第51話 尼寺へ行け! 

お芳 「ちょいと、お前さん!これは一体どう言うことですかい。私が嫁入りした

   時、これからはここがお前の家だから、好きにしていいよって言ったのをよ

   もやお忘れではないでしょうね!」

嘉平 「そりゃ、言ったけどさ。一応、拮平も私にとっちゃ大事な息子だからさ。

   そこんところは少しは考えてやっとくれよ。確かに、いきなりってのも…」

お芳 「ああ、そうですか。やっぱり、後入りだから少しは遠慮しろってことなん

   だ。それなら、二階から腰巻捨てられても。ぐすん、仕方ないのね…。ぐす

   ぐすぐすっん」

嘉平 「あっ、いやいや。拮平!これは幾らなんでもお前がいけないよ!何で、あん

   な事したんだい!」

拮平 「ええ、散々、あたしの物二階から下に落としてくれたんで、ちょいと、お

   返ししたまでですよ。それがたまたま風にのって…。げえぇぇぇ」

 

 拮平はお芳の腰巻が頭にのってしまった気持ち悪さを思い出していた。


お芳 「何さ!げえって言いたいのはこっちの方だよ!少なくともね、今は私はお前

   の母親なんだよ!その母親に向かって何てことをしてくれたんだい!」

拮平 「へえ、息子から部屋巻上げるのが母親なんですかい、おっかさんよぅ」

お芳 「何だって!」

嘉平 「お芳も拮平も、もう、お止し!」

お芳 「お前さん!今、何てったぁ!」

嘉平 「あっ、いやいやいや、その、つい、その…。済まなかったよ、お芳、さ

   ん」

 

 この家では「お止し」と言う言葉が禁句であることを、つい失念した嘉平だった。


お芳 「それじゃ伺いますけど、お前さん。私と拮平、どちらが大事なのさ。い

   え、どちらか一方取れって言われたら、どっち取るんです!」

拮平 「おやまあ、そんな事も、お聞きにならなければ、わからないないんですか

   い。うちのおっかさんは」

お芳 「女ってぇのはさぁ、きちんと口で言ってほしいものなんだよ。こんな事も

   知らないのかい。だから、いつまで経っても嫁の来てがないんだよ!」

拮平 「あら、それはうちの経済的事情で、誰かさんの輿入れで散々使ったんで、

   当分は祝儀ごとは無しだよって言われてんですけど、ねえぇ」

お芳 「えっ、お前さん…」

嘉平 「いやさぁ、うちは隣の様にあくどい商売してないからさ。そんなには儲

   かってなくてさあ。で、拮平にはしばらくは祝儀ごとはって。それもこれも

   お芳、お前の事を思っての事じゃないか」

お芳 「だから、拮平に遠慮しろと?」

拮平 「何が、遠慮だい!誰かさんの字引にゃ、遠慮なんて言葉載ってないとばっ

   か、思ってましたわっ」

 

 いつにない、拮平の反撃に急に黙り込んでしまうお芳だが、ようやく口を開く。


お芳 「わかりました。ようくわかりました。お前さんの本心が。やっぱり、私よ

   り、拮平の方が大事なんですね」

 

 こちらもいつになくドスの利いた声だった。 


嘉平 「そんな、違うよ!違うったら!お芳!お芳!私はねぇ、この世でお前が一番大事

   なんだからさぁ」

 

 怒って部屋を出て行こうとするお芳を追う、嘉平。


拮平 「あぁあ、見てらんねぇ、聞いてらんねぇ。年取っての色ボケなんて嫌だ

   ね。でも、何か、尻すぼみで終わったような…。けどさ、俺は言ってやった

   どぉ。この拮平さんはよ、やる時ゃやるしぃ、言う時も言うんだよ。あんま

   し、舐めてもらっちゃあ困りますよっと。どれっ、自分の、下の部屋へっと

   行きやすか。あら、仙公が移っちゃったよっ」

嘉平 「拮平!しばらく、寺へでも行って修行して来な!」

 

