家電・オーバースペック!

排水コウ

第1話

 冷蔵庫が壊れたのは、新学期が始まって間もなくのことであった。

 最近まで肌寒かった陽気も、今じゃ制服のシャツのボタンを一つ余計に開けるくらいには暖かく感じていた。


 そんなわけで、照りつける太陽の日差しが日々刻々と増していくこれからの時期に、冷蔵庫が使えなくなるというのは、一人暮らしの高校生には死活問題になりかねない。

 動かなくなった大きな白い箱を前にして、古宮海里こみや かいりは頭を抱えていた。


「どうしようかなあ……」


 そう言って大きくため息をつく。

 彼は今、どうしようもなく途方に暮れていた。


 海里が一人暮らしを始めたのは高校に入学した去年のこと。

 彼が通う高校は、都内近郊の自然に囲まれた中に建つ近代的な建築物である。

 私立高校でありながら、多くの学生が集まり、海里のように地方からやってくる者も少なくない。

 いわゆる、”名門私立学校”というやつだ。

 しかし勉強は人並みに出来ても、日常生活における家事全般はてんで駄目。

 食生活は、去年買ったばかりのガスコンロにうっすらと埃を被っているその横で、コンビニ弁当の空き容器が乱暴にビニール袋に突っ込まれていることからも想像がつくだろう。

 まずは親に連絡すべきだろうか、しかしそれで冷蔵庫が直るわけではない。

 だとすれば修理業者に言えば良いのだろうか。とは言ってもどこに連絡して良いのか分からない。

 海里の家にパソコンはなく、携帯も最低限の通話とメールのみしか出来ないガラケーなので調べることが出来なかった。

 とにかく事態は急を要するものなので、首を四十五度傾けながらも駄目もとで冷蔵庫をあちこち調べる。

 すると側面に手書きのような文字で小さく電話番号らしきものが書かれていることに気付いた。

 海里は迷わずその番号に電話をする。


 そんな出来事があったのが、つい一昨日のこと。

 今日の彼は、気分良く学校帰りにペットボトルのジュース、冷凍食品の入った袋を下げて帰宅した。

 何故なら、あの番号にかけた後、応答したオペレーターに冷蔵庫の事情を話すと、故障したお詫びに無料で”最新”の冷蔵庫を送るというのだ。

 まさに起死回生、圧倒的ピンチの状況が思わぬ好待遇によって一転した。

 冷蔵庫の到着時間はちょうど海里が帰宅する時間にお願いしたので、もう間もなくお目にかかれる頃だ。

 まだ見ぬ最新の家電をささやかながら楽しみにしていた海里は、到着時間前はなんだか落ち着かない。

 最新の冷蔵庫とはどんなものだろう。きっと日本の高い技術力が詰まった最高に高機能な冷蔵庫に違いないとあれこれ想像に花を咲かせていた。

 冷蔵庫を開けっ放しにしていると音声案内が入ったり、食材を感知してより鮮度を保たせたり、そういう操作をスマホで管理出来たりするんだっけ? スマホ持ってないけど。

 これを機に料理を始めてみるのもいいかもしれない。


 そんな想いを馳せていたのがついさっきのこと。

 今の彼は口をあんぐりと開けて冷蔵庫を直視したまま固まっていた。

 正確には、冷蔵庫と書かれた箱の中から自分と同い年くらいの少女が梱包材を纏って出てきたので、何が起きたのか頭では追いつかず、彼の思考能力は完全に停止していたのだ。


「えっと……君は誰?」


 海里がようやく口から搾り出した言葉がそれだった。


「冷蔵庫だよ」


 少女が初めて口を開いて発した言葉はそれだった。

 思考が追いつかない。自分は今、「君は誰?」(Who Are You?)と、目の前の子に尋ねたはずだ。

 その答えが冷蔵庫、家電製品、もっと言うと”モノ”である。

 女の子はまるで自分がごく当たり前のことしか言っていないかのように、何をそんなに驚いているのだろうという不思議そうな表情でこちらを見つめる。

 どうしよう。とんでもない家電が届いてしまった。


「あのさ、悪戯だったらする相手を間違えているんじゃないかな? もう一度聞くけど、君は誰なのかな?」


「だから、冷蔵庫」


 いよいよ自分の頭を疑い始める海里。パチンと両手で顔を叩き、目を見開いて冷蔵庫と名乗る人型のそれを凝視する。

 肩にかかるくらいのふわっとした栗色の髪、顔立ちはとても綺麗なのにちょっと垂れ目なあたりが美人すぎずに親しみがもてる。身長は同年代の子としては平均的で、胸元のふくらみを見れば、梱包材が余分に詰められているわけではなく、どうやら本物のようだ。

 うん。可愛い。

 けれども問題はそこじゃない。

 冷静になって導き出した答えを海里は口にする。


「冷蔵庫じゃないよね。人だよね君」


 するとどういうわけか、女の子の顔がぱあっと明るくなる。まるでとっておきの誕生日プレゼントを手渡された子供のように、無邪気な笑顔で箱から飛び出して海里に迫った。


「ほんと!? 人に見える!? わたし!!」


 自分が人に見えるかどうかを尋ねるのはSF映画の人間になりたいロボットくらいしか知らなかったもので、まるで異国の地にでも来てしまったのではないかと一瞬思った海里だが、今はそれどころではない。

