●新入りの私がヘルマートで真実を知るまで Ⅰ(閉業期)

「こんな所で本当によかったのか? あ?」

「え? こんなに美味しいんですよ? 何か問題ありました?」


 おばちゃんが経営する家の近くの定食屋は建物だけじゃなく、木でできたテーブルとイスも年月を感じさせる。家庭料理が美味しいだけじゃなくとても温かい雰囲気がお気に入り。

 私がまださけ定食を味わっていると、私より早く豚生姜焼き定食を完食したSVは、つまようじで歯ぐきに詰まったものを取りながら、つまらなそうに店内を眺めた。


「こんな店がよく続いてんなぁ。店はボロいし味もしょぼいしよ」


 何この失礼な人。せっかくの美味しい食事なのに食欲がなくなりそう。


「今度はよぉ。もっといい店行こうぜ!」


 SVは舌打ちすると、目をぎらつかせて身を乗り出す。

 声が大きい。おばちゃんは気にしないと思うけどさ。

 ため息を吐きそうになる。SVと連絡先を交換してから一ヶ月が経つ。その間、週に二度はこうして付き合わされている。友達に愚痴ぐちをこぼすと「それってデートじゃん。いいな〜一流企業の社員でしょ? 羨ましい! うまくやってるな〜」とか言われるけど、断じて違う。


 そもそも男喰いに相談したのが間違いだったと今は思う。

 どうやればお誘いを断れるか案を出してもらおうとしたのに、「経験積みなさいよ」なんて言って背中を押して来た。SVも連日どころか、数時間置きに「いつ予定が空くんだよ? あ?」としつこく電話して来るから最終的には断りきれなかった。それ以来、毎回私を買い物や食事に連れて行ってくれるんだけど……ちらっと退屈そうにしているSVの顔を見る。男喰いはデートする上で一つだけアドバイスしてくれた。


「食事は高い店は断る。それと高い買い物はしないこと」


 こういうのって大人の人がお会計持ってくれるから、甘えちゃダメだっておしかりだと思っていたら、「向こうはあなたの体が目当てなんだから、あなたに一定額注ぎ込んだら後は強引にホテル連れ込まむわよ?」とさらっと言われた。でも男喰いの言った通り、SVは映画や遊園地と行った遊び場へ連れて行ってくれたり、私とのコミュニケーションを積極的にとったりすることはない。いつもショッピングと食事のどちらかで、できるだけ高いものを押し付けてくる。


「食べ終わったか? もう行くぞ」


 SVは待ちくたびれたらしく腕時計を確認すると、まだ私が食べ終わっていないことにも気づかないで席を立った。


「あ、待って下さい」


 そのまま振り返らずにお会計へ向かう。仕方がなく、私は残してしまう罪悪感を振り払って後を追う。


「おう。服屋でも行くか! どうせお前は田舎もんでダサい服しか持ってないんだからまた買ってやるよ」


 車に乗ると、SVは次の目的地を勝手に決める。それは今日着て来た服もご満足頂けなかったというわけですね。SVが勧める服ってどれも露出の多い、きわどい服ばっかなんだけど。

 SVはしかめっ面を浮かべて車を発進させる。

 SVはいつも疲れた顔、不機嫌そうな顔しか私に見せない。そして私のことにも大して興味を持ってくれない。今日は何があったとか、どんな友達がいるのか、どういう勉強をしているのか、一切聞いてこない。私を見てはいないのがはっきり伝わる。それでもこの人から感じるのは私の体への強い興味だった。


「おい、来週末も予定空けとけよ」


 片手でハンドルを握ったまま、空いた手で私の肩に手を回して抱き寄せる。これだ。ことあるごとに私の体に触って来て、それが会う度にエスカレートしていく。胸や尻を触られるのも近い予感がする。


「あ〜のどが乾いたな」


 SVは急に思いついたみたいに口に出すと、道の先にヘルマートを発見して駐車場に止める。

 お店出たばっかじゃん。

 計画性とこらしょうがないのもSVの特徴だった。我慢に関しては始めからその気はないのかもしれない。


「おいこれで買ってこい。コーラな。あとお前も好きなの選べ」


 SVにヘルポイントカードを渡されて助手席から降りる。ここにもヘルマートがあるのかぁ。同じエリアだけでも四〇〇近いヘルマートがあるらしい。他のヘルマートに入るのって少しドキドキする。お店のドアをくぐると「いらっしゃいませ」の大きな挨拶に出迎えられる。つい反射的に頭を下げてしまう。


 え?

