第135話 人形屋の娘 一

仲人 「だからさ、今度のは違うって」

拮平 「違うも違わないも、とにかく今の私んとこは、それどころじゃないんで

   す」

仲人 「そりゃ、もう、聞き飽きたよ」

拮平 「聞き飽きるほど聞いといて、また、同じこと言わせてるじゃないですか」

仲人 「何だい、それが仲人に言う言葉かい。誰のために、こうして毎回骨折って

   ると思ってんのさ。もう、折れる骨が無くなりそうだよ」

拮平 「じゃ、もう、このくらいでっ」

仲人 「わかったよ。じゃ、これが最後だと思って聞いとくれ」


 嘉平の一周忌が過ぎると、拮平のところへは縁談が舞い込んで来るようになる。商家の若主人がいつまでも独り身では、それこそ信用にかかわると言うものだ。それでも、一時は拮平が武家娘を嫁に迎えるらしいとの噂があり、下火になっていたが、人の口に戸は立てられないと言うか、その話が無くなったことはすぐに知れ渡り、こうして、またも縁談が持ち込まれるようになったが、拮平はそれらをすべて、金がないからと断っていた。


拮平 「うちはもう、嫁どころじゃないんですよ。ほんと、隣の本田屋さんのお陰

   で何とかやっていけてる状態なんですから、今しばらくは無理ですって」

 

 それなのに、今日も嘉平の友人が仲人としてやって来た。


仲人 「どうだい、持参金付きの娘ってのは」

----どうせ、ろくな娘じゃ。

仲人 「今、ろくな娘じゃないって思っただろ」

----やっぱり、そうか…。

仲人 「いやいや、それがちゃんとした娘でさ。気立てもいいし、顔もかわいい

   よ」

拮平 「そんな人なら、持参金なんかなくたって、いくらでも話はあったでしょう

   に」

仲人 「それが、条件が厳しくてさ」

拮平 「条件て…。金も力もない、顔も普通の男ですよ」

仲人 「それがひとつ、あるんだよね」

拮平 「ひとつ?何があったかなあ」

仲人 「係累がいないとこ」

拮平 「確かにいないけど、それが?」

仲人 「それがじゃないさ。年頃の娘にとっちゃ、出来れば姑のいないところへ嫁

   に行きたいもんだよ。特に、母親が姑にいびられているのを見てたりすれば

   さ。そんでさ、一番の条件が姑がいないこと。まあ、姉娘も姑がいないとこ

   ろへ嫁に行ったんだけどさ。こっちは小姑がいてさ、散々嫌がらせされた挙

   句にようやく嫁に行ってくれたと思ったら、今度は別の小姑が子供連れて出

   戻ってきて、これが妹に輪をかけたように嫁いびりするんだとさ。そんな話

   を聞かされたら、もうっ、親兄弟のいない人のところじゃないと嫁に行かな

   いって」

拮平 「はあ…」

仲人 「そして、ついに見つけた理想の婿。それが拮ちゃんだよ。妹娘と言って

   も、そんなんだからちょいと齢はくってるけど。どうやら、二つ下の弟に好

   きな女が出来てさ、それこそ、今度は小姑として居座ってもらっちゃ困る訳

   なんだよ。それでさ、先方も持参金付けてでも嫁にやりたいんだよ。どうだ

   い、この話、悪くないと思うけど」

拮平 「それで、どちらの娘さん」

仲人 「人形屋だよ」

拮平 「人形屋って、あの人形屋?」


 この人形屋と言うのは、人形を商っている店ではなくて、屋号が「人形屋」と言う、大きな下駄屋だった。当時は火事となれば逃げるしかない。それも早く逃げなければ、紙と木の家が密集しているのである。火はすぐに迫って来る。着の身着のままで逃げるにしても、履物は履いて行く。だから、江戸っ子は履物に金をかけていた。履物こそが、確実に「持ち出せる」ものであった。