 冷蔵庫と名乗る女の子がこちらに近づいてくるので、思わず後ずさりをする。

 おまけに彼女が海里に近づくたび、体に纏っていた梱包材が剥がれるので目のやり場に困ってしまう。


「だ、だから何なんだよ君は……!! いきなり冷蔵庫とか言ったりして意味が分からないよ!!」


「だから、わたしはこう見えても冷蔵庫なの!! あなたが冷蔵庫欲しいって言ったんでしょ!!」


 恋人が自分にリボンを巻いて”プレゼントはアタシ”と言うなら分かる。ところが見知らぬ女の子が梱包材を巻いて”冷蔵庫はわたし”とか言われるのはシュールを通り越してホラーだ。


「何それ怖い」


「もしかして家電アレルギー?」


「どんなアレルギーだよ!!」


 思わずツッコミを入れてしまった。

 駄目だ、このままでは彼女のペースに飲まれてしまう。

 いくらなんでも人間が冷蔵庫なわけがあってたまるか、本物の冷蔵庫はそのうちきっと届くはず。

 そう信じて疑わない海里は、もういっそのこと彼女を気の済むまで冷蔵庫扱いしてやろうと、さっきコンビニで買ってきたコーラを袋から取り出す。


「君がそんなに冷蔵庫だって言うならこのコーラでも冷やしておいてよ」


 女の子はコーラのペットボトルを受け取ると、おもむろにキャップを開けて飲んだ。


「飲むんかい」


 ため息交じりで力なくつっこむ。


「だって、ずっとダンボールに入っていたんだもん。喉渇いてたんだよ」


 なんて燃費の悪い冷蔵庫だろう。


「もういいよ。それは君にあげる。本当は新しい冷蔵庫で冷やして飲むつもりだったんだけど、すぐに来ないみたいだし」


 海里はまた大きなため息をついて壁にもたれ込んだ。


「冷たいのなら飲むの?」


 女の子は首をかしげて言う。


「そうだね。キンキンに冷えたコーラ、これからの時期はこれに限るよ」


「はい、どうぞ」


 すると彼女はコーラを海里に手渡す。


「いや、だからこれは君にあげるって……って、冷たっ!!」


 手に持ってみると、それはまるでさっきまで冷凍庫に入っていたかのように冷たかった。

 気のせいではない。ペットボトルの周りには、冷たい液体によって冷やされた空気中の水蒸気が水滴となって付着していた。

 一口飲んでみる。女の子との間接キスであったことすら忘れて流し込んだ液体はとても冷たくて、口の中でしゅわしゅわと心地よい泡をたてながら喉を潤す。

 間違いない、コンビニで買ったとき以上にこのコーラは冷たくなっている。


「まさか、これ、君が冷やしたの?」


 女の子は得意げな顔をしてうんうんと頷く。


「じゃあ、君自身が冷蔵庫っていうのは本当なの!?」


 だからさっきからそうだと言っているでしょうと、彼女はやれやれという欧米人みたいなジェスチャーをしてみせた。

 しかし百歩、いや、一万歩譲って彼女が本当に冷蔵庫だとしても、だ。


「冷蔵庫って電気で動くよね? 君は?」


「ご飯を食べます!!」


「中身を冷やすために一日中休むことなく稼動しなきゃいけないと思うんだけど、君は?」


「夜は寝るし、お風呂に入ってリラックスもしたい。あ、昼寝も大好きです!!」


「そして君は”うちの”冷蔵庫として届いた。これはつまり……」


「宜しくお願いします!!」


 絶句した。どうやら本気で冷蔵庫としてうちで生活するつもりらしい。

 何をどう間違えば食事睡眠風呂昼寝が必要な燃費の悪い冷蔵庫を使うことになるというのだろう。

 いや、それ以前に彼女は女の子だ。一人暮らしの男子高校生の家に無防備な姿でお願いしますとはどういう神経をしているのだろう。


「おトイレ借ります!! さっきから我慢してたの!!」


 冷蔵庫なのにトイレにも行くらしい。

 素晴らしい、傑作だ。

 海里は携帯を取り出した。

 ダイヤル先はご親切にとんでもない冷蔵庫を送りつけてくれた家電会社である。

 思えば、最新の冷蔵庫という言葉に何も疑いもせず個人情報を教えてしまった、得体の知れない会社だった。

 数回コールした後に「株式会社 家電リサイタルです」という女性の声がする。


 ”ただより高いものはない”という格言があるように、美味しい話には裏があるのだと身を持って知った海里は、電話の女性が「どのようなご用件でしょうか」と言い終える前に、開口一番こう言った。


「クーリングオフを適用したいのですが」


 電話越しから女性の「ふふっ」という苦笑する声を海里は聞き逃さなかった。


「いやー、お気に召しませんでしたか。うちの”最新の冷蔵庫”は。きっと驚かれると思ったんですけどねえ」


 電話の主は、それまでのマニュアルをただ棒読みするかのような事務的な対応から一転、不自然なほどにゆっくりと抑揚をつけた猫なで声になった。


「そりゃ驚きましたよ。まさか人の形をしているとは思いませんでしたし、今はトイレにいます。さっさと引き取ってください」


 まるで自分が遊ばれているかのように感じた海里はちょっとムキになって言う。


「でも、そう言うってことは彼女が冷蔵庫としての役割を持っていることは認めてるんですよねえ? ならばしばらくお使い続けてみてはいかがです? 以前にお話させて頂いたとおり、古宮様に使用料金を請求することは一切ないですよ?」