 愕然がくぜんとした。

 コンビニに関してだけなら、お店に入ればその店がどれくらいのレベルなのか分かるようになってきた。自分が普段やっているので、一般のお客さんでは気づかなかったり、目が届かない細かいところまでチェックしたりするクセがついてしまっている。だからいつもコンビニに入る度に自分達のお店と比べてしまう。

 自分が震えているのが分かる。

 ここって同じヘルマートだよね?


「そんな……こんなことって……」


 店に一歩入った瞬間に、商品の前出しに一分の漏れがなく、各棚に豊富な商品が隙間なく並べられているのが見えた。もちろん、創意工夫がされたいくつものPOPが飾り付けられている。それでいて、どの商品棚もごちゃごちゃ感がないくらいまとめられていた。立ち読みされるから乱雑になりやすい、雑誌のコーナーまで整理整頓されている。

 

 それに加え店内は多くのお客さんで活気づいており、レジではスタッフが笑顔で接客をしている。スタッフとお客さんの間の空気感が温かく感じられた。入り口の前で立っていたら邪魔なので、店内を端から回る。うちのお店は平均的な広さだけど、ここはうちの店よりも広い。この店は車の通行する道路の脇にあって、立地条件ではうちの方が恵まれているはずなのに、お客さんがうちよりも来ている。


 コーラを求めてウォークインへ向かう。ガラス張りの扉の向こうにお目当てのコーラを見つける前に、ここでもまた驚く。

 ジュースからお酒までの全てのドリンクのフェイスが揃えられている。ウォークインの内側でドリンクを棚に補充する際、お客さんが判別しやすいように、パッケージに商品名が書かれている側を前にして補充するのが推奨されている。だけど、ほっといても商品名側を前にして展開するお菓子や紙パックのチルドドリンクとは違って、丸いペットボトルや缶はクルクル回るし数が圧倒的に多い。一個一個確認して回転しないように注意して補充するなんて理想論で、現実の忙しさの前には実行不可能だ。それを、この店は実行している。


 震える手でコーラを取ってレジへ向かう。

 棚に近づいて見ると、商品が置かれている台の上にはホコリ一つ見当たらない。毎時間、きちんと掃除されている証拠だった。続いて床を見る。完璧な前出しや豊富な品揃えだけじゃない。床がピカピカだった。さすがに新品のような眩しさではないけど、毎日しっかりバ他けているのが分かった。レジ前にあるフライドフードのショーケースや中華まんの温ショーケース兼スチームマシンの表面ガラスに、油などの汚れが一切付着していないことに息を呑んだ。うちのはもうどれだけちゃんと洗っていないんだろうか。


「いらっしゃいませ」


 明朗な声で迎えられて商品を出した。


「ヘルポイントカードはお持ちですか?」


 ヘルポイントカードの確認の有無だって、うちのお店の人は限られた人しかやらない。

 スタッフが画面を見て、わずかに眉毛をピクッとさせた。


「……ポイントでお支払いしますか?」

「はい。お願いします」


 私は画面に映ったポイント数を見て「え?」と驚く。六ケタあった。

 眉毛を動かすぐらいの反応に抑えたスタッフをすごいと思う。うちのスタッフだったらその場で騒ぎかねない。


「袋にはお入れしますか?」


 袋の有無を聞くのがめんどくさいうちのスタッフは、全て自己判断で、何か言われてから対応する。


「ありがとうございました。またお越し下さいませ」


 笑顔を絶やさずお客さんの目をきちんと見ての両手で手渡し。挨拶は腰まで頭を下げて一礼する。この接客対応はマニュアル通りのことだけど、うちでは実践している人がほとんどいない。しかもスタッフは嫌々ではなく、楽しそうに生き生きとしている。店を出る前に、入り口前に積まれた買い物かごを見ると、一つ一つがピカピカだった。めんどくさくて一年に一回やるかどうかと言われる買い物かごの掃除まで欠かしていないんだ……