仲人 「そう、その人形屋の妹の方。齢は二十歳とちょいとくってるけど。もう、

   先方は乗り気っ。事と次第によっちゃ、商売の方の金も出してもいいって

   さ」

拮平 「うちのことはどこまで知ってんですか」

仲人 「そりゃ、全部、話したさ。どうだい、足袋屋と下駄屋でピッタリじゃない

   かい」

拮平 「はあ…」

仲人 「はあって何さ。拮ちゃんにとっても悪い話じゃないと思うけど」


 確かに、悪くないではない。いや、良い話である。


拮平 「少し、考えさせてもらえませんか」

仲人 「考えるって…。こんないい話、そうあるもんじゃないよ。いや、双方に

   とって」

拮平 「そうですねえ。でも、一応相談したい人がいるんで…」

仲人 「そうかい、じゃ、早々に相談してみとくれ。いい返事待ってるよ」

拮平 「ああ、うち、犬いるんで。嫌いなら困るんですけど」

仲人 「好きだよ、良かったね」


 と、仲人は帰って行ったが、誰に相談しようといい話に変わりはなく、別に、今もって、弥生が忘れられないとか言う訳でもない。何より、既に弥生は婿を迎えている。

 それなのに、何か、気乗りがしない…。


お里 「旦那様ぁ」


 と、階段を駆け上がって来たのはお里だ。


拮平 「うるさいよ。もっと、静かに上がって来れないのかい」

お里 「申し訳ありません」

拮平 「申し訳ないじゃないよ。お前ももう子供じゃないんだからさ。いつまでも

   走り回っているようじゃ、二階へは出入り禁止にするよ」

お里 「そ、そんな。わかりました、もう走ったりしませんから」

拮平 「そんなの当り前だよ。今度、走ったら本当に出入り禁止にするからさ」

お里 「はい、わかりました」

拮平 「それで、何の用だい」

お里 「それが、それがですね」

拮平 「何だい、早くお言い」 

お里 「隣の真之介様がお会いしたいとか」

拮平 「えっ、そう」


 拮平は立ち上がる。


お里 「あの、旦那様、真之介様をここにお呼び致すのでは?」

拮平 「いや、外で会うよ」


 この二階で話をすれば、お里が今度は静かに階段を上がり、聞き耳を立てるに決まっている。


お里 「では、お召し替えを」

拮平 「真ちゃんだもの、待たすよりこのままでいいさ。それより、そこ片しとき

   な」

お里 「はいっ、では、いってらっしゃいませ」

拮平 「お前、近頃やたらと元気だけはいいね」

お里 「ええ、元気が何よりでしょ。無事、これ、名馬なりって言うでしょ、うふ

   ふふふ」

拮平 「何が名馬だよ。元気だけど、何か気持ち悪りぃ」

お里 「まあ、そんなぁ」

拮平 「それ、お止め。お芳のことなんぞ、思い出したくもない」

----しまった、つい、うっかり…。


 それでも、湯呑を片付けながら、笑いの止まらないお里だった。

 何と言っても、あの弥生の姉が死んだのだ。別に、お里が呪った訳ではない。お里が呪いの呪文を唱え続けたのは、弥生の方である。それなのに、姉が死ぬとは。それも、嘉平の一周忌法要の日に…。

 まさに、半信半疑とはこのことだ。お里にとって、こんな都合のいい話はない。これが弥生の方だったら、さすがのお里も、その恐ろしさにおののいたことだろう。


----きっと、大旦那もあんな女、止めとけって、あの世からも反対してたのだ。ざまあみろ。


 それからはもう嬉しくてたまらない。笑いが止まらない。事実、弥生は真之介のところを辞め、実家へ戻った。だが、あろうことか、こっちは姉の四十九日が済むとすぐに婿を迎えてしまう。


お里 「まあ、そんなぁ…」


 余りの弥生の身勝手さに、それしか言葉のないお里だった。


----ったく!なんて、女よ。あれほど、若旦那に取り入ってたくせに、もう、さっさと見切りを付けちゃってさ。顔もしどいけど、こころもしどい女!世の中にはこんな女もいるんだから。もう、最低っ!


 当の拮平は表面上はいつもと変わりなく過ごしているが、きっと、心の中は荒れてるに違いない。

 ここからが、お里の出番である。それからはいつもにこやかに、何かと拮平を世話をやいたものだ。その甲斐あってか、持ち込まれる縁談を片っ端から断っている拮平だった。


----その調子、その調子。


 だが、ここに来て、ふと、疑問が生じてしまう。

 確かに、縁談は断っている。でも、それだけ…。


----それでいいんだけど…。いや、言い訳ない。なんか、私のこと…。どう、思ってんだろ。


 そうなのだ。今一、いや、今二、拮平との距離が縮まらないのだ。

----私が、こんなにやってあげてんのに…。ここは、思い切って、迫った方がいい?


 お里ももう子供ではない。男と女のことも耳学問、目学問くらいの知識はある。耳の方は、手代達の会話から。目の方は絵草子から。近頃の絵草子にも過激なのがあるんだ…。


----だから、今時の女はじっと待ってるだけじゃ、駄目ってことよね。それじゃ、今夜当り、一丁やったるか!