「そういう問題じゃないです!! だいたい一人暮らしの男の家に女の子を送り込むだなんて、青少年保護育成条例に違反していると思いますよ!?」


「まあまあ、ずいぶんとお若いのに、難しい言葉を知っているんですねえ。背伸びする年下の男の子って、お姉さんとっても好きだわあ」


 電話の女性はますます海里に対して馴れ馴れしくなっていく。


「いいから、さっさと迎えに来てやってください!! うちは冷蔵庫と一緒に住めませんので!!」


 海里の頑なに受け入れない態度に、女性も折れたのか「それじゃあ明日にお伺いしますね」とだけ言い残して電話を切った。

 まったくどうかしているよと誰に言うわけでもなくため息交じりに愚痴ると、背後には冷蔵庫の女の子が立っていた。


「どうかしたの?」


 女の子は心配そうにこちらを見つめる。


「どうもしないよ。ちゃんと君が帰れるように迎えを呼んだんだ。明日になるみたいだけど」


「そう……」


 彼女は伏せ目がちでちいさく呟いた。

 つい先ほどの目を輝かせた顔はどこへやら、彼女の表情の落差にさすがに慌てる。


「いや、だってさ、さすがに一緒に住めるわけないじゃないか!! ほら、僕は男だし、いきなり二人で暮らすだなんてさ」


「うん。大丈夫。分かっているから」


 そう言って彼女は笑顔を見せた。

 その表情にちょっとドキッとしてしまう。

 多分無理して作った笑顔なのだろうけど、それでも魅力的で、ごく一般的な世の男子であれば、彼女を一人の女性として意識せずにはいられなかった。

 やっぱり駄目だ。一瞬、彼女を家に置いておくことも考えたが、聖人君主でもない自分がいつ手を出すか分からない。

 何より自分の通う学校は都内屈指の偏差値を誇る、世間体やキャリアを人一倍気にする人間の集う場所。

 そんな風紀の乱れも許さないところで女性と二人暮らしをしていることがバレれば退学だってありうる。

 だから、いくら彼女が”冷蔵庫機能”を備えていようとも、それを理由に置いてやることは海里にはできなかったのだ。

 とは言っても、一応明日までは預からなくてはいけないので、せめて今日くらいは冷蔵庫としてではなく客人として迎え入れてあげようと気持ちを切り替える。


「そういえば、まだ名前聞いてなかったね。あ、僕は古宮海里。苗字だと他所他所しいんで、普通に名前で呼んでくれて構わないよ。君は?」


「わたし、冷蔵庫」


 それはもう聞いたよと苦笑い。


「えーと、家電の種類を聞いているんじゃなくて、君自信につけられた名前ね」


「あー型番のこと? それなら確かR-64……」


「ちょっと待って。待って」


 前提からおかしい。


「もしかして名前を言うのはルール違反とか、そういう類の決まりごとが君を運んできた会社の人に言われているとか?」


「わたしにヒトの名前なんてないよ。当たり前じゃん。冷蔵庫だもん。電子レンジに”伝次郎”なんて名前つけて呼ばないでしょ」


 確かにそうだ。

 いや、絶対におかしい。

 一瞬だけ納得しそうになった海里だが、どう見ても人間の姿をしているのに、名前がないというのはどうにも違和感がある。 

 とはいえ、引き取ってしまった以上、明日までは面倒を見なくてはいけない。


 


 ……そんなこんなで次の日、学校の教室で机を枕にして眠りについていた海里。

 だが、その睡眠はそう長くは続かなかった。


「なあおい、昨日ついに”オルゴデミライス”倒したぜ!! いやーようやくって感じかな。やっぱドラクエは面白いわ」


 そう言って、ぽんぽんと海里の頭を叩きながら話しかける一人のクラスメート。


「……うーん……タケル? 悪いけど僕の体は今、全力で睡眠を欲しているんだ。邪魔しないでくれ」


 海里は顔もあげずにそう言うと、タケルと呼ばれた青年は手前の席に座り、今度はチョップをしながら話しかける。


「お前が睡眠不足なんて珍しいな。すぐそこのアパートに住んでいるんだろ? ギリギリまで寝てられるじゃん。俺なんか片道一時間半もかけて通っているから朝はすごく早いんだぞ?! あ、もしかして家で眠るに眠れぬ事情があったのか!?」


 この学校へ入学して以来の友人は異様に勘が鋭い。

 彼のその言葉にぴくっと反応する海里。その動作を見逃さなかったタケルは、もしやと思い、ニヤニヤしながら耳元でこうささやく。


「お前が勉強で徹夜するわけないし、最近のゲームに疎いお前が朝までゲームをやりこむとは思えない。……女か?」


 ガタっと机の音を立てて飛び起きる海里。


「そ、そんなわけないじゃないか!! お、女だなんて!!」


「……ほんとに分かりやすいなお前」


 今の一言で、眠気がふっとんだ海里は、仕方なく昨日の出来事をタケルに話すことにした。


「冷蔵庫が来たんだ。昨日」


「そういや、こないだぶっ壊れたとか言ってたな」


「彼女は冷蔵庫なのに僕が渡したコーラを飲んだんだ」


「……冷蔵庫の話だよな?」


「冷蔵庫の話だよ。おまけにその後、僕と冷凍食品を食べて、寝るときは体が冷えるからって言ってきて僕の隣で寝たんだ」


「……冷蔵庫の話だよな?」


「眠れるわけないよね!! 同じベットで!! 僕、男だよ!? 相手はそう思ってなくても眠れるわけないよね!?」

 しばらくの沈黙。目の前のクラスメートはやや引き気味のようだ。


 そして彼はようやく口を開く。


「……お前は一体何を言っているんだ?」

「だから冷蔵庫の話だってば。彼女は一晩僕と共にしたんだ。今日で帰るはずだけど」

 そこまで言い終えた後に、冷蔵庫を前提にした話を自分がしていたことに気付く。

 冷蔵庫が女の子だったのではなく、正しくは女の子の方が冷蔵庫としての役割を持っている、と、言うべきはずなのに。


「まあ、事情はよく分からないけどすごい冷蔵庫が来たみたいなんだな。日本の技術力は世界トップクラスだし、お前が言うような冷蔵庫があってもおかしくはない世の中なのかもしれん。うん、疑って悪かった」


