第21話 下手の考え休むに似たり

 師匠の家に帰る。作業場の隣の掘っ立て小屋が俺の家であり自分だけの工房だ。四畳半すらない、ベッドと机だけの部屋。

 机の上に買ってきたタバコの材料とウィスキーを二瓶並べる。まだ製本していない紙の束と、ペンにインク瓶が置いてある。むき出しのはりにはオイルランプが吊されている。ガラスのはまっていない窓のよろい戸を開いて換気をする。多少はほこりっぽさがまぎれたようだ。


 金属のローラーを取り出しタバコを手巻きしていく。数本作ったらそのうち一本で一服。部屋の隅に転がっていた小さなバケツを灰皿代わりにする。

フィルター無しの手巻きタバコは重たいが、喫煙の習慣は変えられない。「僕」の身体は煙に慣れていないが「俺」の記憶がニコチンの毒を求める。


「作り溜めしたタバコのケースが欲しいな」


 きざみタバコの葉が入っている金属缶が空になったらタバコ入れに使えそうだ。そんなことを考えながら手帳兼日記兼メモ帳にいろいろと覚え書きをメモる。

 そういえばこの世界の暦はどうなっているんだろう。体感時間では一日24時間だが、「僕」の身体がそう認識しているだけで厳密には違うのかもしれない。「この世界の時間と暦について調べる」とToDoリストに一つ付け足す。

 全てをやり終えたらこの世界の事典が書けるんじゃないかというほどにToDoが増えていく。西部劇に似た、ファンタジーのようなこの世界。


 俺はこの世界を知らない。


 「僕」は銃の使い方を知っている。実家でやっていた農業や牧畜についても多少は分かる。ウサギの捌き方も知っているし数回の経験がある。

 でも野生動物やモンスターについては知らない。銃を撃ち鳴らせば向こうから逃げてくれるということだけしか知らない。


 恐怖が俺を支配する。


 モンスターが襲ってきたらどうすべきか。野盗やチンピラに襲われたときは。それに対処する方法を知らない。この世界の警察機構や戦力は有効か? 分からないということが怖い。


 知らないということが怖い。


 今までの「僕」は大人の言うことを聞いて、やれと言われたことをやるだけでよかった。やるなと言われたことはやらない。やるなと言われることは、やってはいけないだけの理由がある。それを学べたのも「僕」の村が割と安全だったからだ。でなければ死んでいる。


 元の世界の「俺」も大して違わない。やるべきことをやって、分からないことはウェブなり本なりで調べて、それでも分からなければ知ってそうな人に聞いて解決。そこに死の恐怖はない。

 自分のミスで死んだり死にかけたりするようなことはめったになかった。なんと安全な国だったことだろう。

 この世界とは違う。「俺」が死んだのも酒をのみすぎて交通事故にあったから。のみすぎてはいけません。道路に飛び出してはいけません。なぜなら死ぬからだ。身をもって知ったときには遅かった。


 この世界での死について考える。さすがに二度目の転生はないだろうな。神かなにかのお情けか気まぐれか。やりなおす機会が与えられたんだ。失敗して取り返しがつくことならいいが、こと生き死に関してはどうにもならない。病気や怪我でも死に至る可能性もある。

 この世界の医療は期待できない。リボルバーを持って踏み固められた道を歩いて旅するこの世界で、医療だけが最先端ということはあり得ない。

 ガンや心臓、脳梗塞、これらが一言呪文をとなえ、秘薬をつければたちまちけろり、これが魔法でございます。なんてことはないだろう。


 これからどうやって生きていこう。考えても仕方のないことばかりが脳裏をかすめていく。


 俺はこの日何本目かのタバコに火をつけた。

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