 嘉平の声に、拮平は思わず階段から足を踏み外しそうになるが、何とか壁伝いに階段を滑り落ちて行く。どうにか、足を踏み外す事もなく階段を滑り下りた拮平だった。


拮平 「ったく!何で、寺なんぞに行かなきゃいけないのさ!それを言うなら、そっ

   ちも尼寺にでも行けよ!冗談じゃないよ」

お里 「若旦那、かっぱ寺ならいいでしょ」

拮平 「まあ、かっぱ寺なら。あんだって!お里!お前がもちっとうまくやらないか

   ら、こんなことになっちまったじゃないかよぅ!」

お里 「若旦那、私は言われたとおりにやりましたよ。そりゃ、完璧とは行きませ

   んでしたけど、これ以上は無理です。何てたって。私はまだ子供ですから」

拮平 「うるせっ、この、ガキ年寄り!」

お里 「ガキ年寄りって何ですか」

拮平 「ああ、子供扱いすると怒るくせに、自分の都合のいい時だけ子供と言って

   逃げる。まあ、年寄りもそうだ、今、年寄り扱いするなと怒ったかと思え

   ば、都合が悪くなると年寄りをいじめるなとか言いやがってさぁ!結局年寄

   りも子供も同じってことだよ」

お里 「違います。全く違います」

拮平 「何が違うんだい」

お里 「年寄りには未来がありません、でも、子供には未来があります」

拮平 「おい、お里。その事、おとっつぁんの前で言えるかい」

お里 「大旦那はそんなにお年寄りではありません」

拮平 「だから、お前がガキ年寄りなんだ」

お里 「まあ、そんなぁ。私はまだ子供です」

お熊 「その子供が、大人謀って只で済むと思ってんのかい!お里、お前も寺行きだ

   よ」

 

 女中頭のお熊だった。


お里 「えっ、寺行き…。そんな!私は子供ですし、それに大人謀ってなんか…。

   え、謀るって何です?」

拮平 「さすが、お熊さん」

お熊 「まあ、若旦那もお一人ではお寂しいでしょうから、お里も連れてってやっ

   て下さいよ」

拮平 「いんや、私は私の道を行く!」

 

 まだ、理解出来かねているお里をキッと見据える拮平。


拮平 「お里!尼寺へ行け!」

----前から、これを言ってみたかったんだよね…。まっ、相手はちょっと子供だけど、いいにしとこっ。

お熊 「あっ、それがいいかもしれませんね。何なら、ずっと居ても構わないんだ

   よ。お里」

お里 「……」

お熊 「おや、さすがのお里も、ぐうの音も出ないようだね」

お里 「ぐう」


 これには、桔平とお熊は、笑いが止まらない。

 

お里 「あのぅ…」

拮平 「何だい」

お里 「つかぬ事をお聞きしますけど、その、尼寺ってどこにあるんですか」

お熊 「えっ、尼寺は、確か尼寺は…」

拮平 「鎌倉だよ」

お里 「そうですか…」

 

 と、また何か考えていたお里だったが、パッと目を上に向ける。


お里 「では、行って参りますので、若旦那、お金下さい。旅の路銀下さい」

拮平 「お里、路銀とは旅行く時の金の事だよ。つまり、旅費。それじゃ、頭痛が

   痛いと同じだよ…。んなら、あいよ」

 

 と、拮平は財布を取り出し、差し出されたお里の手に金を載せる。


お里 「ええっ!たった六文…。もう、これっぽっちじゃ、どこへも行けやしません

   よ。子供だと思って馬鹿にしないでくださいよ!若旦那ぁ」

拮平 「何も馬鹿にしてやしないよ。それだけありゃ草鞋わらじが四足買えるじゃないか」

 

