●私と俺のヘルマート(改装期)○ Ⅱ

 ヘルマート本社は都内にある。さすがに一等地とまではいかないが都心と言っていい。ヘルマート総本部のある高層ビルの周辺には、いくつものヘルマートが集中している。全て直営店で、ホームグラウンドとしての意地のなせる業だ。町がヘルマート一色だった。この日は、朝早い時間帯から死んだ魚のような目、青白い顔、ゾンビのような緩慢な足取りで町を歩く社員達を多く見かけた。町の人々も、いつもはこんなに見かけることがない、一目で分かるヘルマートの社員達に今日が特別な日なのだと察知した。


 ヘルマート本社ビルに入ると、大理石の床を歩いてエレベーターに向かう。入り口付近にはヘルマートがあった。本社の人しか来店しないだろう。本日の目的は十階にある全体集会場だ。ビルの中には他にも多くの社員が同じ目的でやって来ているのに、挨拶以外で声を出す人が見られない。焦点の合っていない目に、睡眠不足と疲労困憊の浮き出た情緒不安定な顔、これから処刑台に引かれて行くかのような重い足取りは、俺達が今いるここが地獄の一丁目だと呼ばれることを考えたらおかしくはない。

 

 足音しか聞こえない空間に、人の会話が聞こえてビルの入り口を振り返る。警備員がケータリングサービスのスタッフとやり取りをしていた。帽子を深く被った作業衣のスタッフ達は、大きい保温パックやジュースが入った段ボールをいくつも積んだ台車を運んでいた。本社が今日来てくれた社員への気遣いで頼んでくれたとはとても思えない。お金をケチるヘルマートでは、削れるところは徹底的に削るからだ。削れるところと言えば、まず社員の残業代やボーナスに福利厚生とお客さんへの感謝を込めた利益還元だ。社員なら見なし残業の多さやボーナスの一部をヘルポイントで支払うところが有名だし、お客さんに商品を買わせるための応募プレゼントの景品の安っぽさが評判の悪さを呼んでいる。そんな本社だから、ケータリングサービスに警備員も驚いている様子だった。ああ、本当にここは地獄の一丁目なんだな。


 十階で降りて受付で手続きして全体集会場に入れば、最初そのあまりの静かさにまだ人が全然来ていないのかと思う。次にほとんど満席になっているのを目で確認すると、千人を超える人数がいるのに、人の温度をまるで感じないことに肌寒さを感じた。まるで死者の群れにいるような錯覚をする。会場は高級ホテルの式場のような作りで、余計なものはなく、真ん中の通路を挟んで左右にパイプイスの座席が用意されていた。


 後方の席に着席して、一番前の壇上を眺める。もう間もなく、社員を集めたヘルマート社長による激励会が始まろうとしていた。今日この現場には、関東中のヘルマート研修店長以上の社員が集められていた。この後、また日にちをズラして開催するらしいが、社長はどうしても年内中に前倒しで激励会をやりたい意向のようだ。


 広い会場もさすがに一千人もの社員に埋め尽くされて、これ以上は、蟻の入る隙間もないと言える。だけどそれは間違っている。今ここにいる人達皆が働き蟻なのだから蟻だらけじゃないか。ヘルマートの社員は魂をヘルマートに売った者達ばかり。そうでない者達は早期に会社を去って行く。生き残った者達は体が動かなくなるまで使われ続ける。


 俺は前のめりの姿勢になって、膝の上で手を組んだ。

 さて、社長と一対一になれなきゃ終わりだな。首からぶら下げた社員証を見る。社員証にはリーゼントの若き店長の証明写真が貼付けられている。

 同じリーゼントにしただけで、受付を通れたってやばいだろ。受付のスタッフは絶対にリーゼントでしか確認してないよな。SVに見つかるとめんどくさいけど、この髪型じゃ後で絶対に見つかるな。本当なら、若き店長の立場だと先輩や上役の人に今のうちに挨拶に行かないといけないんだけど、今日は代理できているからできないし、いっか。後で怒られるのは若き店長だ。胸にわずかに罪悪感を抱きつつ、社長の登場を待った。

 左右の壁際にある大窓を向けば青い空が見え、窓に近づいて下を見れば町の人達が見えるだろう。窓から差し込む光。死者にはキツイと感じた。若き店長も、光を見失い、すっかり光を恐れるようになっていた。