 うちの店とは何から何まで雲泥うんでいの差だった。

 それに比べてうちはつい先日もクレームがあったばかり。



 準夜勤務が終わろうという時間にめずらしくお店に顔を出した若き店長は、私達を集めると、手に持った紙束に書かれたクレームを読み上げた。


「届いたクレームを発表するぞ! お店に入っても挨拶はない。接客は目も合わせない。ヘルポイントカーードの有無を聞いてくれず、後付けを頼んだら嫌そうな顔をする。頼んだフライドフードや箸やストローなどの入れ忘れが多い。いつ来ても、おにぎりやお弁当からパンにドリンクまで商品を切らしていて買うものがない。棚から床までお店が汚い。深夜の時間帯はレジにスタッフが出てこない。レジにたくさん並んでいるのに、スタッフは一人しか対応してくれない。最悪なのは、カードの支払い、メール便や宅配便、チケットやプリベイドカードの発行といった仕事を、理解していないスタッフが多い……お前らっ! 何やってんだ!」


 顔にいくつものあざが見える若き店長の怒声を浴びる。私の隣りにいた人間嫌いは若き店長と目を合わせることもなく、もう一人のドスケベは手に抱えたエロ本をちらちら見てソワソワしている。話を聞いていない二人から若き店長は目を逸らして私を見て私だけを怒鳴る。


「てめえっ! 分かってんのか!?」

「私ちゃんとやってると思います」


 心当たりがないので、さすがに反論する。


「てめえが思っているだけだろうがっ! ふざけんじゃねえぞっ!」


 そう言われると何も言い返せないけど、いかにも当てはまりそうな二人がすぐそこにいるんですけど、ここで私を怒鳴りますか?

 ちらっと人間嫌いを見ると、携帯電話を取り出していた。ドスケベを見ると、エロ本を開いて鼻を伸ばしていた。


「てめえっ、よそ見してんじゃねえぞ!」


 若き店長に胸ぐらを掴み上げられる。それぞれの時間帯の人に順番に説教しているんだろうけど、私に言う前に他に言う人がたくさんいるじゃん。若き店長はいつも自分が言いやすい人にだけ、容赦なく怒鳴り散らす。すごく不平等で理不尽だと思う。そんなんだから、半分以上のスタッフに相手にされてないんだっ!

 目頭が熱くなって、今にも泣きそうになった時、バックヤードのドアが開く音がしてドカドカ足音を立てて誰かが事務所に向かってきた。


「おいっ! てめえ、クレームだけでも問題なのによ! 今月また売り上げ落としやがっ――!! なにさらしてんだぁてめえはっ!」


 視界が涙で滲んで姿がはっきり見えなかったけど、声だけで誰だか分かった。SVは若き店長に突進すると、拳を振り上げて顔面を殴打した。吹き飛ぶ若き店長の体。


「す、すみませんっ!」


 床に倒れて怯えて頭を守るように手で覆う若き店長に、SVはガードの上から蹴りを入れて追撃を加える。


「このバカ野郎が! お前のせいで所長に叱られんの俺なんだからな! オマケに俺の女に手をあげるたぁ、死にてえようだな!」


 ガードの上から何度も蹴りを入れられて若き店長は悲鳴をあげた。


「すみませんっ! すみませんっ! 本当にすみませんっ!」


 若き店長は泣きながらひたすら謝り続ける。私は後ろからSVの腕に抱きついた。


「もうやめて下さい! やりすぎですよ!」


 目を血走らせたSVに私の声はなかなか届かない。それでも腕にギュッと力を入れて必死に叫ぶ。


「お願いですからっ!」


 それから一分近くも蹴り続けて、やっとSVは私の声に理性を取り戻して蹴るのを止めた。

 SVは息を荒げて、床に鼻血をまき散らして横たわる自慢のリーゼントが崩れた若き店長を見下ろす。


「す、すみません……本当にもう、勘弁して下さい……すみま……」


 若き店長はまだ泣きながら謝っていた。暴力による制裁。それがまかり通る職場がヘルマート。思い出してモニターを見ると、レジにお客さんが並んでいる。振り返ると、人間嫌いは携帯電話をいじったまま、ドスケベはエロ本に夢中のままだった。

