●新入りの私がヘルマートで真実を知るまで Ⅱ(閉業期)

 夜の九時が近づいて来ると事務所に続々とスタッフが集まって来た。二十人以上もいるスタッフがいっぺんに入れるだけの広さがないため、バックヤードにいたり、お店の雑誌コーナーで立ち読みしたり、めいめいが時間まで待機していた。


 若き店長は、レジで抜け殻のようにだらんと肩を落として立ている。人間嫌いの加入でことなきを得た後、SVの電話に出てからずっとあんな感じだ。やっぱり今夜の会合かいごう はいい話じゃないな。何が起きるんだろ? ものすごく不安だった。


「大丈夫?」


 男喰いに肩に手を置かれる。私達は優先的に事務所にいさせてもらっていた。


「まだ体は許してないよね?」


 え? そっちの心配?


「大丈夫です!」


 男喰いは吹き出した。


「私のことよりも!」


 ちらっと、事務所の端で顔を突き合わせて立っているバイトリーダー、お坊ちゃん、天下取りの三人を見た。さっきからお互いに牽制けんせいし合っていて三人は一言も口を聞いていない。このせまい空間に男喰いを入れた四角関係が形成されている。なのに、男喰いはまったく気にする素振りを見せずに、ファッション雑誌をペラペラめくっていた。


 レジには若き店長とアイドルがいた。バックヤードではマネージャーとパートリーダー、孤独、静寂が固まって話し合っていて、端っこでは人間嫌いとアニメオタクが静かに立っている。守護神、不死鳥、パチプロ、ドスケベは雑誌コーナーでさっきからずっと立ち読みしてる。


「おはようございます」


 バックヤードのドアが開いて、巨乳の声が聞こえた。

 今日の欠席はサポーター、留年、普通の三人なのでこれで全員揃った。お店にはお客さんはいない。

ピンポーン

 お店のドアが開く音がする。モニターにSVの姿が見えた。若き店長が駆け足で近づいて頭を下げて出迎える。SVは入り口のドアを指さして指示を出すとその場に立ち尽くした。


「おいっ! 皆すぐお店に顔を出して!」


 事務所に戻って来た若き店長は引き出しから紙を取って店内に戻ると、入り口のドアに紙を貼付けて自動ドアのスイッチを切った。

 営業を止めての会合ってよっぽどのことだよね?

 皆ゾロゾロと店内に出てSVを取り囲むようにして立ち並ぶ。


 若き店長、マネージャー、パートリーダー、静寂、孤独、パチプロ、アニメオタク、天下取り、人間嫌い、アイドル、巨乳、男喰い、バイトリーダー、お坊ちゃん、ドスケベ、守護神、不死鳥、そして私の十八名。


「今日どうしても来れないのはサポーター、留年、普通です」


 若き店長が報告すると、SVは頷いて大きくため息を吐いた。そして一人一人の顔をぐるりと見回してから、舌打ちしてため息をまた吐いた。


「今日は本部の決定事項を伝えに来た」


 ごくりとつばを呑んだ。


「今月も残すところあと半分だが……この店は月末で閉店と決まった」


 口を手でおおう。

 うすうす気づいていたことだけど、こうやってはっきり告げられるとキツイ。

 目頭が急速に熱くなった。

 他の皆も事態を重く見たのか声を出さずに固まっていた。SVは話を続ける。


「そこで、本来であるなら近くの店舗などに紹介すべきなのだが、俺は忙しいし、忌々しいお前達の面倒を見てやる気になれない。だから月末までに退職届を書いてきてもらって、自主的に辞めた形をとってもらえないか?」


 パートの方々から悲鳴があがった。アルバイトの皆は他人事みたいにたいして興味がない顔をしている。確かに、アルバイトならまた探せばいい。でもパートの方は家計に大きい影響を受ける。アルバイトと違って切実な問題だった。


「ちょっといいですか!」


 パートリーダーが手を上げた。


「質問は受け付けない!」


 SVがピシャリとはね除ける。


「ちょっとあんたね!」

「黙れてめえ! お前らの勤務態度が悪いから店が潰れたんだろうが! 責任取れや!」


 SVにすごまれてパートリーダーが怯えた顔を見せた。そんな! パートリーダーみたいに一生懸命やっていた人もいるのに! それに接客だけが問題だと思えない。SVが人件費削減、廃棄ロスを失くせ、客単価が高い商品を取れと指示を出した通りにしたら、サービスの低下、商品の品揃えが悪いくせに高い商品だけは置いてあるって言われるようになった。「高い商品しかお店になければ逆に買うだろ」と自信満々に言っていたのはSVだったし。それに新店ができたこの一ヶ月ぐらいは大目に見て欲しい。


 SVはもう話は終わりだと手を振り払って散会を告げると、出口に向かった。ちょっと待って下さい。そんなに一方的に……


「ちょっと待ちなさいよ!」


 スタッフの誰もが息を呑んだ。それは長く沈黙を守り続け、気配を消していた静寂だった。

 静寂が入り口ドアを背にしてSVの前に立ちはだかる。

 静寂が、しゃべった!?

