Sakura in Wonderland③
「ミサは小学五年生です! 一緒に穴に入った友達のリリコも同い年!」
場所を戸破家の和室に変え、ミサはここまでの経緯を語る。
「で、クソガキと友達のリリコは、どうして穴の中に入ったんだ?」
「勿論、あいつをブッ飛ばす為です!! ストーカー野郎を!」
「あいつ?」
「はい! あの穴は、不思議の国に繋がっています。アゼル・ドジソンという名の英国人が創り上げた、ワンダーランドに」
机を強く叩きながら、クソガキが立ち上がる。
「ドジソン……確か、不思議の国のアリスの原作者、ルイス・キャロルの本名よね? もしかして血縁なのかしら?」
「いいえ! なんの関係もありません。しかし、苗字が同じというだけで自分の能力を不思議の国に限定しました! 自分が知っているのはアリスと兎、それにトランプの兵士くらいの癖に! だから、あの国はそれだけがアリスの世界で、残りは滅茶苦茶です! トランプの兵隊も、チシャ猫も、ハートの女王も居ない! あの男の為だけの不思議の国なんです!」
「ふうん。つまり、あの穴の先はそのアゼル・ドジソンが創り上げた異空間で、それはそれは貴方にとって不愉快な世界が広がっているのね?」
「はい!」
「異空間生成の能力……クソガキが出て来たって事は、中はそんなに危ない訳じゃないのか」
「クソガキって止めて貰えます? オバさん」
「殺すぞ」
「……オバさんをオバさんと呼んでなにが悪いんですか」
「クソガキをクソガキと呼んでなにが悪いんだ?」
「むぅーー!」
クソガキが膨らます頬を、そのまま抓る。
「じゃれているところ悪いんだけれど、それで、アゼル・ドジソンの目的は桜なの?」
「あ、そういう事です、緋鎖乃さん」
「なんで緋鎖乃はさん付けなんだよ!!!」
抓った頬を、捩じりあげる。
「痛い痛い! 分かりましたよ! 鎖子さんって言えばいいですね!? 鎖子さん鎖子さん鎖子さーーーーん!!!!」
「よし!」
解放。
「たはー! やっと解放された。よくも幼気な少女を痛めつけてくれましたね!」
「で、桜が目的って、なんなんだよ?」
「そのままです! アゼル・ドジソンは、東雲桜さんが目的なんです! ストーカーです! 奪おうとしているのです! 自分のお嫁さんにしようとしているのです!!」
「はあ?」
握りこぶしを振りかざし、力強く叫ぶクソガキ。その姿はまるで、かつての独裁者が描かれた肖像画。
「おいクソガキ、お嫁さんってなんだよ? 私も桜も、アゼル・ドジソンなんて知らないぞ?」
「ストーカーが相手に正体を教えますか? こっちが知らないからストーカーなんですよ。鎖子さん言ってましたよ?」
「いや、私はそんな事言ってないだろ。ストーカーの定義に関しては否定しないが」
「うっ、い、いいんですよ。ていうか、鎖子さん、私は言い方変えたんですから、ミサって呼んで貰えます??」
「ミサ、ミサミサミサ」
「一回でいいですよ……」
アゼル・ドジソン。一度も名前を聞いた事のないその英国人は、どうやら我妹を甚く気に入っている模様。甚だ迷惑な話であるが。
「そのアゼルとやらは、どうして私の妹がいいんだ?」
「顔って言っていましたよ。全く、自分の恋人……いいえ、お嫁さんを顔で決めるなんて、失礼な話ですよね! どういう神経をしているんでしょう!」
「好意っていうのは素敵だけれど、押し付けるそれ程迷惑なものはないものね。それで、あのアリスの恰好をした桜は、どういう風の吹き回しなの?」
「アゼル・ドジソンの能力です! 奴は、異空間を展開するだけれは飽き足らず、あの世界の登場人物を無理矢理に選ぶんです! 奴がアリス役に選んだのが、東雲桜さん。東雲桜さんは今、自分をアリスだと思い込んでいるんです!」
「異空間生成に洗脳……お話こそ馬鹿げているけれど……」
「……なあ緋鎖乃、そのアゼル・ドジソンってのは、相当ヤバイんじゃないか?」
「ええ、ヤバイわよ。不思議の国の規模は分からないけれど、異空間を形成しながら、そこに別能力を付与するなんて……もっと有名で然るべきだけれど、名前を一度も聞いた事がない。それも不気味だわ」
アゼル・ドジソンの能力は、異質で強大だ。ただでさえ特別視される異空間作成の能力。それに加えて、洗脳能力。桜や兄貴は精神干渉にすら耐性を持つタイプだ。全方位に対して強度が高いタイプだ。それを悠々と突き破る。桜は物語の主人公となって、この場を去った。
「桜を奪いに来たというのならば、急いであの穴に入らなくていいの? 入り口を閉じられてしまえば、もう桜を奪還する手立てはないんじゃない」
「不思議の国の入り口は、一度開けば半日は開きっ放しです!」
「タイムリミットは十分ね……鎖子、どうしようかしら?」
「いや、助けに行くだろそんなん。当たり前だ」
「そうじゃないわよ」
素っ頓狂な質問に私が答えると、緋鎖乃はやや呆れた風な表情をしながら立ち上がり、刀を抜いた。
切っ先を、ミサに向ける。
「いっ! な、なにするんですか!?」
「状況は分かったわ。ミサの言う事が真実ならば、ね。でも、私達には真実と断定する材料はない。そして、なにより気になるのは、どうしてミサが桜を奪還しようとしているのか。申し訳ないけれど、私は貴方の事を知らない、聞いた事もない。そんな貴方が、桜を助けようとする理由は? どういう経緯で、アゼル・ドジソンと対峙しているの?」