 変に聞き分けが良い友人は、どうやらそれで納得したようだ。

 きっと、頭で処理しきれない自分の言動に、無理やり納得をして、とりあえずはその話題を逸らそうとしたのだろう。

 不用意に非現実的で意味不明な発言をすることは今後控えたほうがいいかもしれないと反省する海里。


 しかしその反省も杞憂に終わる。

 突然、クラスメート達がざわつきだしたのだ。みんなが向いている方向は一緒で、窓のほうを見ている。 

 一体何事なんだと、海里もタケルも立ち上がって窓の外をみる。

 教室の窓からでもはっきりと目立つ、ドレスのように梱包材を纏った同年代の女の子。

 まさかの冷蔵庫だった。正しくは朝まで海里の隣でぐっすりと可愛い寝顔でふとんで丸くなっていた自称冷蔵庫の女の子である。

 彼女は校門の前で警備員によって行く手を遮られていた。

 そして騒ぎを聞きつけてか、足早に校門へ向かう教員の姿も見える。


「な……!! 昨日はあれだけ家で大人しくしていてって言ったのに!!」


 海里のその様子を見たタケルはすぐに勘付いたようだ。


「なあ海里。……もしかして、あれがお前んちの冷蔵庫か?」


 何も言わずとも、その言葉でとった海里のリアクションで「やっぱりな」と彼は言う。

 どうしてあの子が冷蔵庫なのかと気付けたのか分からなかったが、もう隠し通すのはもう無駄だろうと、白状をするかのようにため息をつく。


「これでさっきの話、少しは信じてくれる気になった?」


「半分くらいね」


 それにしてもなんだろう、この違和感。

 周りはみんな「なんだあれ」とか、「なんだこれ」とか、まるで彼女がモノであるかのような言い方であった。

 実際、彼女は冷蔵庫だと言い張るわけだし、その言葉を鵜呑みにすれば何もおかしくはないのだが、それでも姿形はヒトなわけで、やっぱりモノ扱いするのはおかしな話だ。


 しかしそんな疑問も忘れるくらい、次に災難が降りかかるのは、それから間もなくして流れる校内放送を聞いてからだった。『二年三組、古宮海里君、至急職員室まで来てください』

 やはり呼ばれる羽目になったかと、自分へ一極集中する周りからの視線を感じつつも教室を出る。


「私物はちゃんと家に置いてこないと駄目だろ」と、悪友は笑いながら言うのを背中で聞き流して、職員室へと足を向けた。


「聞いたことがありません!! 冷蔵庫が学校へ侵入しようとするだなんて!!」


 担任の夏川妃なつかわ きさき先生(三十二歳、独身)は年齢から二十引いてもお釣りがくるんじゃないかという見た目と容姿で海里を叱咤する。

 僕も聞いたことがありませんと海里。

 それでも夏川は気が済まないようで、頬を膨らませてぷりぷりとしている。その様子は、まるで教室掃除をサボる男子生徒に注意をする仕切り屋な女子生徒のようで、なんだか怒られることが恥ずかしくなってくる。

 それでも真剣な表情で本人は怒っているつもりだから、こちらも真剣に聞いているフリをしなきゃと精一杯で、彼女の説教は全く耳に入ってこなかった。

 むしろ、そもそも勝手に学校までやってきた冷蔵庫が悪いのに、自分が職員室に呼ばれるのはなんだか理不尽極まりない。


「まあまあ、夏川先生、さすがに彼を責めるのは少し酷じゃないですか?」


 そう言って彼女をなだめようとしてやってきた校長。

 彼は長身で後ろ髪を束ねた長い白髪が印象的な、この学校の権力者として相応しい井出達をしていながら、夏川には強く注意することが出来ない。


「パパは黙ってて!! これはうちのクラスの問題なんだから!!」


「ここでは”校長”と呼びなさいと何度も言ってるでしょう。それから夏川先生、いつも家でも言ってますが、服装はもう少し生徒からも見られていることも考えて選んでください。そんなひらひらのワンピースを着て、生徒がいつ色目で見てくるかとか、そういう部分も意識して……」


「あーもう!! 今日はちょっと暑いんだからいいじゃない。服装は見た目よりも機能性を重視してるの!! 教員として当然のことでしょ!!」


 ……などと、職員室で堂々と親子喧嘩をするものだから、海里はこの名門高校の将来は一体どうなってしまうのかと憂いてため息をつく。

 しかし今はそんなことをのんきに考えている場合ではない。肝心の”冷蔵庫”の姿が見当たらないのだ。


「あの、ところでうちの冷蔵庫は今どこにいるんでしょう?」


 ふたりの親子喧嘩を遮るようにして海里は質問する。


「それならここです!!」


 夏川はそう言って自分が座っていた椅子を引いて机の下を指差す。

 海里が覗くと、そこには体育館座りをしている自称”冷蔵庫”がいた。海里の姿を捉えると、彼女は右手を突き出し、「よっ」と言う。

「……どうして学校まで来たの?」


 細かいことはとりあえず後回しにして、まずは理由を尋ねてみる。


「追われているの」


「誰に?」


「なんか廃品回収っぽい会社の人に」


「なんで?」


「よくわかんないけど、”大人しく回収されろ”って。だから回収されてもいいのかどうか分からないから海里に聞かなきゃと思って」


 それでわざわざ学校まで来たのかなるほど、と納得することが当然出来るはずもなく、校長と夏川に机の下に潜り込むまでの経緯を聞く。


「経緯も何も、今冷蔵庫が言った通り、今すぐに古宮君に会って話があると聞かなくてね。それまで自分は捕まるわけにはいかないからかくまってくれというものだから、とりあえず職員室に来てもらったんだよ」


