七個ないのが七不思議⑧

「見ろよこれ、酷いもんだ」


 制服を捲り上げて、腹部の痣を緋鎖乃に見せつける。うっすらとシックスパックが浮きあがった肌の上で、ドス黒い内出血が強い存在感を放つ。


「他に外傷はないから、一撃で鎖子は昏倒させられたって事でいいのよね?」


「なんだそれは、実況見分か? それとも私への嫌味か?」


「昨日から気にし過ぎよ。私は貴方が思っている程自分を過信していないわ。むしろ逆だもの」


 六月十日、古野野江学園で迎える三回目の昼休み。三度目も変わらぬ空気の快晴の下、私と緋鎖乃は、いつもの場所で購買の弁当を食べ、昨夜の状況整理をしていた。

 桜は、今日もまた食堂だ。


「音楽室には誰も居なかった。それは確実だ。だが、その後気配がして、振り返ったら——」


「襲われた」


 私の言葉を待たずに緋鎖乃が付け加える。


「相手の顔は見てないの?」


「見てたら言うさ。残念ながら、姿形の一片すら視界に入ってないね。それに、顔があるかも分からないし」


 相手が、人間かどうかも分からない。今私達が陥っている状況を考えれば、それは十二分に可能性として存在しているものだ。

 古野野江学園七不思議。かつて私が相対した深夜一時の化け物に類似した、噂話の顕現。それは無いとは言いきれない、可能性の欠片。


「人ではないなにかが原因って事も考えられる訳ね?」


「そりゃそうだろ。私等の住んでいる場所は、そういう場所だ。まあ、これはかなり低い可能性だけどね」


「え? そうなの?」


「七不思議の内容を考えれば簡単な話だ。七不思議のどれにも、私が今回被害を受けた状況に符合するものはない。強いて挙げれば現場となった音楽室だけれど、内容はピアノが鳴りやまないってだけだ。私を一撃で昏倒させるレベルの怪現象に引き上げるなら、それは例えば街中で話題になる殺人事件を伴った都市伝説くらい用意して貰わないと」


 私は、先月の出来事を自嘲気味に織り交ぜて言った。


「鎖子の経験則って事? とてもそんな事が起きる状況じゃない、と」


「ああ、そういう事だな。顕現したなにかの怪物なら、私を昏倒させて終わりって事もないだろうね。そういう類の奴等は基本死ぬまでやるからなあ。そういうとこを鑑みるなら、私を襲ったのはそういう類じゃない可能性がある」


「けれど、東雲鎖子を打倒するのなら、それはもう人ではないわ」


「ああ、そうだろうな。私等と同じ領域のモノ。つまり、この一連の件に関係している可能性が高いな。ま、この古野野江学園が、化け物の巣窟だと言うなら話は別だけれど」


 冗談交じりに言いながら、空になったプラスチック製の容器をビニール袋に纏める。


「で、状況としては、私から連絡がないけれど、踏み込もうにも踏み込めない緋鎖乃が桜に連絡。桜が、音楽室で倒れている私を発見したってことでいいんだよな?」


「ええ、間違いないわ。貴方に言われた時間を過ぎても連絡がない。けれど、私はどうしようも出来ないから」


 言動を縛られている緋鎖乃。あの夜、校舎に入って行く私に、緋鎖乃は付いて来る事が出来なかった。屋上で、その足を止めていた。


「そして、桜は誰も見ていない」


「ええ、誰ともすれ違っていない。人の気配も感じていない。そのまま貴方を寮まで運んで、朝まで目を覚まさない貴方の傍に居たわ」


 桜には毎日寝不足だ、と文句を言われたが、こちらとしては愛おしさがカンストしそうだ。可愛い妹め。


「今日も音楽室を探索かしら。私達の存在を知ったモノが、私達に警告している様にしか思えないわ」


 緋鎖乃が、空になった弁当の容器をビニール袋に押し込みながら言った。


「いや、逆だ。もう音楽室には行かなくていい」


 私の返答が意外だったのか、それとも理解出来なかったのか。緋鎖乃はその手を止め、私を怪訝な表情で見る。


「……どうしてよ? 其処にナニか在るのは明らか。私達の追い求めるモノがなにを考えているか分からないけれど、これだけは分かるわ。此処に近付くな、という警告でしょう? 其処にナニか在るから、敵は妨害した。それなら、今度は桜も加えて探索するべきじゃない? 準備を整え、挑む」


「だって、もしそうなら、私を殺すだろ?」


 私が当たり前の様に吐いた短い言葉に、緋鎖乃は一瞬だけ困惑していたが、すぐに全部を理解した様に、あ、と短く呟いた。


「もし其処にナニかが在って、私を一撃で昏倒出来るなら殺すよ。禁忌に触れるな、と。殺害は最上級の警告だ。それなのに私を殺さなかった。答えは簡単。其処にナニか在ると思わせてたいのさ。警告だぞ、ここに近付くなよ、とアピールしたいんだ。理由は? 他の場所にナニかあるから。ナニかを隠している側からしたら、空振り三振を何打席続けて貰っても構わないんだから」


