第134話 同じでない日々 二

 一方の利津は、元姉婿の家に一人の家来を差し向けていた。家来からから、話を聞いた兄は頭を下げるしかなかった。


兄  「やっぱり…。誠に申し訳ないことで。あれから厳しく言って聞かせました

   が、まさか、首に縄を付けておくことも出来ず、いやはや…」


 そこで、家来は利津の提案を話す。


兄  「それは、誠にございますか」


 それならば、こんなうれしいことはない。そして、元姉婿は早速に坂田家に召喚されるが、今一、本当のところがわかってない。


利津 「まあ、そなたも色々と大変であったな。また、このまま実家にいても面白

   くないであろう」

元姉婿「それは、もう…。いくら、誤解があってのことと申しましても、誰も話す

   ら聞いてくれません。さらには甥や姪まで私に冷たい態度を取るのです。私

   は何も悪いことはしておらぬに、どうして肩身狭く暮らさねばならぬのです

   か。もう、世の中、理不尽なことばかりにて…」

----やれやれ、こ奴、反省どころか、何もわかっておらぬわ。

利津 「そこでだ。しばらく当家にて、修業を致さぬか」

元姉婿「修行と申されましても…」

----何で、修業などせねばならんのだっ。

利津 「確かに、世の中には理不尽なことが多い。まして、一度でも不名誉なこと

   に巻き込まれてしまえば、それを払拭することは難しい。そう、思わぬか」

元姉婿「思います…」

利津 「ならば、ここはひとつ、欲を捨て修業を致せば、世間の目も変わると言う

   ものである」

元姉婿「では、私に何をせよと」

利津 「難しいことではない。当家にて働くのだ。それも向こう一年は屋敷より外

   へは出てはならぬ」

元姉婿「それは、また…」

利津 「大奥へ上がったと思えばよい。だが、ここには男も女もいる。世間のこと

   もわかる」

----そう言えば、先程の女中、かわいかったなあ。

利津 「良いか。それくらいせねば、世間の目とは変わらぬものである。いや、や

   り様によっては評価が上がることもある。これから、真面目に働けば、ま

   た、良いこともあろう。いや、今度は世間が放って置かぬ」 

元姉婿「さ、左様にございますか」

利津 「では、これより、骨身を惜しまずに働くよう。良いか、骨身を惜しまず

   に」

元姉婿「はい!」


 と、返事は良かったが、元が仕事嫌いと来ている上に、やらされることと言えば、ほぼ、下男と同じ。また、周囲の視線の冷たいこと。 

 それも当然である。只でさえ、養子先を追い出されたのだ。それも、次の跡継ぎたる義妹に嫌われたのである。また、その嫌われ方の内容がひどい。


女中 「ええ、最初は弥生殿を無視し続けていたのが、沙月殿が亡くなるとすぐ

   に、手のひら返して来たとか」

   「追い出された後も、家の周りをうろつき回ったり、弥生殿に付きまとうも

   のだから、修行と言う名目で遠ざけたられたのですよ」

   「修行じゃないわよ。飼い殺しよ」

   「飼い殺しって、じゃ、このままずっとこのお屋敷にいるの?」

   「ええっ、それじゃ、私達こそいい迷惑じゃない」

   「だから、相手にしなきゃいいのよ」

   「でも、毎日顔を合わせる訳だし」

   「じゃ、これからは誰かさんを見習って、無視しましょうよ」

   「それ、いい!」


 そんな陰口を叩かれているとは知らぬ男は、やはり、ぶつぶつと文句ばかり言っている。


元姉婿「これ、下男。これはどうするのだ」

捨造 「それが、人にものを尋ねる時の物言いですかな。それに、私には捨造と言

   う名前があります」

元姉婿「では、捨造。これで、もう終りか」

捨造 「捨造さんと、さん付けしてくださいよ」

元姉婿「黙れ!私は侍である。どうして、下男ごときに」

捨造 「ここでは、あなたも下男です」

元姉婿「黙れ黙れ!ええい!刀があらば、これにて手打ちにしてくれるわ」


 刀は坂田に取り上げられていた。


捨造 「だから、あなたも私も同じ」

元姉婿「黙れ!同じではないわ、一緒にするな!」

捨造 「それは、奥方様に言ってくださいよ。さっ、次は炭小屋の片づけっと」


 面白くはないが、ここ、しばらく「修行する」しかあるまい。何事も、未来のためだ。そんなある日、弥生が利津に会いに来たと聞いた。急ぎ駆けつけるも、その時には弥生の帰った後だった。そして、衝撃の事実を知る。

