リビングデッド・ラヴァーズ②

「はい、今日は皆さんにお話があります」


 七月十四日、俺の号令で始まる放課後の会で、担任の先生が挙手をした。


「はい、先生」


 放課後の会は、話のある人が挙手をしてそれを日直が指名しなければいけない。別に先生なら自由に話せばいいと思うのだけれど、それは教師であろうと例外でないらしく、俺はこれをとても面倒に思っている。


「交通機関の遅れで到着が今になってしまったんですが、なんと、この学校に転校生が来ました!」


 先生が満面の笑みで言うと、下級生がざわつく。なんせこんな田舎の、廃校寸前の学校だ。生徒の募集なんて勿論していないし、なにより、街の方に引っ越して来たのならばそちらの学校に通えばいい話だ。

 

 それを態々この学校に、という事であれば、なにか特別な理由がありそうだ、と色々思考を巡らしてはみるものの、俺は大して興味がある訳ではない。


 目下、俺はそんな事に現を抜かしている暇はない。今日もまた、神社に祈りを捧げる事ばかり考えている。


「それでは紹介します。東雲さん、どうぞー」


 先生が促して、教室の扉がスライドする。


 長い黒髪の女の子だった。赤いランドセルを背負った、Tシャツにジーパン姿。

 俯いたまま入室して、俺たちに頭を下げる。


「自己紹介をお願いします」


「あ……し、東雲桜です。名前の桜は、お姉ちゃんが付けてくれました……」


 ぼそぼそと、少人数であるから聞こえる程度の声量。外から聞こえる蝉の声に掻き消されてしまいそうな程小さかった。


「お兄さんのお仕事の都合でこちらに来たそうです。短い間になるかもしれませんが、皆東雲さんと仲良くしてあげてね」


 先生の言葉に下級生達が元気よく返事をする。

 

 仕事の都合でここら辺にって、一体どこだろうか。近くに集落もないから、態々街からここに通っている事になるけれど、それなら一層この学校に通う意味が分からない。


「それじゃあ今日のお話はここまで、朝霧くん号令」


「あ、はい。起立! 礼!」


 声を張り上げ挨拶を終えると、下級生達が弾かれた様に飛び出して東雲桜の元に行った。


 ああ、なにかドラマとかで見た事のある光景だ。転校生という存在が初めてだから目の当たりにした事がなかったけれど、それで見る様なものと相違ない景色だった。


 変わらず俺は大して興味がないので、ランドセルを背負った教室を出ようとした。


「朝霧くん、ちょっと待って」


「はい?」


 扉に手をかけたところで、担任に呼び止められる。


「東雲さんの事、送ってあげてね」


「え? 無理だよ。だって、街の方まで行かなきゃいけないんでしょ?」


 ここで、俺の疑問の全てが解消された。


「ううん、東雲さん、声合村に引っ越して来たのよ」


「え?」


 その日、俺の生活に大きな変化が訪れた。夏休み間近の暑い日、独りの登下校は終わりを告げる。

 東雲桜は、どういう訳か、俺の住む小さな集落、声合にやって来た。


 ■


「へえ、東雲の兄貴、変な仕事してるんだな」


「う、うん」


 同学年の女の子と会話をするという経験は初めてだ。けれど、学校に居る先生や母さん、それに、涼と話すのとなんら変わらない。

 

 と、思っていた。


 東雲桜はなんというか、引っ込み思案なタイプで、あまり口数が多くなかった。だから、帰りが一緒になった帰路の半分を過ぎても、まだ話の話題は声合に引っ越して来た理由程度に留まっている。

 今日は自転車を降りて、歩く。そんなに長い距離ではないから、それ程大変でもないし。


 なんでも、東雲の兄貴は森林の調査をする仕事に就いているらしく、今回は声合周辺の山々を調べる為の出張らしい。

 期間がどれ程かかるか分からない為、一緒に住んでいる東雲も声合にやって来た、との事だった。

 そういえば、長らく誰も使っていない空き家が俺の家の隣にあったな、と思い出す。それにしても小さい村だ。誰かが引っ越ししてきた、なんて大騒ぎになっているんじゃなかろうか。


