異世界からの物体X(ゴミ)
佐藤仁成
第1話《AZ-31》新発見/《AZ-32》いつもの朝(前)
《AZ-31》
真っ白な机の上に、君たちの世界で言う一枚のフィルムが乗っている。一本の白い指がそのフィルムにひとつ触れると、その透明な表面に様々な資料を映し出す。
そこには彼らの世界の課題が書き出されていた。彼らの世界は君たちに比べて技術的に進んでいるが、それでも完璧な世界というものは存在しない。彼らにとってもっとも大きな問題はごみだった。彼らの世界では生産効率が年々向上し、また消費も活発だが、そこから発生するごみの問題に関して対処をすることができていない。結果として、街にごみがあふれ、不衛生なだけではなく伝染病などの深刻な問題が起きそうだった。
白い指が動く。彼らは君たちの3倍の指を持ち、その一本一本が君たちよりも長い。次に表示されたのは、最近になって発明された一つの装置についての記事だった。
それは彼らの言葉で、《異世界転送装置》と呼ばれるものだった。彼らの間では、平行世界の存在は常識となっていた。それらを覗き込み、彼らと別の方向に進んだ文明の発見は、彼らにとって宇宙の進出と同じくらいの悲願だった。
そうした状況下で、一人の科学者が、ついにほかの平行世界を発見し、それだけでなく干渉する方法を見つけた。記事には、その科学者はこの装置の成功が全くの偶然であること、そしてその偶然によって鑑賞できる平行世界は、彼らが《AZ-32》とよぶ平行世界のみであるということ、彼がこの装置の完成を母親にささげるということ、が書かれていた。
彼らの世界は君たちの世界よりも技術的に進んでいる。それは彼らが君たちの世界を知っているのに対し、君たちが彼らの世界を全く知らないという点に、端的にあらわされている。
技術的に遅れているというのは悲しいことだとは思うが、しかし君たちはそれを恥じる必要は全くない。彼らは技術的には進んでいるものの、文化的な面では君たちの足元にも及ばない。君たちの世界史でも先進国と途上国に分かれているが、だからと言って先進国の人々が途上国よりもすばらしいということは全くないのと同じことだ。
例えば、彼らの世界には音楽が存在しない。彼らは技術の発達とともに、お互いの感情をテレパスで伝える技術を発見した。彼らは言葉を発する必要がなくなり、次第に聴覚を失い、君たちの世界のように音を楽しむことができなかった。その一つをとっても、君たちは彼らに劣っているわけではない。
しかし、しかしだ。
技術力はしばしば力に比例する。
それはは君たちの歴史においても、幾度となく実証されてきたものだ。青銅の武器では鉄の刃に簡単に破られる。サムライの帯びた刀では農民の持つ鉄砲に勝てない。どれほど訓練を積んだベテランレンジャーでも、オタクの操作するドローンに追い回されては生き残るすべはほとんどない。
そして力に劣るものはしばしば、力のあるものに蹂躙される。
白い指が、もう一つフィルムに触れる。フィルムには、《AZ-32》と書かれた平行世界の模様が映し出されていた。
そこに映し出されているのは、君たちの世界だ。
《AZ-32》
陰山伸一は、不機嫌だった。
職場の朝のラジオ体操でどすんどすんと90キロある体を飛び跳ねさせながらも、考えていたのは昨日の阪神―広島戦のことだ。
無様な負け方だった。今年ドラフトの19歳の若造ルーキーに面白いように三振を取られ、7回までに出た安打はぼてぼての内野安打一本。そのあともリリーフに抑えられ、散発3安打で零封された。
投げていたのはメッセンジャーだ。132球9回1失点で負け投手。あの外人もかわいそうに。毎回自分の仕事をこなしているのに、全く報われていない。
そんなことを考えているうち、精神を病んでるんじゃないかと思うほどに底抜けに明るい声が深呼吸を伸一たちに命令し、ラジオ体操が終わった。そのあと各々が足りないと思った体操をつけたしている中で(どうしてアキレス腱に関する動きがないのか、伸一は不思議に思いつつ腱を伸ばしていた)、所長が今日も一日頑張ろうとか何とか言って、各々が自分の車へと向かう。
40を超えたあたりから、車に一日乗り込むのにも入念な体操が必要になった。若手がさっさと車に乗り込んだり、出る前にちょっと一服とタバコ室に行ったりするのに対し、伸一ら3人のベテランはしばらく居残りで準備運動に精を出していた。