 安い物の例えに使われる二束三文とは、草鞋が二足で三文だったところからきている。


お里 「草鞋だけじゃ、旅籠に泊まってご飯食べなければいけませんし、第一、私

   は子供ですよ。そんな子供に一人で鎌倉まで行けって、幾らなんでもひどい

   じゃありませんか!」

拮平 「そうかい、かわいい子には旅をさせろって言うし、お前なら、お前のその

   口がありゃ、唐天竺まで行けるさ」

 

 お熊はおかしくてたまらなかった。やがて、他の女中たちもやって来てお熊から話を聞き、一斉に笑いだす。


お里 「笑い事じゃないです!若旦那、何とかして下さいよ。私に尼寺へ行けと言う

   なら、もっとお金下さい!」

拮平 「嫌だね、これ以上は駄目。お前に路銀持たせてもさ、すぐに戻ってくる

   さ。お金、落としましたとか何とか言ってさ。本当は自分が使ったのにさ」

----ぎくっ…。どうしてわかったんだろ。

拮平 「お前の考えてる事くらい、とっくにお見通しだよ。その程度の浅~い知恵」

----やべっ。

お熊 「大人、あんまし、舐めんじゃないよ」

 

 更に女中たちも笑う。


拮平 「さあ、早く、支度おし。あ、その前に、あたしがかっぱ寺へ行く支度しと

   くれ」

----ここらでちょいとひと眠り。寺の子供たちと遊んで来るのも悪くないか。

----ここらでちょいと一休み、して来るのも悪くないか。

 お里は二人分の着替えの入った風呂敷包みをさも重たそうに背負う。 


拮平 「おや、お里、お前、尼寺へ行くんじゃなかったのかい」

お里 「やっぱり、若旦那お一人では…」

----こうなったら、どこまでもお供しますよ。


 と、二人はかっぱ寺へ行く。だが、寺での暮らしは二人が思ったほど楽なものではなかった。

 お里はともかく、拮平は日頃から早起きなどした事がない。また、お里にしてもここにいる間は朝はゆっくり眠れると思っていたが、完全に当てが外れた。


拮平 「おい、坊主。あたしはさ、傷ついてここにやって来たんだよ。かわいそう

   だとは思わないのかい。思うだろ、思うよね、思ったら、もうひと眠りさせ

   とくれよ」

和尚 「人は傷ついた時こそ、体を動かした方がいいのです。じっとしているとロ

   クな事を考えませんからね」

拮平 「そんなこと言わないで」

和尚 「駄目です。たまのお客様ならともかく、しばらくはここでお暮らしなさる

   のですから。子供たちでもああやって出来る事をやっております」

拮平 「いや、あたしはさ、箸より重いものを持ったことないんだよ」

和尚 「では、お持ち下さい。それが出来なければ、草むしりでもやって下さい」

拮平 「草むしりなんぞやったことないし、第一そんなことしたら、この白魚の様

   な手が荒れちまってさ、女の子の手握れないじゃないか。だから、もうひと

   眠り」

和尚 「駄目です。ここにいる間は特別扱いは出来ません。それにご新造様から

   も、若旦那に憑いている狐を追い出してくれと、お頼まれ致しております」

拮平 「あのさ、あたしに狐が憑いてんなら、あのお芳には狸が憑いてるさ。それ

   なのに、あたしの狐だけ追い出すだなんて、そんなことしたら、あたしの狐

   がかわいそうじゃないかさ。狐がかわいそうだと言うことはあたしも益々か

   わいそうになっちゃってさ。そんで、あたしの狐がいなくなったら、お芳の

   狸が益々態度でかくなって手が付けらんなくなっちまってさ。ここはお江戸

   さ、肥後の狸をのさばらせていい訳ないさ。狸追い出してくれるまでさ、も

   うひと眠りさ」

和尚 「狸は江戸にもいます。そんなに狸を追い出したかったら、先ず狐を追い出

   すことです。いつまでも寝てては狐は追い出せませんよ」

拮平 「やい、坊主。本当に狐や狸が取り憑くと思ってんのかい。この世は平たい

   んじゃなくて、丸いんだよ。何だったら、この世の模型見せてやろうか。地

   球儀と言ってさ、真ちゃんち行ったらあんだよ」

和尚 「前に見せて頂きました」

拮平 「それなのに、時代錯誤的なこと言ってんじゃないよ」

 

