神出鬼没の商店街②

「早く! 早く行きましょうよ!!」


「なんのスイッチが入ったかなあ……」


 玄関先で大荷物を抱えながらぴょんぴょんと跳ねる玉子ちゃん。その様子を見て、鎖子ちゃんは面倒そうに溜息を吐いた。


 鎖子ちゃんが『鬼束商店街』について話すや否や、玉子ちゃんは取り乱した様に食いついた。登校日でもないのに制服に着替え、部屋からキャリーケースを持ち出した。


「玉子ちゃん凄く張りきってるね?」


「当たり前です!!」


「うわっ」


 私が声をかけると、玉子ちゃんはボリュームの壊れたテレビみたいな音量で応えた。


「鬼束商店街ですよ鬼束商店街! 住所不明、されど、この世の全てがあるとまで言われる未確認領域! 最果てに存在すると噂されるそれは、世界五大マーケットの一つです!」


「せ、世界五大マーケット?」


「こちら側一年生の真凛さんに教えてあげます! 普通の世界で戦いに必要な武器は、時にはホームセンターにある様な刃物や鈍器、時には、裏社会でなければ手に入らない銃火器が主ですが、私達の場合は違いますよね?」


「う、うん。お兄ちゃんがお仕事で使う物や、桜ちゃんが使っている金属バットは特別だって聞いた事があるよ」


「そういうものは、普通の世界には存在しません。餅は餅屋、逸脱した異能や異常、化け物妖怪モンスターUMA等々エトセトラ、そういったモノに対抗するのはこれまた逸脱したモノです。そして、こちらの世界には、そういったモノを製造したり、売買したりする人が存在します!」


「それが世界五大マーケット?」


「小規模な業者は数多存在しますが、その中でも世界に名を轟かせるお店がそれです! ボケリア市場地下に存在する『悪魔の市場デモニオ』、日本が世界に誇る最高技術『神野組じんのぐみ』、今は移転してしまいましたが、かつて九龍城砦くうろんじょうさいに存在したホテル『上帝大飯店シャンティダァファンディエン』、銀紙に包まれた魔導の老舗達『トリノの夜』。そして、『鬼束商店街』」


 玉子ちゃんは目をキラキラ輝かせながら続ける。


「五大マーケットと言いながら、『神野組』は個人商店、『上帝大飯店』はホテルですが、細かい事は置いておいて……兎に角、世界的に有名な場所の一つなんですよ!」


「へー、トリノの夜ってなんだか美味しそうだね」


「チョコレートの街ですからね! きっと美味しいですよ!」


「きっと? 玉子ちゃんは行った事あるんじゃないの?」


「とんでもない! だからこそこんなに胸が躍っているんじゃないですか!?」


 言って、玉子ちゃんは制服のスカートを棚引かせて回転する。


「チェックインに命をかけなければいけない『上帝大飯店』、一見さんお断りの『神野組』、VIPカード必須の『トリノの夜』、代金決闘の『悪魔の市場デモニオ』、ただ買い物をするという行為が幸せだと気付く程に、この四か所での買い物は難易度が高いです。私なんかが踏み入れられる領域ではありません。しかし! これら四つは確かに存在しています。この世にある実在のものです! だから、『鬼束商店街』は異常で異様なんです! だから、私は心躍るんです!」


「ど、どうして?」


「それは神々の決戦最終地ヴァルハラに似て、それは頬蝕む至福の果肉蟠桃園に似て、伝え聞く事は出来るけれど誰も知らない。誰も彼もが踏み入れた事のない伝聞の空間だからです!」


「た、玉子ちゃん気迫が凄いね」


「だってだってだって! そんな場所が存在すると知れただけでも私はもう……! 鎖子さん! 早く行きましょうよ!」


 遠足前の小学生一クラス分の高揚で、正に足取り軽く飛び跳ねる玉子ちゃん。対して、鎖子ちゃんは冷ややかな目線を玉子ちゃんに送りながらスニーカーを履いた。玉子ちゃんと反して、手荷物はない。

 

 私も手ぶらだけれど。


「それでそれで! 何処にあるんですか!? 『鬼束商店街』! 名前から日本というのはまことしやかに噂されていましたけれど……何処の霊山に、何処の秘境に、何処に、何処にあるんですか!?」