伸一がでっぷりとした尻を2月の気候で冷えたコンクリートに乗せ、腰をひねってバキバキと鳴らしているとき、中村課長の高いキイキイ声が耳に飛び込んできた。
「おおい、陰山君。今日は君が竹君の割り当てだ。」
竹君というのは、相乗りアルバイトの大学生だ。竹君が相乗りとは、今日は楽ができそうだ。
竹君は無口で仕事中話は全くと言っていいほど弾まず、仕事の動きものろいが、ごみ収集のアルバイトには珍しいことにもう半年も続いている。だから彼には余計な指示をする必要がなく、ドライバーからは人気があった。
その竹君は事務所の端っこのほうで所在無げに立っていた。大学でバンドをやっているらしいが、表情も鈍ければ服装もあか抜けておらず、いまいち彼がバンドマンだということが伸一には信じられない。
伸一が竹君に先に車に乗っておけ、と指差すと、竹君は寒かったのだろうか、喜んで従った。そんなら最初っから入っとけばいいものを。
そのあとたっぷり3分、体をいたわってから伸一は自分の車に乗り込んだ。竹君は勝手知ったるもので、助手席の椅子を軽く倒して灰であふれそうな社内の灰皿を引き出して一服していた。
「おう、おはよう。」
「おはようございます。」
「さむいな。」
「さむいですね。」
「こういうときに走ると腱が切れそうになる。」
「そうですね。」
「なんでラジオ体操にアキレス腱を伸ばすとこがないんだろな?」
「なんででしょうね。」
今日も竹君は絶好調だ。伸一はゆるくなってすぐにひらこうとする運転席の扉をバタンと閉め、がりがりがりと首周りをひと掻きすると、よごれて黒ずんだキーを挿してエンジンをかけ、温まるのも待たずに車を発進させた。
竹君の吸うアメリカン・スピリッツのメンソールのにおいが社内に充満して、伸一は鼻をひくひくさせ自分のマルボロをポケットから取り出す。箱をつかんだところで中身がなくなっていることに気が付くと、伸一はものほしそうな顔を竹君に向けた。
「ところでよ、一本くれねえか?」
「嫌です。」
ごみ収集の仕事は単調な仕事だ。決められたコースに従って走り、ポイントポイントのごみを集め、後ろの裁断機に突っ込む。そして十分な量が溜まったら人や動物が入っていないことを確認して、裁断機右の赤いボタンを押して車にごみを食わせる。
だが、ごみ収集は単調であると同時に、危険な仕事でもある。これほどエコだエコだと世間で騒がれているにもかかわらず、分別に対する『ごみ排出者』の意識は驚くほど低い。平気で燃えるごみの中に空き瓶やスチール缶を突っ込むバカは序の口で、中には割れた蛍光灯をそのまんまごみ袋に(それも不透明のごみ袋に)入れておくような、こっちを殺しに来てるんじゃないかというごみの出し方をする奴もいる。
単調でいて、危険。そんな仕事をする時に一番必要なのは集中力だ。単調さによる眠気に耐えつつ、ごみを持つときにガラスの破片が突き出していないか、裁断機にかけるときに中の木屑が飛んでこないか、細心の注意を払って作業を行わなくてはならない。
「だぁ、糞。」
だから、今日みたいに昨日のメッセンジャーの悲しそうな顔が頭の中をよぎる日は、必ずと言っていいほど怪我をする――それはごみ収集を始めてから5年になる、伸一にとって体に刻み続けた教訓だった。そして今日もまた、一つ教訓だ。
東団地のごみ袋を拾おうとしたとき、おもいきり掌を切った。みると、ごみ袋の中には紙粘土からクラゲのように針金の足を突き出しているオブジェが入っていた。
伸一は小さく舌打ちした。打田の婆だ。間違いない。おおかた、かわいいともみちゃんの工作の授業か何かの作品なんだろう。
伸一は打田に一度ひどい目にあわされたことがある。伸一が娘のともみをいやらしい目で見ていたと、さえき清掃社にねじ込んできたのだ。
打田は質の悪い『ごみ排出者』だ。燃えるごみの日にいくつか空き缶を混ぜるような奴は何人か知っているが、袋からはちきれんばかりの空き缶の詰め合わせを出す人間を打田以外に伸一は知らない。そのほかにも本来ならば粗大ごみとして出すべきものを、無理やり袋詰めにして出そうとしたりと、あたしの知ったことじゃないとばかりにむちゃくちゃなごみの出し方をする婆だった。
そして伸一がその現場をとっちめ、散々わめく打田を相手に市の条例規約を読み上げることでごみを部屋に持って帰らせると、次の日に先ほどのクレームが来たのだ。
「おい、陰山。」
