●私と俺のヘルマート(改装期)○ Ⅲ

 元々、ヘルマート親会社に入りたくて、その有名な子会社を勉強の一環で知りたくて入った。親会社に内定をもらうための通過点だった。


 だけど、ヘルマートで社会の縮図を見た。苦しんでいる人、追い詰められた人達を見た。社会は、不器用で適応できない人達に社会的弱者というレッテルを貼る。大きな失敗をした人達や逃げた人達に負け犬というレッテルを貼る。そして、男でも女でも害がなく利用しやすい者はえさとしか見ない。


 社長の言葉は、現実をある一面で捉えていた。

 食い物にするのか、なんとかしたいと思うかだけの違いだ。

 利益になることをするか、利益にならないことをするか。

 会社は利益を求める。それでもヘルマートは今でもそんな彼らに還元しているんだから、社会に貢献しているじゃないかと胸を張るかもしれない。


 い〜や、足りないし、心意気がなってない。

 俺はコンビニを本当の意味で世の光にしたい。世の中は資本主義なんだからどうしても一部の勝ち組と呼ばれる人が生まれる。それは仕方がない。だけど、俺は少しでも俺と同じ一般の人達の生活を豊かにしたい。それに貢献していきたい。

 それは、正義感から来る思いだけではなかった。


 勝ち組に入るための道は険しいけど、ルートが見えていて手に入れても満たされない。コンビニが社会に果たす真の役割を模索する道は、道があるのかどうかも分からなくて、一生費やしても開拓できそうになくてワクワクするから。

 ヘルマートで人の苦しみや悲しみ、喜びを知った。本当の自分を見つけた。


 今のように上が下を一方的に搾取さくしゅするシステムを壊す。いつか、平等と言えなくても、頑張れば頑張っただけ報われるシステムを作ってみせる。今日がそのための第一歩だ。

 自然と早足になり、俺は一番端にある非常階段を目指す。社長がいるのは最上階だ。このまま一直線で、


「おいっ!」


 非常階段のドアを目の前という時、後ろから腕をものすごい力で掴まれた。


「てめえ、この間はよくも――!? てめえは誰だ?」


 振り返らずとも声でSVだと分かっていた。振り返った俺の顔を見たSVが目を血走らせる。


「てめえは善人面! なんでてめえがここにいんだぁ!?」


 ああ、予定通りバレたか。さすがに見逃してくれないよなあ。

 SVが拳を振り上げる。ったく、速攻で暴力かよ。

 バタンッ

 後ろからドアが開く音が聞こえて、背後から伸びた腕がすぐ目の前に迫ったSVの拳を掴んだ。SVの目が驚きで見開かれる。


「てめえっ!?」

「善人面、今のうちに」

「ここはよろしくお願いします」


 俺は頭を下げてその横を通り過ぎてドアに向かった。

 後ろでは配達作業衣を着た守護神がSVの前に立ちふさがっていた。


「何でてめえまでっ!?」


 ヘビー級の体格を誇る守護神の前では、SVの暴力もかすんでしまう。


「ここは通さないですよ」


 守護神の背中から立ち上る闘争エネルギーを感じる。メンタルの弱さも克服したようですね。俺はドアをくぐった。


「あっ! 先輩」


 出迎えた配達作業着姿の新入りが、嬉しそうに顔を輝かせた。

 非常階段には他の皆もいた。男喰い、バイトリーダー、天下取り、お坊ちゃん、ドスケベ、アニメオタクが昇った階段の上で俺を見下ろしている。皆、同じ配達作業着を着ていた。


「普通は資格試験の勉強、巨乳はスピーチコンテストがあるから無理とのことです。パチプロは今日は新店のオープン日だから勝負で来れないらしく、留年はまだ戻って来ていません」


 この場にいないメンバーについて新入りが説明してくれる。他にも、若き店長やマネージャー、パートの方達はお店を空けるわけにいかないから来れない。あと、人間嫌いはアイドルを守っていて、アイドルは守られているから来れない。不死鳥がいないことだけ気になった。


「なんか彼女が離してくれないらしいです。あの人は頼りになりません」


 新入りがふくれている。


「いや、あいつは不死鳥だぜ。今までだって何度もクビになるような状況をよみがえって来た。何度でも甦る。だからきっと来る」


 そう言うと、新入り以外は皆が頷いた。あいつ信じられてるじゃないか。


「じゃあ、急ごう。社長がいる最上階まで行かねえと」


 階段を駆け上る。二十階が社長室だ。


「善人面」


 すぐ後ろの天下取りが俺を呼ぶ。


「こうやって忍び込むのに成功したけど、本当に社長を説得できるんですか?」

「説得?」


 俺は振り返らずに切り返す。


「そのために来たんですよね? 俺、ヘルマートが無くなったらどうしたらいいか分かんないから頼みますよ」


 何言ってんだこいつは?


