リビングデッド・ラヴァーズ④
「へえ、そっちは授業そんなに進んでるんだな。俺、中学行ったらついていけるかなあ?」
七月十五日。いつもの様に学校を終え、帰路につく。昨日から変わったのは、俺の下校が一人ではなくなった事だ。
「だ、大丈夫だよ。朝霧くん頭良さそうだし」
「そうかあ? どっちかっていうと、あんまり頭良くなさそうな気がする。俺ってスポーツマン系じゃない?」
「あ、そ、そうかも……スポーツ得意そう……」
「どっちだよ!」
「ど、どっちもっ」
昨日転校して来た東雲桜は、クロスバイクを押す俺の少し後ろを歩きながら焦った様に語尾を跳ねた。
「そう言えばさ、東雲の名前って、姉貴に付けて貰ったんだろ? 姉貴は一緒に引っ越して来なかったのか?」
「あ、う、うん。お姉ちゃんは学校があるから、残ったんだ」
「姉貴一人で平気なのか?」
「お、お父さんと、真凛ちゃんも居るから平気」
「真凛ちゃん?」
「そう、真凛ちゃん」
「……なんかお前ん家複雑なんだな」
「そ、そうかな? 普通だよ、皆仲良いし……」
「そっか」
兄貴の仕事も含めて、東雲の家庭事情は中々に複雑そうだったので、それ以上は聞かなかった。そういうのは深入りすると失礼になると母さんに聞いた事がある。
引っ越しに関しても、昨日挨拶周りに付き合った時に聞いたが、村の誰も知らない事だったみたいだ。家の管理は村ではなく街の不動産屋がしていたらしく、東雲達がやって来たのは正に寝耳に水だったらしい。
だから、俺が昨日東雲に鬼憑きの事を黙っていたのは正解だった。夜に吉村の爺さんに、東雲の家には黙っておく事にしたと言われた。直ぐに仕事で引っ越す可能性もあるし、なにより理解し難い現実に、外からやって来た人を巻き込む訳にはいかないとの事だ。
だから、夜の戸締りと出歩きについては再度東雲に言っておいた。幸い、東雲の話を聞く限り、東雲の兄貴はそういうのを蔑ろにするタイプではなさそうなので、そこまで気を張る事ではない。
「そろそろ下りしかないから、後ろ乗れよ」
「あ、う、うん」
言って、昨日の様に東雲をクロスバイクの後方に乗せる。一度やってしまえば慣れたもので、昨日よりスムーズに搭乗した東雲を乗せて、一気に坂を下る。
夏の空気を切り裂く。速度が上がる程に涼しさが増して心地良い。そこそこの速度が出ている筈だけれど、後方の東雲はそれに怯える様子がない。見た目とそのおどおどした態度に反して肝が据わっている。はたまた、声も出ない程に怯えているのか。
頬に当たる空気を温く感じる頃、風切音を止めて代わりに蝉の五月蠅い泣き声が飛び込んで来る。駐車場の砂利の上でクロスを降りて手押しに戻る。畦道に入る頃には、また俺と東雲の位置関係は横一列ではなく、少しずれて前後。
「あー、そういえば、東雲って家でなにしてんの?」
「え、な、なんで?」
「俺、いっつも野球の練習しに神社に行ってんだけど、東雲も来る? 野球好き?」
別に大した理由ではなかった。どれだけの期間になるか分からないけれど、同じ村に住んでいるのだから仲良くなりたいと思うのは自然だ。ただ、俺は同世代の女の子がなにをして遊ぶかを知らなかった。だから、こうして自分の日課に誘うのが精一杯だった。
「野球……好き」
ただ、幸いだった事に東雲は野球が好きだった。
「おお、じゃあ一緒に行こうぜ。荷物置いたら家の前に居て」
「う、うん」
東雲に告げると、家の前で別れる。別れると言っても、隣同士であるから別れた内に入るか分からないけれど。
「ただいまー!」
玄関を開けてランドセルを放る。母さんに怒られるのは分かっているから、そそくさと金属バットを手に取って玄関を閉めた。
甲斐あって、母さんの声は扉の向こう。無事に家を脱出する。