「あ」


 そこで一つ、気にかかった。というか、避けて通る事の出来ない問題だ。


 声合の、鬼憑きの伝説。

 声合にある、古くからの伝承。山に潜む鬼に、身体を奪われてしまう呪い。声合の山には鬼が住んでいて、鬼に見初められると、夜と共にその身体を乗っ取られてしまうというものだ。

 小さな時から近所の人に聞いていた話ではあったが、年寄りの話はどうも眉唾で信憑性がない。夜間の外出を禁じる体のいい言い訳だと思っていた。

 

 そう、あの日まで。


 もう二カ月以上前になる。なんてことのない休日、山にある神社の清掃に向かった俺の両親が、血相を変えて帰って来た。

 曰く、鬼に見初められたかもしれない、と。

 村中の人が集まり、念の為にとうちの両親が身動きを取れない様縛り上げた。


 結果はどうだろう、それはとても直視出来ない光景だった。

 俺の両親は人間とは思えない咆哮を上げ、縛られた身体でのた打ち回る。俺は凉に連れられて吉村の爺さんの家に匿われた。そこで布団を被っても、咆哮は嫌にくぐもって耳を劈いた。


 結局朝まで続いたそれは、日の出と共に終わりを告げる。俺の両親は、朝陽が来ると、元に戻る。

 それは、声合に伝わる伝承となんら相違がなく、最早疑う余地のない現実だった。


 なにかの病気じゃないのか、と俺が病院に行く事を勧めたが、医療ではどうしようもなく、また、原因が分からないとなれば、両親と俺が引き離されてしまう可能性もあるらしい。

 そういった事を考慮して、村の皆はその事だけに目を瞑って暮らしていく事を提案した。それに対する協力は惜しまないと。

 結果として、夜の最悪な日課を熟す事だけが憂鬱であるが、俺はなんら変わらない生活を送れている。変わった事と言えば、吉村の爺さんに教えて貰った百日詣。

 百日をかけ、山の中にある神社に捧げた願いは叶う。俺はそれを愚直に信じている。俺が祈れば、父さんと母さんが元に戻ると信じている。


 だってそうだ。鬼憑きなんて非現実的な事が存在するんだ。その逆があっても不思議じゃない。祈りが届く事は、在り得ない話ではないんだ。


 今日で八十七回目になるそれを、俺は今日も実行する。


 俺の懸念はそれだ。この事を、東雲と東雲の兄貴は知っているのだろうか。村に伝わる話、なんでもかんでも話して良いものではないだろう。俺自身も気分の良い話ではないし、そんな事を突然告げても、理解して貰えないだろう。


 そういう考えを巡らせて、一旦その事は伏せて置く事にした。


「ど、どうしたの朝霧くん」


「いや、なんでもない」


「え、そ、そっか……なんかごめんね、私……あんまり人と話すの得意じゃなくて……」


 ああ、俺の所為だ。

 俺が変に口籠るから余計な心配をかけてしまった。長い髪の間から不安そうな表情を覗かせる。それは俺の真意とは程遠い事で、どうにも発生してしまった嫌な空気が堪らなく重かった。


「後ろ、乗れよ。帰り道は坂だから、あっという間に着くんだぜ」


 それを打開しようと、クロスバイクの後ろを指差す。

 本来であれば人を跨がせるのは嫌だけれど、凉より軽いであろう東雲ならば、フレームに乗っかったところでダメージは少ない筈だ。


「え、でも、座る所ないよ?」


「ここに足を引っかけて、立った状態で乗る。両手で俺の肩を掴んで」


 一度クロスのスタンドをかけて道の脇に停め、パーツを指差しながら説明する。まさかと思うが二人乗りをした事がないのだろうか、東雲は難しそうな表情でクロスを眺める。


「えっと、理解出来てる?」


「え、あっあっ、ご、ごめんね。わ、分かった。やってみる」


「怖い?」


「んー……ちょっとだけ」


 俺が尋ねると、不安気な表情で東雲が答える。


「俺に任せて。俺運転上手いから、だから安心して」


 別段特技という訳ではないが、その場しのぎの適当な言葉を吐くと、東雲は表情を一転させて首を縦に振った。


 こうして、凉を後ろに乗せる感覚で道を降る。既に半分を過ぎているから、その先は短いもので、あっと言う間に集落に辿り着く。コンクリートから土の道になった瞬間にクロスバイクを降りて、東雲を降ろした。


