第148話 消えない火 五

ふみ 「皆様、ご無沙汰致しております」


 その声に、思わず歓声が上がる。 


   「まあ、ふみ殿。お元気そうではないですか」

   「いいえ、益々お美しくなられ、とても、お子様がいらっしゃるようには見

   えませんわ」

   「ほんに、お羨ましい限りです」


 と、久しぶりに仁神家の茶会に出席した、ふみを口々にほめそやすが、皆の視線はふみの着ている着物に釘付けなのだ。

 きっと、新しい着物を着て来るに違いない。どんな着物であろうかと、彼女たちの関心は尽きなかった。


----あれが今流行りの柄…。

----いいわねえ…。

----呉服屋の嫁も悪くない…。


 そんな中、八千代だけは面白くない。


----真之介め。この前の当てつけか…。


 きっと、今日の茶会にために誂えたに違いない。また、ふみはどこまで知っているのだろうか。今は改めて、挨拶をしている。


ふみ 「ほんに、その節はありがとう存じます。皆さまからのお祝いの数々、その

   お心、一つ一つが胸にしみるほど嬉しくももったいない限りにございます」


 その時、安行の息子がやって来た。これはいつものことである。人寄りが好きな性格と、おいしい菓子が目当てなのである。息子はすぐに、亜子つぐこの膝へと駆け寄る。


ふみ 「まあ、若君様。お久しぶりにございます。それにしても、随分と大きくな

   られましたこと。我が息子もあやかりたいものにございます」

----真之介も同じようことを言いおった。ふん、二人揃って口だけはうまいわ。

亜子 「さあ、先ずは茶をどうぞ。話はその後、ゆっくりと」


 亜子の言葉に、息子は早速に菓子を食べ始める。ひとしきり食べ、茶を飲めば、もう用はないとばかりに去って行く。そして、いつものように、女同士の語らいが始まる。

 ちょうどその頃、真之介と友之進は仁神家の門をくぐっていた。


友之進「何やら、楽しそうではないですか」


 茶会の席のざわめきが玄関先まで聞こえてくる。


真之介「一人ではか弱い女性にょしょうも、大勢集まりますと、脅威です」

友之進「それ、エゲレス語で、何とか言いましたよね。うー、まん…」

真之介「ウーマンパワーです」

友之進「それです。ウーマンパワーです。まあ、女三人寄ればって言葉もあります

   から」


 その時、一人の女中が急ぎやって来るが、戸惑いを隠せない。


女中 「まあ、これは、お越しなされませ。出迎えが遅くなり、申し訳ございませ

   ん」

真之介「いえ、急なことにて、申し訳ないのはこちらの方にございます」

女中 「では、何か…。お呼び致しましょうか」


 女中は、あれでも真之介が、ふみを迎えに来たのではと思っているようだ。


真之介「あの、私どもは、殿にお会いしたく」

女中 「あ、ああ、そうでしたわね。これは失礼をば。どうぞ、お上がりください

   ませ。まあ、殿もお喜びになられますわ。近頃、少々お退屈のご様子にて」


 どうやら、あれから、釣りにも出かけてないようだ。きっと、釣り名人も美形の若者も遠ざけられたままのようだ。その上に、八千代からの母の愛の押し付けに、うんざりしていることだろう。安行は部屋で自分の釣った魚の魚拓を眺めていた。


