第5話
周囲は真っ暗で、何も見えない。
近くで、声が聞こえた。女の子のすすり泣く声だとすぐに気付く。
辺りを見回すと、少し離れたところで栗色の髪をした小さい女の子がうずくまっているのが見えた。闇に包まれているはずなのに、少女の姿だけはっきりと見ることができる。
どうしてこんなところで泣いているのだろう。
私はゆっくりした足取りで少女に近付いた。
「どうしたの?」
少女に声を掛ける。すると、少女はぴたりと泣くのをやめた。
「……ノ……ダ……」
少女のものとは思えない、低い声が響く。何を言ったのかはっきり聞き取ることができなかった。
「なんて、言ったの?」
聞かなきゃいいのに、聞いてしまう。
普通ではない状況なのに、頭の中は冷静だった。心臓の鼓動はまるで止まってしまったかのように落ち着いている。
「……マ……ノ……イダ……」
少女はまた低い声で言う。
そして、ばっと顔を上げた。
「っ……!」
目が、なかった。
眼球があったであろうところには丸い穴が空いていて、その穴からは赤黒い血が涙のように流れている。
少女は恐ろしい形相で私に掴みかかってきた。たまらずその場に倒れこんでしまう。
「やめてっ……!」
私は必死で抵抗した。だが、少女の力は恐ろしいほど強く、振りほどけない。少女は私の首に手を掛け力を込めた。少女の目から滴る血がぼたぼたと私の頬を濡らす。
「お前の所為だ」
確かに、はっきりと少女はそう言った。
私のせい? なんのこと。
言おうとしたが、首を絞められているせいで私の喉は言葉を吐き出すことが出来なかった。
少女の爪が皮膚に食い込み、痛みと苦しみが私を襲う。どうにか引き剥がそうと、私は力任せにその場で暴れた。
がつんと右手に何かが当たる。直感で、さっき落としたランタンだ、と思った。
私はランタンを引っ掴み、そのままの勢いで少女の横っ面に向かって思いっきり殴りつけた。
「アア……!」
呻き声と共に、首を圧迫していた力が消える。痛みにもがく少女を蹴飛ばし、転がるように後退する。
「げほっ、げほっ……!」
まだ首には圧迫感が残っていた。立ち上がる気力はなく、座り込んだまま少女を睨みつける。
苦しそうにしながらも、少女は私の方に首を向けた。ゴキリ、と首の骨が鳴る。空っぽの穴からはだくだくと血の涙が滴り落ちていて、既に足元には血だまりができていた。
ゆらりと少女が私に近付く。
私は座ったまま後ろに下がった。
「来ないで……!」
また一歩、少女との距離が縮まる。
「オマエノ……セイダ……」
じりじりと距離が詰まっていく。
「来ないでっ……」
少女はもう目の前にいる。血で真っ赤に染まったスカートが揺れた。
「お前の所為だ!」
「っ、いやっ!」
その瞬間、ふっと意識が途絶えた。
私は、自分が叫んだ声で目を覚ました。全身が汗でぐっしょり濡れている。
先ほどまでの暗闇はそこにはなく、燭台の灯があるお陰で周りに何があるか視認できる程度には明るくなっていた。
飛び起きて周囲を見る。
少女はどこにもいなかった。
壊れたランタンだけがぽつんと落ちている。
あれは何だったのだろう。夢にしては、いやにリアルだ。首を絞められた生々しい感触だって思い出せる。
仮にあれが現実だったとして、私はどうしてあんな訳のわからない女の子に出会ってしまったのだろうか。恐ろしい顔をしていた上に、私のことを異常なほど憎んでいた。見知らぬ女の子にあれほどの憎悪を向けられるような覚えなんてもちろんない。だったら、やっぱり夢なのかもしれない。
そもそも、私は何をしていたんだっけ。確か無限階段とやらに迷いこんで、出口は穴の下だと結論づけて、シャドウに落としてとお願いして……。
ああそうだ。シャドウに落とされたんだった。
はっとして後ろを振り返る。
しかしシャドウはいなかった。人のことを落とすだけ落としておいて、自分は来ないつもりなのだろうか。
「待ってても仕方ないか……」
変な夢を見たせいで目的を忘れかけていたが、私は厨房に行くためにわざわざこんなところまで来たのだ。シャドウだったら、来るなら後からでも来るだろうし、先に厨房を探してみよう。
そう決めて、私は立ち上がった。
首にちくりと痛みが走る。
「……?」
指先で首を触ると、血がついていた。
夢で少女に首を絞められた時、爪が皮膚に食い込んでいたのを思い出す。
「じゃあやっぱり……」
あれは、夢じゃなかったのか。
それならあの子は誰で、どうして私を殺そうとするほど憎んでいたの?
この屋敷に来てから、わからないことだらけだ。
きっと今考えても答えは見つからない。
自分にそう言い聞かせ、私は歩き始めた。
怪物の棲む屋敷 雨宮れん @amemiya
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