「大丈夫だった?」


「う、うん……朝霧くん、運転上手だったから……あ、ありがとう」


「どういたしまして。学校に直接来たって事は、まだ村に来てない?」


「あ、う、うん。お兄ちゃんに送って貰って、私だけ。お兄ちゃんは先に来ている筈なんだけど」


「成程なあ。東雲の兄貴車あるか? ここの駐車場にあるの村の皆の車なんだけど、これないと移動大変だからさ」


「あ、送って貰った車置いてある」


「じゃあもう来てるんだな。ちなみに、ガソリンスタンドは街にしかないから、燃料補給はこまめに。一応なにかあった時用の燃料は、駐車場の横にある蔵に備蓄してあるからそれを使う事」


「え、あ、は、はい。言っておきます」


「なんで敬語?」


「え、だって……朝霧くん、なんか先生みたいにしっかりしているから……」


「そうか?」


「だって、色々教えてくれるもん」


「そりゃこの村に初めて来るんだから当たり前だろ。まあ東雲の兄貴が別に聞いてるかもしれないから、余計なお世話かもな」


「そ、そんな事ないよ」


 俺がクロスバイクを押しながら畦道を歩き出すと、その数歩後ろを東雲が付いて来る。それは凉と一緒に居る時とは少し違った感覚で、慣れないものだった。

 村に入って最初の家は空き家だ。だから、東雲達が入居したのはこの場所という事になる。昨日まで誰も居なかった筈の家屋は相変わらず埃臭そうな見た目をしていた。


「東雲の家、此処になるのか?」


「え、わ、分かんない……お兄ちゃんからはなにも聞いていないから……あっ」


 一瞬だけ不安そうになる東雲の表情が即座に明るくなった。視線の方向を見ると、長身の男が家の中から出て来た。夏だと言うのにスーツ姿である男は大股で俺と東雲まで歩み寄って来ると、眼鏡をかけ直しながら右手を差し出して来た。


「桜おかえり。なんだいもうお友達を作ったのかい? 当面の心配事が解消されて一安心だよ。こんにちは、桜の兄の一片です」


 東雲の兄貴が笑顔で差し出した右手を握りながら、俺も返す。


「こんにちは、朝霧深です。桜さんからお仕事の事聞きました。こんな村に突然来て大変ですよね。なにか困った事があったら言って下さい」


 多分に子供としては生意気な言葉だったとは思うけれど、東雲の兄貴はそれに気分を害す様子もなく、むしろ目を点にした後、先程よりも感情が露わになった笑顔で言った。


「朝霧さんは随分出来たご子息をお持ちだ。いやいや、先程お母様には挨拶させて頂いたのだけれど、同じ様な事を言われたよ。お隣さんになったのもなにかの縁だ。困った時は頼らせて下さい。勿論それは、深くんが困った時もだ。僕の事を君のお兄ちゃんだと思って接してくれて構わないよ。気軽に一片兄ちゃん、とでも呼んでくれ」


「は……はあ」


 随分と距離感が近い人だな、と思った。けれど、その笑顔になんら暗がりが見当たらないので、その言葉もすんなり受け入れられる。とは言っても、今しがた会ったばかりの人を兄貴と呼ぶ程俺は抜けてはいない。徐々に仲良くなったら、兄の居ない俺の兄貴分になって貰おう。大人になった若い男は皆村を出てしまうから、東雲の兄貴の様な存在は、凉に揶揄われる俺にとってはありがたかった。同性の仲間というのは、とても大事な存在だ。


「それで深くん、早速なんだけれど、村の人達に挨拶をして周りたいんだ。新参者一人では心細いから、案内してくれるとありがたいのだけれど」


 申し出を受けて、山間に向かう太陽に目を向けた。

 夜が来るまでに、百日詣でにいかなければいけないし、夜間外に二人を出しておく訳にもいかない。幸い、まだまだ陽は長い。全員の家を周って神社に向かう時間は十分に確保出来そうだ。


「分かりました、ランドセルとクロスを置いて来たら案内します」


「ありがとう。桜も一緒に行こう。ランドセルを置いて来なさい」


 東雲が駆け足で家の中に入って行って、俺も続いて自宅に向かった。


 夜まではまだ、遠い。この村に新しい人が来るのは特別な事だけれど、それ以外はなにも変わらない。


 今日もまた、夜が来る。


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