○コンビニに戦士が帰還するまで(閉業期)

 何十回目かの着信音の後、電話はやっと静かになった。

 空きかけの瓶ビールを口につけて残りを一気に飲み干す。空になった瓶を床に転がした。瓶ビールはゴロゴロと転がって、同じように辿り着いた先で山となった空き缶と空き瓶の群れに加わる。俺は立ち上がると、冷蔵庫に向かった。


「ちっ」


 あれだけ買い貯めた酒がもう残すところ、瓶ビール一本になってしまった。瓶ビールを取り出し、台所で栓抜きでフタを開けてから、ちゃぶ台へ戻って腰を下ろした。

 腹が減ったな。ちゃぶ台の下で束になった出前チラシを手に取る。もう夜の十時を過ぎている。出前してくれる店は限られてくる。さて、その中で今度は何を頼むかな?


 再び携帯電話が鳴った。

 ちゃぶ台の上の携帯電話の表示を見ると、彼女からだった。

 またかよ。しつけえな。あの高級レストランから一ヶ月、全く会っていない。忙しいと理由をつけていれば煩わしくしないと思っていたんだが、ここ一週間は連日のように電話をして来る。そのまま無視し続けたら、日に十何回も電話をかけてくるわ、メールを送ってくるわ、挙げ句に家まで押しかけてくるわで、うざくて仕方がない。


 瓶ビールに口をつける。

 酒も足りねえし、買いに行かねえとな。酒の出前はやってねえのかな? あ、そうだ。出前頼んだ店に途中で買って来てくれるように頼むか。

 ちらっと台所の生ゴミを見ると、ものすごい量だった。いい加減捨てにいかねえとな。でもめんどくせえ。着信音が途切れてから携帯電話を手に取る。今度はピザにするかな?


「あっすみません。ピザの注文いいですか?」


 さすがにお酒のお使いは断られたが、配達員が来たらもう一回頼んで買いに行かせればいいと思って引き下がった。そこでも断られたら、金を払わねえとか言えばいいや。

 もうずっと家の中にいた。内定先には、親に不幸があったと嘘をついてずっと休みをもらっている。はっきりとした理由は分からないけど、日に日に無気力になって、とうとう家から出られなくなっちまった。何をやっても心が無反応で、感情が沸かない。

 大学も、内定先のアルバイトも、彼女に対しても、漫画やゲームをやっても、旅行に行っても、何もかもがつまらなくて嫌になる。


 俺はどうしちまったんだろうな?

 ここ一週間は、ただこうして酒を飲んで飯を食って寝て、起きてまた酒を飲んで飯を食って寝て……それをくり返すだけの毎日。それでも、それ以前の生活と全く同じだ。楽しいわけじゃないけど、全く同じ無感動だけがあった。ただ動かないでいいだけ楽なくらいか。


 瓶ビールが空になった。

 ああ、酒がなくなっちまった。くそっ。

 早く来ねえかなピザ。酒だよ酒!

 寝て起きれば世界が変わるわけじゃない。だけど、ただ起きていても世界は変わらない。何かをする気が沸かない俺はただ酒を飲んで眠りにつく。

 インターホンが鳴った。


「お」


 早いな。優秀だなぁ。立ち上がって玄関げんかんに向かう。でも彼女ってこともあるからな。念のために足音を立てないように気をつけた。玄関ドアののぞき穴に目をつけて、訪問者を確認する。


 あ?

 いるはずのない人がそこにいると、とっさにどういう反応をしていいのか分からなくなる。少なくとも、冷静な判断はできない。

 俺は自分の見間違いではないかと思い、ドアを開けてしまう。


「やっほー」


 美人ではあるが、どこか腐臭ふしゅうが漂っているような気配を感じてしまい、近づくことを躊躇ちゅうちょさせる女。通称・男喰いがそこにいた。


「てめえ、何しに来やがった!?」


 間違いなく男喰いがそこにいることを理解すると、家には一歩も入れたくないので、ドアをさらに閉めようとドアノブを持つ手を引く。だが、男喰いは、ドアの隙間に足を入れてドアが動かないように固定した。