 そんなことを考えながら、階段を下りていた時だった。


お縫 「お里!」


 お縫の声に思わず足を踏み外してしまったお里は、、後四、五段と言うところから前のめりに落ちてしまった。


お里 「痛たたたたあ」

お縫 「何やってんだい。あらぁ、この高い湯呑欠けちゃったじゃないか、も

   うっ」


 拮平の湯呑は分厚いので、少しくらいの衝撃には耐えられるが、客用の湯呑は当たり所が悪かったのだろう、欠けてしまった。


お里 「ちょっと、私のこと心配しないんですか。こんなに痛いのにっ」

お縫 「お前がぼんやりしてるのがいけないんだよ。これで、何個目だよ。もう、

   客用の湯呑新しくしなきゃいけないかも。この湯呑、高いと思うよ」

お里 「ああ、近頃流行りの十銭屋に行けば、そこそこいいのがあるって」


 江戸にも、均一ショップはあった。


お縫 「そうかい、じゃ、お前買っといで」

お里 「じゃ、お金」

お縫 「自腹、少しは弁償しな」

お里 「まあ、そんなあ」

お縫 「お前、最近、お芳さんに似て来たね」

お里 「そんなことありませんたらっ」 

お縫 「いや、みんな、そう言ってるよ」

お里 「まったまた、そんなこと言って、その手にゃ乗りませんから」

お縫 「誰が、お里を手に乗せたりするもんかい。事実を言ってるだけだよ」

お里 「もおっ!」

お縫 「それより、旦那様は?」

お里 「知りません」

お縫 「お前が知らない訳ないだろ。いつもいつも、旦那にくっつき回しているく

   せに。別に構わないよ。お前がいない方が仕事早く片付くし、きっと、お菊

   の二代目狙ってんだろうけど、最後にお菊、どうなったかねえ。二の舞にな

   らなきゃいいけど」

----誰がなるか!


 お菊とは、嫁入りしてきたお芳に取り入り、楽をすることばかり考えていた女中だった。さすがにお芳も嫌気がさし、介護要員でしかない嫁入り口を見つけ、追い出してしまう。たまらず逃げ出して来たお菊だったが、お芳から離縁状を持って来れば、また使ってやらなくもないと追い払われ、とぼとぼと帰って行ったが、その後のことは誰も知らない。もっとも、今の白田屋にはそのお芳もいない。


----覚えとけ!今に私の前に跪かせてやるんだから!


 それにしても、いや、何だろう。この焦燥感は…。

 弥生と言う名の女との縁が切れ、喜んだのも束の間。何か、拮平との間が縮まらない。


----よしっ、それなら、今夜にでも実力行使すっか!

お縫 「いつまでも突っ立ってないで、湯呑買っといで、自腹でね。ついでに、

   ジョンの散歩も。さあ、今夜の支度すっか」


 仕方なくお里はジョンを連れ外へ出る。露天商から安い湯呑を買い、戻ってみるも、拮平の姿はなかった。


----真ちゃんと何話てんだろう。まさか、拮平に縁談、てことはないよね。

お縫 「何、このやっすい湯呑。こんなんじゃお客に出せないよ。じゃ、ジョンの

   餌入れにでもするか。あっ、一つはお里の湯呑に置いといてやるよ」  

----何、今日のお縫のいやらしさ。それより、拮平はどこ行ったんだろ。 


 真之介と拮平は例によって、鰻屋の二階にいた。


真之介「ああ、ここは夜の街へ繰り出したいところだが、今の状況ではそうもいか

   ぬで、こうしてお前と鰻で飲んでる訳だ」

拮平 「そんなもんかねえ。ああ、あの舅が…」


 実は、真之介は先ごろ見事に免許皆伝となったのだ。実際はもっと早くに取得できる筈だったが、その度に何やかやと「いざこざ」に見舞われ、延び延びとなっていたに過ぎない。それでも、一応は祝いごとであるが、今は、ふみの懐妊中である。何事も控えめにと舅の播馬から釘を刺されている。


拮平 「でもさ、父親になるってどんな気持ち?」

真之介「どんな気持ちも何も、今はもう、無事に生まれてほしいと願うばかりだ」


 真之介は母の命と引き換えに生まれてきたようなものである。


真之介「それと、種馬の役目が果たせたことへの安堵感かな」

 

 ふみに中々子が出来ないのは、真之介が夜遊びにかまけているからだと思われていた。


播馬 「子づくりをなんと心得ておる」


 と、幾たび舅から言われたことやら…。


真之介「お前の方はどうなんだ」

拮平 「うん…」

真之介「まだ、縁談断ってるのか。それとも、本当にそんなに金がないのか」

拮平 「いや、本田屋さんのお陰で随分と助かってるよ」


 今は本田屋の主人となった小太郎が、反物を買ってくれた客に足袋をサービスすると言う企画を打ち出す。木札を持って隣に行き、好きな足袋が選べるとなれば、客は高い足袋を選ぶ。それにしても、あの高い絹物がよく売れるものだと、改めて本田屋の底力に驚いたものだ。


拮平 「実はさ、ちょいと、気になる話があってさ」

真之介「いい話か」

拮平 「そうなの」

真之介「それなら、迷うことない」


 いや、真之介に話すということは、受け入れる気持ちになっているのだ。


----良かった。


 実は、弥生の方にも…。




 

 












 


















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