火曜日
コンビニの売り上げは立地条件に左右される所が多いと思う。駅前や学校などの近くなら、ほっといてもお客さんが来てくれそうだ。反面、僻地だと集客にとても困る。
うちの店は、駅や学校といった施設の真ん前にあるわけではないけど、住宅街の中心にあって客数が安定していた。
お店の入り口前には、もうアルバイト募集のポスターが貼られている。募集されている時間帯は、バックレの入っていたシフトだった。なんという早さ。
あきれながら自動ドアをくぐった。
夕方勤務に入るのは数ヶ月ぶりだった。時間帯によって仕事内容が違うから、把握する事から始めないといけない。
今日同じシフトに入るのは、女子高生のアイドルだった。
お店のアイドルである彼女は、入ってまだ間もないが、一生懸命に仕事に取り組んでいて、覚えも早いと評価されている。同じ女子高生でも、巨乳と違って声も大きく出す。
なによりも、彼女の集客力は本物だ。入ったばかりの時に重なったお菓子メーカーの特売セールで、イベントガールを務めた彼女のレジにものすごい行列ができたほどだ。もちろん、数時間で商品はあっという間に完売し、彼女が数時間のうちにもらったラブレターの数と口説かれた回数は合わせて三桁にせまった。アイドルがかわいすぎて、お客さんに口説かれるから仕事に支障をきたすのがお店の悩みだろう。その噂の彼女と初めてシフトがかぶったから、少し身構えている。仕事終わらなかったらどうしよう。
「若き店長、まだバックレから連絡はありませんか?」
自分でも電話をかけたりメールを送ってはいたけど、コンタクトはとれていなかった。
若き店長は、また不機嫌そうな顔で机からこちらへ振り返る。
「あんな奴もう知らねえよ!」
そんな言い方ないでしょと叫びたくなるのを堪える。バックレだってもう一年以上も働いてくれているんだ。何かあったんじゃないかって心配するのが人情じゃないか。
「そんなことより、今日は頼んだぞ。アイドルが入っている日はバカな男どもが多く来るからな」
若き店長は、お店の監視カメラで映した映像が表示された机の上のモニターを観た。男性客が多いって話はまじでそうなんだ。アイドルも大変だな。彼女はかわいくてモテるらしいが実は引っ込み思案で、彼氏も作れないと聞く。男に群がられたらしんどそうだ。
若き店長はため息を吐く。
「客寄せパンダとしては優秀なんだけどな。仕事がはかどらん」
この人はいちいち引っかかる物言いをするなぁ。半年も経ってさすがに言い返すのは諦めてはいるけど、聞き流すのは簡単じゃない。
イライラするだけだから、着替えが終わったらすぐ事務所を出た。レジにはもうアイドルがいて、パートの方とレジに差額が出てないか点検している所だった。
「おはようございます」
バスケット選手並に背が高い180センチオーバーのパートリーダーと、静かなること林のごとくと言われた静寂のお二方は、俺に気づいて挨拶を返してくれた。
「この時間に入るのは久しぶりじゃーん」
パートリーダーは近づいて来てバンッと背中を叩いた。
痛い!
女性とは思えないほど力が強い。
「アイドルと一緒だからって、仕事おろそかにするなよ!」
パートリーダーはもう一回背中を叩いて、カカカと大声で笑う。
だから痛いって!
「ならないですよ」
何を言ってんだよ、この人は。
「パートリーダー、2レジも合っていました」
規則通り長い茶髪を後ろに結んだアイドルがレジ点検の終了を告げると、
「本当に? じゃあ上がるね。お疲れさま!」
パートリーダーは高い声でそう言って事務所に入っていった。
あの人は本当にいつも元気だな。
事務所のドアが勢いよく開く。
「あ、そうだ!」
パートリーダーだ。
「ちょっと、ちょっと……」
パートリーダーは俺を手招きする。呼ばれるままに駆け寄る。
「どうしたんですか?」
どうせろくなことじゃないんだろうけど。パートリーダーは俺に耳打ちしてきた。
「アイドルは今彼氏がいないって、ガンバレ!」
本当にろくなことじゃなかった。事務所のドアが再び閉まると同時にため息が漏れる。
きっと、誰にでも言っているんだろうなぁ。困った人だよ。
あれ?