 二人から目を背けて、私は事務所を出てレジへ行く。



 閉じていた目を開く。陰鬱いんうつな気分を振り払って車に向かった。車に戻ると、SVは電話していた。


「あ、はい! 申し訳ありません。私の指導不足です! はい、本当に所長にご迷惑をおかけしてしまって……」


 SVは電話の向こうの相手に頭を本当に下げながら謝っていた。条件反射っていうやつだ。


「きっちり、けじめを取らせますんで……何卒、ご容赦のほどを……」


 SVの顔は青ざめていた。頷くたびに必要以上に頭を下げる。悪い話なんだと思う。若き店長にしてもSVにしても下には強くて上には弱い。当たり前のことなんだろうけど、あからさま過ぎるから見ていてげんなりする。体育会系の上下関係だと言ったって見ていて気分がいいわけない。


「はい……はい……これからすぐに向かいます。はい……それでは失礼します」


 いつもの大きい声もなりを潜め、最後まで頭を下げ続けたSVは電話を切ると、ハンドルによりかかって大きくため息を吐いた。


「何かあったんですか?」


 買って来たコーラを差し出しながら尋ねる。


「何かあったか? じゃねえよ!」


 SVの罵声が私に飛ぶ。私が知るわけないじゃないですか。SVは舌打ちをすると、


「悪いな。仕事が入っちまった。今日はここまでだ。送っていく」


 SVは休日もあってないようなものらしく、担当するお店で何かちょっとでも問題が起こればすぐ駆けつけないといけない。

 SVは目を血走らせて車を乱暴に発進させる。シートベルトをつけるのがあとちょっと遅れてたら、前ガラスに顔をぶつけてた。

 車は来た道をUターンする。

 苛立ちを隠せないSVとの車中の沈黙がきまずくて、私は話題を探して話しかけた。


「さっき驚いちゃいました。ヘルポイントすごく貯まってましたね」

「ああ。ボーナスがヘルポイントだからな」


 え?


「営業手当とかボーナスの半分はポイントで支払われんだよ!」


 SVは吐き捨てるように言った。


「へえ〜そうなんですか」

「そうなんですかじゃねえよ! 最悪だ! ヘルポイントで支払うなんてどんだけケチなんだよ! うちや提携会社でしかポイントカードが使えないのはまだしも、記録に残るから何を買ったかが本社にバレるんだよ。ヘルマート以外で高額な買い物をしたら、お店で使えって叱られんだ。ヘルマートで何万円も買い物するとか絶対にねえよな!? 皆使い切れねえんだよ! まじいらねえから!」


 どうやら話題を間違えたみたい。


「さっきのお店すごく素敵でした。お店はキレイだし、前出しは完璧、商品もたくさんあるし、スタッフの接客も感じが良くて、お店の雰囲気が最高でした。私達も見習わないといけないですよね」

「あそこは見習わなくていい」

「え?」


 SVが冷たく放った言葉にとっさに耳を疑う。


「あそこは税金対策で複数店舗を経営しているオーナーの店だからよ。店長を雇って自分は、ノータッチだ。契約時の出費が全額負担だからロイヤリティなんてあってないようなもんで、うちの儲けは少ねえから向こうは丸儲けだ。金に余裕があるから、廃棄ロスに神経使うこともねえし、人件費削るためにスタッフを減らしたり、雇われ店長をこき使う必要もない。そういうのがダイレクトに店に表れている店なんだ。いいか! お金があることが気持ちの余裕を生むんだよ! 楽しく店舗運営とかできるんだよ! あーいうのは一握りだ。参考にならねえ。俺の担当じゃねえし!」


『月刊ヘルマート』っていう店舗にのみ配布される小冊子では、毎月、楽しいお店づくり、心温まる接客とかの特集が組まれ、評判のいいお店を取り上げては見習うように呼びかけているんだけど、あれももしかしたらそういうことなの?