40過ぎの頭を坊主にした、いかにもお父さん然した所長の三枝木は、電話を切るなりにやにやと笑いながら陰山に言った。
「俺、お前がまさか小学生が趣味だとは知らなかったよ。まさか俺の娘に欲情したりしてないだろうな。」
やめてくださいよ、という陰山に向かって、三枝木はひひっと笑った後、急に真顔に戻って、お前も大変だな、と言った。
伸一は打田ともめたときから、三枝木ら事務所の上司・同僚にその顛末を話していた。だから打田がわけのわからないクレームをつけえてきたときも、事務所の人々はそれを本気に取らなかった。
しかし会社として何もしないわけにはいかず、しばらく伸一は不慣れなコースに回されたし、事情をあまり知らない受付の恵ちゃんにはしばらくヘンな目で見られた。それだけでも十分、伸一には堪えた。
さらにそのうえ、掌の怪我も追加だ。伸一はウンザリした気分で真っ黒になった軍手をとった。汚れで黒ずんだ掌に斜めに赤い線が入っており、そこからとくとくとに血が流れ出している。
「どしたんすか?」
黒ずんだ掌のザックリと切れた傷口を眺めていると、後ろから自分のごみを拾い終えた竹君がすこしびっくりした声で話しかけてきた。
伸一が口の端っこをゆがめながら、ごみ袋から飛び出した針金を指さす。
「ああ、」
竹君も顔をしかめる。
「ここなら、打田っすね。」
「ああ、あの婆だ。」
竹君は打田のことをよく知っている。何しろ、打田に「うちの娘をいやらしい目で見ないでください!」と最初に言われたのは、ほかでもないこの竹君だからだ。
「結構深いっすね。」
「ああ、すまんが救急箱持ってきてくれねえか?運転席の座席を倒したらおいてあるはずだ。あと、水筒も。」
竹君が運転席に上半身を突っ込み、救急箱を探している間、伸一は左手でえっちらおっちらと打田のごみ袋を運び、赤いスイッチを押して(左手だとなかなか押し込みづらかった)、ひとみちゃんの力作を裁断機にかけた。
本当なら持っていきたくないが仕方がない。血まみれのごみを見て打田がなんていうかなんて考えたくもないし、あのクレームの一件以降、三枝木所長からは打田のごみはとりあえず黙って持って帰れと言われている。我慢するのは癪で仕方がないが、だからと言ってあの昆虫みたいな婆ともう一度やりあうのだけは金輪際ごめんだった。
竹君が持ってきてくれた水筒で右手の手のひらを洗った。傷口が見え手がジンジンと痛みはじめてようやく、伸一は思ったよりも深い傷を負ったことに気が付いた。
手は右から左にザックリと切れ、どこか大きい血管をとおっているのか血が止まらなかった。救急箱から出した消毒液を掛けると死ぬほどしみて、伸一はなさけなくもおおぅ、と小さくうめき声を漏らした。
「陰山さん、これじゃ今日は無理でしょう。」
そう言いながら、竹君はガーゼで傷口を覆ってくれた。しかし救急箱にあった2,3枚のガーゼというよりかはガーゼのきれっぱしでは、どんどん流れ出る血を止めるには無理があった。
「何とかなるだろうよ。」
伸一は、とりあえず強がってみた。
「なりませんよ。」
竹君が珍しく伸一に反論した。おやと思って伸一がその眼を見ると、竹君は爪を噛みながら伸一の傷口を見ていた。どうやら本当に心配してくれているようだ。
「俺の友達、そっからばい菌が入って、危うく頭まで行きそうでしたもん。陰山さん、ゼッタイ今日はごみ拾いやめたほうがいいですって。ゼッタイばい菌入りますから。」
珍しく真剣だ。どころか、ばい菌が頭までのところで竹君は震えあがるようなジェスチャーまでして見せた。よっぽどその友人とやらの怪我の具合が悪かったのだろう。
「とはいってもなぁ……」
「いいっすよ。どうせ今日そんなにごみ多くないですから、俺がごみひらいますよ。陰山さんは運転だけしててください。」
伸一は思わず竹君の顔を見た。
バンド、俺は下手っすけど、仲間がいるからやってるんすよ――いつもぼんやりしている竹君がたまに真剣な声でそう言うのを聞いたことがある。竹君は、俺が知っているよりもずっと殊勝で、仲間思いなのかもしれない。
伸一はありがたくその申し出に従うことにした。
そんな殊勝な竹君が、音を上げたのはわずか40分後のことだった。
「すんません、陰山さん、ちょっときついかもしれないです。」
異世界からの物体X(ゴミ) 佐藤仁成 @hironarisato
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