それは、私も気になっていた事だ。
私はアゼル・ドジソンを知らない。ミサの事も知らない。正体不明の二陣営は、私達の知らない理由で刃を交える。それを明らかにしないまま共闘するのは、後ろから刺されかねない。
「うっ……そ、それは……ちょっと……」
「言えないの? どうして? 私達はこれから共闘するのよ? それならば、目的の共有はしないと。貴方が共闘の為にするべき事は、私達の信頼を勝ち得る事」
「分かっています……ですが……話したところで……信じて貰えないと思います」
「それなら交渉は決裂ね。私達は私達であの穴に入り、桜を救うわ」
「おいおい緋鎖乃、別にいいじゃんか、一緒に行けば。こんな子供が敵な訳あるか」
「そうですよ! オバさんの言う通りです!」
「やっぱり置いていこう」
「鎖子さあん!」
私が立ち上がって緋鎖乃に手を伸ばすと、ミサが腰辺りに飛びついて来る。振り払おうと体を捻ってみるが、中々にしぶとい。
「はーなーれーろー!」
「離れません! 一緒に! 東雲桜さんを助けて下さい!」
「言われなくても助けるっつーの! 私の大事な妹だっつーの!」
「私も連れてって下さいよー!!」
「だってよ、リーダー!」
ミサを振り回しながら、緋鎖乃に伺いたてる。緋鎖乃が警戒するのは尤もだ。素性を明らかに出来ないミサ。そして、正体不明のアゼル・ドジソン。その間に飛び込む事のリスクは、馬鹿でも分かる。
「リーダーって、私がリーダーなの?」
「そりゃそうだ。一番強い奴がリーダーだ」
「……その決め方では、鎖子が形成する組織は早々に瓦解するわ。リーダーっていうのは――」
「あーあー説教はいいから、別に連れて行けばいいだろ。こっちには冷然院家の緋鎖乃様が居らっしゃるんだ。こんなガキに嵌められたところで、どこ吹く風だろうさ」
「その子がそうでも、アゼル・ドジソンと彼の国がそうだとは限らないわ。私と鎖子が居て、とても太刀打ち出来ない怪物が待ち受けているかも」
やや眉間に皺を寄せるのは、現状打破の為の思考回路が全力で起動している証拠だろうか。緋鎖乃は私とミサを交互に見ながら、押し黙った。
「……分かりました。私の事を信じてくれなくてもいいです! あの国の中身について、私の知っている限りの事をお話します。ですから、中では別々に行動しましょう。それならば、問題はない筈です」
私と緋鎖乃がこの場に残る選択肢はない。桜を助け出す事は絶対だ。だから、それだけは揺るぎない。
今私達とミサがギリギリのところで駆け引きしているのは、信用の多寡。背中を預けるのに、足るかどうか。
「……貴方が不思議の国について真実を話すという確証は?」
「そんな事を言い出したら、今までの話だって嘘かもしれませんよ?」
「緋鎖乃、ミサの言う通りだ。私達にはあの中に入らない選択肢はない。これは議論するだけ無駄だ。桜を助けるんなら、こいつの言っている事の真偽はどうでもいい」
私は、腰に纏わりつくミサを引き剥がす。
緋鎖乃の言っている事は正しくて、状況を整理せずに進む事が勇敢ではなく無謀だというのも知っている。けれど、そんなのはどうでもいいんだ。関係がない。
だって私は、桜を助けなくちゃいけない。
「今やるべきは、あの穴の中にある不思議に国に行って、邪魔な奴を全部ブッ飛ばして桜を助ける。そうでしょ?」
私の言葉に、緋鎖乃はやや呆れ気味の溜息を一つした。
「……はあ、そうね、その通りだわ。私はどうも頭でっかちでだめね。机上のお話に熱心というか……実戦に出る様になれば変わるのかしら?」
「いや、正しいのはお前だ。私のこれは、無知で無謀」
「私には鎖子が勇敢に思えるわ。それでは、私の経験を積む為にも行きましょう」
「いいのか? 冷然院は十五まで実戦に出れないんでしょ?」
「有事の際はその限りではないわ」
「今って有事か?」
「当たり前でしょ? 友人が攫われたんだもの」
友人、か。
多分、桜が聞いたら喜ぶ。
「って訳だ、ミサ、行くぞ」
「え、わ、私も付いて行っていいんですか?」
「リーダーの許可が出た。なに、裏切ったら冷然院の膾斬りが待ってる」
「なんですかそれ? なます?」
「足の先から数ミリずつ、刀で人体を削いでいくんだ。中々死ねないぞ」
「ヒィッ」
脅かしも兼ねて声を低めにしたが、思った以上に効果があった様で、ミサは緋鎖乃を怯えた目で見つめる。
「大丈夫よ。貴方が裏切らなければなにもしないわ」
「き、肝に銘じておきます……」
「さて、早速出発しましょう。と、その前に、もう一度ミサに聞いておきたいのだけれど」
「なんですか?」
「貴方は、どうして桜を助けたいの?」
ミサが口を閉ざしたその質問を、緋鎖乃は口にした。
ミサは、一度目の時同様に口ごもって、目を泳がせる。
「緋鎖乃、あんまりいじめてやるなよ」
私は、ミサの頭を撫でながら言う。短い髪の毛は、綺麗に金色が入っている癖に触り心地が良かった。
「そうね、愚問だったわ。どうでもいいものね。さあ、行きましょうか」
私達は、ミサという不確定要素を抱えたまま、不思議の国へ向かった。
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