七個ないのが七不思議⑨

「今日は桜も行くのね」


 日付が回り、六月十一日午前零時。毎夜決められた出発時間は、月が一番高く昇る頃と相違ない。


「うん、今日は私もー!」


 ジャージに身を包んだ桜は、手ぶらで夜に飛び出す。緋鎖乃の問いかけに溌剌と答える様子からは、微塵も眠気を感じない。一方、緋鎖乃は連日の"夜更かし"が祟ってか、瞼が重そうだ。


「緋鎖乃、眠いなら待機してていいぞ。私と桜でどうにかするから。つーか、本来これは私と桜がやるべき事なんだし」


「そうもいかないわ。だって、私の通う学園で起きた事件で、私が当事者なんだもの。もっとも、当の私はその責任感だけで貴方達に帯同はするけれど、なんの役にも立たないのよね」


 自嘲気味に吐き出す緋鎖乃。確かに、緋鎖乃の責任感の所在は理解出来るし、恐らくかけられているのであろう制約から役立たずというのも理解出来るが、こうも自信あり気な風に自嘲されると、フォローしていいのかネタにしていいのか判断し辛い。


「でもなあ、桜を引っ張り出すから、待機要員が居なくなるのも困るし」


「そう? それなら、今夜は少しお休みを貰おうかしら。待機要員は、なんの為の存在なの? 私には務まらないのかしら?」


「桜を待機させていた理由は、万が一の全滅を避ける事、私達で手に負えないナニかが現れた時の連絡要員。そんなところだから、緋鎖乃に務まらないって訳じゃないよ。だから、私としては待機していて貰って構わないんだけど。なんだ、付いて来たがる癖に、意外とあっさり引くんだな」


「だって、桜が出るなら代わりが必要なのは当然よ。私が残る事に意義があるのなら、それを全うするわ。ただ我儘なだけでは、一緒に行動をする上で迷惑でしょう?」


 竹刀袋に入れた真剣を背負いながら、眠気を払う様に目を擦る緋鎖乃。本音はもしかして、眠気に耐えられないのかな、などと邪推をしながら、私は助かると告げた。


「それじゃあ、私は待っているわ。頑張ってね、二人共」


 寮の階段を降りたところで、緋鎖乃は踵を返して部屋に戻る。その姿を見送って、私と桜は夜の学園に歩み出した。


 この事件に飛び込んでから、桜と行動を共にする最初の夜だ。


「ふえー……夜の学校って、怖いね、お姉ちゃん」


「そうか? 桜はまだまだ子供だな」


 私は自分の過去の恥部を忘却して言う。


「そんな事ないよ! 今はお姉ちゃんと同い年だもん。お姉ちゃんも子供だもん」


 真凛に巻き戻された私の体を指す桜が頬を膨らませる。


「見た目じゃなくて内容の話だよ。さて、今日はどうしようかな」


 私はまた目的なく夜の学園に飛び出して、静寂を見渡した。

 そうだ、それの繰り返しだ。私にとってはなんでもない。


 "この程度の出来事"、なんら造作もなく解決出来る。


「あ、お姉ちゃん。今日はあんまり乱暴なのなしだよ? 噂になってるんだからね」


「ああ、悪かった悪かった。でも仕方がないんだよ、それしか方法がないんだから」


「それにしたってだよ。警備とかされたら、夜動き辛くなっちゃうでしょ?」


「分かった分かった」


 緋鎖乃との会話のデジャヴだ。桜に正論を言われ、私は急くフリをして歩みを進めて誤魔化す。

 飛び出す夜の校舎は毎夜毎夜静寂。それなのに不気味さの欠片も感じないのは、果たして私が呆けたのか、それとも——


「それにしても、不思議な学校だよね。凄く自由、凄く開放的、凄く不思議」


「お蔭で色々学食に行けて幸せじゃんか。桜はそれを謳歌してるでしょ?」


「そうだけど、でも、学校って逆じゃない?」


「逆?」


「うん。学校って、自由じゃなくて、不自由を覚える場所だと思ってるから」


 一瞬歩みが止まってしまう。

 私は、今は同い年である妹の意外な発言に面食らって、多分に馬鹿みたいな表情を桜に向けていたと思う。


「桜って、偶にそういう事言うよね」


「そういう事?」


「んん……まあ、自分で気付いていないからこそだと思うから……そうだなあ、桜はずっと、良い子でいてね」


「ん? 分かったけど、変なお姉ちゃん」


 桜は抜けているけれど素直だ。そういうところが大好きだし、ずっと持っていて欲しい感覚だと思う。


 そんな妹の発言を脳内で反芻して、思う。確かに、自由だ。白裏が自身の私財で作り上げた学園だとしても。そう、ここは楽園みたいで、生徒の自主性を伸ばすという意味では最高の環境と言っていい。