 何と、弥生の婿取りが決まったと言う。


----そんな…。

元姉婿「奥方様!一体どう言うことです!弥生殿の婿取りが決まったと言うのは本当の

   ことですか!」

利津 「本当のことである」

元姉婿「それでは話が違うではありませんか!」

利津 「何が違うのだ」

元姉婿「こちらで一年修行すれば、良いとおっしゃったではありませんか!」

利津 「何が一年。何が良いと言ったか」

元姉婿「ですから、私は一年辛抱すれば、弥生殿と夫婦になれると思い、これまで

   頑張って来たと言うに。これでは騙し討ちではありませんか」

利津 「騙し打ちとな?はて、私はその様なことを言った覚えはないが、のう」


 と、側の女中に聞く。


女中 「はい、左様にございます。奥方様、この者は何か聞き違いをしているので

   は?」

元姉婿「聞き違いなどと…」

利津 「私は一年はこの屋敷より外に出るなと申した。また、その時に弥生のやの

   字を言ったか」

女中 「おっしゃておりません」

元姉婿「ええっ!」


 男は利津が一年の間この屋敷から出るなと言ったことを、一年経ったら「元の鞘」に納まれるものとか解釈していた。


元姉婿「では、これから、私はどうなるのです」

利津 「どうもこうもないわ。このままで良いではないか」

元姉婿「良い訳ありません!」

利津 「では、何とする。この屋敷が嫌なら、寺へでも参るか。寺に行けば朝はさ

   らに早く、食べるものと言えば、米麦、芋、豆、後は草の様なものでしかな

   い。わが屋敷の様に、魚は食べられぬし、若い女もおらぬわ」

----何が魚だ、たまに目刺しが二匹ではないか。また、ろくに口も利いてくれぬ女など…。

元姉婿「だから、話が違うと申しておるのです」

利津 「何も違ってはおらぬ。そなたが聞き違い、勘違いであるわ」

元姉婿「では、私はこれから、どうすればよろしいので」

利津 「先程から申しておる通り、このまま、ここで修行を致せ、さすれば良きこ

   ともあろう」

元姉婿「良きこととは」

利津 「昔から言うではないか、捨てる神あらば、拾う神ありと」

元姉婿「そう言うことではなく、どうぞ、私にも約束してくださいませ。いずれ、

   どこぞへ婿入りできると」


 誰が、婿入り先をしくじった者を新たに婿に迎えたりするものか。婿入り希望者など、掃いて捨てるほどいる。 


利津 「それは、これからの修業次第である」

元姉婿「それではあんまり…」

利津 「もうよい。いつまで油を売っているのだ。早よう仕事に戻れ」

元姉婿「その仕事のことでございますけど、どうして、下男と同じ扱いをされねば

   ならんのです」

利津 「その昔、豊臣の太閤殿下も草履取りから、あの様に天下人になられたでは

   ないか。ほれ、捨造が迎えに来たわ」


 捨造は男の腕を引くが、男はその手を振り払う。


元姉婿「私はこのようなこと、納得できません!」  

利津 「早よう連れて行け」


 捨造は今までとは違う力で男を引きずるように連れて行く。


利津 「やれやれ、やっと、静かになった」

女中 「奥方様、亡くなった人を悪く言うつもりはございませんけど、その、沙月

   殿はあの様な男のどこが良くて婿に迎えたのでしょうか。不思議でなりませ

   ん」


 親が決めた婿ではなく、言い寄る男たちの中から選んだのである。


利津 「自分の思い通りに操れる男が良かったのであろう」


 