と校長。


「おかげで私の足が冷たいんですからね」


と夏川。


「その廃品回収の会社って、君の会社とは違うのかい?」


「多分違う」


 ますますわけが分からない。

 何故彼女が廃品回収などされるというのだろう。家電以前に彼女は人間のはずなのに。

 それ以前に、校長と担任が彼女が自分の所有物であることに疑問を持たないこともまた疑問であったが。


「どうかされたんですか?」


 すると一人の女子生徒が海里達に声をかけた。

 くりっとした大きな目を不思議そうにぱちくりさせ、こちらに顔を近づける。


「椎名さん、今は大事な話中ですから、後にしてください」


「えー、先生に言われてたクラスの提出用プリント持って来たんだけどなあ」


 椎名と呼ばれた子はわざとらしく口を尖らせて不満だと言う表情をする。しかし机の下にいる体育館座りをする冷蔵庫に気付くのはそれからわずか数秒後のことであった。


「あー!! どうしたんです!? この子!! かわいー!!」


 椎名は机の前でしゃがみこんで冷蔵庫と目線を合わせた。


「あなたはなんて名前なのかな?」


「……冷蔵庫」


「そっかーやっぱり冷蔵庫かー!! 私は椎名乃絵しいな のえ、よろしくね!!」


 冷蔵庫という名前に動じることのない椎名はニコニコしながらそう言って話しかけていた。


「で、夏川センセ。この子はどうするの?」


「どうするって、そりゃあ持ち主である古宮君に今後の私物管理について要注意をした後、返却しますが……」


 椎名はふむふむ、と頷くと今度は校長の方を向く。


「校長センセ、この子がうちの学校に入りたいって言ってますけど、よろしいでしょうか!?」


 どうすればそう聞こえるのだろう。ここにいる誰もがそんな発言を聞いた覚えがないというのに。


「うーん、そうは言ってもねえ……」


 さすがにそれは難しいだろうと、とびきりの笑顔を振りまく女子生徒を前に苦笑いを浮かべる校長。

 冷蔵庫自身も、そんなことを言われて少し驚いているようだった。


「聞いたことがありません!! 冷蔵庫が学校に通うだなんて!!」


 当然、我らが担任も突拍子もない椎名の個人的要望に憤慨する。

 そりゃあ僕だってそんな冷蔵庫聞いたことありませんと、海里も心の中で同調する。


「別にいいじゃないですか。学校の規則に冷蔵庫が入学しちゃ駄目なんてどこにも書いてありませんよね?」 


 書いてある学校があってたまるかと、夏川はぷっくりと膨らませた頬をさらに膨らませて、怒った表情を崩さない。


「椎名さん、大人をからかわないでください!! そんなの無理に決まっています!!」


「まあまあ、入学はともかく、せっかく来てもらったんだし、今日くらいは学校見学を特別に許可しましょう」


 一方の校長はささいなことは気にしないようだ。

 以外にも、冷蔵庫が学内を歩き回ることを許可したのだ。

 当然、夏川は納得がいかずに抗議をするが、学校の権力者たる神の一声は以降、覆ることはなかった。


「助かったよ椎名。ありがとう」


 教室に戻り、ひとまず夏川の説教をかわすことができたので、海里は椎名にお礼を言う。


「別にお礼を言われるほどのことはしてないよ。楽しそうだったから、ちょっと言ってみただけ」


 椎名は嬉々とした表情で、教室の一番後ろの席でちょこんとパイプ椅子に座る冷蔵庫に手を振りながら言う。彼女の周りには人だかりができていた。

 クラスメート達は物珍しそうに冷蔵庫を見て、声をかけたり頭を撫でたりしている。冷蔵庫もまんざらでない表情で、時々海里の方をちらっと見ては小さく手を振った。


「ずいぶんと人気者だな、お前んちの家電は」


 海里に手を振る自称家電少女を横目で見ながらタケルが声をかける。

 彼を含め、クラスのほとんどが冷蔵庫少女を不思議そうに見ていた。


「ところで海里、お前あんなに冷蔵庫に好かれているのに名前もつけてやってないのか?」


「名前だって?」


「主に会うため学校までやってきた健気な家電に、名前をつけてやってもバチは当たらないだろ?」


 タケルはニヤニヤしながらそんなことを言うものだから、海里はからかわれていると思って反論する。


「君は電子レンジに”伝次郎”なんて名前をつけないだろ?」


 そりゃあそうだけどさ、とついに笑いを堪えきれなくなったタケルは腹を押さえて発作のように笑い、むせた。


「いいじゃないか、名前。つけてあげなよ」


 椎名までもがそんなことを言う。しかも彼女の表情はいたってまじめだった。

 冷蔵庫に負けず劣らず、この子もまた非常に整った顔立ちをしているもので、吸い込まれそうな大きな瞳を顔に近づけられると、いつも海里は目を背けてしまう。


「うーん、そうはいってもなあ……」


「ちゃんと女の子らしく可愛い名前にしようね」


 気付けば名前をつけるかどうかではなく、どんな名前をつえるべきかどうかを検討すべき段階に入っていた。

 椎名は続ける。


「古宮君、君には本当に彼女が”ただの家電”にしか見えていないのかい?」


「……どういうこと?」


「例えば、周りの人と自分とでは彼女という存在の感じ方が違うとか、そういうことを思ったりしないのかなって」