 その時、子供たちが入って来て、拮平の掛け布団をめくる。


拮平 「あっ、ちょ、ちょいと、しどいじゃないか!」

子供 「若旦那、朝ごはんですよ」

拮平 「えっ、そうかい」

子供 「早く、食べなきゃ無くなっちまいますよ」

子供 「お腹、空いた」

子供 「早くご飯食べたい」

 

 小さい子供たちが囃し立てる。


子供 「みんな、揃わなきゃ、ご飯食べられない…」

子供 「若旦那ぁ」

 

 こうなるとさすがの拮平も起きるしかない。


子供 「明日からは、遠慮なしに布団めくりますからね」

拮平 「あのさぁ、大人には大人の悩みがあってさ、何も手に付かない時があるん

   だよ。そう言う時はそっとしとくもんだよ。ああ、まだ、わからないか。こ

   の悩ましき大人の世界…」

お里 「若旦那、なに気取ってるんですか」

拮平 「お里じゃないか、しっかりやってるかい」

お里 「ええ、若旦那の分までやってますよ」

拮平 「そうかい、じゃ、朝飯にしようか」


 とにかく、お里は面白くない。朝早く起きてお光の手伝いをするのはともかく、このお光が良く動くのだ。幼児の面倒を見ながら家事をこなす。またその手際のいいこと。それだけならまだしも、拮平に馴れ馴れしいのが気に入らない。聞けば、年は二歳しか違わないのに妙に大人っぽいのだ。やはり、この年頃の二歳の差は大きい…。


----若旦那に色目使ったら、承知しないからね。


 だが、ふと気付く。


----そうだ、ここにいるのは皆罪人の子供だった。


 でも、安心は出来ない。拮平は将来のお里の玉の輿へのキープ要員なのだ。例えキープであっても管理・監視を怠りはしない。

 勝手な女の火花を知る筈もない拮平が漫然と外を眺めていた時だった。


----あれは、真ちゃん御一行じゃないの。やっぱり、あたしを案じて来てくれたのね。うれしいじゃないの、真ちゃーん。いえ、真様っ。


 真之介はふみから隣の白田屋の二階から着物が降ってきた話を聞く。

 ふみはいつも真之介から話を聞かされる立場だったのが、今回ばかりはふみ自身が目撃者であるからして情報収集も怠りなく、真之介に事の顛末を語れることが嬉しくて仕方なかった。


真之介「あの野郎…」

 

 別に今に始まった事ではないが、これでは真之介がまたもけしかけただけの当事者になってしまう。先日の幽霊騒ぎの事もあるし、かっぱ寺へ行くと言えば、ふみと久はいそいそと付いて来た。