 一方、坂田邸を辞した弥生は真之介の家へと向かっていた。


弥生 「私がこちらへ参りましてから、お世話になってばかりにございます。い

   え、ご迷惑をお掛けしたことも多々あり、本当に申し訳なく、お詫びの言葉

   もございません」

真之介「少しは落ち着いたか」

弥生 「はい、お陰様にて…。あの、ご恩は一生忘れません」

真之介「何をその様に改まって、弥生も良くやってくれたではないか」

ふみ 「そう、私も妹が出来たようで、嬉しかったものです」

弥生 「その様におっしゃって頂きまして…」


 弥生は俯いてしまう。真之介は、ふみの実家から毎日通って来てくれる妻女に、今日はこれで帰ってくれるように頼む。この妻女がいては、弥生も話しづらいだろう。


真之介「また、何か心配事でも」

弥生 「実は…」


 やはり、中々言葉が出て来ない。


弥生 「実は、婿が決まりました」

真之介「左様か…」

ふみ 「……」

弥生 「あの、本当に厚かましく、今までのご恩に何一つ報いるどころか、またも

   この様に勝手なお願いをしなくてはならないのかと思えば、本当に心苦しい

   限りにございますが…」

真之介「わかった」

弥生 「いえ、あの、必ず…。あの、母が、わが家にはその様な余裕がないと申し

   ますもので…」


 沙月の婿取りによって、財布を取り上げられた母だったが、その沙月の死に驚き悲しみながらも、財布を取り返し、へそくりの在り処も知っていた。それを絶対に弥生には渡すまいと思っていた。だが、父は内職の金を今度は弥生に渡すようになる。

 母はその金をも取り上げようとしたが、弥生も今までの弥生ではなかった。その中から、少しずつ貯めてはいるが、如何ほどのものでもない。

 そこへ、この度の婿取りの話である。遅かれ早かれ、いや、早い方がいい…。


真之介「相手は」

弥生 「はい、勿体なくも、お旗本のご子息にございます」


 旗本の次男三男が格下の御家人の許へ婿入りする。無い話ではないが、こちらも何か、訳ありのようだ。


 弥生の婿となる青年はある旗本の三男ではあるが、母は正室ではなく町方の女だった。この正室には二男一女がいた。よって暮らし向きも楽ではなく、外で出来た子のことは放って置いた。だが、この子供が四歳の時、母親が亡くなり、元から引き取る気のない親族は、父である旗本の許へ連れて行く。

 町方の暮らしから急に武家暮らしになっただけでも戸惑うことばかりなのに、父と長兄からは無視され、ちょうどいたずら盛りの次兄と姉の格好の餌食となってしまう。正室にしても、当然面白い筈もない。それでも、武士としての一通りの教育は受けさせてくれた。

 現在は器用ではあるが口数の少ない青年となっている。畑仕事は無論のこと、高いところも平気で屋根にも上るので、坂田家でもこの男に屋根の修繕を依頼したこともある。そこで、この度の弥生の婿探しで、ふと、思い出したと言う訳だ。先ずは先方の意向を聞く。