 そう言われてみれば、確かにその違和感はあるかもしれない。

 タケルなんかがまさに顕著だ。冷蔵庫少女をまるで人扱いしていないようにも見える。

 自分はどうだろうか。

 あの少女を初めて見たときは、”自称家電”であることに大いなる疑問を持っていたはずなのに、今では彼女は冷蔵庫であると思い込もうとしている自分に気付く。


「ねえ椎名、君にはあの子がどう見えているの?」


 そう言おうとしたはずなのに、タケルがその会話を遮ってしつこく名前は何にするんだと迫ってくるので、海里はヤケクソで命名した。

「あーもう、うるさいな。じゃあレイコ、冷蔵庫のレイコ」


 タケルはよりいっそう激しい発作を起こしたかのように笑い、海里の背中をバンバン叩きながらむせこんだ。


「センスなさすぎだろお前!! 直球すぎて逆に引くわ」


 椎名も難しそうな表情を作ってうーん、と首を傾ける。


「別になんだっていいじゃないか。どうせ今日しかいないんだし。この後、もう引き取ってもらうことになってるんだ」


「え!? 今日しかいないの!? ……それはすごく残念だなあ」


 喜怒哀楽の表情をはっきりと顔に出すタイプの椎名は、海里のその言葉に酷く落胆しているようだった。


「僕は普通にものが冷やせるだけのタイプの冷蔵庫が欲しいんだ。学校まで着いてくるような機能はいらないよ」


 冷蔵庫を見据えながら海里は言う。

 すると、こちらの声が聞こえていたかのように、彼女は海里から目を逸らした。


「ほーら、あの子も悲しがってるよ? せっかく自分の主が決まったのに、余計な機能があるからいらないなんて言うのは可哀想だよ」


 果たしてそういう問題なのだろうかと海里。

 ところで、どうして彼女は学校まで来たんだっけと改めて考える。

 廃品回収っぽい会社の人に追われているとかそんな話だったような。


 しかしその疑問はこの後すぐに解消されることになる。

 突然教室に、いや、校内にスピーカー越しに人の声が響き渡ったのだ。


『あー、我々は花伝リリース株式会社の者である。えー、この学校に迷い込んだ自称”冷蔵庫”と名乗る少女と、その持ち主だとされる少年に話がある。至急私のところに来るように』


 凛とした女性の声だった。少し歯切れの悪い喋り方のようにも思えたが、間違いなくここで呼ばれているのは自分達のことだということは分かった。


「今日はエラく人気ものだな、海里」


 タケルは、何かと話題になる友人に同情の言葉をむける。

 厳密には自分じゃなくて自称冷蔵庫に対してだけどね、と返す海里。


「これ、さっきの廃品回収の人だ」


 どうやら声の主こそが冷蔵庫を回収しようとした張本人らしい。

 しかしいくらなんでも彼女をモノ扱いするにしても廃品回収はやりすぎだ。仮に周りの人間が彼女をヒトとしてではなく、モノとして認識しているとしても、自分には人間の女の子に見えている以上、彼女を他に引き渡すことを素直に応じられるわけがない。

「ねえ海里。わたし、やっぱり回収された方がいいのかな? どうせ今日返品されるんでしょ? だったら海里にも、会社の人にも迷惑かからないように廃品回収されたほうがいいのも」

 そんなことを、彼女は平然と言ってのけた。

 少なくとも海里から見て、倫理感に反した行動をとろうとする人達に対して、彼女もまたそれを自然に受け入れようとする姿が苦しく思えた。


「なんだよそれ……」


 いいわけがない。いいはずがない。

 周りに迷惑をかけるをから回収されたほうがいいだって?

 それじゃあまるで回りに迷惑ばかりかけ続ける自分は死んだ方がマシだと言わんばかりじゃないか。

 そんなこと、たとえアカの他人であっても見過ごせるわけがない。

 だから海里には一つだけ確認しておきたいことがあった。


「タケル!! 君は冷蔵庫のこと、やっぱり冷蔵庫だと思う!?」


 こんなときにいきなり何を言い出すんだと、海里の質問の意図が掴めず、ぽかんと口をあけるタケル。

 そりゃあそうなるだろう。これは自分自身の問題なのだから。


「いや……そんな当たり前のこといきなり言われても……だって冷蔵庫は冷蔵庫だろ?」


 親友の言うことは想像通りすぎた。

 だからこそ、すでに作っておいた拳に力を込める。


「ごめん!! 多分君が悪いわけじゃないのかもしれない!! でも、やっぱり許せないや!! 本当にゴメン!! 一発殴らせて!!」


「へ!? は!? え、ちょ、何言ってグバッ……」


 タケルの顔面に綺麗な右ストレートが決まる。

 力は一応加減したつもりだ。しかしあまりに唐突な出来事に、高校入学以来の親友からもらう不意をついた理不尽な一撃は、相手をノックダウンさせるに値する破壊力を持っていた。


「あらら。なかなか酷いことするね」


 床に倒れこむ無防備な友人見ていた椎名はなぜか冷静にそんなことを言うが、海里は気にも止める様子なく、自称冷蔵庫の少女の肩を掴む。


「絶対に。絶対に君を回収なんかさせない。君が冷蔵庫だろうとなんだろうと、モノ扱いするやつは許さない。君は冷蔵庫なんかじゃない!! 人間だ!! 人間の女の子なんだ!!」