 当の拮平も真之介の姿を見ると尻尾振る犬の様に駆け寄ってきた。こう言う姿を見ると、又しても捨て置けない気になって来るのが拮平の憎めないところだ。


拮平 「これはこれは真之介様に奥方様ではございませんか。まあ、それに忠助

   ちゃんに久様までっ、わざわざ私のためにお越し下さいましてありがとうご

   ざいます。ささっどうぞ、この通りのボロ寺でございますが、どうぞご遠慮

   なくお入り下さいませ」

真之介「誰が遠慮するか」

和尚 「ボロ寺へようこそお越し下さいました」

拮平 「あら、聞いてたの」

和尚 「若旦那の声はよく聞こえます」

真之介「ああ、先日は造作かけたな」

和尚 「いいえ、何程のこともございません。お陰さまであの娘も元気を取り戻し

   ました」

真之介「それはよかった」


 久がお供え用の饅頭を差し出す頃には、お光が茶を運んで来た。

 「早っ」と、お里は思わずにはいられない。

 寺の子供たちも真之介の事は知っているが、日頃武家の女を目の当たりにすることなどなく、幽霊騒動の時は既に寝ていたので、もの珍しさも手伝い徐々に集まって来る。

 ふみは子供たちに途中で買い求めた飴を配る。この時ばかりはお里も子供に返りふみから飴をもらう。最後にお光ももらった。

 そんな中、真之介と拮平がそれとなく庭へ向かう。


拮平 「あの、真ちゃん、あれは?」

真之介「あれとはなんだ。そんなことより、お前なぁ」

拮平 「ほら、あれ。酒よ」

真之介「酒がどうした」

拮平 「えっ、陣中見舞いに持って来てくれたんじゃないの」

真之介「これのどこが陣中か。陣中とはな、戦をしてたり、忙しくてどうしようも

   ない状況を言うのだ。寺で昼寝して何が陣中だ」

拮平 「それがしどいんだよ、ここの坊主。子供の頃は一緒に遊んだ仲だって言う

   のにさ、朝は早くから叩き起こし、掃除に草むしりまでさせやがんの。だか

   ら見てよ、この白魚の様な手がすっかり荒れちゃって」

真之介「どこが白魚だ。メザシがしっかり五匹並んでらぁ」

拮平 「あたしがメザシなら、真ちゃんは何なのさ」

真之介「白魚とまでは行かないが、鱚くらいかな」

拮平 「きゃ!恥ずかしっ!もう、その手で毎晩迫ってんでしょ」

真之介「悪いか」

拮平 「いやらしっ」

真之介「お前の方がいやらしいわ。そんなことより、どうしてお里にあんなことを

   やらせたんだ」

拮平 「だって、真ちゃんがやれって言ったじゃない」

真之介「俺は、後妻の目の前でお前がやれって言ったんだ!」

拮平 「似たようなもんじゃない、いや、俺もさ、ちょいと野暮用があったりし

   て。お里、暇そうだったから」

真之介「ったく…」

拮平 「でもさ、不公平だとは思わないかい。俺はこうして寺で粗食に耐え大変な

   労働やってんのにさ、お芳は家でうまい物食って昼寝してんだよ。あのお芳

   こそしばらくの間でも尼寺へ行かせるべきなのに。全くもって世の中不公平

   だよ」

真之介「世の中のせいにするか」

拮平 「だって、真ちゃんも言ってたじゃない。お芳が悪いって」

真之介「ああ、最初に部屋を取り上げたお芳が悪い。だからって、その時何も言わ

   なかったお前も悪い。後から喚いたところで何にもならん。俺だったら、そ

   の時点で二人とも叩き出してやるわ」

拮平 「そりゃ、真ちゃんは刀持ってるから、お安いことかもしれないけど、俺は

   さ、そうはいかない…」

真之介「刀の問題じゃねぇわ。武士の魂をそう簡単に抜けるもんか。そう言うお前

   は箒でもお芳に負けてるじゃねぇか」

拮平 「箒…。ああ、そういや、そんなことあったね。真ちゃん記憶力いい。俺、

   すっかり忘れてたわ」

 

 もう真之介は拮平は滅多なことは言うまいと心に決める。


拮平 「でもさぁ、お光が…」

真之介「お光がどうした」

拮平 「いや、お光見てたら、お敏思い出すんだよね」

----もう、勝手にしろ…。

真之介「逃がした魚は大きいか…」

拮平 「まあ、そう言うこと。でもさ、どうして俺って、簡単に嫁に出来ない様な

   女ばかり好きになるんだろうねぇ」


 この言葉が、後々まで、響いて来るとは…。


真之介「とにかく、先ずは嫁もらって家を出ろ。まあ、逆でもいいが、このままあ

   の家にいてお芳と無益な争いしても何も得る物はないどころか、身も心も消

   耗するだけだ。その気になったらいつでも来い。出来るだけ早めにな」

拮平 「うん、それ聞いて安心したけどさ、一度でいいから、お芳にひと泡吹かせ

   てやりたかったなぁ」

真之介「別に店を構えてちゃんとやって行けば、また、そんな機会もやってくる。

   その時にお芳に言ってやれ。尼寺へ行って修行して来いってな」

拮平 「そうだね…」

 