 ただ、精神が成熟していない状態の子供を放り出すには、あまりにも規律がないとも思える。自主性を伸ばすという側面と、エゴの増長が紙一重の様な。


「自由な場所……けれど、学校は不自由を覚えるところ……か。不自由は言い方が悪いなあ。規律、かな」


 自分の学校生活を振り返る。私や桜は"途中から"だったけれど、最低限の事は分かる。桜の言う通りだ。

 時に道理の通らない事もあった。生産性のない事もあった。けれど、それらのどこかには、世の中の不条理や規律を教え込ませようという意図が少なからずあった気がする。

 それこそ成長して振り返ってみての感想であるが、学校という環境にそういう側面がある事を、私も桜も既に知っていた。


「私も緋鎖乃ちゃんと一緒に此処に通いたかったなあ」


「ないものねだりしても仕方がない。お蔭で私達がこうして夜に自由に動けている訳だし。きっと簡単な事件だ。さくっと終わらせよう」


 今は無駄な思考だったと話を畳んで、私は再度夜に向かう。無人の校舎が立ち並ぶ、古野野江学園。 

 不気味な凹凸を持つ空気が肌を撫でる、この異質な場所を、睨む。


「ねえねえお姉ちゃん」


 意識を切り返た私の集中を遮る様に、気を引き締めて踏み出そうとする私を止める様に、桜が背後から私を呼ぶ。


 振り向くと、意外だったのは、桜の表情。

 姉に話しかけるそれではなく、なにか心に持った風な。

 なにか、不満がある様な。


「お姉ちゃん、それずっと言ってるよね?」


「それって?」


「さくっと終わらせよう、簡単な事件だ、とか。この事件をあまり難しく考えていない。今後どうするかって話をした時も、出たとこ勝負って言うし、私が七不思議の情報を持ち出しても特に急く様子もないし……なんでだろうって」


 理解が追いつかなかった。

 桜の質問の意味が分からなかった。それは当たり前だからとか、意味不明だからとかじゃなくて。


 そんな質問をする必要があるか、という一点だけだった。

 だって事件はまだ途中で、そして簡単なんだから。


「なんだって、だって、こんなの二、三日あれば大丈夫な様な事件だ」


「それはどうして? 経験則?」


「これ程までコミュニティとして形成されきった学園内だ。怪奇、魔物、そういう魑魅魍魎が住まうにはあまりにも人間社会が完成されている。そんな場所に異常な人間も、異質な異形も、存在する訳がない。だから、これは簡単な事件だよ。経験則も勿論だけれど、それ以前に、少し考えれば分かる事だ」


「簡単って、二、三日で解決出来る様なって事だよね?」


「桜、なにが言いたいの?」


 桜の言葉に脳髄がひりつき始める。少しだけ語気を強める。


「だってお姉ちゃん、今日この夜が、私とお姉ちゃんがこの学園に来て三回目の夜だよ?」


 そのひりつきが、少しだけ、鎮まる様な、そんな言葉だった。


「二、三日っていうなら、もう少し事態が進展していないといけない気がする。私はお姉ちゃんみたいに頭が良い訳じゃないから、だから、お姉ちゃんのやる事に付いて行くと決めている。お姉ちゃんの言った事を信じる様にしている。でもさ、おかしいんだもん。お姉ちゃん、言っている割に、なにも進んでない。それなのに、どうしてそんなに簡単だって言うの?」


 なにかが欠落している感覚がするけれど、明確に原因を解明出来ない。


 桜の言葉は私を叱責する様で、でも、それは多分私が無理矢理にそう受け取っているからだ。

 私は正論をぶつけられていると感じている。だってそうだ。桜は暗に私に言っているのだ。

 言葉と行動が伴っていないと。

 それがなんだか無能だと突きつけられている気がして、言葉を荒げる。


「だって、簡単だろうこんな事件! 山奥の社に神が降りた訳でもない! 地下牢の白骨死体が月光に踊らされた訳でもない! いいか、怪奇、怪異っていうのは、それに相応しい場所に顕現するんだ。噂話の蔓延した街で噂を模した殺人事件が起きるとかして、そこに奇跡が重なってやっと起きるか、起きないか。それを考えたら、こんな平和な学園で、私達が手こずる様な怪奇、怪異が顕現する訳がない! それは現れたって、人に害をなさない、噂話で消費される様な陳腐なものだ!」


「じゃあ、例えばそうだとして、お姉ちゃんの言う通りだとしてね。お姉ちゃん、毎晩なにをしているの?」


「なにって! だから、ボロが出るのを待っているんだって。この事件の犯人が緋鎖乃だろうが、それ以外だろうが、此処になにかあるのは昨日の夜に分かったろ? 私が襲られて、誰かが妨害に走って! それなら、待てばいいだけだ!」


「冷然院はいつまで待ってくれる? 緋鎖乃ちゃんは明確なタイムリミットを言わなかったけれど、もしもその時が来たら、緋鎖乃ちゃんは緋奈巳さん達に殺されちゃうんじゃないの?」


 私は狼狽している。なにかが変だ。

 確かにそうだ。

 でも、どうしてだろう。

 桜の言う通りだ。本当にそう思う。心からそう思う。

 どうしてだろう。状況は、とても難解ではないというのに。


 私は、一歩も進んでいない。

 この事件は簡単だ。難しい事なんて一つもない。今でも思う。何度状況を鑑みても、そう思う。二、三日で終わる様な事件だ。

 そして、今日は、三回目の夜で、状況は、あまりにも前に進んでいない。

 二、三日で終わらなければいけない物語は、まだ、終幕の兆しすら見えてない。

 それなのに、私は、なに一つ焦りを感じていない?