畦道に停めたクロスまで戻ると、既に東雲が待っていた。
「ちょっと距離あるから、乗って。揺れるから気を付けて」
「う、うん」
「あと、バット持ってて」
いつもなら片手運転でバットを運ぶけれど、今日は東雲を乗せているから心配だ。東雲にバットを渡すと、珍しそうに眺めてから脇に抱えた。
舗装された道と違う事を先立って言っておいて、東雲を載せて畦道を走る。
凉は偶に落ちそうになるけれど、東雲はそんな素振り一つ見せずバランスを取っている。やはり、見た目に反して運動神経が良さそうだ。
夏の日差しでカラカラになった畦道が僅かに埃を巻き上げる。タイヤが弾いた砂の行方は分からない。時折畑作業をしている人に挨拶をしながら、山へとクロスバイクを走らせる。
俺が通る事で開けた山道まで来ると、クロスを降りる。東雲からバットを受け取り、山を登ろうとする。
「え、や、山登るの?」
「ん? 山道嫌か?」
「そ、そうじゃなくて……虫よけスプレーとか持って来れば良かった」
「あー」
自分はそれを気にした事がなかったけれど、そういえば凉は稀に山に一緒に入る時、鞄からスプレーを取り出して散布していた憶えがある。女の子にとっては気にするところだったか。
「取りに戻る?」
俺が尋ねると、東雲は数瞬考えてから、首を横に振った。多分俺に対して遠慮しているのだろうけれど、今はそれに甘えよう。明日からは、気を付ける事とする。
金属バットで道にはみ出した木々を避けながら登る。後ろの東雲は、決して楽ではない筈の道のりに愚痴も溢さず、また俺に遅れる事もなく付いてきた。
そうして辿り着く開けた空間。古ぼけた神社を前に、虫の泣き声だけで埋まる場所。
俺はそそくさと社の前に行き、いつもの様に祈りを済ませる。
鬼憑きを治して下さい。俺の、父さんと母さんを元に戻して下さい。
手を合わせて目を瞑り、心の中で唱える。都合八十八回目。百日詣でも完了まで、あと十二日となった。
「なにしてるの?」
瞼を開けると、東雲が俺の顔を覗き込んでいた。
「お祈り」
「神様?」
「居るならね」
「なにお願いしたの?」
問われて少し間を取る。
真実を話したところで、東雲を困惑させるだけだし、なにより口止めされている。
「将来野球選手になれますようにって」
別にそれは嘘ではないけれど、祈っている訳ではない。それは俺の目標であり夢だ。
願いは、別。
「なれる! なれるよ!」
それのなにが東雲を駆り立てたのか分からないけれど、今までの東雲とは異様なテンションで言う。
「お、おう……そうかな?」
「うん、絶対大丈夫!」
真っ直ぐに俺の目を見つめる東雲は、その時だけ力強く見えた。
「願いってね、ずっと思ってれば、叶うんだよ!」
何故だかは分からない。
分からないけれど、その時の東雲は、やけに大人びて見えた。その容姿も、口にする言葉も子供染みているのに、どうしてだろうか。
凄く、大人びて見えた。
「それなら、東雲もなにかお願いすれば? ここの神社で百回お願いすると叶うって吉村の爺さんが言ってたから、東雲も叶うかもよ?」
「んー……分かった」
東雲は少し考えてから、俺と同じ様に手を合わせて目を瞑る。
「なにお願いしたの?」
「秘密」
目を開けた東雲に尋ねてみたけれど、少しの微笑みに合わせてそう言われてしまい、それ以上は追及のしようがなかった。
「野球、やらないの?」
東雲が地面に置いた金属バットを指差す。
「おお、やるか。っつっても、素振りするだけなんだけどな」
「素振り?」
「ん? 素振りも知らない? 野球好きなんだろ?」
俺がバットを拾いながら言うと、少し慌て気味に東雲が言う。
「あ、あああ、あの、いつもテレビで見てるだけだからさ……やった事ある訳じゃなくて」