 なんだか次から次に夢を壊されてくなぁ。


「おい、ここでいいか?」


 私の家の近くの路地でSVは車を停車させた。


「送ってくれてありがとうございます。それとごちそうさまでした」

 車を降りて頭を下げる。


「おい。今日は夜九時にお店来い」


 え? 何事かと思った。SVは車の前ガラスを向いたまま話を続ける。


「スタッフ全員集めて大事な話がある。いいな?」

「分かりました」


 私がドアを閉めるのと同時に車は走り出した。ものすごいスピードですぐに見えなくなる。

 腕時計を見ると、もう夜七時になろうとしていた。なんだか気になる。私はちょっと早いけどお店に向かうことにした。もう秋になろうという十一月、少し肌寒くなってきていた。


×


 別のコンビニチェーンの新店がうちのお店の近くにできてからもう一ヶ月。その影響はうちのお店の売り上げの低下にはっきり表れていた。八月からずっと売り上げは下がり続けているらしいんだけど、この一ヶ月はかつてないほど下がったらしい。


 お店に入ると、アイドルの「いらっしゃいませ」の元気な挨拶と、顔の痣が痛々しい若き店長の仏頂面ぶっちょうづら出迎えてくれた。お店には他にお客さんはいない。ここ最近の閑散かんさんぶりは本当に深刻だった。首から発注機をぶら下げた若き店長は、私を一瞥いちべつするとそっぽを向いた。SVが「俺の女」宣言して以来、一言も口を聞いてくれない。私は別にSVの女じゃないんですけど。


「おはようございます。どうしたんですか?」


 若き店長とは真逆で、お店の良心であるアイドルは嬉しそうに私に駆け寄ってくれた。


「おはようございます。実はSVが今日の九時にスタッフ全員を集めて話があるっていうから、ソワソワしちゃって早く来ちゃいました」


 若き店長にも聞こえるように言う。若き店長がビクッと震えた。やっぱり、さっきの今だからまだ話は伝わっていないみたい。早く来てよかったと思う。


「事務所で待機していますね」


 若き店長は背中を見せたまま振り返らない。夕勤の時間帯、若き店長がお店に出ていた。いつも電話をしている姿しか見たことがないから、まじめに働いている姿を見たのはこれが始めてかもしれない。


 ここ最近のシフトでは、若き店長がお店に出ることが多くなった。他のスタッフのシフトを削って、固定給の若き店長が働くことで人件費は確かに削ることができる。今では週に二度は深夜勤にも出ているみたいで、その分、店長業務とやらが遅れるから前みたいにすぐ帰ることがなくなった。毎日のように昼勤から夕勤終了までお店に出て、その後から溜まった店長業務をやるので、夜勤に出ない日でも夜中の四時くらいまで店にいる。それでも次の日は朝九時前には出勤しないといけない。深夜勤明けだと家に帰れないから車の中で仮眠しているらしい。以前でもハードだったけど、この一ヶ月はさらにキツくなったから若き店長の顔に生気が見られない。おまけに毎日のようにSVが店に来て若き店長を罵倒ばとうするので、精神的にも追い込まれている。


 お客さんが増えて売り上げが上がらないことには、若き店長は休むこともできない。前みたく電話ばっかしている若き店長が懐かしいと思った。

 喉が渇いたな。ジュース買おう。

 サイフを持ってバックヤード側からお店に出る。すると、ちょうどピンポーンと来客の知らせが鳴った。


 あ、お客さんだ。

 嬉しくなる。お客さんが少なくなった時こそ、来てくれるお客さんのありがたみが分かる。

 野菜のパックジュースを取ってレジに向かった。お客さんが私より先にレジにいた。


 アイドルが接客している。さすがにアイドル人気よりも、うちのお店の評判の悪さが勝っちゃって全盛期ほどではないにしても、まだまだアイドル目当てのお客さんは多い。こういう時こそ、太い客を捕まえられるように頑張って。


 期待を込めてお客さんの後ろからレジの様子を覗くと、不穏な空気を察知した。

 アイドルの隣りで芸能マネージャーのごとく控えていた若き店長が、凶悪犯のような面持ちでお客さんを見ている。お客さんは、お酒のボトルをレジの上に置いていた。アイドルは棒立ちのままで会計する気配を見せない。


 どうしたの?