 誰もが驚きを隠せない中で、静寂は叫んだ。


「かねかねかねかね、金ーっ! あたしだってお金が欲しいのよ! どうにかしなさいよ!」


 静寂は黙っていた方がよかった。

 SVは舌打ちして、振り向いて若き店長を見る。


「お前の次の勤務地決まったからな」

「え?」

「海外だ。遠いところだ。山の中だ」


 若き店長の顔が青ざめる。これが左遷させんって言うやつなのか。SVは満面の笑みを浮かべる。初めて笑うところを見たから、日頃とのギャップにおぞましく感じた。


「まだヘルマートが進出していない国だからな。名誉な仕事だぞ〜お前は一から開拓するんだ」

「一から?」


 若き店長の足が震え出す。


「そうだ。お店や工場を建てるところから、商品を用意し、人を募集するところまで、全部お前一人だけでやるんだ」


 それって……


「給料は現地の通貨で現地の銀行に振り込んでやるから心配しないで骨を埋めろ」


 SVは悪意に満ちた笑顔を若き店長に近づける。


「てめえ死ぬまで日本に戻って来れると思うなよ?」


 ただの飼い殺しじゃん。

 きびすを返したSVは入り口ドアへ向かう。自動ドアが反応しないのに気づいてドアを蹴り飛ばし、まだ動かないので手で横に押し開いて出て行く。

 一度も振り返らない。そして誰も後を追えなかった。若き店長が尻もちをついた。


「あああ……」


 若き店長は嗚咽おえつを漏らす。呼吸が浅くて今にも呼吸困難になりそうだ。私は急いで水を取りにいって若き店長に渡す。


「こ、これ会計は?」

「ちゃんと払うから飲んで下さい!」


 誰もがヘルマート気質だった。若き店長は震える手でペットボトルのフタを開けて、ゆっくりと口に運ぶ。ごくんごくんと飲み干していく。

 どうなるんだろ?

 周りの視線を感じて顔を上げると、パートスタッフの皆が若き店長を取り囲んでいた。


「あんたどうしてくれるのよ?」

「生活かかってるんですけど?」

「私一人暮らしなんですよ? 子供は仕送りあまりくれないから……」


 パートリーダー、静寂、孤独が親の仇みたいな目で若き店長を見下ろす。


「待って下さい! 今はそんなこと言ってる場合じゃ……」

「小娘は黙ってろ!」


 静寂にピシャリとはね付けられた。パート達は若き店長に詰め寄る。若き店長が震えていた。

 誰か。顔を上げて助けを求めるけど、誰もが目をらして合わせてくれない。

 ひどい! 皆ずっと無法地帯みたいにやりたい放題だったくせに。

 若き店長は震えながら三人を見上げている。


「す、すみません……すみません」


 いつも謝ってばかりだ。この人はいつも謝ってばかりだった。


「私がなんとかします!」


 私には見捨てられない! 思うより早く叫んでいた。


「し、新入り?」


 若き店長が驚いた顔で私を見た。私は頷く。


「このまま終わらせませんから! 必ずなんとかしますから!」


 私はパートの三人の前に立った。

 パートの三人は顔を見合わせる。


「私が――」

「あなたには無理よ」


 え?

 パートの三人がいっせいに振り返る。男喰いが三人の間から前に出て来た。


「男喰い?」


 男喰いは私を見てニコッと笑う。


「できないことは言っちゃダメよ。相手に期待を持たせるのはいいけど、嘘はダメ」

「私は……」


 食い下がろうとすると、男喰いの顔から笑顔が消えた。


「何? あのSVに体でも売って説得しようとか考えてた? それならま〜短絡的だけど認めてあげなくもない。だけど、無理。体を売ったところであのSVがどうにかしてくれるわけがないでしょ? ヘルマートは完全な体育会系。上の決定は絶対。そして誰もが自分の保身しか考えてないのに、あなたの体ぐらいで危ない橋を渡らないし、上が下の言うことを聞くことも絶対にない」


