エピローグ

 ヴァルシュナ戦役終結───


 勝利を収めたミッドガーズ軍は意気揚々と自国に凱旋していたが、その中に肝心の英雄達の姿は無い。


 彼らは仕留め切れなかった青き魔、ストウナに計り知れない危険を感じ、軍を離れて追撃をかけていたのだ。魔王と結託されて挑まれれば、さすがの英雄達も危うい。


 だが、ストウナの逃走速度は思いの外速く、配下の魔物達による遅滞戦も相まって、追いかけるうちに魔王の居城近くにまでたどり着いてしまっていた。


「あそこに魔王が……」


「逸るなよレクス。今の私達の目的はストウナだ」


「分かっています。たった四人で挑むことが無謀だと言うことは、十分に……」


「そうだ。気持ちは分からんでもないが冷静になれ。現状でも近づきすぎているくらいなんだ」


 とんがり帽子を被った青年、グランスに窘められてしまったが、少年とて理性的な部分では理解している。ただ、それ以上に感情の波が揺れ動いてしまう。


「もう少し、近づいてみましょう」


「レクス」


 グランスの厳しい視線に射抜かれたが、レクスは物怖じすることなく、淡々と、勤めて冷静な自分を保ったまま魔王城を見やっていた。


「違いますよ。城の……たぶん、入り口辺りだと思うんですけど、何か様子がおかしい……アイヴェ、何か感じないか?」


「んー?確かになんか妙だねえ?魔力がざわついているってゆーか……ね、ミーティはどう?」


「私は……いえ、何かざわつく感覚はしていますけれど……」


 四人の中で最も魔術を得意とする桃色髪の少女、アイヴェが異変の走りを認めると、金髪の少女ミーティが自信なさげにもやはり肯定する。


 グランスはとんがり帽子に手を当てて、やれやれと頭を振った。


「それは私も感じているがな、あそこは魔王城だぞ?いくらでも理由は───」


 その言葉は、突如として巻き起こった莫大な魔力の迸りに遮られた。離れた位置ですら感じ取れる程に強大な魔力高まり。四人は示し合わせることもなく、一斉に魔王城へと顔を向ける。


「アイヴェ!これはストウナだよな!?」


「うん、間違いないよ!でもあいつがこれだけの魔力を放出してるって事は───」


「誰かと交戦しているのかもしれません」


「魔王城でか?バカな、一体誰が……」


「グランスさん、確認に行きましょう!もし人間だったら助けないと!」


「仕方ないか。ただし、場合によっては逃げるぞ、いいな!」


「はい!」


 議論もそこそこに、四人は魔王の居城へと向かって走り出す。特にレクスの勢いは凄まじい。まるで何かにとり憑かれたかのような必死の表情で突き進んでいく。


 がさがさと草の根を掻き分ける音のみが嫌に響く。

 周囲は余りにも静か過ぎた。虫ですら何かに怯えて声を潜めているようだった。


 違和感が付きまとう中、木々の隙間を走りぬけ、辿りついた先で英雄達を待っていた光景は───


「あれは……ムオンさん!?」


 血まみれで立ち往生している一人の男だった。その足元には焼け焦げた塊が乾燥した泥のように固まっている。


「ミーティ、回復をッ!」


「いや、無駄だろう。あの傷ではもう……」


 やや遅れて到着したグランスは息を整えながらムオンへと近づいていき、その首筋に手を当てた。やはり脈はない。目を閉じたまま首を横に振る。


「そんな……どうして、こんな……」


「なんとなく、この人はそーなる気はしてたけどね……」


 口元に手を当て、ミーティはわなわなと震えているが、アイヴェは一つ溜息をついて瞑目するだけだった。


「頼みがある」


 沈黙が支配する中で響いたそれは、確かに英雄達がかつて聞いたムオンの声だった。予想外の声に固まる英雄たちだったが、声はその様子に気を払うこともなく続ける。


「……聞いてくれるか?」


「ムオンさん、生きて……!」


「そうではない」


 突如、凄まじい魔力奔流が吹き荒れ、男の体で唯一無傷だった右腕が光を放って浮かび上がった。


「とっ、とんでもない魔力だよ!皆気をつけて!!」


 アイヴェの警鐘に即座に反応した四人がそれぞれ剣を構え、術式を構築する中、光はゆっくりと本へと形を変えていく。


 それは、究極の───願いを叶える術式を宿した魔導書。

 ムオンと共に歩み、魔王へと嘆願し、それでも願い叶わなかった生き様全てを見届けた人でなしの相棒。男が諦めなかったがゆえに、その存在を守り通された、それ単体では何の力も持たぬ、唯の書物。


「もともとこの男は声を持っていなかったのだ。今まで彼奴きゃつの声だと思っていただろうが、すべて我が代弁していたに過ぎぬ」


「それじゃあムオンさんは……!」


「死んだ」


 有無を言わさぬ断言に、英雄達は絶句する。その中で唯一平静を保ち続けていたのは、人外の精霊を相手取り、あまつさえ使役する術師、グランス・F・マイスターのみであった。


「……彼の遺体は丁重に葬る。それ以外に何か頼みがあるのか、得体の知れない魔導書よ。私には貴様が唆した結果にも思えるのだがな」


「グランス・F・マイスターよ、それは事実と異なる。汝らが信じるかは分からぬが、我の───ムオンという男の願いはそれを証明するだろう」


「ムオン君の願い?」


「そうだ。頼みというのはそれだ。ムオンの、彼奴の願いを叶えて欲しい。魔王と交渉が決裂した今、汝等をおいて他に頼れる者はいないだろう」


 願いを叶えたい。自身が成せぬのならば、誰かに託したい。それが、命が燃え尽きる時まで足掻き続けた男の最後の想い。


 意思は消えても遺志は残る。

 人ならざる魔導書もまた、それを自らの願いとしていた。






 ◆






 ひとつの墓の前で女性がたたずむ。


「なあ、無音ムオン


 女性はその美しい風貌に似合わない言葉遣いで語りかける。

 瞳は悲しげな光をたたえていた。


「我は汝の本当の名すら知らぬ。無論、汝が求めていた人間の姿もだ。だというのに、見よ」


 女性は両手を広げ、天を仰ぐ。今の自分を空に誇示する様に。


「この姿は汝が望んだその人か?我には確認するすべもない」


 問いに対する答えは無い。墓前で何を語ろうと、返事をするものはない。

 ただ、無機質な墓石がそこにあるだけだ。

 それでも、それは証なのだろう。

 誰かが死に物狂いで生き続けた証。

 それはこうして形となった。


「せめてもの手向けだ。我はこの姿で生きていこう」


 それは彼の願いゆえ。

 それは彼女の想いゆえ。


「さらばだ。我が主よ」


 墓前を立ち去るその姿は、確かに生きた証だった。





 ── 了 ──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

刻まれるは生きた証 神賀 @kamiga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