「どうしてそこまでヘルマートなんだ?」

「だって、俺は勉強もスポーツも得意じゃないし……ヘルマートだけが俺を認めてくれたんです!」


 一段昇る度に密室空間にドンドンと音が響く。それが七人分だから相当騒がしい。

 音にかき消されないように少し大声を出した。


「お前は一生懸命じゃないか。それだけでたいていの所で認められるさ。ヘルマートが好きならずっとここにいればいい。だけど、一歩外の世界に出て広さを知った上で、ヘルマートを選ぶならベストだな」


 天下取りは答えなかった。だけど、その沈黙が反発からくるものでないのは空気で伝わる。


「それに今日は別に説得しにきたわけじゃない」

「え?」


 天下取りの疑問の声には答えず俺は上を目指して駆け上り続ける。

 最上階まではあっという間だったけど、ドアの前で止まる。ここから社長室までは警備員がいる。そう簡単には辿り着けない。ポンッと肩に手を置かれた。振り返ると男喰いだった。 そして皆が俺を見ている。


「大丈夫。今は皆いるじゃない」


 そうだ。ケータリングサービスの振りをして皆が忍び込んでくれた。これだけ人数がいればきっと辿り着ける。一対一にさえなれればいける。


「善人面」


 今度はお坊ちゃんが俺を呼んだ。


「なんだよ?」

「ケータリングサービスの振りで実際に配った、飲み物と食べ物の代金ってあなたが出したんですか?」


 今になってなんだその質問は?


「うん。そうだよ」

「百万ぐらいはかかりましたよね? どうしてそこまで?」


 お坊ちゃんが初めて眠い以外の表情を見せている。こいつは親が金持ちで、自分も親の言うことを聞いてそれなりに要領よくやってきた。要領がいいということは合理的だ。無駄な労力は使わない。たかだかアルバイトに必死になることはないし、手を抜くことに罪悪感を抱かない。だって俺はアルバイトだから当たり前という考え。だから今回のことも、どうしてここまでするのか理解できないんだろう。

 それでもこいつがここにいるという事実は、きっとこいつにも響いた何かがあったんだと思う。


「俺は遊びたいことや欲しいものとかたいしてないし、あんまりお金があっても安心しちゃってつまんねえじゃん。必死こいて生きてた方が楽しいからさ。今回はちょうどいい使い道だったのさ」