そこで気づいた。
「静寂〈せいじゃく〉は?」
もう一人のパートの静寂はいつの間にかいなくなっていた。キョロキョロと店内を見回してもどこにもいない。レジの中にある入り口ではない、店内にあるもう一つの入り口からいつの間にか事務所に入ったようだった。
いつもの事だ。あの人は気づかないうちにいなくなるんだ。
「今日はよろしくお願いします」
こちらが挨拶するよりも先に、アイドルは近づいて来て頭を下げた。こんなにかわいいのに礼儀正しいんだもん。今日の仕事で何があってもフォローしたい気持ちになるよな。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
顔を上げたアイドルを見ると、確かに自信満々にはほど遠い表情だった。かわいい女の子はだいたいが、わたしはかわいいんですと顔に書いてあるのに彼女には、何かに怯えた色が見える。本当に人間に慣れていないんだと思った。これじゃ、容姿だけ見て口説いてくる男達は相当に負担だろうな。俺が守ってあげなきゃという気持ちがわいてくるのをなんとか押さえ込む。アイドルはまさにすぐに散ってしまう儚い花のようで、男に守ってあげたいと思わせる魅力があった。
さて、仕事だ。
仕事が始まって三十分も経つと、店内は異様な光景になった。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
頭を上げると、1レジにお客さんはもういない。買い物を済ませたお客さんはレジ前の通路をまっすぐ歩いていけば出口なのに、わざわざ迂回して店内をぐるりと一周してから店を出た。直線の通路をふさいで、コーナーで直角に曲がって伸びた大行列が視界に入る。
チラッと隣りの2レジを見れば、アイドルが口説かれていた。
「よかったら、バイト上がりにライヴにおいでよ?」
ギターケースを背負った男は、チケットをアイドルに差し出していた。
「すみません、他のお客様が待っていらっしゃるので」
アイドルは頭を何度も下げて受け取ろうとしないが、男は食い下がる。
「今日が無理でも、今度でいいしぃ」
「本当にすみませんっ」
「そういわないでよぉ〜」
アイドルはただひたすら頭を下げて謝り続ける。
俺は恐縮しっぱなしのアイドルを横目に、レジの隣りにあるフライドフードのショーケース内に減ってきた揚げ物を補充する準備に入る。
今のうちにあげなきゃ、あとはお酒やジュースのショーケースの裏側であるウォークイン冷蔵庫でドリンクの補充、店内の品出し、鮮度管理、清掃、発注がつっかえている。数時間ほどのシフト勤務内で一人で終わるかな?
アイドルのいる2レジは男性客の行列ができていた。
「おいってめぇ! いいかげんにしろよ! 後がつっかえているんだよ!」
列の真ん中の、レスリング部の刺繍が入ったジャージを着た、格闘家特有の耳がつぶれている男が怒鳴った。
いや、1レジ空いてるんだよねぇ。
バンドマンは、さすがにこれ以上粘るのは諦めてバツが悪そうにギターケースを持ってレジを離れる。次にレジに躍り出たのは、アロハシャツを来た金髪の男だった。
よく見ると男は手に何も持っていない。
「フライドチキンもらえる?」
そう言って、ちょうど品切れの商品を注文した。
アイドルがこちらを向いたので、今すぐ揚げるとジェスチャーで伝える。
「五分ほどお時間いただけますか?」
アイドルが頭を下げると、男は狙い通りといった顔で、
「ここで待つよ。その間、君の事教えて」
「てめぇ、ふざけんじゃねえぞ! どんだけ待たせれば気がすむんじゃボケェ!」
格闘家がまた怒鳴った。だから、1レジ空いてるんだって。
チャラ男は舌打ちをしそうになるのを慌てて止めて、レジの横にズレる。今度はスーツ姿のサラリーマンに順番が回った。
「お前ら早くしろよなっ! もたもたしてんじゃねえぞっ!」
格闘家が今にもしびれを切らしそうだ。
だから、1レジ空いてるだろうが。何で誰も並ばないんだよ!
結局、2レジは夕方勤務が終わる間近まで列が途切れる事はなく、俺は一人で女性客相手にレジをやりながら、フライドチキンを揚げ続け、ウォークの補充をし、店内の品出しをし、鮮度管理をし、清掃、発注をやったのだけどきちんと終わらせる事ができなかった。
夕方勤務の終わりに若き店長に事務所に呼びつけられた。
「てめえ何やってんだよコラッ! 給料泥棒か? あん?」
顔を鼻先まで近づけてすごんでくる若き店長に、必死に怒りを抑え込む。さんざん怒鳴りまくっていた格闘家にダブって見えた。
間違ってるのあんただよ!