 彼女は目元にじんわりと涙を浮かべながら小さな声で「ありがとう」と呟いた。


「それで、これからどうするのかな?」


 椎名はそう尋ねる。答えは一つ。


「決まってるよ。廃品回収は断固してさせないって抗議してくる」


 人が変わったかのようにやる気を出した海里は迷いなくそう言った。


「うーん、でもどうやって? 相手がどこにいるのか分からないよ?」


 確かに椎名の言うとおり、声の主がどこで音声を流しているのか分からない。

 まるで超巨大な拡声器でも使って音を出しているんじゃないかと思えるほどに大きな音だったので、音のする方向さえ分からなかった。


『えー、応答がないので繰り返す。自称”冷蔵庫”と名乗る少女と、その持ち主だとされる少年は至急、私の元へくるように……さもなくば……』


「さもなくば……?」


 固唾を呑んで次の言葉を待つ海里達。


「私から直々に会いに行く」


 するとガラガラと教室のドアが開く。

 そう言って現れたのは、着崩したリクルートスーツを纏った、気だるそうな表情を浮かべた女性だった。

 女性にしてはやや長身で、肩まで伸びる黒髪がとても似合っているが、よく見ればあまり手入れが行き届いていないのか、毛先があちこちの方向を向いていた。

 教室の生徒達は呆然としながらその女性を見つめていたが、彼女は全く気にも止める様子なくこちらへと近づいてくる。


「……もしかして、さっきの大きな声はあなたのものですか?」


 恐る恐る海里はたずねる。


「ああ、まあ、そうだが」


 頭をポリポリとかきながら女性は答える。


「この子を回収するとか言ってたけど、本当なんですか?」


「まあ、そのつもりでここまできたわけなんだが」


 答えるのもめんどくさいと言わんばかりに大きくあくびをしながら彼女は言う。


「あなた達の目的が僕には分かりませんが、とにかく帰ってください。この子は渡しません」


 海里は毅然とした態度できっぱりと拒否をした。

 椎名も、冷蔵庫少女を自分の後ろにかくまって、渡すつもりはないという態度を見せた。


「あー、えーと……それはなあ、非常に困るんだ。その子は特に」


 歯切れ悪くリクルートスーツの女性は冷蔵庫の方を見て言う。


「私達の目的は、あー、めんどくさいからいいや。とにかく回収させてもらうよ」


 彼女がそう言った瞬間、教室中に言葉では形容しがたい轟音が響き渡る。

 まるでこの場に巨大スピーカーが置いてあって、その音の振動がこちらにまで伝わってくるような感覚であった。

 教室中がパニックになり、生徒達は一斉に教室のドアから逃げ出す。

 海里も逃げ出そうとするが、体が上手く動かせない。

 教室中に響き渡る轟音は、まるで自分の体に向けて音波を浴びせられているようにも感じる。

 その音に、骨まで振動しているようで、体の間接という間接が上手く動かせないのだ。

 やがてしばらくするとその振動は小さくなる。

 その時には教室内にいたのは海里、椎名、そして冷蔵庫とリクルートスーツの女だけになった。

 どうやら椎名達も逃げられなかったらしい。

 足元を見れば床で眠るタケルの姿もあったが、ここでは動かないので数のうちには入らないだろう。


「どうだ? お寺の鐘の中に入った状態で思いっきり鐘を叩かれたような感覚は」


 そんなことをしたことがなかったけれど、例えるなら確かにそれが一番近いかもしれないと海里は思った。


「私もあんまり手荒なことはしたくないんで、これ以上手荒なマネをさせる前にその子をこちらに引き渡して欲しい」


 彼女の不思議な力は一体どうやって使われているのかさっぱり分からなかったが、そんな得体の知れない力を使って来る以上、何も策もない自分達が敵う相手じゃないというのは身を持って感じていた。