 ヘルマートの駐車場の隅っこで、若き店長が青空を見上げていた。空には雲がふわふわ漂う。ふと、雲の一つがヘルマート社長の顔に、その隣りの雲もSVの顔に見えた。どっちも若き店長の恐怖だろう。


 若き店長の背中をちゃんと見るのは初めてだった。昔ラグビーをやっていただけあって、ガタイは大きい。だけど、たくましさは一切感じなかった。

 なんて薄い背中なんだろう。強く押せば折れてしまいそうに見えた。

 学生時代はきっとこんな背中じゃなかったはず。もう二度と、かの日のたくましい背中は見られないんだと悟る。

 呼び出されてもう十分は経つのに、若き店長はずっと黙ったままだ。青い空を見上げて昔日を懐かしんでいるのか。


「俺はよぉ」


 ようやく若き店長は口を開いた。空を見上げたまま、右手を落ち着かなそうに動かしている。


「タバコ持って来ましょうか?」

「いや、もうタバコはやめたんだ」


 若き店長は話を続ける。


「俺もよぉ、いい思いをしてぇんだ」


 魂の叫びだった。


「上司のいびりやいじめに耐えて来たんだから、上になったら今度は自分がいい思いをする番だ。そんなのは当たり前でよぉ、間違っちゃいねえんだ。ずっとそれを目指してた。一年目の時は、直営店でのマネージャー業務だから下っ端で、他のアルバイトと立場に差はなかった。だから二年目で店長になった時は、これでイバれるって嬉しくてな。どんな風にスタッフをこき使ってやろうかって意気揚々とこの店にやって来た」


 うちのお店は直営店なので、毎年新しい店長が派遣されて来て前の店長と交代する。俺は大学一年生の夏から始めて、二年ちょっとしか働いていないが今の若き店長が三人目の店長だ。


「だけどよ〜いきなり出来上がった現場に送られて、パートの古参のスタッフなんか俺のこと認めてくれねえしよ。若い奴らは俺と歳が近いからってなめてやがる。結局誰も俺の言うことを聞かねえし、アルバイトだからいつでも辞められるってのがあるから強く言えねえ! 結局、俺は偉くなれないままだった」


 それで、言いにくい奴と言いやすい奴を選んで叱るようになったのか。


「俺は認めて欲しかったんだ! 一年目は人間としても男としても上司達にボロクソにおとしめられたから、失ったプライドを取り戻したかった……だけどうまくいかなかったな。スタッフもまとめられなきゃ、あげくには店を潰しちまった」


 若き店長は肩を震わせる。振り返らなくても泣いているのが分かった。

 若き店長と言えば、電話してるところしか見たことがない。どんなに忙しくても、何か問題があっても、スタッフを助けに来ることなんてなかった。だけど、それは俺達スタッフが若き店長を認めなかったからこそ増長した、「俺は店長なんだぞ」というプライドに起因する。


 今、若き店長はお店を潰してしまうことを悔いている。自分が左遷される悲しみがあるからかもしれないけど、やっと自分と向き合った。俺もそうだ。ヘルマートを逃げ出して初めて本当の自分を知った。失敗すること、逃げることは世間からしたら否定するべき恥ずべき行為かもしれない。だけど、つまずくことで人は成長する。だから人生において通らなければ行けない道なのかもしれない。今なら、バックレたバックレにも必要なことだったのかもしれないと思える。


「若き店長、とりあえずヘルチキンなどのフライドフードを大量に発注しました。通常時の十倍です」

「あ?」


 若き店長が驚愕きょうがくの表情で振り返る。


「何言ってんだお前? 十倍? 誰が買うんだ? お客さん来ねえんだぞ!」

「買い手は決まっています」


 俺の返事に若き店長はさらに口をあんぐりと開けた。


「うちの大学の食堂に最初は試しということで安くですが流します。それでも利益は確保しています。もともとフライドフードは販売時間も決まっていて、廃棄ロスも多い。廃棄ゼロで箱ごと買い取ってもらえるのが一番ですし、揚げるための光熱費や油も節約できる。何よりもプライベートブランドが一番お店の利益になる。同じように、個人経営の居酒屋などの飲食店にも交渉して売り込みました。うちのフライドフードはなかなか評判が良いみたいで、交渉もしやすかったです。ここまでだけで今月の赤字分は大部分が補填ほてんされます」