「てめっ」


 男喰いは後ろに組んでいた腕をほどいて買い物袋を見せる。


「せっかくお酒買って来たんだから、どうかな?」


 酒の誘惑には勝てなかった。まぁ、しょせんは女だ。腕力にものを言わせればどうとでもなる。頃合いを見て追い出せばいいか。


「ちっ、上がれよ」


 ドアノブから手を離して部屋に戻る。


「お邪魔しまーす」


 背後から男喰いの気配が伝わって来る。1LDKなので、玄関を上がって一直線でリビングだ。ちゃぶ台の向こう側に回って壁を背にして座った。


「わ〜荒れてるねえ。窓も閉め切ってるみたいだし。換気ぐらいしたら?」


 男喰いは散らかった部屋を見回すと口笛を鳴らした。


「うっせえよ。酒持って来たんだったら、早くよこせ」


 男喰いは苦笑しながら買い物袋から缶ビールを一本取り出す。


「足りねえから一度に三本くらい出しとけ」

「わー飲むねえ」


 リビングの端に山になって積まれた空き缶や空き瓶を見て、納得したように何度も頷く男喰いに舌打ちする。


「早くよこせ」


 男喰いはめんどくさくなったようで、ちゃぶ台の上に買って来たお酒を全て置いた。俺はすぐに手を伸ばしてフタを開けると口をつける。

 ああ、不味まずい。酒が美味しいとは思わない。だけど飲めば酔える。夢の世界に入れる。毎回、夢を見れるわけじゃないけど、せめて良い夢を見たい。自分が何を望んでいるのか自分でも分からないから、答えが欲しいんだ。

 あっという間に一缶を空けた俺に男喰いは二缶目を手渡した。


「くそっ」


 頭を抱え込む。酒をいくら飲んだって足りない。満たされない。なんなんだよこの喪失感そうしつかんは? 俺は何を失ったんだ!?


「うぐっ……」


 さすがに男喰いのいる前で泣くわけにはいかず涙を堪えた。それからしばらく男喰いは言葉を発せず、酒を飲んでは泣くのを堪える俺をただじーっと見つめていた。

 インターホンが鳴って、ピザの宅配が来た時も立ち上がらない俺の代わりに出てピザの支払いを終えて持って来た。食欲はもうなかった。ただ、ちゃぶ台の上に置かれた酒を全て飲み干すことに夢中だった。そして、わずかな酒はすぐに無くなる。


「酒だ。酒買って来てくれ……サイフはそこにあるし、足りないならATMで下ろしてもらっていいから」


 床に放り出されていたサイフを手に取って、男喰いに差し出した。男喰いはサイフを受け取らない。


「おい。頼むよ」


 俺には酒が必要なんだ。

 だけど、男喰いは俺をじーっと見つめるだけで、微動びどうだにしなかった。

 くそっ、自分で買いに行くか。立ち上がるが、体がフラついてバランスを崩す。男喰いの方に倒れる俺を男喰いは素早く受け止めて支えた。体は男喰いの上に乗りかかる形で停止した。


「悪いっ」


 すぐに起き上がって、男喰いの隣りに腰を下ろした。


「なぁ、頼むよ。ちょっと買いに行けそうにないからさ。買って来てくれない?」


 男喰いを見ないで、うつむいたまま再び頼む。


「本当はお酒が飲みたいわけじゃないでしょ?」


 男喰いがやっと口を開く。ああ、そうだよ。でも酒しかねえんだよ。毎日が――


「毎日がつまらないんでしょ?」


 何?

 ちらっと横を向いて男喰いを見た。男喰いは無表情で俺を見ている。


「ヘルマートを辞めてから、あなたは相当つまらないはずよ」


 内心の動揺どうようさとられたくなくて、男喰いから視線を切って再び前を向いた。


「ヘルマートを辞めてやっと解放されたと思ったのに、驚くくらい毎日が退屈に感じるようになった……ってところかしら?」


 図星ずぼしだった。


「ヘルマートの理不尽、非常識、不安定、暴力、身の危険……それらから逃げて、平和で穏やかな毎日を過ごせて普通なら幸せを感じるはずだけど、あなたはそうじゃない。生きる気力を奪われるくらいに衰弱すいじゃくした」