「私も、お姉ちゃんの言う通りだと思う。この学園からは、怖い雰囲気を感じない。強い空気を感じない。だから、私もお姉ちゃんと同じ事を思った。今度のは簡単なんだって。だから、お姉ちゃん一人で大丈夫だと思った。でも、毎晩毎晩遅くまでお姉ちゃん達は帰って来なくて、事件も全容が見えてこない……だから、私、少しだけ不安になっ——」


 焦燥に駆られる私ではあったけれど、その言葉だけは浮き出て聞こえた。

 いや、脳みそが変に回転して、状況を整理しようと躍起になっているからこそかもしれない。


 その台詞は、歪だった。


「ちょっと待って桜。今、なんて?」


「え? だから、不安になってって」


「違う、その前。毎晩、遅くまで? 毎晩?」


「そ、それがどうしたの?」


「遅くまでって、どういう事?」


「どういう事って……そのままだよ。お蔭で私、お留守番してて寝不足なんだから」


 まだ待って。


 状況が整理されるには、まだ時が必要だと言うのに。

 その言葉は、思考の水面を更に揺らす。


「私が夜の深い時間に、桜の待つ部屋に帰った事が、あった?」


「お姉ちゃん? どうしたの……?」


「ねえ桜、私、毎晩直ぐ部屋に戻ったよね? ねえ? だって、一番最初の夜なんて、緋鎖乃に学園の構造を聞いてすぐに戻った。零時にアラームで目を覚ました私達は、少なくとも一時間は外に居なかった。三十分くらいで戻った筈」


 記憶を辿る。走って、走って、思考を走らせる。重ねられた映像を掘り起こす。

 おかしい。断言出来る。なにかがおかしい。


「た、確かに、初日は早かったけど、それでも二時過ぎくらいの帰宅だったよ……疲れた様子で……」


 私の記憶と、桜の記憶が、整合しない。

 歪と歪が、噛み合わない。凹凸が、ずれていく。


「昨日は? 昨日、私は緋鎖乃に言った。私から一時半までに連絡がなかったら桜を呼んでって。だから、昨日だって遅くない筈」


 間違う筈のない、前夜の記憶を口にした。

 まるで、縋る様に。


「お姉ちゃん……なに言ってるの? 私が昨日、音楽室で気絶したお姉ちゃんを助けに行ったのは、三時過ぎだよ」


 ただ、噛み合わない事だけが、証明された。


 そんな筈がない。私と桜が、時間軸の違う世界に生きている様だ。

 私は、最初の夜にすぐ部屋に戻った。昨夜は、一時十三分に中等部男子校舎に入って、一時三十分までに連絡がなければ緋鎖乃に桜へのヘルプを頼んだ次第だ。

 襲われて、気絶した私が救われたのは、どう考えたって。一時半から五分と経たない時間の筈だ。

 それなら、おかしい。桜が三時に私を助けに来る筈がない。


「だって、お姉ちゃん、色々な校舎を調べてたんだから、しょうがないよ。そして、最後に行ったのが、中等学校男子部の音楽室でしょ?」


 思惟が狂いそうだというのに、追撃が止まらない。


「は……? 待って、なに? 色々な校舎を調べてるって?」


 桜の言葉が、私に容赦なく襲い掛かる。ぐちゃぐちゃの脳内が、更に上下に振られるみたいに、混ざり合う。


「だから、最初に言ったじゃん。噂になってるって。校舎屋上の扉が壊されているって。中等学校男子部校舎に、初等部校舎。両方とも、七不思議のある校舎でしょ?」


 今度は、噛み合わない、じゃない。


 私の、記憶に、ない。


「待って……私は、中等部男子校舎にしか行ってない……」


「え? じゃ、じゃあ、初等部校舎のは?」


「それは……私じゃない」


 絞り出す様に、呟く。


 多分に私は酷い表情をしているのだと思う。桜も、私を問い詰める様な表情から徐々に血の気を失って、今は青ざめて私を見る。

 なにもかもが整合しないから、私と桜は目を見合わせて言葉を失う。

 なにが違うのか。なにが合っているのか。

 短い答え合わせは、一つの合致も見せないまま、状況を混濁させていく。

 私達の焦りとは正反対に、学園は静か。 

 その静寂の中響く耳鳴りが、まるで私達を嘲笑うみたい。


「ねえ、お姉ちゃん、なにか……おかしいよ」


 桜の言葉を訂正するなら、なにか、ではない。


 全てが、おかしかった。

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