 明らかにおかしい。問題が発生してるんだ……


「お客様これはなんですか?」


 若き店長が間に入る。ドスのいた声だった。


「間違えて買っちゃったので返品します。レシートもあるのでよろしくお願いします」


 そう言ってお客さんは手に持っていたレシートを差し出す。あちゃ〜返品かぁ。残念だけど、まだ開けていないみたいだし、仕方ないよね。


「できません」


 若き店長は断った。私とアイドルが反射的に顔を見合わせる。気持ちは分かるけど、断っちゃまずいと思う。


「なんでですか!?」


 お客さんが怒りを表す。


「こちらはうちのお店で買った商品ではないですよね?」


 え? 若き店長の冷静な声にハッとする。そっか、別のヘルマートで買った商品か。私は初めて聞いたけど、同じグループだから大丈夫だと勘違いして、返品をお願いしに来るお客さんもいるらしい。


「いいじゃないですか!」


 一歩も引かないお客さん。こりゃ説明が長くなりそうだな。アイドルと目が合って苦笑するけど、アイドルは反応しない。その表情に暗い影が差していた。


「だからうちのお店で買って頂いたのでないと返品に対応できません」


 あ〜あ、まったく退かないお客さんもいるからな。


「同じコンビニでしょ!」


 まぁ、同じヘルマートだけど、店ごとに経営者が違うからねぇ。


「これ、ヘルマートで買った商品でもないじゃないですか」


 え?

 若き店長が今にも爆発しそうなくらいに、顔の血管を浮き立たせていた。


「これ、別のコンビニチェーンで買った商品でしょ? レシートにそう書いてありますよね? 直接買ったお店に行くか、同じチェーン店に行ってもらえませんか?」


 そ、そうなの? お客さんまじかぁ。

 追い込まれたお客さんは息を荒げる。


「なんで、なんでですか!?」

「なんでじゃなくて、常識だろうが!」


 若き店長が我慢の限界を迎えようとしている。

 お客さんは、アイドルを向くと手を伸ばして唇を震わせた。


「か、神対応をお願いします!」


 その瞬間、時間が止まった。

 その場にいた三人のスタッフの中で意識を先に取り戻したのは私、次にアイドルだった。私は手に持っていたジュースとサイフを放り投げてレジ内に走る。アイドルに続いて若き店長の体にガシッと抱きついた。


「あああああああああああああああああっ!」


 最後に残った若き店長は意識を取り戻すことなく、鬼神と化してお客さんに襲いかかろうとレジ台を踏み越えようとする。それを私とアイドルは力の限り後ろに引っ張って押さえつけた。

 このデッドラインを越えたらお店は終わる。


「逃げて! お客さん逃げて下さい!」


 私は叫んだ。


「でもまだ返品が!」


 そんなこと言ってる場合!?


「私の財布がその辺に落ちてます! そこから代金分抜いていいから、すぐ逃げて下さい!」

「ああああああああああああああああああああああっ!」


 今までのストレスが一気に爆発しようとしている若き店長を、これ以上押さえつけていられない。お願い早くしてっ!


「おおっ! 神対応だ!」


 うっさい!

 五千円抜き出してから私の財布をレジ台の上に置くと、お客さんは駆け足で店を出て行く。

 え? ちょ、ちょっと待って、五千円も?


「ああああああああああああああっ! ぶっ殺す!」

「若き店長止めて下さい! 落ち着いて!」

「ダメですよぉ!」


 私とアイドルではこれ以上抑えていられない。もうダメかも。

 ピンポーン

 ドアが開いた。え? お客さん戻って来てないよね?

 ちらっと見たそこには人間嫌いが立っていた。人間嫌いはめんどくさそうにこちらを見た。

 ああ、ダメだ。助けてくれる人じゃない。


「若き店長を止めて! 人間嫌い!」


 アイドルが叫ぶ。ダメだよ、アイドルだって人間嫌いの心を動かすことはできないと思う。でも、腕に力が入らなくてもう限界だった。


「今行くっ!」


 人間嫌いがものすごい勢いで真正面から若き店長に抱きついて、全力で押さえつけた。

 え? うそ?


「若き店長落ち着いて下さい!」


 人間嫌いの加入で、流れは一気にこちらへ傾いてくる。やった! でもなんで?

 人間嫌いは若き店長とがっしりとスクラムを組んで微動だにしない。

 人間嫌いすごい!

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