 私は、昨夜の出来事を簡単に紐解いた。これは難しい問題じゃない。私を殺さないという行為が、答えの様なものだ。


「ね、理解出来たでしょ? だから、今夜から探すのは、別の五つ。古野野江学園七不思議の内の六つは、その一つを潰して、残り五つ。お相手さん、どうやら悪手を打ってくれたみたいだ」


 私は、少し小馬鹿にした様な口振りで言った。姿の見えない悪意に対しての、情けのない犯行。せめて口の上では馬鹿にしてやらないと、受けた腹部の痛みの採算が取れない。


 勿論、相対した時には遠慮なくブッ飛ばす所存だけれど。


「それで、今夜には目処は立っているの?」


「目処って?」


「貴方、二、三日中には方を付けるって一昨日の夜に話したじゃない?」


「あーあー言ったねそんな事。安心して、あんたを死なせやしない。私は、その為に来た」


 大袈裟に胸を叩いて言ってやると、緋鎖乃は私から視線を外しながら、そう、と呟いた。


 まるで自分の命に興味がないみたいに。


 冷然院の人間が、無実の人間を手にかける訳がない。それはこの国に居れば当然に誰もが考える事だけれど、目の前の女は自白によりそれを掻き消して口を紡ぐ。いや、口を閉ざされている。

 だから、冷然院は冷然院として、恐らく緋鎖乃を殺さなければならない。道理の逸れた者は居なかったと、断罪せねばならない。

 それなのに、冤罪を訴える事もなく、緋鎖乃は相変わらず落ち着いた様子で。

 まるで、他人事の様に、小さく小さく、呟いた。


 ■


「うーん……どうしよう」


 授業が終わり、放課後。古野野江学園中等部女子校舎の玄関を出たところで、桜が足を止める。

 視線は食堂の方で、放課後、夕食の前に食事を摂るかどうかを思案している様だった。


「あんたまだ食べるの?」


「だって、食堂美味しいんだもん」


 育ち盛りの妹の食欲が旺盛なのは姉として喜ばしい事ではあるが、一方で過剰に摂取されたカロリーが贅肉となってしまわないか心配だ。

 低く唸り、腕を込んで思考を巡らせる桜。その悩みは食堂に行くか否かなのか、行く事は既に決まっていて、メニューを悩んでいるのか。


 放課後、多くの人が流出する玄関口の端に寄って、私と緋鎖乃は、眉を顰めて思案する桜を待った。その横を足早に通り過ぎて行く生徒達。そんな中、見慣れない女子グループが桜に声をかけた。


「桜ちゃん、またねー!」


「あ、ばいばい!」


 四人組の全員が桜に声をかけ、桜もそれに答える。人見知りである筈の妹は、此処で新たな処世術を学んだと知ったのは昨日の出来事だ。それにしても、溶け込むのが早い。

 四人組が、去り際に私か緋鎖乃を差して、あれが噂の双子のお姉さんかな、と声を顰めて話していた。それを聞いて、そういえばこの学園では桜とは双子という設定だった事を思い出す。

 もうすっかり、元の十五歳からかけ離れた小さい体躯に慣れてしまった。


「ああ、早く元に戻りたい」


「え、お姉ちゃんどうしたの突然」


「いや、あんたと双子だった設定を思いだして、ついね」


「あー、なんか私もお姉ちゃんが背大きくないの慣れてきちゃった」


「お、姉の威厳の損失か。それは困る」


「そんな事ないよ。私と一緒になっても、お姉ちゃんはお姉ちゃん。私のお姉ちゃんだよ」


 言いながら、桜が自分脳天に掌を置いて、平行に動かす。私の脳天に真っ直ぐ収まって、桜は笑う。

 なにが面白いのだか。


「桜、貴方中々社交的なのね」


 それまでの会話を黙って聞いていた緋鎖乃が唐突に口を開く。相変わらず静かな物腰で、口を突いて出た言葉は、本当に興味があるのか分からない程希薄。


「そんな事ないよ。普段は私、こんなに喋れないもん」


「あら、そうなの? 今の貴方のやり取りと見ていたら、とてもそうは思えないけれど。食堂でも随分沢山の人と会話をしている様だけれど」


 七不思議の件は、桜が引っ張って来た情報だ。私はどちらかと言えば、私達だけの中で完結させたかった。だから、古野野江に来てから、緋鎖乃以外の誰からも話しを聞いていないし、そのつもりもない。今回は特に短期決戦。そう意気込んでいるからこそだった。

 けれど、桜は桜で別の考えを持っていて、むしろ仕事だから、と自分の殻を一つ破ってみせた。きっと元のコミュニティに戻ったら無口な桜に戻るのだろうけれど、今回の経験が、これからの人付き合いに応用されればそれに越した事はないと思う。


