月曜日
コンビニエンスストアでアルバイトを始めて、もう二年が経つ。
この間、仕事を無断で休んでそのまま来なくなった人(通称、バックレた人)は数えたらもう五人だった。
そして今日でもう六人目になる。
「おい、ふざけんな!」
事務所から若き店長の叫び声が聞こえてくる。事務所はレジのすぐ隣りなので、お客さんにも筒抜けだ。若き店長は何かあるとすぐ、「ふざけんな!」と怒鳴る。
レジに並んだお客さんの会計が終わると、レジの中にある事務所のドアが開いて若き店長が顔を出した。
若き店長は、俺と年が変わらないほどに若い。今年で二十四歳だ。
精悍な顔つきと学生時代にラグビーで鍛えたというガッチリした肉体が、スポーツマンの印象を与えるが、魚のように死んだ目とその下にある黒いクマが爽やかさからほど遠い。
「ちょっと来い」
呼ばれてすぐに事務所に入る。若き店長はイスにもたれながら、疲れきった顔を上げた。
「バックレの奴と連絡が取れない。おまけに今日の深夜勤務の奴は早く来れないだとよ。今、守護神に連絡したから、来るまで一人でやってくれ」
お前も手伝えよと叫び出しそうな気持ちよりも、バックレが来ない事が気になった。
実はもう十分も遅れている。
「何かあったんですか?」
バックレは、お店で一番まじめに仕事をするバイトだ。無断欠勤どころか、遅刻だってしたことがなかった。
「俺が知るかよ。なんかあったのかもしれないけどさ。まぁ、あとから連絡くれるだろう」
確かに。バックレのことだから、あとで連絡くれるかお店に謝りに来ると思った。バックレ常習犯の不死鳥のように決して、いいかげんなことはしない奴だ。
特別親しかったわけでもなく、気にかけていたわけでもない。ただ週に何回かシフトが重なっていただけの後輩だが、それぐらいの信頼感は持っていた。
事務所を出てお店を眺めた。
うちはコンビニとしてはごく平均的な大きさの四角い箱の店内だ。
上辺は、レジカウンターに中華まん、フライドフードのショーケースとおでん。
右辺は、窓際で入り口とATMと本棚。
底辺は、お弁当やおにぎり、サンドイッチ、パスタ、サラダ、スイーツなどの冷蔵食品、チルドドリンクと栄養ドリンクの棚。
左辺は、冷蔵庫のショーケースに入ったお酒やジュースとアイスや冷凍食品のショーケースがある。
タバコは売っていない。
通路を塞ぐように四角いエリアには、裏表セットになった三つの商品棚が平行に設置され、これによって六種類の商品ブースが確立されている。窓側から向かって、生活用品、文房具、カップ麺やインスタント食品、お菓子、ポテトチップスなどのスナック菓子、パンが並ぶ。
補充の冷蔵食品やチルドドリンクが、センター便でお店に届けられる準夜勤務の時間帯、接客をやりながら届いた食品を商品棚に陳列していくのはあまりにも酷だったが、それから一時間を耐え忍んでいると守護神が駆けつけてくれた。その間、若き店長は長電話を続けているだけで、一度も外に出て来てくれなかったので、守護神が来てくれて本当にありがたかった。
呼べばいつでも駆けつけてくれる守護神は、このお店に欠かせない男だ。
「バックレどうかしたんですか?」
「それが来ないんですよ」
「じゃあ、二度と来ないっスね」
相手が年上でも丁寧語を使う人格者の反面、人を見限る早さがハンパないのが守護神だ。
「そんなことないですよ。事情があったんでしょう。きっとあとから来ますよ」
「いーや、来ないな」
それ以上は返す言葉がなかった。
まぁ、いきなり呼び出されたんだから怒ってこんなことを言っているのかもしれない。いつも辛辣な言葉を吐く守護神には時々げんなりするけど、今日は仕方がないと思った。
だけど、その日は本当にバックレから連絡は来なかった。
「何かとんでもない事情があったんですよ。事故とか」
シフト上がりに、まだ業務が残っているので帰れない若き店長に声をかけると、若き店長は振り返ってギロリとこちらを睨んだ。
「何かあったって連絡できるだろうが!」
だから、事故とかにあったらできないでしょうに。一人暮らしなんだから親がバイトを把握しているわけでもないし。
「とにかく、来るかどうかも分からない奴を当てにはできない。明日、もう日をまたいだから今日か。どっちか夕方勤務に入ってくれ」
バックレは夕方勤務も入っていたな。
大変なわりには時給も低い夕方勤務はみんなやりたがらない。年齢制限で準夜勤務をできない高校生がもっぱら担当しているけど、大学生も何人か引き受けていた。バックレもその一人だ。
「俺が出ます」
このまま守護神に代わってもらったら、バックレのシフトが消されてしまう危機感を覚えて自分が名乗り出た。事情が分からないうちは庇ってあげたい。面倒見がいい先輩ではないけど、若き店長の冷たさに反感を覚えたからだ。
若き店長は、フンッと鼻を鳴らすとそのまま体を机に戻した。