「なんだと?」

「それはあなたがそういう人間だから」


 男喰いは淡々たんたんと事実を話すアナウンサーのような口調だった。


「あなたは不安定さに喜びを見出すある種のジャンキー」


 長く探し求めていた本当の自分が、閉じられた扉の向こうから出て来た瞬間だった。

 ああ、見つけた。俺はこんなにも近くにいたのか。

 どくんっと鼓動が大きく高鳴る。


「道が困難であればあるほど、命の危険にさらされれば晒されるほど、あなたはそこに生きている実感を抱き興奮する。戦場でしか生きられない生まれつきの戦士」


 男喰いは大きく深呼吸する。


「いつまで自分に嘘をついてるの!?」


 どくんっ

 ずっと迷ってた。見つけられなかった。そう思っていたけど、本当は目を逸らしていた。

 いつからか気づいていた本当の俺を認めることが怖かった。


「ヘルマートでもそうだった。あなたはスタッフと決して交わることがないように、一線を引いていた。自分一人でやることに酔っていた。自分が仕事に集中できればそれでいい。スタッフのことはどうでもいい。自分に迷惑をかけてほしくない。でも、スタッフのせいで仕事が増えるのは充実感を得られるから、フォローするのは嫌じゃない。その曖昧な境界線の内と外を行ったり来たりして、私達スタッフをずっと観察していた。だから私はそんなあなたに声をかけられなかったし、他のスタッフも自分とは関係がないんだという空気を肌で感じていた」


 それまでずっと淡々と話していた男喰いの声が震えている。これは彼女の心の叫びなのか。


「あなたは、一緒に戦う仲間と同じ戦場にいながら一緒に戦っていなかった。私達には強い戦士の仲間が必要で、私達も戦士にならなくてはいけないことを理解してくれなかった。あなた自身が自分のことを、ただ責任感が強い一般人だとしか認識していなかったから、私達はチームになれなかった。あなたに戦う覚悟ができていなかったから、あのATM事件を招いて逃げ出すことになった」


 俺は生来せいらいの血なまぐさい戦士でありながら、平和主義者の仮面を被っていたのか。

 体が震えている。これはアルコール中毒によるものなのか、それとも本当の自分を見つけた歓喜によるのか。

 体の底からふつふつとこみ上げて来る激情。力がこみ上げて来る。


「俺は……戦いたい」

「ねぇ」


 男喰いが俺を呼んだ。横目で彼女を見る。男喰いはぺろっと舌なめずりする。


「私と寝れる?」


 選択の時だ。

 俺は本能的に自分が不安定を好むと分かっていた。まるでギャンブラーのように不安定におぼれることが怖かった。だから、安定と繋がっていたいと思った。貯金にしても大企業にしても彼女にしても、全てが安定志向による。それによって、本当の自分を封じ込めていた。


 今俺は選ばなければいけない。このままずっと恐怖に勝てず本当の自分を解き放てないでいるか、死に行く運命であろうと戦士として一生を全うするか。

 だけど選ぶまでもなく、迷わなかった。

 もう無感動も退屈もごめんだ。


 携帯電話が鳴る。着信画面に彼女の名前が出る。彼女こそ安定型の女性で、こんな自分を繋ぎ止めておくくさりだ。今俺は、鎖を引きちぎる。

 俺は男喰いに向き直ると、その肩に手を置き、唇を奪う。

 彼女からの着信音が部屋に響く中で、俺は男喰いを抱いた。


×


 まだ日が昇る前にトイレに行きたくて目が覚める。横を向くと、男喰いの寝顔があった。俺は爆弾を抱えちまったのかとまず思った。そして、ずっと彼女から感じていた腐臭ふしゅう の正体を知る。それが戦場の匂いだったと今やっと分かった。死へと繋がる危険な香り。俺はそれに気づいていて、自分が一線を越えないために近づかないようにしていたんだ。


 トイレをすませて洗面所で手を洗うと、鏡に映った自分の無精髭ぶしょうひげが気になった。さすがに一週間もってなかったので、方々に伸びている。その場で剃らずにいられなかった。