「椎名、この子を連れて今すぐ逃げるんだ。僕がどうにか隙をつくるから、そのあいだに……って、ちょっと!!」


 海里の身を張った作戦説明を見事にスルーし、冷蔵庫少女はリクルートスーツの女の前へとやってくる。


「やめるんだ!! 君がそっちへ行く必要はない!! 回収されちゃうんだぞ!? 何されるかわからないんだよ!?」


 海里の呼びかけにも応じず、彼女は前へと出る。


「来てくれるか? そりゃあ助かる」


 リクルートスーツの女は彼女に手を差し伸べた。


「ねえ海里、わたしは海里の家の冷蔵庫でいてもいいのかな?」


 振り返りながら彼女は言う。


「うちにいたければいてくれていい!! だからそっちへは行っちゃだめだ!!」


 とにかく回収だけは絶対にさせまいと必死で説得をする。

 すると彼女はニッコリと微笑んだ。

 やめてくれ。それじゃあまるで最後の別れを言うようなフラグみたいじゃないか。

 と、海里が思った次に彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。


「ありがとう。わたし、戦う」


「え?」


 今確かに戦うという言葉が彼女の口から聞こえたような。

 それは聞き違いではないのかと一瞬脳裏をよぎるが、さらにこんなことを言う。


「急速冷凍開始、扉解放」


 それからほんの数秒後、あたりは異様なほど寒くなる。

 吐く息は白くなり、手足の先が痛くなる。

 真冬でもこんなに寒くないだろうという異常現象だ。

 まさかこれがあの冷蔵庫少女の持つ本来の力なのだろうか。

 しかしそれしか考えつかない。一瞬で手に持った飲み物を冷やせるならこれくらいの力を持っていたとしても不思議ではない。

 そしてよく見れば、彼女の目は緑色に光っていた。

 それはまるで、電源の付いた家電がスイッチをオンにしたときのランプのようでもあった。


「さ……寒い……」


 とは言っても、今はとてもそんなことに関心しているような状態ではなく、体をガタガタ言わせながら海里と椎名はその場にしゃがみこむ。

 それはリクルートスーツの女も一緒で、もの凄く寒そうに体をさする。


「さあ!! ここから出て行かないとあなたを氷づけにしちゃいます!!」


 腰に手を当て、得意げな表情で彼女は言う。


「いや……その前に君の仲間達が先にこおりづけになりそうだがいいのか?」


 リクルートスーツの女はガタガタ震える手で指差す。


「あー!! 海里!! 死んじゃだめ!!」


 寒さのあまり、今にも倒れそうな海里の元に彼女は駆け寄る。


「……ああ……が、が、が……」


 急激に気温を下げた張本人が近くに寄ってくればさらに寒いわけで、海里は言葉にならない声で「助けて」と言う。


「海里!! 寝ちゃだめだよ!? 死んじゃうよ!?」


 足元にはすでに寝ていたタケルがいることにも気付かず、海里の体を揺さぶるが、そのたびに彼の症状は悪くなっていった。


「はいどうも!! 華電リサイタル営業一課、華電アドバイザーの姫ノ内朱音(ひめのうち あかね)でーす!! はい、名刺」


 海里の意識がもうろうとする中、気がつけば冷蔵庫少女の隣にはもう一人の女性がいた。不思議と聞き覚えのある声だった。

 彼女は暖かそうな毛皮のコートを羽織り、耳当てに手袋までしていた。


「あ……が、が、が……え、…ン…」


 こんなときに名刺を渡す非常識なあなたは誰ですかとたずねる。(すくなくとも本人はそういったつもり)

 すると「冷蔵庫についてのご契約の話で参りました」と彼女は言う。


「リ……リサイタルの社員か。大事な自社の商品を守りにきたつもりか?」


 リクルートスーツの女はガタガタと震えながら言う。


「それはもちろんのことですが、今日はたまたまご契約の相談にきただけなんですよねえ。あ、もしやあなたは花伝リリースの第一情報システムエンジニアリング統括部長の黒ヶ咲伊佐美(くろがさき いさみ)さんですね? 噂はいろいろ聞いておりますよー!!」


 黒ヶ咲と呼ばれたリクルートスーツの女性は歯をガチガチ言わせながら「それはどうも」と一言。 

 姫ノ内はさらに続ける。


「あなたは……いえ、あなたの力は確か”スピーカー”。身の回りの音を電気信号に変換させ、それを物理振動として放出する。さらに音の周波数を調整することができ、あらゆる物質にあわせて”共鳴”を引き起こして対象物を破壊する力をお持ちなんだとか」


「……ああ、わざわざ紹介どうも。説明するのめんどいからな。寒いし」


「いえいえ、それほどでもー」


 人懐っこいような言葉遣いで彼女は営業スマイルを振りまいた。しかし笑顔を作っているのは口元だけで、彼女の目は笑っていない。


「ところで、うちの大切な商材に手を出そうとするとは関心しないですねえ。申し訳ございませんが、今日のところはお引取り願えますか? でないと、私も上の人間を呼ばないといけなくなるんですよー。 さすがに学校一つ炎上させるわけにもいかないので、お互いのためにお願いします」


 上の人間を呼んだだけで学校が燃えるという意味が分からないが、それでも何かに納得したかのようにリクルートスーツの女は「そうか」とうなずくと、腰を曲げながら教室から出て行く。

 出て行く前にもう一度こちらを二度見をして、何かを言いたげだったが、「めんどくさいからいいか」とだけポツリと呟き、その場を去った。


「やったよ海里!! わたし、敵倒した!!」


「……」


 誰のおかげかと言えば、それはここにいる得体の知れない会社で得体の知れない営業活動をしているという防寒準備万全の女の人なのだろうが、ひとまずこの寒さをどうにかしてくれと、寒さのあまり喋れなくなった口元をガチガチさせながら目で訴えた。


「あ!! 寒かったよね!! ごめんごめん!! 今扉しめるから!!」


 この子のどこに冷蔵庫の扉がついているんだと心でツッコミをいれる。


「さて、思わぬ邪魔が入りこんでしまいましたが……おっと、そんなことよりも、例の冷蔵庫の契約についてでした!!」


 姫ノ内は寒さですっかりと弱りきった海里を気にする様子もなく話をする。


「とりあえずここだといろいろ迷惑がかかりそうなので、一度場所を移しましょうか。ささ、行きましょう!!」

 

 こうして海里達は姫ノ内に言われるがままに教室を出た。

 これから一体自分達はどうなってしまうのかと、思わぬ災厄を呼び込んだ冷蔵庫を見る。とは言っても、それは彼女自身が悪いわけではないのだ。

 だとしたら、もしかしたら自分が今日感じた苦労以上に彼女は何か問題を抱えているのかもしれない。

 そう思うと尚のこと、この自称冷蔵庫さんを放っておけるはずがない。

 この子とはもうしばらく一緒にいることになりそうだ。


日枝ひえ……」


 海里は呟くと冷蔵庫少女はこちらに顔を覗かせた。


「なんか言った?」


「今日から君の名前は日枝にしよう。冷たいから、日枝」


 その言葉に、彼女は目を輝かせた。


「うん!! わたし、日枝!!」


 そして嬉しそうに自分の名前を連呼する日枝。


「よかったね。名前決まって。 うんうん、可愛いと思う。よろしく、日枝ちゃん」


 椎名もその名前が気に入ったようだった。


「海里!! ありがとう!!」


 日枝はそう言って海里の手をぎゅうっと握る。

 氷のように冷たい手だったけれども、今はその手を振りほどくまいと握り返した。

 


ー完ー



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家電・オーバースペック! 排水コウ @haisuikou

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