店長の携帯電話が鳴る。一瞬、バックレかと思った。けれども、先にお店の電話にかけるはずだと気づいて首を横に振った。
「おう。もう終わるよ。バカ、忘れてねえよ。今日は一緒に日本代表のアウェーの試合観るの楽しみにしていたんだから! あと十分もしたらここを出るから」
俺や守護神に聞かれる事もお構いなしで、若き店長は電話の相手と会話を弾ませる。
「おう、明日お前も昼勤務からだろ? そのまま一緒に出ようぜ」
電話の向こうの相手は、サポーターだと分かった。サポーターは三十代半ばの独身女性だ。熱狂的なサッカーのファンで、海外での大会や四年に一回のワールドカップにはもちろん、仕事を辞めてでも応援に駆けつける。学生の時からそんなことをやって職を転々としてきて、今はこのお店で働いている。若き店長がこのお店にやってきて間もなく、デキあがっていた。
俺と守護神は、邪魔にならないように頭を下げて事務所を出た。
この店は本社直営だ。店長は、本部社員になる前に研修で派遣されてくるので、一年ごとにコロコロと人が入れ変わる。今の若き店長も、つい半年前にこの店にやってきた。
俺は三年目になるけど、店長は毎回、みんな若いので接しづらいのが本音だ。店長の仕事がハードなのは分かるけど、若さからかみんな心に余裕がなくて人当たりがキツイ。
「守護神は嫌になったりしないんですか?」
真夜中の帰り道、いつも便利屋扱いの守護神に聞いてみた。
「いや、仕事を頼まれたら断らないんで」
「すごくないですか? どうして?」
「俺がかっぺだからですよ。田舎の人間は人付き合いを大切にするんで、断るという考えが浮かばないんですよ」
地方出身の守護神は、確かに人付き合いがすごくいい。でも、みんながみんな守護神みたいなわけじゃないと思った。だって、守護神と同じ出身の不死鳥みたいな奴もいるし。
「あいつは、また別なんで一緒にしないで下さい。」
守護神は、タバコに火をつける。横を歩く守護神は体は大きいが、年々ぽっちゃりになっている気がする。アルバイト以外は、いつも酒飲んで飯食って寝るという生活を送っているからだと思う。コンビニのバイトはそんなにカロリーを消費する仕事じゃないから、かなりシフト入っているはずなのに変化が見られない。
「体大きいですよね」
「夜中に酒飲んで、飯食っているからですよ。一番太りやすい時間帯にそんなことやっているから痩せない」
「分かってるのにやっているんですか?」
「いや〜体型なんかどうでもいいですわ」
守護神はタバコの吸い殻を地面に捨てると、靴で踏みつける。
「でもさすがに若き店長ぐらい勤務すると、痩せるんじゃないですか? うちのコンビニチェーンの店長はやっぱり大変ですから」
就任してからの若き店長の消耗ぶりを思い浮かべる。体重はもちろん落ちるし、目に光はなくなるし、顔色はどんどん悪くなり、性格はますます悪くなる。
月に四百時間以上も働けばそうなっちゃうか。
「うちのコンビニチェーンの加盟店の店長ですか? なったら地獄でしょうね。先なんてないじゃないですか。体壊して終わりですよ。うちの場合、加盟店はロイヤリティと言って毎月の売り上げの何割かは本部にとられるんですよ! 出店時にお金を多く出資したオーナー店なら取られる額も少なくすんで利益も多くもらえるでしょうけど。だいたいの店がロイヤリティを多く取られるから、まずは人件費を少しでも浮かせようと店長が休まずに深夜勤務にまで出る所もめずらしくない。そこまでしたって、もともと商品の利益率が低いからほとんど儲からないときた。やってらんないですよ! まぁ、あの人は社員だからまた査定が別なんでしょうけど、研修が終わって本部所属のスーパーバイザーになったって、安月給で不眠不休で担当店舗を回って売り上げアップのために働くわけですよね? 俺は絶対、嫌ですね」
守護神はニヒルな笑いを浮かべながら、二本目のタバコを取り出す。
あながち、言い過ぎじゃないから怖い話だ。うちのお店にやってくるスーパーバイザーの方は皆今にも倒れそうなぐらいに疲れきっている。もちろん、これはうちのお店だけの話だ。ほかでは生き生きとやっている人もいるだろうけど、うちのコンビニチェーンは離職率が高いからほとんどないと思う。
「俺は金持ちになりたいから、選ばない道ですね」
守護神はそう言ってタバコを吹かす。
まぁ、うちのコンビニチェーンで働くのが大変なのは今さらの話じゃないと思った。
だから若き店長みたいに、空いた時間は彼女と過ごしたいんだろうな。
あ。大事なことを思い出した。
もうインターンシップが始まるというのに、バックレのシフトを穴埋めして大丈夫なのだろうか?
バックレが何事もなく戻ってくることを信じるしかなかった。
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