「私も緋鎖乃ちゃんに協力したいから。だから、頑張っているんだ。仕事だと思って、情報収集的な?」


「意外と殊勝なところもあるのね。驚いたわ。あ、別に見下しているとかそういう訳じゃないのよ? ただ、そういうタイプに見えなかっただけ」


「お姉ちゃん、これって私褒められてる?」


「安心しろ、褒められてるぞ。多分」


 緋鎖乃は別に嫌な奴って訳じゃないのだけれど、どこか言葉が刺々しいというか、一つ足りていない部分がある。


「普段は喋れないといっても、私とは初対面の時から随分と流暢に会話していた気がするのだけれど、私は特別?」


「特別、じゃなくて、その逆。普通」


「あら、普通?」


「うん。だって、緋鎖乃ちゃんは私達とでしょ。だから大丈夫なんだ。でも、他の人達は私達とから、特別。私達の事を知らない。それなら、私にとっての特別。話すってなったら、緊張しちゃうし、友達になるなんてもっともっと。だって、皆は私達が"おかしい"事を知らないんだもん」


「ああ……そういう事なのね」


 多分、緋鎖乃に対しては同い年という事も相俟って話し易さがあるのだと思う。現に、つらつらと語ってみせたものの、桜は基本的にはこちら側の人間に対しても人見知りを発揮する。先日緋奈巳さんが家を訪れた時の反応など顕著なものだった。


 そして、普通の人間。私達側に居ない人達に対しては、述べた通りだ。

 私達と違うから、だから、避ける。

 私はそれをやめたから香織やクラスメイトが居るけれど、桜はまだ始めたばかり。


「緋鎖乃ちゃんも私と同じ?」


「え?」


 不意に桜が口にした。話の流れでその帰結は突拍子がない、という訳ではないけれど、私が避け続けた話題だった。


「だって、緋鎖乃ちゃん、この学園で誰とも喋っていないから」


 思わず顔を覆う。


 桜は素直だ。ただ、馬鹿だ。人相応の気遣いを覚えるには、まだ時間がかかる。


 ただ、それは私も当然に思った事だった。転校初日のクラスメイト達の反応。それは、友達が居ない、どころか、むしろ明確に嫌悪されていると言えた。

 私達が緋鎖乃に話しかけた途端、蜘蛛の子を散らす様にクラスメイト達は私達から離れ、以後一度もコンタクトを取っていない。

 緋鎖乃本人どころか、緋鎖乃と一緒に居る、私と桜にさえ。


「確かに、私は誰とも喋っていないわね。友達と呼べる人は居ないし、まともに会話すらしないわ。でも、桜とは少し理由が違う。私には、必要がないから」


 緋鎖乃が、少し語気を強める。


「私は冷然院に生まれて、冷然院として戦い、冷然院として死ぬわ。それは冷然院の名を持った者として当然。この国を連綿と守り続けた家に生を受けたのだから、私もそう生きる。そう決めたから、だから、必要がないのよ。姉様や兄様、叔父様、それに緋火瑠と緋火璃もその限りではないけれど、私はそうと決めたの。私の人生に必要なのは、私と、冷然院だけ。ずっとそんな態度なものだから、どうしたって孤立するわ。むしろ、避けられていると言えるわね」


 緋鎖乃の自己分析は、私の考察と同じだった。完璧に自分を客観視出来ている。


 それは、十四歳の少女が刻むには苛烈で熾烈。不退転の決意と容易に理解が出来る、そんな表情と声色で、緋鎖乃は言った。


「子供らしくない考えしてんだな。確かに、私と桜が生まれた東雲家みたいに、世俗と隔絶して生きる家は少なくない。人の世とは明確な線引きをする事は大事だけれど、それでも私達は人間だ。そんなに自分を律する事もないだろ?」


「別に私は、私達の様な人の道理に居ない者全てがそうであるべき、と強制するつもりはないわ。少なくとも、私はそう生きる。そう言っているだけよ」


「いや、まあ、その考えは分からなくもないけどな。私には、って持論がある。こちら側に来てしまったのなら、こちら側だけで生き死にをしろっていうね。でも、それ以外は自由だと私は思うんだよ。だって、そうじゃなくちゃ。私達は、人間なんだから」


 私が持論を展開すると、緋鎖乃がぐっと目を見開いた。


「私等の様なモノは、私等の様なモノと殺し合うべきだ……そう……鎖子は、とても素敵な持論を持っているのね」


 見開いた目を一度閉じて、開く。その瞳は、どこか私を捉えていない。


「素敵かどうかは知らないけどな。少なくとも私はそう思っている。ま、殆ど受け売りなんだけどな」


「いえ、とても素敵だと思うわ。私も、そう思うもの。強く、思う」


「いや、私が推したいのはそこじゃなくてだな——」


「分かっているわ。鎖子の言う事ももっともよ。さっきも言ったでしょ。私は別に、自分の考えを強制する気はないって」


「うん、まあ、うん、それでいいけど」


 緋鎖乃は、私の言葉を遮って言った。確かに私の言いたい事は、内包したもの全て理解されている、そんな風に感じた。

 緋鎖乃は人の事を察するのが上手なんだか下手なんだか分からない時がある。


「ねえねえ、二人共」


 少しばかり濃密な言葉を交わした間に、桜の軽快な言葉が差し込まれる。


「やっぱり私、食堂行ってくる。お腹空いた」


 軽快よりは、軽率。

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