「お、おい! だから、勝手にそんなことしていいのかよ?」

「問題ないでしょう。欲しいと言うお客さんに売ったんだ。売った後は、買った人がどう使おうがうちの責任じゃない。ルールには何ら抵触していません。それに売ったのは、いわくつきだったり、体に悪いものではなく、我がヘルマート自信の商品なんですよ。売る側も買う側もハッピーなんだし、素晴らしいことじゃないですか」


 若き店長が叫んだ。もはや悲鳴だった。


「本部にバレたらどうすんだよ! 勝手にそんなことしたら……」

「お店が儲かってれば、本部はまったく気にしませんから安心して下さい。それでもどうやってそんなに売ったんだ? と聞かれればこう答えればいい。営業努力です、とね。一に声出し、二に声出し、三、四とんで五に声出し! で売りましたでいいんですよ。全店舗が同じようなことをやったら、こっちも商売上がったりですがその心配はないでしょうし、今のうちに稼がせてもらいましょう。これからはお店もお客さんをどう呼び込むかと受け身でいるのではなく、自分からどんどん売り込みに営業をする時代です」


 通常、コンビニにお客さんを呼び込むには広告が一番効果が大きい。それもテレビSVだ。それを見て、安くなってるんだ〜とお客さんが来るわけで、POPなどをいくら作って店内に貼っても効果はない。お金があるコンビニチェーンはテレビCMをガンガン流すし、イベントで芸能人を起用したり、ドラマや映画とタイアップして宣伝する。だけど、うちのコンビニは実はお金がないコンビニだ。そんなことはやりたくてもやれない。だから自分たちが努力しないといけない。


「それと、駅構内に広告を出すことにしました。うちは駅まで十分圏内なので影響力は無視できない。加えて、お店の外に貼る商品のポスターやフライヤーも、これからはデザイナーにお願いすることにしました。うちのコンビニだけですよ? こんなに広告に力をいれないのは。あっても知識も技術もない自社社員が適当に作った広告ばかり。それも広告制作費は各店舗から徴収するシステムだからですよね? だから反対も多くて力を入れられない」

「そんなお金どこにあんだよーっ!」


 若き店長は今にも飛びかかりそうな勢いだ。全ての責任を背負わされた時を想像しているんだろう。


「駅構内のレンタル広告スペース費は、今年春にアニメとタイアップした際の応募商品A賞を売ったお金で一年間分は賄えます。アニメオタクが当てていたみたいで、それを譲り受けてオークションで転売しました。五十万いきました。それと販促物のチラシに関しては、俺の友達のコネで、デザイン専門学校の生徒に練習の一環でやってもらう形です。希望者を募ってこちらが吟味した上でさらには報酬も出ませんがうちのお店で実際に使われることは、彼らの勉強になるそうで喜んでくれました。実際に彼らが作ってくれたお店の宣伝チラシを、今頃はパートリーダー、静寂、孤独が配ってくれています。子供の学校や自治体との繋がりを持つあの人達がそれを活かして宣伝チラシを回してくれるのは大助かりでしょう。それで多少はお客さんが増えると思います」


 静かになる若き店長。まだ震えているが、納得してくれたのだろうか? ここまでのことは何らギャンブルでもなく、真っ当な手段だ。それすら反対されるようなら困るんだけどな。


「変わったな……いや、俺の見込んだ通りのお前だな……ヘルマートのお偉いさん方もお前みたいな強引なやり方で結果を出して来たからな……ヘルマートに長くいれば、心を壊すか、体を壊すかの二択しか待っていない。体を壊せば辞めざるを得ない。心を壊せば人として終わる。俺も昔は今のお前みたくいきがっていたさ! だけどな、そんなもんはすぐにへし折られちまうんだ! お前が俺みたいにならない保証なんかどこにもないんだよ! 今のお前が明日の俺かもしれない! そうやって無限にくり返されていくのさ」

「俺はその負の連鎖を断ち切ろうと思っています」


 そのために一生を賭けると覚悟を決めた。


「ふう……ダメだ。俺はお前みたいにはなれねえ」


 若き店長の震えは収まる気配を見せない。何にそこまで怯えている? 若き店長は膝をついた。


「怖いんだよ。俺はどうしようもなくヘルマードが怖いんだよ! 今回のことでよく分かった。俺は本当に向いてねえ奴なんだ! ……お前があれこれ頑張ってくれても、お店が無くなっちまうんだから意味ねえぞ? お前ならどこのヘルマートでもやっていけるから、ここにこだわる必要はねえよ。直営店の一つや二つなくなったって、誰も困らない」