 男喰いは振り返って、パートの三人とその後ろにずらっと並ぶスタッフを見てから、私に向き直る。


「そもそも新入りのあなたが出しゃばりすぎたのも今回の事態を招いた原因の一つだわ。蟻や蜂の反応閾値の話は知っているでしょ? あなたが出しゃばらなければ、他の皆の自覚をうながせた可能性はあったのに、思い上がって自分がしっかりしなきゃと何もかも自分がやろうと引き受けたから、あなたに仕事を取られた人はただ突っ立てるか休んでいるしかできなくなった。きちんと仕事を割り振ること……いえ、むしろ先輩に甘えることが新入りのあなたの役目だったのに……あなたは先輩達がダメだと決めつけた。信頼しなかったのよ」


 何を……反論の言葉が出てこない。男喰いが突いたのは真実だった。

 私がヘルマートでこれまでやってきた行動の裏にあった真実。

 男喰いは髪の毛をかき上げて背中を向けた。


「じゃあね、私はもう行くわ。皆さんもそろそろ反応しましょう。とくに若き店長。男なんだから自分の足で立ち上がりなさい」


 男喰いは入り口ドアへ向かって歩き出す。


「おい待てよ!」


 バイトリーダーがその背中を呼び止めた。男喰いは半身だけ振り返る。


「お前は誰を選ぶんだよ!?」


 バイトリーダーはこのに及んでもまだ流れが見えていない。

 さすがの男喰いも唖然あぜんとしている。


「俺と、お坊ちゃんと、天下取りの誰を選ぶのかはっきりしてくれ! それとも若き店長とやっぱりデキているのか!?」


バイトリーダーに指さされたお坊ちゃんは寝ていて気づかず、天下取りは憮然ぶぜんとしつつも胸を張った。若き店長は思いっきり眉間みけんしわを寄せている。

 男喰いはプイッとそっぽを向く。


「誰とも付き合ってるつもりなかったんだけど……」

「お坊ちゃんと同棲してるって本当なのかよ!?」

「こら不死鳥!」


 男喰いに呼ばれて不死鳥が「はい!」と背筋を伸ばす。


「話が違ってる。お坊ちゃんのお父さんが管理しているマンションの部屋を借りてるだけでしょ! どうして同棲になる? それに天下取りには誘われて何回かデートしたけど、それだけ! バイトリーダーには手を繋ぐのも許してないし……」


 スタッフの間から冷ややかな笑いが漏れる。


「若き店長は、サポーターに一途じゃない。ねえ?」


 若き店長の白い顔に赤みが差した。


「でもこの人はアイドルに手を出してんじゃねえのかよ!」


 テンパったバイトリーダーが所構わず言いたい放題し始めた。


「違います!」


 アイドルが一歩踏み出す。


「私のお父さんはすごく厳しいから、最初はアルバイトを許してくれなかったんです。どうしてもアルバイトしたくて、若き店長に相談したら一緒に頼んでくれて……お父さんはバイト終わりには車で迎えにきてくれてるんだけど、海外出張で日本にいないことも多いから、その時は若き店長が家まで送ってくれるんです。皆さんに気を遣われないように事情を話さなかったから誤解されたかもしれないけど、若き店長は、娘さんの安全を守るって約束したからなって言ってくれて……やましいことはありません! 若き店長は良い人です」


 バイトリーダーが「うぐっ」と言葉に詰まった。うん、そろそろ退いた方がいいと思います。でも実際の所はまだ分からないけど、私達はお互いのことをよく知らなかったんじゃないかな? 本当は皆良い所がたくさんある人達なんだと思う。バイトリーダーだって、今日はカッコ悪い所見せているけど、良い所はきっとあるはず。

 いや、むしろ誰だって不完全で、たくさんの欠点や強い個性があって、そればかりが一番最初に目に付いちゃうから、それだけがその人の評価になりやすい。

 私達はあだ名に振り回されていたのかもしれない。

 男喰いが大きくため息を吐いた。振り返らずに最後に言葉を残す。


「皆、いったん頭を冷やしましょう。そして私のことだけど、男遊びはするけども好きな男以外に体は許さない。 自分の価値を下げたくないからね。だから、新人り!」

「は、はい!」

「もうバカなこと考えるんじゃないよ!」


 男喰いはお店を出て行った。その背中は本当にかっこよくて、大きく見えた。

 男喰いが店を出て行くと、なんだか毒気を抜かれたみたいでパートの方々も退散する。若き店長の他には、その日の準夜勤務の不死鳥とバイトリーダー、夜勤の守護神……まだ寝ているお坊ちゃん、アイドルと人間嫌いだけが残った。


