Last STEP

 夏の盛りを過ぎた季節はまだまだ十分に暑く、西に傾いた太陽ではあったが、その光は燦々とあらゆるものを照らし出すかのように降り注いでいた。

 空港を出て、電車を乗り継ぎ、もう二時間が経過しようとしていた。記憶の中とは幾分変わった駅前商店街を抜け、ふらつきそうになる足を叱咤し、その瞬間へと一歩一歩近づいていった。

 新興住宅地としてまぶしく明るかった街は、生け垣の枝ものび、街路樹の枝も張り、落ち着いた様相に変わっていた。

 一つ二つと数えながら進んだ門を曲がると、ついに俺は駆け出していた。

 後二つ、後一つ。あの門が見慣れた屋根がもう目の前で。門の前で息を整えるまもなく、玄関を見上げた。

「パパ!」

 声をかけようと、手を振ろうと、見上げた先で、凍り付いた。

「走ると転ぶぞ」

「もうちょっと待って」

「さっきからソレばかりじゃないか」

 スニーカーの結べなかった紐をそのままに、玄関から出てきた女は、まさしく妻のものだった。聖母のような慈愛に満ちた明るい笑顔が向けられた先は、しかし、俺ではなかった。

 見知らぬ男が男の子の側にいた。

「あなたが早すぎるのよ。……さ、いいわ、行きましょう」

「パパ! 僕ハンバーグがいい!」

「そうか。じゃぁ、パパもおっきなハンバーグにしようかな!」

「パパと一緒ー!」

 三人が近づいてくるのに、あわてて俺は身を隠した。

 門を曲がって生け垣の側に佇む。その後ろを楽しげな声が通りすぎていった。


 週末のオフィスには人影はなく、高い書類の山に埋もれた白髪頭の男だけがまるでそこに生息しているかのように当たり前に、存在していた。

 窓から入るだいぶ傾いた日を背に、シミの浮いたシャツにフケを散らしつつ、淡々と山を崩す作業を進めていた。

 トゥルルル。トゥルルル。

 旧知の電話機へ、視線をやることなく手を伸ばした。受話器をつかむと、肩で挟み込んで、書類になにごとか書き付ける。

「……あぁ、専務。お疲れ様です。そちらも休日出勤とはご苦労なことですな。……あぁ、私は毎度のことです。仕事以外にする事なんて何一つありはしません。……あ、新人ですか? もう新人じゃぁありませんよ。やつももう立派な企業戦士です。専務もご存知でしょう? ついにこの国を脱出するのに成功したようです。しかも、得意先を一件発掘したようで、頼もしい限りです。……それは、心配はいりませんよ。あいつは特に妄想力が強い。その上で、あらゆる困難を回避するだけの経験もつきました。すぐに帰ってきますよ。新しい『家』を創ってね。……なぜ断言できるかですと? 出来ますよ。私だって、そんな企業戦士の一人なんですからね」

 男は書類の山の中からくたびれた写真立てを掘り出した。

 美人とはいえないまでもなんとも暖かく穏やかな笑顔を浮かべた女と、女の腕の中ですやすやと幸せそうな寝顔を見せる女児。少し古ぼけた写真は……メールを出せば、顔文字満載の陽気な内容で返って来るまでになった。

 男は母国に家族などもってはいなかった。戸籍の配偶者覧は空白で、当然、子供などいるはずもなかった。けれど。

「理由は真実である必要はありません。けれど、現実である必要があります。……それだけの話ですよ、専務」

 電話を置くと、男は一つのびをした。時計を見、思いついてメーラーを開く。

 愛しい『妻』へメールでも出そうと思い立ったのだ。

『すまないが父さんは今年も帰れそうにない。墓参りをよろしく』

 送信をすませ、おもむろに腰を上げた。一休みして戻る頃にはきっと返ってきているだろう。愛しい『妻』からの決して裏切らないメールが。

 オフィスを出て、じんわりと蒸しあげるような空気を感じながら、タバコに火を付けた。煙はもやがかかったように青く晴れた戦場の空へと吸い込まれていった。

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企業戦士サラリーマン~いつか、キミの隣に~ 森村直也 @hpjhal

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