 そうかもしれない。だけど、一つのコンビニには多くのスタッフが、お客さんが関わっている。無くなったら人々の生活の一部が、人との関わりが消えてしまう。コンビニは最後の砦であり、暗闇を照らす光にならなくちゃいけない。


「簡単になくなることを認めちゃダメですよ」

「でも無理なもんは無理なんだよーっ!」


 若き店長は叫んだ。この人の傷ついた心にはやっぱり俺の声は届かないのか。

 ポンッ

 サッカーボールが目の前に飛び込んできた。ボールは地面を転がって、若き店長の足下まで辿り着く。

 若き店長の視線の先を追って振り向いた。


「大丈夫。サッカーがあるから」


 サッカー日本代表のユニフォームを着たサポーターがそこに立っていた。


「サポーターッ! 遠征から帰って来てたのか!?」


 若き店長が両目から涙を流して歓喜の声を上げる。


「二〇一〇年ワールドカップ南アフリカ大会で、強豪国のグループに入った日本代表は絶対に予選を突破できないって言われたわ。でも監督を始め、選手一人一人が自分達のサッカーをすれば勝てるって信じた。そして最後のデンマーク戦に勝利して、堂々の予選突破! 自分達を信じた心が勝利を呼んだのよ」

「……サポーター」


 サポーターは、「ヘイッ」と言って腰を落としてがに股に構えた。若き店長からのパスを待っている。

 若き店長は涙を拭う。そして、過去を振り払うように体を大きく動かしてキレイなインサイドパスを送る。


「ナイスパス!」


 若き店長が照れくさそうに自分の鼻をこする。

 何やってんだこの二人は?


「俺、やるよ! 自分を信じる! 俺の可能性の光を信じる!」


 若き店長がサポーターに駆け寄って抱きしめる。抱きしめられたサポーターは笑顔で背中をぽんぽんと叩いてあげた。

 その時、あんなに薄っぺらく見えた若き店長の背中が、バリバリのラガーマンのように厚くたくましく見えた。


「……ま、いっか」

「善人面!」


 後ろから声が聞こえる。天下取りだった。今さら何の用? 天下取りの顔はただ事ではなさそうだった。天下取りの後ろにSVの姿が見えて、状況を呑み込む。


「S、V……」


 若き店長の震える声が聞こえて来た。ヘルマートの恐怖教育が徹底的に染み込んでいる。

 現れたSVはいつも以上に目を血走らせている。

 殺意のこもった視線を若き店長にぶつける。


「てめえっ! なんだあの発注は!? ケンカ売ってんのか!? この店は今月末までなんだぞ! 二週間切ってんだぞ! お前は一々俺にケンカ売りやがってーっ!」


 SVは若き店長しか見えていない。全身からこみ上げるのは殺意。本当に若き店長を殺しかねない勢いだ。それでも若き店長はサポーターを後ろにして立ち向かう。


「ぜ、全部予約商品なんです!」


 SVが手で拳を交互に握って、コキコキと鳴らす。


「うちのフライドフードがそんなに売れるはずねーだろ!」


 おいっ問題発言だろ。


「一に声出し! 二に声出し! 三、四とんで五に声出し! で売れたんです!」


 若き店長も必死に抗うけど……それ俺の言ったことまんまですね。


「営業努力!」


 若き店長のその言葉と同時にSVが駆け出した。


「死ね! こらああああああああああああっ!」


 SVが拳を振り上げた。


「ひぃぃっ!」


 若き店長の体が恐怖で硬直する。

 ん〜ワンテンポかな。

 SVが俺の目の前を通り過ぎる直前、足を突き出す。SVの足が俺の足と交差してぶつかり、バランスを崩す。


「あ!」


 若き店長のすぐ目の前にSVがつんのめった瞬間、若き店長が勇気を振り絞る。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 雄叫びとともに若き店長が拳を振り上げる。ラグビー部所属時代のガッツがよみがえる。クロスカウンターがSVの顔面に直撃して、後ろに吹き飛んだ。