長兄 「まあ、今のご時世、相手が御家人でも止むを得ないでしょう」


 と、既に父はなく一家の主となっている長兄が言った。


坂田 「では、この話、勧めてもよろしいかな」

長兄 「お願いします」


 その時、次兄がやって来た。兄から縁談と聞き喜んだのも束の間、相手が御家人の娘と知れば顔が曇る。


次兄 「御家人ですか…」

長兄 「これっ」

次兄 「あっ、いや、私は構いませんが、親戚が…」

坂田 「これは、何やら話が妙な方へ行ったようですな。この話は三男の方にで

   す」

長兄 「えっ!」


 どうやら、長兄は次男への話と思っていたようだ。


坂田 「いくら何でも、ご正室の子息を御家人などへお世話できませんでな」

長兄 「いや、この弟の方にお願いできませんか」

坂田 「いや、ご次男なら、もっと良い婿入り先がございましょう」

次兄 「では、心当たりでも」


 と、次男の方が身をのり出してくる。


坂田 「今のところは…」

次兄 「良きところがあらば、是非!」

坂田 「心がけておきます」

次兄 「それにしても、あ奴が先に行くとは…。えっ、ひょっとして、その相手と

   言うのは」


 と、相手の詳細を聞けば、やはり、鼻先で笑った。そこへ、三男がやって来る。


次兄 「おう、喜べ。お前の縁組が決まったぞ」

長兄 「これっ」


 と、長兄に窘められる。当主と仲人を差し置いて、それも未婚の兄が口をはさむことではない。


三男 「これはお越しなされませ」


 と、この三男の方が落ち着いていたが、長兄からまさかの縁組の話を聞けば、戸惑いつつも嬉しさを隠し切れない様子にも好感が持てた。そして、坂田も相手の弥生のことを話して聞かせるのだった。


坂田 「これが、私の知りうるすべてである。よろしいですかな」

三男 「はい。私のような者にご縁をいただけますとは、ありがたくうれしい限り

   にございます。何卒、よろしくお願い致します」


 歳は弥生より一つ下だった。


次兄 「まあ、お前にはお似合いだな」


 坂田が帰った後で、早速に次兄が絡んで来た。


次兄 「はっ、御家人の不器量傷女か。そんなのこっちから願い下げしてやった

   わ。それにな、姉婿を追い出したほどのすごい女と言うではないか。兄上、

   そんな大した支度はいらないです。何しろ、割れ鍋に綴じ蓋ですからな」

長兄 「これっ、いい加減にしないか」 


 長兄にしてみれば、どんなところでもよい、次弟の養子先が決まってくれることを願っていた。例え、御家人のところでも構わない。末弟をと言う坂田に、次弟をプッシュしようとした矢先、話を聞きつけた当の次弟が気乗り無しの態度を取ってしまった。

 正直、末弟のことなどどうでもいい。幸い大人しいのでこのまま飼い殺しでも構わないと思っていたが、まさかの縁組である。少しは支度も整えてやらなければならないと、頭の痛い長兄だった。

 子供の死亡率が高かった時代である。

 十二歳までは神の領域と言われていた。十二歳を超えれば、大丈夫と言われていたくらいだから、例え、男子が生まれても、無事成長するかどうかはわからない。そのため、次男は長男にもしもの時のためのスペアであるから、十二歳くらいまではそこそこ大事に育てられる。しかし、それ以後、まして、長男に妻子がいるとなれば、今度は家の厄介者でしかない。

 そんな厄介者が一人片付いてくれるとは言え、外腹のどうでもいい方の婿入りが先に決まってしまうとは…。

 さらに、結納が交わされれば、何と、すぐにも祝言だと言う。ここまで来れば、さすがの次兄も面白くない。


----えっ、こいつ、これから、あんなこと、毎晩できるのか…。


 そんな妬みから、婿入り先に持って行く着物の中から一枚引き抜き、思いっきり袖を引きちぎってしまうが、すぐに長兄に呼び出され、ひどく叱責される。


長兄 「そなたがやったことは明白ではないか。では、誰があのようなことをする

   と申すのか!あの様なさもしい真似を致すでない!次にもやれば、只では済まさ

   ぬ」


 着物はすぐに解いて仕立て直され、婿入りには間に合った。そして、婿入り後の挨拶に二人してやって来た。この時、次兄は露骨にそっぽを向いた。


次兄 「あれなら、やっぱり、断ってよかった」


 と、二人が帰った後、屋敷の者たちの前で言い放つが、誰も何も言わない。この次兄が悔しくてたまらないのは皆知っている。

 二人は当然真之介の許へも挨拶にやって来た。ふみが身重なので、弥生の祝言には真之介だけが出席していた。


弥生 「大切なものを、お貸しいただきありがとうございました」

真之介「おめでとうございます。これからは、二人仲良うに」


 ふみは弥生に花嫁衣裳を貸したのだ。そして、婿の顔を見れば、大人しそうな控えめな青年だった。


ふみ 「二人の新しい暮らしが始まるのですね」


 二人が帰った後で、ふみが言った。


真之介「ああ…」 

 

 誰もが、何かしらの過去を抱えている…。

 



































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