第10話 -epilogue-
「ここに来るのも久しぶりだね」
悠は眼をつむり、目の前の墓に向かって手を合わせた。線香から落ち着いた香りが漂い、備えられたホオズキが悠の姿を見下ろしていた。
最初に掛けた一言だけで、悠はそれ以上何も言わずに眼を閉じ、静かに墓に向かって祈る。平日の昼間であり、墓地には多くの墓が並んでいるものの、悠の他にお参りに来ている人はおらず、だからか、悠は心行くまで墓に向かって語り掛けることができた。
墓に向かって何を語りかけてるのか、誰にも分からない。悠自身にさえも。彼女の中に渦巻く複雑な思いは形にならず、だからこそ思うがままに、浮かび上がるままに誰かに向かって語りかける。
「さて、と……」
十分もした頃、ようやく悠の眼が開けられて立ち上がる。遠くからセミの鳴き声が延々と続き、その声に応えるように真夏の太陽が輝きを増した。立ったまま墓を見つめていたが、やがてそばに置いていた清掃用のバケツを持つと墓に背を向けた。
「んじゃ、行くとしますかっ!」
セミの声がやかましい。南向きの部屋で窓際に配置されたベッドには、真夏の太陽が燦々と、爛々と、煌々と輝いていて、これが冬や春ならいい季節だな、なんて思うんだろうけど、夏である今なら暑苦しくてたまらない。カーテンを閉めても鋭すぎる太陽光線はあっさりとその防壁を貫いて部屋を暖めてくれやがる。ならばベッドから降りて退避すればいいじゃないか、と思うけど、残念ながら今の僕の体は両手両足全てが見事なまでに拘束されていて、とても自力じゃ動けない。当然トイレにも行けないから、先の短いジョウロみたいなアレを使うことになる。恥ずかしさには慣れた。
「あぢい……」
そして暇だ。一日中何もすることが無い。テレビを点けても平日昼下がりのこの時間帯に僕が好みそうな番組なんてあるはずもなく、視線をさまよわせれば僕の動かせない両手両足、そして体に巻かれた包帯がシャツの裾からのぞくわけで。それを見る度によく無事だったな、と自分の生き汚さに感心せざるを得ない。
病院で生死の境を十分に堪能して僕は、結局は生を選んだらしい。ずっと境界線上で両方の世界を見続けた結果、たぶんコッチの世界のほうが良いんだと無意識に判断したに違いない。曖昧だった境界線は、今はもう僕の中で明確な境ができてしまっていた。
「鏡クンって最近それしか言わないよね?」
花を活けた花瓶を持って戻ってきた水城さんが咎めるようにそんな事を言う。だって暑いものは暑い。むしろ熱い。ここにフライパンを置いてたらきっと卵が焼ける。
「空調が壊れてるこの部屋に入れてくれた課長の悪意を感じます」
「あー、それは悪意満々だろうね……」
水城さんもじっとりと汗ばんだ額に手を当てて、ため息混じりに同意してくれる。
僕が眼を覚まして早々に僕ら二人は散々課長に叱られた。それはもうガミガミとネチネチと、ありとあらゆる方法で責められた。いや、攻められた。いっそもう殺してくれ、と生を選んだ早々に死にダイブしたくなるほどに。流石にケガ人の僕には暴力は奮わなかったけど、部屋の外に連れていかれた水城さんの叫び声が聞こえてきて、しばらくして帰ってきた水城さんの顔はゲッソリとこけていたのを良く覚えてる。何をされたかは分からないし知りたくもない。たぶん、何か大切なモノを抉られたんだろう、とそっと心の中で手を合わせておいた。なお、まなじりに涙を浮かべた水城さんの泣き顔は、僕にとって至福のご褒美だったことはそっと追記しておく。
「まあ、しょうがないですよ。むしろアレだけで元の鞘に戻してくれた課長には感謝するべきなんでしょうし」
「そうなんだろうけどねー、何か割りに合わない気がするのはアタシだけかなっ?」