 若き店長がSVを見下ろす。その顔は現実を信じられなくて、驚きに満ちていた。

 SVは完全に気を失っていた。


「俺が……俺が勝ったのか?」


 いや、まぁそういうことになりますけど。

 倒れているSVに天下取りがあわてて駆け寄った。


「でも、これどうするんですか?」

「そこに石落ちてるよね?」


 俺はSVの足下の小さい石ころを指差す。


「それに躓いて一人で転んだんだよ。小さいな石ころだってバカにして来たから、大事なところで躓くんだ」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 若き店長が勝利の雄叫びをあげた。すぐ側で、サポーターが目をうるませている。


「喜んでいるところすみません」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「今月末にヘルマート社長の社員を集めた激励会がありますよね?」

「うおおおおおおおおっ! あっやっべーっ! SVすみませんでしたーっ!」


 すぐさまSVに駆け寄ろうとする若き店長を止める。


「そうじゃなくて、そこに俺が代わりに行こうと思うんです。本来なら毎年年始にやる激励会が繰り上がって今月末になった。風向きは悪くないですよ」



 会場ではケータリングサービスの人が飲み物と軽食を配っている。社員達は恐らく初めてのことに軽く驚いている様子だった。

 全社員に行き渡る前に、壇上の前に男性社員がマイクを持って出た。


「大変お待たせしました」


 ヘルマート社長の右腕と呼ばれる本部長だった。本部だけでなく全国すべての営業所をまとめる偉い人で、こんな時にしかお目にかかれない。接客対応やクレームに人一倍敏感な人で、それまでなかった優良店や優秀スタッフの表彰などを考え出している。実質、社長以上にヘルマートを運営している人と言っていい。あの人だけは真の実力者だ。


 俺が今後、超えていかないといけない人だ。

 

 あ、今日はそういうんじゃないんだ。燃えるのは後にしよう。本部長が登場した瞬間、会場の空気が一気に張りつめた。社長が出て来る。社員一同が席を立ち上がった。最敬礼で登壇を待つ。本部長は頷くと、社長を呼んだ。


「この方が、一代でヘルマートシステムを作り上げた社長である!」


 カーテンの袖から人の良さそうな顔をした男性が出て来る。身長は平均男性ぐらいで、ふくよかな体格であるけど決して体が大きいわけではない。TVや雑誌で何度も見て来た人物だ。なのに、社長が出て来た途端、目の前に巨大な地獄の王が降臨したように見えた。


「社長! 万歳ばんざい! 万歳! 万々歳ばんばんざい!」


 会場がれる。社員達の一糸乱れぬ賞賛の声が壁を突き破る勢いで響き渡る。社長が片手を上げると、社員達はすぐさま黙り込んで社長の言葉を待った。


「皆さんご機嫌よう。どうぞ腰をかけて下さい」

「ありがとうございますっ!」


 社員一同が頭を下げてから席に着く。これが社長なのか。

 ヘルマート社長は今から十五年ほど前に、親会社から子会社であるヘルマートに派遣されて来た。ぞくに言う天下りと言うやつだが、事実はそうじゃない。当時のヘルマートは親会社の不良債権。店舗数も、売り上げもコンビニ業界では下位に位置していた。そんな子会社に日本屈指の大企業から送り込まれたということで、周りからは左遷に見えた。だが、実際は本人の志願によるものだった。約束された将来の出世コースをってヘルマートにやってきた社長はヘルマートを改革した。社長はこの十五年で、ヘルマートをコンビニ業界の上位に押し上げ、店舗数では業界一位にした。


 会社の売り上げは社長が就任してからずっと右肩上がりで、今では本社の最も手放せない子会社にまでなった。だがそのやり方は、自分の保身を第一にして人の心を捨てた鬼だと言わざるを得ない。周りの社員を見れば、ほとんどが三十代後半で、四十代の平社員は皆無だ。


 ヘルマートの過酷な労働では、体を壊すのが前提にある。四十代にもなって出世できない者は、いつまでも変わらない肉体的労働量に潰れていく。ヘルマートの離職率で一番多いのが二十代、二番目が四十代の理由がそれだ。二十代はヘルマートで三年持たない新入社員達、四十代は肉体的限界を迎えて体と心を壊した忠実な社員達だ。ヘルマートは体が動かなくなった四十代以上を一番必要としない。だから四十代以上の平社員はケアどころか、もっと追い込んで自主退社させようとする。