「すみませんでした。今後は気をつけます」
若き店長は舌打ちすると、
「このあと終わらせてから帰れよ。あと、今度会うまでに反省文書いてこい」
それだけ言ってまた机に向き直った。
どんだけ叫びたかったことか。でも、ここは抑えた。今日はバックレの代わりだったので夕方勤務だけでなく、実はこのまま延長して準夜勤務に移らないといけない。バックレは、火曜日は夕方と準夜の時間帯をまたいで勤務しているのだ。準夜勤の時間は、開始間もなくにセンター便が来るので気持ちはそっちに行っていた。
若き店長は今日こそは手伝ってくれるんだろうか?
「おはようございます」
事務所の店内入り口側のドアが開く音がして、業界用の挨拶をしながらお坊ちゃんが入って来た。育ちが良いお坊ちゃんは、仕事に対するモチベーションが低すぎるのでこの後も大変になるなと思った。
「すみません、レジ点検に戻ります」
アイドルはもうシフト上がりだけど、俺はこのまま引き継ぐのでこんな事務所にいる場合じゃない。センター便が来たら、届けられた商品の陳列をやりながらレジも見なくてはいけない。普通、センター便の品出しが重なる時間帯は、シフト人数を二人じゃなく三人以上にするもんだけど、うちの店は人件費削減のために最低人数しか置かない。他もそうなんだろうか?
そうであっても、その場合は店長自らが手伝いに来てくれると思う。
うちの若き店長は、毎回、そんな腹づもりはないようだ。
「おはようございます!」
お坊ちゃんが着替えてレジに出てくると、ちょうどセンター便の配達者がお店に入って来た。商品が入ったケースを何個も重ねて台車に乗せて運んでくる。ケースを床に置くと、配達者は出て行く。これがあと何往復か続くのだ。
「俺が、検品チェックするから、レジお願いね」
「分かりました。よろしくお願いしまぁす」
あくびを噛み殺した声で返事するお坊ちゃん。お坊ちゃんに任せてしまうと、通常の倍近く時間がかかるから、俺がやらなきゃ。
「お疲れさまでした」
その間、アイドルが頭を下げて事務所に入っていく。ずっと、男に群がられていた彼女の顔は疲労の色が濃かった。同情してしまう。かわいいけれど、純粋な彼女には男達の思いはまさに重荷でしかないんだろう。彼氏がいたなら、守ってもらえるんだろうけど。
おっと。
雑念を振り払って、商品棚の前に積まれたケースの元へ行く。手に持ったバーコードを読み取って商品の過不足をチェックする検品機を、商品のバーコードに当てていく。うちの店のセンター便の量だと、一人で品出しをするなら一時間以上かかる。この時間帯は仕事帰りのお客さんが一番多く、レジからなかなか離れられないからだ。俺もブザーが鳴る度に中断して、レジへ駆け足で戻る。どう考えてももう一人欲しかった。必要以上に時間がかかって、この後の仕事が終わらなくなってしまう。
レジで接客をしていると、私服に着替えた若き店長とアイドルが事務所から出て来た。
若き店長はアイドルを守るように、その肩に手を回している。俺とお坊ちゃんを見ると、
「じゃ、あとよろしく」
片手を上げてレジ前を素通りして店を出て行った。
言葉が出ない。というかそれどころじゃない。レジの前に並んだお客さんから目を離すわけにいかないし、仕事が山積みされているのに無駄な時間は使えない。
そっか。無駄なんだ。若き店長がセンター便を手伝ってくれるという期待を抱くだけ無駄なんだ。
いやいや、ツッコミどころが違うぞ。若き店長は、アイドルを送っただけだよな?
今日初めて見たけど、男どもに待ち伏せされていたら危ないから気を利かして家まで送り届けているだけだよな?
それなら何の文句もないし、正しいと思う。本当に、それだけならいいんだ。これ以上は、ゲスの勘ぐりだ、止めよう。
一瞬、カッとなったけど、アイドルを送り届けるのは当然のことに思えて冷静になれた。今まで一度も若き店長がセンター便を手伝ってくれた記憶もないし、話を聞いた事もないからまたかと思ってしまったんだ。落ち着こう。
センター便が終わる頃には、店内にいるお客さんが減っていた。お客さんの来店のピークは過ぎたみたいだ。空になったケースを全てお店の外に積み終えて店内に戻ると、レジにお坊ちゃんの姿はなかった。事務所に引っ込んだのかな。彼も疲れたんだろう。
俺は、もう消費期限前に下げなきゃいけない廃棄品をチェックする時間なので、商品棚を再び回った。間もなく、今日の分の雑誌も届けられる。夕方勤務から仕事はずっと押していた。
「レジお願いします」
お客さんに声をかけられてハッとする。
レジって、お坊ちゃんはどうした?