 あーすっきりした。

 部屋に戻って来ると、男喰いが体を起こしていた。


「このままじゃ、ヘルマートが今月で閉店になるわ」


 彼女の口調は穏やかだった。

 それに対して俺は驚きを隠せない。

 うちの店は、立地に恵まれた本社が手放したくない直営店に属していたはずだ。いつの間にそこまで追い込まれてしまったのか。


「新入りの女の子がずっと頑張っていたけど、あの子は振り回されているだけで戦うすべをまだ知らない。どうする?」


 どくんっ

 聞くまでもないこと。先が見えなければ見えないほど、道が険しければ険しいほど、胸が躍る。本当の自分を解き放った今、俺は全身に力が溢れている。


「今から行って来る」


 散歩に出かけるぐらい気軽に、俺は今度踏み行ったら二度と戻れない戦場に向かえる。足取りは軽く、心は生の実感にえていた。

 フンッ、俺は戦士だからな。

 服を着るとすぐ玄関に向かった。

 ガチャッ


「あ! やっと出てくれた!」


 ドアをあけた瞬間、驚いた顔の彼女がそこにいた。


「どうしてずっと電話にも出てくれなかったの? どんだけ心配したと思っているのよ!」


 彼女は一気にまくしたてると、その場で泣き出した。

 こんな夜明け前によく来たもんだぜ。

 彼女は俺の手を掴んだ。


「ひどい顔……病気だったの?」

「いや……」


 何故だ? どうしてかものすごい罪悪感があるんだが……そりゃ、ずっと連絡取らなかったし、居留守も使ったから、彼女に申し訳ないと思うのは当然か。

 ここは謝ろう。


「すまない。ずっと迷ってたんだ。だけどもう大丈夫。やっと迷いが晴れたよ。来てくれてありがとう」


 彼女に微笑む。彼女にこうやって微笑むのも久しぶりだ。作り笑いでも笑えなくなっていたから。彼女に心配をかけたけど、俺はやっと立ち直れたらしい。

 彼女は涙をぬぐうと、俺を見上げて精一杯微笑んだ。


「ううん、いいの。無事で本当によかった……」


 俺は彼女の肩に手を置く。


「もう本当に大丈夫だ。俺は本当の自分を見つけられた! これからはもう迷わない」

「うん、よかった……元気になってくれて本当によかった」


 こんな俺をここまで心配してくれるなんて、本当に俺にはもったいない彼女だ。大事にしないとな。


「ねぇ、まだ行かないの? 戻るのが気まずいなら私もついていこうか?」


 罪悪感がどこから来るのか分かった。

 彼女が部屋にいる男喰いに気がついて、凝視ぎょうししたまま固まる。


「……迷わないってこのこと?」


 後ろを振り向くと。何の悪びれた様子もないすっぱだかの男喰いが玄関に立っていた。


「あら? お客さん?」


 そう言えば、勢いで男喰いと寝ちゃったけど、これって世間一般で言う浮気ってやつじゃないのか? あれ? 踏み外した?


「触らないで!」


 彼女が俺の手の中から素早く身を引く。


「信じられない……本当の自分が見つかったってそういうことなんだ……」

「お、おい……」


 やばい。言い訳が出てこない。どうすりゃいいんだ? いや、うちのSVっぽい言い訳なら思いつくんだが……言うだけ言ってみるか?

 胸を抑えて震える彼女に俺は教科書を朗読するように説明する。


「これはよぉ、精神治療の一種なんだ。ずっと精神的にやばかったから、カウンセリングを受けてな、この治療法を勧められたんだ。やっぱりちゃんと治療するもんだよな。おかげでバッチリ立ち直っ――おいっ!」


 俺がまだ言い終わる前に彼女は背を向けて駆け出した。


「ちょっと待て! 治療だったんだって!」


 ダメだ。ヘルマートのSVの言い訳が通じるわけがなかった。アパートを出てまっすぐ続く夜道を逃げるように走り去って行く彼女の背中に叫んだ。


「そんなつもりじゃなかったんだよ!」


 彼女は立ち止まってくれなかった。俺も言い訳の余地がないことを痛感して、追う勇気もなくアパートに引き返す。部屋を開けると、男喰いが玄関前でお腹を抑えて笑い転げていた。


「ち、治療って……くくくっ! さすが! うちのSV並だね! あははははははっ!」


 この女……タチ悪すぎだろ。彼女だって分かってて声かけやがったな。まだ笑い転げている男喰いにため息を吐く。


「もう俺は行くからな!」


 バンッとドアを思いっきり閉めて部屋を出る。久々に最悪な気分だ。

 でもそれが懐かしい。

 どんなに最悪で足取りが急に重くなったとしても、無感動で無気力よりずっとマシだった。

 俺はまっすぐヘルマートに向かって夜道を歩いて行く。

 俺はやっぱり戦場でしか生きられない。そこがまずないと、ダメなんだ。


「おいっ!」


 後ろから男喰いの声が聞こえて振り返る。

 ここからだとはっきり姿が見えないけど、まさか素っ裸じゃないよな?


「善人面! お前悪人なんだかんな! 勘違いすんなよ」


 ひどい言葉を投げつけられた。

 店長の言葉を思い出す。


「俺が太鼓判押してやる。お前にはこのヘルマートが向いているんだ! このまま頑張っていればいい社員になれるから!」


 もしかしたら、俺はヘルマートの申し子なのかもしれないな。

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