 社員は兵隊、加盟店店長は奴隷。ヘルマートを大きくするためなら他者の人生はどうでもいい。そのヘルマートだって、店舗開発、広告や商品開発、イベントにはギリギリしかお金をかけない。商品の質では他社に遅れをとっているから、商品の一個一個の売り上げは低い。それを補うために店舗数を極端に増やして、加盟店オーナーに商品をたくさん発注させることで借金を背負わせるやり方だ。売り上げを出すための根本的な努力は時間とお金がかかるから、短期で売り上げを上げる方法を選んだのだ。それはつまり、実はパンク寸前ということ。


 壇上でしゃべっている社長を見上げる。社長は始めから、競争の激しい本社に身を置くよりもヘルマートにいる方が楽だと判断していたんだ。自分が退社するまでの間、ヘルマートを持たせるだけでいいから。もうすぐ定年退職だ。高額な退職金と、会社の領収書を切り放題の会長の地位を確保すれば、後は知ったこっちゃない。自分のことだけを考えて良心を捨てた地獄の王だ。


「皆さん、最近の新規加盟店の増加が落ちていることと、ヘルマート店舗の早期閉店が増えていることに危機感を持っていますか? もしも持っていないと言うスタッフがいるなら、今すぐ退社届けを出して下さい。我が社は、会社を自分よりも第一に考える者しか必要としません。それは我々のルーツである日本の侍であれと言うことです」


 年末年始は海外視察で日本にいないから、この日に激励会は前倒しされた。ここに来て、日本国内のヘルマート店舗は共食いもあって、どんどん閉店に追い込まれているのも理由の一つだ。


「皆さんには誇りを持って頂きたい。コンビニ業界で働いていることが世を救うことだと自覚して頂きたい。あなたがたは世の救世主なのです」


 会場にどよめきが走った。さすがに今のはあまりにズレているのではないか? と誰もが思っている。しかし、


「コンビニは世の受け皿なのです。コンビニでしか働くことができない人達、毎日コンビニでしか買い物ができない人達、世の中の落伍者らくごしゃ達に居場所を与えているのがコンビニなのですよ。彼らはコンビニが無くなったら路頭ろとうに迷うでしょう。自ら命を絶つ者も現れるでしょう。ヘルマートが一つ減ると言うことは、その分だけ彼らの命が消えることなのです。あなた達はそれをきちんと認識した上で、お店を守る努力をしなさい」


 あの野郎は口がくせえ。吐き気がする。なんてことを考えているんだ。だが、周りの社員達はすっかり社長の言葉に引き込まれていた。常日頃からこんなふうに、少しずつ洗脳されて来たから抵抗力が弱い。


「だからといって、加盟店オーナー達やスタッフを甘やかす必要はありません。お店のために、会社のためにこき使いなさい。休みがなくて大変、仕事の量が多過ぎて眠る時間もない……それでも仕事がないよりはマシです。食べられないよりはマシです。死ぬよりはマシです。死ななければ、それでいいじゃないですか」


 それはここにいる社員達にも言えることだ。社長は、加盟店オーナーやスタッフをもっとこき使えと叩きつけることで、実は社員達に今まで以上の労働をいている。不満が出ないように自分たちより下には、加盟店オーナーやスタッフがいるんだと優越感を与えている。彼らよりマシだ。それはヘルマートの上下関係でもそうだろう。上司は部下を見て俺はあいつよりマシだと思って頑張れる。ああ、行き着けば社会全体がその風潮があるのかもしれない。社長はこうやって言葉巧たくみにシステムをり込んでいる。


「さぁ、皆さん会社を大きく豊かにしましょう! 全ては皆さんにかかっています! 世界を救うのです!」


 社長が締めの言葉とともにガッツポーズを取る。

 パチパチパチパチパチ

 拍手広がって行く。


「社長! 万歳! 万歳! 万々歳!」


 ここは中国の古代王朝かよ! 目の前にいるのは皇帝陛下じゃないんだぞ!

 社長が壇上を降りて真ん中の通路を歩いて来る。出口のドアをくぐるまで拍手はやまず、歓声は途切れない。


 その背中を見て苦々しく思う。ヘルマートにはビジョンがない。自分の代だけ持たせればいいのだから、ビジョンなんか生まれるわけがなかった。

 社長が出て行くと、本部長の声が聞こえてきた。


「それでは、これから具体的対策と、改善点について話をします。お手元の資料を見て下さい」

 俺は頃合いを見て会場を後にして社長を追った。

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