事務所に引っ込んだまま?
慌ててレジに走って、お客さんの接客をする。
「ありがとうございました。またお越し下さいませ」
頭を上げると、すぐに事務所のドアを開けた。
まさか!
レジ見ててくれないと困るというのに、唖然としてしまった。
お坊ちゃんは、若き店長の机の上にうつ伏せになって寝ていた。
「また?」
自分でも口から出て来た言葉に悲しみを覚えた。いつものこととはいえ、またサボっているのか。
「おい。起きろよ」
お坊ちゃんの肩を掴んで揺さぶる。
「う〜ん」
お坊ちゃんはうなり声をあげた。
「ふざけんなよ、マジで! 何を考えてるんだよ」
力強く揺さぶると、お坊ちゃんはやっと目を開いたが、体を起こそうとしない。
「今仕事中だろ」
「あと五分だけ寝かせて下さい」
何なんだよ、こいつは。いつもいつも。
仕事が立て込んでいるのに、せめてレジぐらいやってくれ。
だけど、お坊ちゃんは頑に起きようとはしなかった。諦めて、雑誌が来るまでは寝かせてやることにする。
廃棄を下げ終わると、ちょうど雑誌と書籍が来た。最近の雑誌は付録が多いので、かさばるし荷造り紐で綴じるのがめんどい。お坊ちゃんはまだ起きてこない。だが、あと数分で深夜勤務の人が来るから諦めた。
「あ、おはようございます」
ドアが開いて、眼鏡をかけたドスケベが入ってくる。彼は親に十分な仕送りをもらっているので、週に二回ぐらいしかアルバイトしない。地方から昇って来たばかりの純朴そうな顔をしているのだけど、ドスケベだ。ただし、盗撮とかは絶対にしない健全な男だ。
「あれ? お坊ちゃんまた寝てるんですか?」
その一言で、俺と一緒じゃない日も変わらず寝ているんだと知った。
「起こして来て。それが無理なら、早く手伝ってくれ」
ドスケベは苦笑いを浮かべて、お店側の入り口から事務所に入っていった。
この店は深夜勤務も一人だ。これも人件費削減のためだが、事件が起きたら責任を取らされるのは本部だろう。深夜勤務は、赤字しか出ないがそれでも安全のために最低二人であるべきだろうけど、お金の前にそんなきれいごとは吹き飛ばされる。
きっと、アルバイトが死んでも構わないのだ。
「いいエロ本入ってますか?」
着替えてレジに入って来たドスケベは、開口一番にそれを聞いた。
どうだろ?
趣向は人それぞれだから。
入って来た雑誌の束から、成人誌を取り出して手渡した。
「うほっ」
ドスケベは嬉しそうな顔をする。あとで休憩する時に読むつもりなんだろう。自分が読むつもりの雑誌を買い物かごに次々放り込んでいく。
ため息がこぼれる。仕事が終わらない。お坊ちゃんは起きてこない。このまま、間違いなく勤務終了後にサービス残業をすることになるんだろう。うちのお店は一分だって、勤務時間超過は認めていない。だから時間になったらタイムカードを切って、形の上では仕事が終わったことにしなくてはいけない。
お店の電話が鳴った。
「俺が行ってくるよ」
この中で、一番まともな電話対応ができるのは俺だと判断して事務所に走る。
一人は寝ているし、一人はエロ本に夢中だ。
「はい。毎度ありがとうございます」
電話に出ると、「おはようございます」と返って来た。
「朝勤務の普通です。バックレいますか?」
朝勤務の普通は、一般的な大学生だ。
「今はいない。代わりに俺が入っているんだ。どうしたの?」
「実は、大学のレポート作成がはかどらなくて、明日、いやもう日をまたいだので今日の朝勤務を代わってもらいたかったんですよ。前からそんな話はしていて、バックレは必要なら断らないって言ってくれてたんで」
ああ、大学生らしい判断だ。俺は事情を説明するのもめんどくさいと思ったので、
「分かった。俺が出るよ。でも準夜勤務の後にすぐ朝勤務はキツイと思う。今度からなるべくシフト考えて人に頼んでね」
「分かりました。よろしくお願いします」
電話が切られた。そりゃ、誰だって頼みやすい人に頼むわな。
受話器を置いて、まだ寝ているお坊ちゃんの肩を掴んだ。いいかげん起こさないと。
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