閑話
「ねえねえ、野球選手って、めっちゃお金貰えるんでしょ?」
俺が日課の素振りをしていると、凉がそんな事を口にした。
確か時期は今とは逆。冬だったと思う。防寒にマフラーと手袋、厚手のコート。対した俺は、ウィンドブレイカーのみで、バッティンググローブをしていない手は、寒さでかじかんだ上にグリップを握り込むものだから、少しだけひりついた痛みを纏っていた。
「いきなりなんだよ」
「昨日のテレビでやっててさ。学校で野球部の友達に聞いたら、億貰えるって言うからさ!」
やたらと興奮気味に語る凉の偏差値は、普段より十くらい低く思える。輝かせる瞳にドルマークが浮かんでいる。円の字でないのは、雰囲気重視の為だ。
「お前なあ……億貰える人なんて限られているよ。そんなに沢山居る訳じゃない」
「それでも、何千万って貰えるんでしょ!? 凄くない!? 夢があるねー! めじゃーりーぐ? だっけ、海外行ったらもっと凄いんでしょ?」
どうしてこう、技術職やエンターテイメントで稼いでいる人の収入を聞くと、馬鹿は夢を抱くのだろうか。そこに至るまでの過程やその職なりの境遇を想像する脳みそが足りない。サラリーマンだって、お笑い芸人だって同じだ。パン屋も、コンビニ店員も、鳶の人も、画家も、歌手も、皆一様に苦労しているというのに。
「凉の学校の野球部、野球上手い人居る?」
「んー? 居るよー! 推薦で入った人で、エースで四番の人が居る!」
「その人は、学校でなにやってる?」
「え、なにって、部活やったり、授業受けたりしてるよ」
「凉の高校は甲子園に行った事ある?」
「な、ないけど……なに、いきなり質問攻めしてきて」
「いいか? 甲子園に出る様な高校ってのは、街で一番野球の上手い小学生達が集まったチームで四番でエースやってて、そこから中学に上がってまた同じ事をやる。それで、甲子園に出る様な高校から推薦でお呼びがかかって、学校では教科書なんて一回も開かねえ。朝から晩まで野球やって甲子園に行って、その中の更に化け物が百人に満たないドラフト枠に大学生の化け物、社会人の化け物と一緒にかかってプロに入る。更にその中の二百人ちょっとが一軍に定着して、更にその中の半分以下がレギュラーになって、その中で超上手い人達が億って金を貰う」
俺が捲し立てている間、凉は口をあんぐりさせて、白い息を吐き出しながら阿保面を晒している。
「分かったか? お前の立てた玉の輿計画の馬鹿さ加減が」
話の流れから凉の真意を察した俺は、その浅はかさに腹を立てて、完膚なきまでに打ち砕いてやった。
「ぶー別にそんなんじゃないもん」
早々に計画の破綻した凉は、落胆する様子こそないものの、口を尖らせる。頬が少しだけ赤いのは、恥辱ではなく寒さの所為だろう。
「まーでもあれだね、深が将来野球選手になって、億貰えるようになったら、私が結婚してあげるよ!」
俺の攻撃が堪える様子もなく、凉は構わず減らず口を叩く。
「はー? 誰がお前なんか」
「まあまあそう言うなって! いきなり人気になって、女子アナとかとくっつくより、幼馴染とくっついた方が好感度高いからさ! CMも来るよ、車とかの」
「変に具体的で腹が立つ」
「あははは」
まだ寒い頃の、なんでもない会話。
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