安行  「おお、来たか。して?」


 と、早速に密花のことが気になるようだ。


真之介「お元気そうではございませんか。これなら、近いうちに釣りに出かけられ

   ますな」

安行 「うん、それより」

真之介「はあ、実は、密花は今留守にございました。なんでも、向島の別宅の方へ

   行っているとか」


 これは、嘘ではない。また、真之介は端から嘘をつく気などないどころか、出来るものなら、今一度、会わせてやりたい。


安行 「左様か…」


 やはり、落胆したようだ。


真之介「しかし、来月には戻って参りますそうで。その時には」

安行 「おお、そうか。頼む、何としても、会いたい…」

友之進「先ずは、これでもお読みになられて、また、釣りに参りませぬか」


 と、友之進は一冊の本を差し出す。安行は早速手に取る。


友之進「これが、中々に面白いのです」


 よくある趣味の釣り本の類だが、今度のは内容が凝っている。


安行 「これは面白そうだ」

友之進「では、また、釣りの手配を致しましょうか」

安行 「うん、久しぶりに行ってみるとするか…」

真之介「今度は若君もご一緒に」

安行 「若はまだ小さいで、退屈せぬか」

真之介「その時は、私がお相手を致します」

安行 「そうだな、それも悪くない」


 おそらく、今までもあまり息子と接することなく過ごしてきたのだろう。これからは、息子と過ごす時間を持たせた方がいい。

 その時、ひときわ高い女たちの笑い声が聞こえる。


安行 「女とは、まこと、元気な者であるな」

真之介「はい、特に、子を生んだ女ほど強いものはございません」

友之進「いえ、子を生まなくとも、強いです」

真之介「それが、子を生めば、さらに強くなるのです」

友之進「左様、ですか。実は、私のところも。その…」

真之介「ご懐妊ですか、それはおめでとうございます」

安行 「なんと、友之進のところもか。それは、めでたい」


 めでたい、安行がめでたいと言ってくれた。


----兄上…。


 異腹の弟ではあるが、ずっと、主従の関係でしかなかった。いや、それは当然のことだと思う。友之進の母は貧しい町人の娘で茶汲み女をしていた。それが安行の父の目に留まる訳だが、それは単なる男の気まぐれでしかなかった。

 当時の父は芸者に入れあげ、それが八千代の怒りを買い、茶屋への出入りを禁止されていた頃、ふと、立ち寄った茶店に友之進の母がいた。やがて、友之進を身ごもるのだが、そのまま捨て置かれた。

 しかし、その母が亡くなってしまうと、友之進を持て余した親族が仁神家に押し付け、また、八千代も子のない尾崎と言う家来に押し付け、そこで、友之進と言う名をもらい、尾崎家の養子になったと言う訳だ。

 それからも、父や兄からは無視されていたが、ある日のこと、ふいに安行の側付きを命じられる。その時は喜びもしたが、それからは、安行のサンドバッグ状態の日々だった。

 極め付きは、縁組が決まった友之進に、何でもない用を言い付け外出させ、同時に友之進の相手の娘を呼び出し、凌辱してしまう。その後、娘は自害する…。

 しかし、その後も、友之進の態度は変わらなかった。逆にそのことが、八千代や安行には気に入らない。自分たち母子を苦しめた女の息子である。仕返しをされて当然であるが、それを少しは苦しめばいいのに、何事もなかったように振舞う、ふてぶてしさが腹立たしい。

 だが、事態は一変する。何と、安行が数人の町人の襲撃にあい、髷を切り落とされてしまう。そんな安行を発見したのが友之進だった。

 やがて、事件の全容が見えてきた。

 安行が牛川、猪山と言う腰巾着を引き連れ、町を歩けば、娘から若妻まで隠れてしまうと言われていた。目を付けられたら最後、逃れる術はないのだ。特に、恋人同士から女を奪うのがたまらないのだそうだ。

 そんなある夜、彼らに怒り心頭の町人たちに襲われてしまい、くだんの有様となる。また、その首謀者が本田真之介と言う、町人上がりの侍と噂されていた。

 ある日、友之進は町でその真之介を見かけ、声をかける。安行を連れ帰る時の駕籠を差し向けてくれたことへの礼を言うが、真之介は肯定しなかった。その後も真之介との交流は続いて行く。

 そんな友之進に新たな縁組が決まり、正式に尾崎家を継ぐこととなった。養父は若い後妻を迎えたが、中々子が出来ず、やっと生まれた子は夭折してしまった。

 そして、再び、真之介とともに仁神家の門をくぐることになる。今度は安行の釣りの相手として。何と、この間にも、安行と真之介は過去を乗り越え、良き友人の様になっていたのだ。また、久し振りに会った安行の表情もこころなしか柔らかくなり、さらには、友之進に子が生まれることを喜んでくれた。兄とは呼べない兄だが、それでも友之進は嬉しかった。