「ああ、女の子ならそんなもんだよな。こうやって、バットを振るの。打撃の練習」
東雲に言いながら、俺は握り込んだバットを振り抜く。蝉の喧しい音の合間に、風切音を紛れ込ませる。
「やってみる?」
少しグリップが解れたバットを差し出すと、東雲は躊躇いながら受け取った。
「えっと……こう?」
「東雲どっち利き?」
「左」
「じゃあ俺と逆」
東雲が右手を上にしてグリップを握るので、それを解いて逆にした。
「左だったら俺と逆だからこっち。それで、脚を開いて、左脚に重心を——」
「右がいい」
「ん?」
俺が持ち直させたグリップを、東雲は自分で再度逆にした。
「私も、右がいい。朝霧くんと同じだから、分かり易い」
「でも、多分利き手の方がやり易いよ?」
「こっちがいい」
変に強情だなと思ったけれど、東雲がそれが良いと言っているのだから、強制させる必要もない。
なにより、これで東雲がスイッチヒッターになれば、将来的に非常に有利だ。
などと考えてみたけれど、どうして俺は東雲が野球を続ける前提でものを考えているのだろうか。
「分かった。じゃあこういう感じで持って、脚開いて……で、腰の回転を意識して振る」
「こう?」
「肘は畳んで……右腰を前にぶつける感じで振る」
俺はテレビや本で得た知識を伝えながら、東雲に身振り手振りで技術伝達をする。
東雲が何回かやってみて、次に俺がお手本を見せる。それを何度か繰り返すと、東雲は後は見てる、と告げて神社の縁に座り込んだ。なので、俺は東雲に見守られながら汗を流す。
「お!? なんだなんだ、深も隅に置けないなあ!」
どれ位時間が過ぎただろうか。まだ木々の合間から覗く空にオレンジがないから、いつもよりは早い時間だ。
「なんだよ凉、うるせえよ」
セーラー服姿の凉は、短い髪の毛を揺らしながら桜の方へ歩み寄って行く。
「桜ちゃんこんにちは」
「あ、こ、こんにちは……えっと……鮎炭……さん」
「凉でいいよ凉で。村に居る数少ない子供同士仲良くしようよ」
「子供っつっても、凉は年離れすぎだけどな」
「気にしない気にしない。世間的に高校二年生なんて子供中の子供だ」
言いながら凉は東雲の隣に座る。
「桜ちゃんこの村退屈じゃない? 携帯の電波も途切れ途切れだし、同世代はこんなのしかいないしで。こんな山の中誘って野球の練習に付き合わせるなんて、本当分かってないよね?」
「うるせえな。東雲は凉と違って運動神経良いから付き合ってくれんだよ。お前キャッチボールも出来ねえじゃんか」
「別にキャッチボール出来なくても困らないし!」
凉はその見た目に反して運動音痴だ。俺の投げたボールに対して身を縮めてしまうし、全力で走ると偶に足が縺れる。俺のクロスの後ろに乗れるようになったのも最近の話だ。人は見た目に寄らない。
「だ、大丈夫です……私、身体動かすの好きだから……それに、深くんも居るし、一片お兄ちゃんも居るから」
「そっかそっか、良かった良かった。深あんた仲良くしてやんなさいよー」
「言われなくてもしてんだろうがよ」
「ああ言えばこう言う。本当可愛げないなー。それに比べて、桜ちゃんはおっとりしてて可愛いね」
言って東雲の長い髪の毛を撫でる凉。こうして遠巻きに見ていると、年の離れた姉妹に見える。
「深あんたまだ練習するの?」
「もう少し」
「そっか。じゃあ桜ちゃんは私とお喋りしてようか」
「は、はいっ」
東雲は昨夜挨拶しただけの凉に対してまだ緊張気味だ。
そんな二人を視界端に捉えながら、俺はバットを振った。
この時間だけは、嫌な事全部を忘れさせてくれる。
蝉の泣き声の中、無心でバットを振る。
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