「どうしましょうか?」


 バイトリーダーが、若き店長に尋ねる。若き店長は立ち上がった。


「お店開かないわけにはいかないだろ。営業再開だ。アイドルは……」

「俺が責任もって送っていきます!」


 人間嫌いが口を開いた。アイドルの頬がうっすらと赤く染まる。

 え? この二人って……若き店長は、じっと人間嫌いを見つめる。人間嫌いは、若き店長の視線を受け止めて視線を泳がせない。


「分かった。だけど、オヤジさんは厳しい人だからな。しっかりやれ!」

「はい!」


 人間嫌いのこんなはっきりとした返事は初めて聞く。そう、人は変わる。とくに恋は人を強くする。自分の殻から飛び出させる。人間嫌いではいられなくなる。

若き店長が営業中止の貼り紙を剥がして自動ドアのスイッチを入れると、ドアはウインと音を立てて開いた。私は皆に呼びかける。


「声を! まずは大きな声でお客さんを出迎えることから始めましょ!」

「ラッシュ○ワースリー!」


 不死鳥がすかさず叫んだ。


「そうじゃない!」


 私のツッコミに釣られて、バイトリーダーも守護神もアイドルも人間嫌いも笑った。うん、いい感じだ。時間はもうすぐ十時になろうとしていた。もうすぐセンター便が来る。


×


「お疲れ様です」

「おつかれでーす」


 ずっと寝たままのお坊ちゃんを叩き起こして追い出し、アイドルと人間嫌いを見送って、若き店長はバックヤードにやって来た。制服に着替えている私と守護神を見て眉をしかめる。


「店長業務が溜まっていますよね? 私達が手伝います。あ、もちろんタイムカードは押しませんから」

「俺も別にいいですよ」


 若き店長は何も言わずに事務所に向かった。私と守護神は顔を見合わせて苦笑いする。


「さっ早く着替えましょう」


 センター便が来るから急がないと。

 パサッ

 ハンガーを戻そうとしたら、他の人の制服を床に落としてしまった。

 バックヤードには、皆の制服がハンガーラックにかけられている。週に一度は洗うようにしているけど、それ以外はずっとここに置いたままだ。だから平均、二十着ほどがここには常時かけられているんだけど、落ちた制服につけられたネームプレートを見ると、それは知らない人の名前だった。

 昔の人のかな?


「どうしたんですか?」


 守護神に声をかけられたので、拾った制服を見せる。


「ああ、まだ置いてあったんですね」


 守護神は頷く。


「辞めた人のですか?」

「いえ、休んでるだけですよ。戻って来ます」


 へえ〜でもその人が戻って来る前にお店がなくなっちゃうかもしれない。私の気持ちを守護神は代弁してくれた。


「早く戻ってこないと、出番なくなっちゃいますからね」

「本当にそうですよね」


 落ちた制服をハンガーラックにかけ直す。最後にもう一度名前を確認した。

 善人面。

 そこにはそう書かれていた。

 バックヤードを出ると、ちょうどセンター便が来ていた。


「いらっしゃいませーっ!」

「ようこそお越し下さいましたーっ!」

「新商品いかがですかーっ!」

「ラッシュ○ワースリー!」


 かつてないほど大きな声で私達はお客さんを出迎えた。

 今日はたまたまだけど四人もいるし、こんなに大きな声で呼びかけている。少しずつでも今までの悪い印象を変えてみせる。


「いらっしゃいませーっ!」

「ようこそお越し下さいましたーっ!」

「新商品いかがですかーっ!」

「ラッシュ○ワースリー!」


 お客さんが店内を回るのを見ながら、それぞれの棚の前に高く積まれたカゴの中から商品を手に取って並べていく。


「いらっしゃいませーっ!」


 とにかく大きな声で。そしてたくさん人数がいるから早く終わる。四人で一列に並んでセンター便の品出しをいっせいにやる。よし、とっとと終わらせるぞ!

 どすんっ


「あ、すみません」


 通路を通ろうとしたお客さんとぶつかってしまう。ぶつかった男性は振り向いた私を睨みつけた。


「うるさいんだよお前ら! それに人数多くて邪魔だよ!」


 全否定だった。

 とにかく改善しようとしてやったことの全否定だった。


「ひっく」


 真正面から怒鳴りつけられて、それまで張りつめいていた糸がぷつんと切れた。


「うえっ、ひっく……」


 ダムの決壊みたいに、自分でもコントロールできなくて、


「うええええええええん! ひどいよぉ〜! うえええええええん!」


 私はその場で大泣きした。

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