「玉子、あんた結構五月蠅いタイプなんだね……初めて知ったよ」


「ねえねえ鎖子さん! 何処にあるんですか!?」


「何処って……直ぐ其処」


「……え?」


 胸躍らせる玉子ちゃんが、またもや目を見開いて開口する。鎖子ちゃんは、庭の端、錆びついた鉄製の門を指差す。


「直ぐ其処。だから、その馬鹿げた大荷物を置いて行きな」


 言いながら、鎖子ちゃんは玉子ちゃんの手からキャリーケースを奪って玄関に放ると、砂利を踏みしめながら歩いて行く。


「あっ、鎖子ちゃん待って!」


 首を傾げる玉子ちゃんの手を取って、小走りで鎖子ちゃんに追い付く。


「直ぐ其処って……近所にあるの?」


「いーや、近所にはない。かと言って、遠くにある訳でもない。鬼束商店街は、何処にでもあるし、何処にもないんだ」


 陽射しが照りつける中、重たい扉を開く。道路に続く細い道は、雑木林に包まれていて陽が陰る。その間を歩いている時は、涼しさを錯覚しながら虫の音に耳を傾ける。


「なんですかそれ。シュレディンガーの商店街とでも言うんですか? とんだ冗談です。もしかして、私の事からかってます?」


 玉子ちゃんは、歩みを緩めない鎖子ちゃんに口を尖らせる。


「冗談じゃないよ。私がそういうタイプか?」


「あ、分かりました。空間転移系の場所なんですか? 通行に条件があって、入場を制限している。だから、その存在を私達は確認出来なかった」


「半分正解で半分外れ」


 ひらひらと手を払う素振りを見せて、鎖子ちゃんは笑う。そうこうしている内に雑木林を抜けて、再度私達は陽射しの下へと。


「家を出て最初の角を右」


 いつもの道路を、鎖子ちゃんは進行方向を指差して呟き、進む。学校や駅は左だから、最初の角を右に曲がる事は滅多にないけれど。


「鎖子さん、なにを言っているんですか?」


「通行条件だ。鬼束商店街は、空間転移の条件を満たさなければ移動出来ない場所にある。私はその存在が当たり前だったから、玉子の様な認識はなかったけれど、世界的にあの場所が秘匿されたのは、それが一つの要因だろうね。次の角を左」


 言いながら、鎖子ちゃんが歩みを曲げる。


「ちょっと待って下さい。もしかして、その通行条件って、鎖子さんが呟いている道順の事ですか? 特定の道順を経る事で転移をさせるタイプのもの?」


「ご名答」


「そんな……そんな簡単な……ブービートラップじゃないですか? 世界最高峰と噂されるその場所への転移条件が、そんな簡単な筈が……特別な通行証があるとか、複雑な段階を踏むとか、もっとあるでしょう?」


「左に曲がって次の角にぶち当たったら、今度は踵を返す。今来た道を、戻る」


 鎖子ちゃんは、玉子ちゃんに応えずに道順を言いながら、歩く。


「ねえねえ鎖子ちゃん、その道順を辿る必要があるなら、角がない場合とか、どうするの? お家を出たらいきなり広場とか、最初の角が左折しか出来ないとか」


「さあね、どうするんだろう? 私は知らない。私はこれしか知らない。でも、別に興味がない。だって、これで私達は行けるんだから。そして、さっき曲がって来た道を右に。つまり、最初の道へ戻ると……」


 そうやって進む鎖子ちゃんの背中を追って、右折する。


「え?」


「え?」


 私と玉子ちゃんは、同時に声を上げた。


 目を覆ったところで毛細血管を透かして赤く照らす太陽は何処へ、私達は、確かに家への道を戻った筈だった。

 家を出て右折。次の角を左折。そして道を戻り、右へ曲がったのだから、そこには見慣れた道路がある筈だった。


 遠くに光が見える。そこに陽射しがある事は分る。しかし、私達が今立っている場所は暗かった。陽が陰ったトンネルの中に、私達は居た。


「ちょっ……鎖子ちゃ――」


「そのまま、決して振り向かず、歩みを止めずに付いて来て」

 

 私の言葉を遮って、鎖子ちゃんは光の方へ速足で進む。


「鎖子さん! こんな条件で……こんなにも簡単に移動出来てしまっていいんですか!?」


「そりゃここの住人に聞いてくれよ。私は別になんとも……まあ、面倒になるのはごめんだけど」


「この程度の条件ならば、どうして世界的に『鬼束商店街』が存在を確定されていないのかが分かりません……こんなの、他の四つのマーケットに比べたら、造作もないじゃないですか!」


「だから、私に言うなって。ほら、もう着くぞ」


 玉子ちゃんが鎖子ちゃんに食って掛かるけれど、鎖子ちゃんはそれを意に介さない。決して長くなかった光までの距離を私達は歩き切り、再度光の元へと足を踏み出した。


 トンネルを抜けて浴びる光に、一瞬目が眩む。腕を翳して遮った光は、強烈なオレンジ。細目を開けて飛び込んだ光景は、遠く街並みに沈む夕焼け。先程まで私達が居た場所とは、時間軸すら違う様だ。


「ここは……?」


 夕陽が照らす街並みは静かだった。トンネルを抜けて直ぐに、様々な店舗が真っ直ぐに建ち並んでいた。それは何処まで続いているか分からない位長い。視界にあるのは、広大な橙の夕空と、広がる街並みだけ。ずっと伸びた道路に人影は一つもない。


 駅前にある商店街と、さして変わらない。仰々しく商店街の開始を表すアーチこそないけれど、ここがきっとそれだと認識するのは難しくない。それ程、真っ当な普通の商店街が、私の視界に広がっていた。


 そんな街並みを背に鎖子ちゃんは振り返って、私と玉子ちゃんに言う。


「ようこそ、鬼束商店街へ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る