友之進「ありがとうございます」


 と、友之進は頭を下げる。

 安行にしてみれば、真之介の手前もあり、ほんの社交辞令で言ったに過ぎないが、それでも、二人の仲が一歩前進と言えた。側で、今田も嬉しそうにうなづいていた。


今田 「いや、本当にめでたいことで、殿も本田殿も幸い男子に恵まれたが、この

   分では、尾崎殿も男子がお生まれになられるのでは」

友之進「それは、どちらでもいいです。無事に生まれてさえくれれば」


 これは、友之進の偽らざる気持ちだった。これから先にも、養父に男子が生まれないとも限らない。その時は子の成長を待って、いずれは家督を譲るつもりにしているが、先のことは誰にもわからない。

 それからはひとしきり釣り談義となるのだが、真之介は、女たちの茶会の様子も気になる。

 そして、茶会もお開きとなり、いつもの様に、女たちが玄関へと向かっている時、一人の女中が、ふみを呼び止める。


女中 「実は、奥方様が…」

亜子 「ふみ殿」


 亜子の声に、仕方なく黙る女中だった。


亜子 「何をされているのです。今日はご亭主が迎えに参られておる。早う行って

   差し上げねば」

ふみ 「えっ、迎えに…。左様にございますか、ご丁寧にお知らせくださりありが

   とうございます…」


 まさか、真之介が迎えに来ていたとは…。


ふみ 「あの、何か」


 何か言いたげな女中も気になる。


女中 「い、いえ、そのぅ」

亜子 「構いませぬ。このままお帰りになられませ」


 と、亜子は女中に目をやる。女中は八千代から、ふみを連れて来るように言われていたが、亜子が相手ではどうにもできない。

 亜子は先日、八千代が真之介を呼びつけたことをいぶかしく思っていた。


----この姑は、また、何か…。


 父の死により、仁神家の当主となった安行である。そして、当主夫人である亜子の反撃が始まる。先ずは、姑の八千代に代わり、この家を取り仕切りたいと安行に訴える。

 当時の安行は、父の死のごたごたで、好きな芸者を側室に出来なかったことが堪えているようだった。それは、待望の後継男子が生まれても、祝いと称して酒ばかり飲んでいた。

 そんな状態だから、家のことにも関心がなく、亜子がやりたいと言うならそれでよかった。当然、八千代は反対する。


八千代「そなたには、まだ無理である」

亜子 「いいえ、今までご苦労なさったのですから、これからはのんびりと隠居な

   さってくださいませ」

八千代「誰が、隠居などと。殿!この嫁は私に隠居せよと言うのです。何とか、言っ

   てやって下され」

安行 「いや、それが、よろしかろうと」

 

 安行にとっては、嫁姑のいざこざなど、うるさいばかりでしかなかった。こういう時、世間では嫁の味方をしてやるのが無難と聞いていた。

 この安行の一言により、内々のことは亜子に任されることとなった。だが、これで、黙っているような八千代ではない。ことあるごとに、亜子と対立するもいつの間にか、亜子は奥内のことを掌握していた。家来や女中までも亜子の意に添うようになっていた。

 そんなある日、八千代が女ばかりの茶会をやりたいと言い出す。それが気分転換になるならと承諾したが、茶会の招待客の中に、本田真之介の妻のふみがいた。

 これは何かを企んでいるに違いない。ならば、いざとなれば、亜子が助け舟を出すつもりにしていた。だが、とんだ闖入ちんにゅう者により、八千代のそれは頓挫してしまう。ふみの夫が送り込んだであろう足袋屋だった。

 その後も茶会は月に一度くらいのペースで開かれるが、その都度、八千代の『計画」は腰砕けの目にあっている。また、ふみも懐妊により、参加出来なくなる。だが、女同士の語らいも楽しいものであり、茶会はその後も続いていた。そして、いよいよ、ふみが再び参加すると言う。

 しかし、その前に、何を思ったのか、八千代が真之介を呼び出していた。常日頃、安行と真之介が親交を深めていることを苦々しく思っている八千代が、なぜ…。

   




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