噌汁にじゃがいもは……」


「え? じゃがいもなんて、味噌汁には入れないでしょ?」


 私は、無言で緋鎖乃の右手を掴むと、強く握手をした。


「な、なによ?」


「真凛が帰宅したら多数決を取るぞ」


「一体なに……」


「あ、玉子に材料多めにって連絡しなきゃ」


 そう思い立って、スマートフォンを手にした瞬間だった。がしゃんと玄関の戸が割れる音が響いた。


 一瞬で思考が巡る。侵入者? だとしたら、家にある警備システムが起動しないのは何故? それとも、誰かが帰宅する時に躓いた? 怪我は? なんて連続した思考が、脳を駆ける。


 私より早く、緋鎖乃が竹刀袋から刀を取り出す。抜刀はまだ。体を玄関の方に向けて、構える。


「鎖子……戸破の警備は?」


「色々仕掛けている筈だけど……作動した気配はない」


 和室の襖、その向こう。廊下と玄関に全神経を向けると、確かに人の気配がる。やはり、誰かが玄関を割って、家に侵入した。


「襖、斬ってもいい?」


「開けるんじゃだめか?」


「開ける時の隙が怖いわ。修繕費は冷然院から出すから、斬らせて」


「ご自由に」


 私が言い終るのとほぼ同時に、緋鎖乃が抜刀する。今回の抜刀は、発火を伴わない。純粋な緋鎖乃の抜刀術。私の目ではギリギリ追う事の出来ない早業は、襖を斬り刻んだ。


 閃光が走って、襖が散る。そうして露わになった広い玄関に、それは居た。


「……は?」


「え?」 


 二人して、間抜けな声を上げてしまう。


「あ……遅刻だ! 遅刻だ!」


 なんと表現すればいいのだろうか。いや、表現は容易だ。けれど、その光景を受け入れられない。玄関で喚き散らすその個体を、理解する事が出来ない。


「遅刻だ遅刻だー! 大変だー!」


 玄関で喚いているのは、白い兎。体長一メートル程で、二足歩行している。服を着ておらず、右手に懐中時計を持っている。


「遅刻だーー!!」


 一際大きく叫ぶと、白い兎は玄関から庭へと飛び出し、私達の視界から消えた。


「……緋鎖乃、なんだあれ」


「私に聞かないで。戸破の警護システム?」


「そんな訳ないだろ……」


「理解が及ばないわ。けれど、心当たりならある」


 遅刻中の、懐中時計を手にした白兎。私は別段それの作品群が好きな訳ではないし、原作の方に詳しい訳でもない。それでも、知っている。


「あれって、まるで不思議の国のアリスに出て来る兎だわ」


 ルイス・キャロルが、かつてアリス・リデルに聞かせた即興の空想劇。


 スクリーンや絵本の中に登場する兎とは姿かたちが異なるが、それでも、十分にあのキャラクターであると限定付けられる特徴をしていた。



 けれど――



「それは分かる。私にも分かる。けど……つまりどういう事だ?」


「私も同じ気持ちよ。こんなの初体験だもの」


 混乱が収まらない。先程まで視認していた兎がそれである、と理解は出来る。けれど、それが何故目の前に居るのか、どうして戸破の家の玄関をブチ破ったのか、想像が追いつかない。


「取り敢えず、追いかけてみようかしら?」


「物語よろしく、兎穴にでも落下するか?」


「冗談言わないで」


 そんな戯言を交わしている最中だった。


 私達の混乱は、更に加速する。







「兎さん、待って」







 ピナフォアと呼ばれるエプロンドレスは、白と青。それは、それだけで彼女足らしめる大きな要素。


「な!?」


「え!?」


 白と青のピナフォアを靡かせる彼女は、戸破家の二階から玄関へと降り立った。まるで物語の主人公、アリス。ただ、それは見紛う事なく、私の妹、東雲桜だった。


「桜!?」


 私の呼びかけに振り向く事なく、アリスのコスプレをした桜は壊れた玄関から庭へと飛び出して行く。いいや、コスプレというには衣装の作りが精密に見えた。遠目にみても、少なくとも十月末に街でバカ騒ぎに興じる人間が着用するものとは違っていた。


「……桜、そんな趣味があったのね」


「ないよ! なんだあれ!? はあ!?」


「姉である貴方には知られたくないのかも」


「いいから追うぞ!!」


 軽口を言う緋鎖乃の横を抜けて、靴も履かずに庭へと飛び出す。


「桜! ……はあ?」


 飛び出した私の叫びは、無常に霧散する。そうして、この日またも口を付いて出る疑問の声。


「……これは……戸破の警護システム?」


 私に遅れて庭に飛び出した緋鎖乃が、それを指差して言う。


「……いいや、知らない」


「でしょうね……なんだか、状況が全く整理出来ないわ、私」


 玄関を飛び出して直ぐ。兄貴が持ち込んだ黒と白の石よりは手前。それは浮遊している。いや、浮遊という表現があっているのかすら分からない。


「これは……穴、かしら?」


 それは、穴だった。空間にぽっかりと穴が開いている。直径一メートル程の円。


 それが、不気味に庭に浮遊していた。

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