 お坊ちゃんの表情がこおりついたみたいに固まる。俺はドアに視線を戻した。


「善人面」


 ドスケベが前に出た。

 ここは打ち合わせ通り、ドスケベの力が必要だったが、


「本当にいいのか?」


 ドスケベは大きく頷いた。

 俺はその肩に手を置いて、後ろに下がる。


「お前こそ健全なエロ道を貫く戦士だ。俺はお前を誇りに思う」


 ドスケベが作業衣を脱ぎ捨てていく。新入りが悲鳴をあげそうになるのをなんとか堪える。

 赤だった。

 女性物の赤い下着を着たドスケベが、グラビアアイドル顔負けのポーズをとる。全身無駄毛処理済みだ。 

 ドアノブに手をかけてから、ドスケベは一度振り返る。


「これ、エロ本の付録だったんです」


 俺は満面の笑みで頷いた。

 ドアが勢いよく開けられる。

 警備員達がいっせいにこちらを見た。とっさに人数を確認するとこの階には五人もいた。ここからエレベーターのある真ん中の大きい部屋の前に警備員は二人立っている。

 あそこか。距離にして百メートル。

 ドスケベが先頭を切って駆け出した。

 警備員達は目の前の光景を理解できずに反応が遅れる。


「な、なんだお前は!?」


 一番手前の警備員がやっと正気を取り戻す。ドスケベが抱きついた。


「赤は情熱の色!」


 その横を俺達は駆け抜けて行く。

 あと四人。

 社長室の前の二人の警備員がトランシーバーで応援を呼ぶ。その後ろにいた警備員二人がこちらに向かって来た。


「おい」


 バイトリーダーが前に出る。


「俺だってバイトリーダーなんだぞ! もっと俺を頼れ!」


 そう言って駆け寄って来る二人の内の左側の警備員にタックルした。


「善人面……約束忘れないで下さいよ」

「アニメオタク!?」


 続いて前に出たアニメオタクは右側の警備員にタックルした。


「分かってる。俺がSVになったら、毎年お前にアニメとタイアップしたグッズをプレゼントする。お前の犠牲は忘れない」


 通りすがり、俺は満足そうなアニメオタクの顔を見た。

 これであと二人。

 警備員は棍棒を取り出していた。社長室前で急ブレーキをかける。これはやばいか。


「ほらっ行くわよ」


 男喰いが新入りの腕を掴んで前に出た。二人はスタスタと警備員の元へ歩いて行く。


「あの〜」


 新入りが申し訳なさそうに頭を下げる。


「私達女の子なんです。殴らないで下さいね」

「はあ!?」


 警備員が口をアングリさせた。


「楽しくお話ししませんか?」


 男喰いが警備員の腕を組んでびる。


「今だ!」


 天下取りとお坊ちゃんがそれぞれ左右の警備員にタックルする。警備員二人は床に転倒した。


「よしっ!」


 これで社長室に行ける。ドアの前に着くと俺はドアノブに手を伸ばす。

 ガチャッ

 ドアを開けたのは俺じゃなかった。


「なんだお前達は!?」


 社長室の中から警備員が二人出て来た。

 しまった。まだいたのかよ。どんだけ用心深いんだ?

 胸元を掴まれたかと思うと、ジェットコースターに乗ってるみたいに視界が急激に下がって床に頭がぶつかる。床に引きずり倒されたんだと気づいた時には、もう一人に後ろから腕を掴まれ頭を踏みつけられて、身動きが取れなくなっていた。


「そこを動くな!」


 恐らく男喰いと新入りに言っているんだろう。ダメだ。俺達はしょせんシロウトだ。すぐに他の警備員も仲間を倒してこっちへ来ちまう。ここまでかよ?

 ピンポーン

 エレベーターの到着音だった。警備員が駆けつけたのだろうか。ドアが開いて足音が聞こえて来る。


「お疲れ様です! 彼らが不審者ですか?」

「ああ、そうだ。来てくれたか」

「先輩方すみません! 全体集会場でも暴れている男がいまして、力が強すぎて手に負えません。応援お願いします!」

「何だと!?」


 守護神か。すげえな。

 両腕を抑えられて体を起こされる。見れば他の皆も捕まっていた。


「本部長が危ないんです!」


 エレベーターから出て来た二人の警備員のその言葉に、他の警備員達の顔色が変わった。次期社長と目されている本部長に何かあったら大変だというのと、ここで助ければ大きなボーナスがあるかもしれないという期待の混じった表情に見える。


「と、とりあえずこいつらを連行しないとな!」

「あっ! そいつは自分達が引き受けます」


 応援の警備員二人が俺を掴むと、さっきまで俺を掴んでいた警備員二人はあっさりと手を離した。そして手が空いた警備員二人は我先にとエレベーターに駆け寄る。


「お前ら、そこの女の方も頼むぞ!」

「おいっ! お前達ずるいぞ!」


 残された警備員達が叫んだ。やれやれ。ヘルマートの体質はすげえな。


「なあ、不死鳥」

「まったくだな」


 解放された俺は、今度こそ社長室のノブを掴んだ。

 他の警備員達が我が目を疑う。


「何やってんだ!」


 応援に駆けつけた二人の警備員は、俺の背中を守るようにして立ちふさがる。


「いつから来てたんだよ?」


 二人の警備員が帽子を取る。不死鳥と留年だった。


「留年まで来てたのか!?」

「俺達は最初からいたぜ」


 不死鳥が不適な笑みを浮かべる。


「よく入れたな」


 どうやって受付を通ったんだ?

「ヘルマートの面接で来ましたって言ったらすぐ通れた」


 ああ、そっか。一階にはヘルマートあったもんな。


「でも警備員の服はどうやって?」

「最近ここの系列会社のアルバイトを掛け持ちしててさ。まさかだよな? 笑っちまうぜ」


 今回は本当に風が俺達に吹いていたんだな。


「留年は親御さんに許してもらえたのか?」


 留年が後ろから見てもわかるぐらい胸を張った。


「もう、辞めて来ましたよ」


 なんて強気な一言なんだろうか。


「ヘルマートを辞めて学業に専念することで許してもらえたのか?」


 留年は首を横に振って力強くガツポーズを取る。


「学校を辞めて来ましたよ」


 お前もう留年じゃねえじゃん!

 まぁ、積もる話は後にして、俺は背中を守る二人を後にしてドアを開ける。

 周りの警備員が騒ぐが、すでに一人が一人を捕まえているから離すわけにはいかない。


「皆ありがとう。行って来る」


 ドアの向こうには窓の外を眺める社長の背中が見えた。

 ガチャンッ

 ドアが閉まると、警備員達のわめき声ももう聞こえない。

 社長はゆっくりとこちらを向く。


「社長、初めまして。今日はビジネスの話をしに来ました」



 後に、ヘルマート社長は語る。


「かつて戦国時代の武将・織田信長が、人質で送られて来た蒲生がもう氏郷うじさとの才能を見抜いて自分の娘を与えて一族に迎えたように、私は彼を一目見た瞬間に感じた。生きたまま地獄の底へとやってきた戦士……彼こそ真のヘルマートの申し子になると」

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