「たぶん、気のせいじゃないと思います」
でも確かに課長には感謝してる。病院の手配から何から何までやってくれて、オマケに水城さんをまた元通りS.T.E.A.Rに戻してくれたんだから。見舞いに来てくれた佳人さんや八雲さん、七海さんに唯ちゃんも水城さんを見て驚いてたけど、何もなかったようにいつも通りに接してた。それが佳人さんが言う「他者への無関心」故なのかもしれないけど、それで元通りになるのならそれも悪くない。
正祐もすぐに駆けつけてくれて、全身ズタボロの僕に驚いてたけど事情は何も聞かずに、ただ「どうだった?」とだけ聞いてきた。その心遣いが嬉しくて、だから僕も満面の笑みと無言のサムズアップで応えてやった。そうしたら「何、その笑顔? 似合わねえっ! 気持ちワルッ!」とか言ってくれたので固いギプスのラリアットをお見舞いしてやった。そりゃもうブゥン!と擬音が付くほどに。その後、二人して悶絶して水城さんに呆れられたのも青春の甘い思い出の一つということにしておいて欲しい。
「ねっ、鏡クン」
「何ですか?」
立地のせいなのか普段はあまり吹かない風が窓から入ってきて、その涼しさにしばし身を任せていたけど、突然水城さんが目の前に割り込んできた。ベッドに腰掛けて僕と向き合い、更に体全体をベッドの上に乗せて僕の体をまたぐ体勢に変わる。息がかかるほど近くに顔があった。
「あの時、鏡クンが気を失う前にさ、何かアタシに言いかけてたの覚えてるかな?」
「気を失う前……ああ、あの時ですか」
「そ、あの時。『僕はさ……悠の事がね……』の後に何て言おうとしてたのかなーって」
まったく、何度思い出しても恥ずかしい。ゴロゴロと、可能ならベッドの上で転げ回りたいほどに恥ずかしいけど、あの時言おうとしたのは紛れも無く本心であって、きっと水城さんもだいたいの予想は付いてるんだろう。その証拠に尋ねながらもニヤニヤと笑って僕を見ている。
「さて、何て言おうとしたんだったかな?」
「またまたー。覚えてるくせに」
「覚えてますけど恥ずかしいんです。だいたい、水城さんだって分かってるでしょう? 自分の中で補完しておいて下さい」
「女の子ははっきりと聞きたいモンなんだよ?」
どっかの雑誌か何かで似たセリフを聞いた気がするけど、それはやっぱり真実なんだろうか。
わざと深いため息をついて、逸らした視線をまた水城さんに戻す。恥ずかしそうに頬染めて、おっきな期待を抱いてるのが分かる。
「仕方ないか……」
「うんうん、仕方ないことなのさっ」
期待に応えることにはやぶさかじゃない。期待に応えることに疲れてしまった僕だけど、これくらいの期待になら、今の僕でも、いや、今の僕だからこそ応えることができる。
ギプスの届かない指先で水城さんの頬に触れる。柔らかい女の子の肌から温もりが伝わってくる。両掌で顔を包みこんで、僕は彼女を引き寄せる。
「じゃあ言ってあげる。
僕はさ、悠の事がね」
僕は生きていたい。僕一人じゃなくて、彼女と一緒にずっと生きていたい。悠にずっとそばにいて欲しくて、僕を理解して欲しくて僕も彼女を知っていきたい。喧嘩もするだろう、そばにいたくないと思ってしまう時もあるだろう。それでも最期には彼女と一緒にいたい。陳腐で使い古された言葉だけど、良い所も悪い所も全部ひっくるめて彼女と生きて、そして死にたい。
だから僕はこう言うんだ。少しでも自分をごまかして、悠を一人にしないために。
「大嫌いだ」
そして僕らはキスをした。
モノクロ潰し 新藤悟 @aveshin
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