 そんな二人の様子をお里は飴を食べながらも、しっかり見ていた。何か真剣に話し込んでいるようで気になるけど、どうする事も出来ない。やがて二人はこちらへやって来た。そして、お里は聞いてしまった。


拮平 「その方向で行くわ」

 

 ああ、これはきっと前から聞いていた拮平の独立話なんだ。だとしたら、何としてでも阻止しなければ…。

 拮平が独立すると言うことは、同時に嫁をもらうと言うことなのだ。いくらなんでも今の自分では嫁にはいけない。またしても二歳の差の大きさを感じさせられてしまうお里だった。

 だが、このまま手をこまねいてはいられない。何と言っても拮平は自分の大事な輿入れキープ要員なのだから。そのためには一刻も早くこの寺を出て、拮平をいつもの暮らしの中でのんびりさせなくてはいけない。そのためには真之介達に早く帰ってほしかったが、ふと見れば、今度はお光が真之介に張り付いて、にこやかに談笑しているではないか。


----ああ、そうか…。ああやって、奥方様にゴマをすり旦那様に取りいって、側室にしてもらおうと言う魂胆か。まあ…、罪人の娘じゃ真っ当な輿入れは無理だからさ。でも、私はあんたと違うからね。妾なんぞになるもんか!


 だが、疑心は暗鬼を呼ぶ。


----まさか、あんたもうちの若旦那を二番手に…。それだけは私が許さない!


 お里が一人で妄想と構想をない交ぜにしていた頃、真之介宅の留守番のお房も一人できりきり舞いさせられていた。


 かっぱ寺を辞した真之介達は実家の本田屋に寄る。そして、ふみがいつものように階段を上ろうとした時だった。


お弓 「まあ、ふみ様。階段は気を付けて下さいませ。隣のお芳さんの事はご存じ

   でしょ」

ふみ 「いえ、私は大丈夫でございます」

お弓 「でも、本当に気を付けて頂きませんと。懐妊なさってるかもしれませんも

   の」

 

 久はハッとなり、頭を下げる。


久  「まあ、これはお姑様、お気づかいありがとうございます。私もついうっか

   りしておりました。申し訳ございません」

ふみ 「はい、私も気を付けます」

お弓 「いいえ、ふみ様ならあの様に迂闊なことはなさらないでしょうけど、つい

   老婆心から余計なことを申しました。年を取りますと細かい事が気になりま

   して。どうぞ、お気をつけられますよう」

ふみ 「ありがとうございます」

お弓 「すぐにお茶をお持ちします」

 

 ふみは姑の気遣いに感謝しながら二階へと上がる。例によって二階から下を見るのが好きな、ふみと久だったが、なんと、下には雪江と絹江がいるではないか。雪江と絹江はこちらも例によって、何やら言い合ってるようだった。


久  「まあ、お二人ともこの様なところで何をなさってるのでしょうね」

ふみ 「さあ。でも、放っておきましょ。顔を見たらここまで上がってきます」

久  「きっと、そうですわ」

 

 その時、お伸が入って来た。


お伸 「お姉様」

ふみ 「お伸殿」

 

 間もなく茶が運ばれて来たが、それでも久は気になり、もう一度下を見る。すると、絹江付きの女中が久に気付き、手首だけ上にあげ小さく手を振る。そして、絹江に何か言っている。しばらくすると、雪江も絹江も歩き出した。女中は後ろ手を振りながら去って行った。


久  「お二人ともお帰りになられました」

ふみ 「そう」

お伸 「えっ、どなたかお見えでしたの」

ふみ 「ええ、私の従姉たちの下を歩いておりましたの」

お伸 「まあ、お立ち寄り下さればよろしいのに」

ふみ 「いえ、忙しい方たちですので、いずれ、また」

お伸 「そうですか」

ふみ 「お伸殿も婚礼の準備がお忙しいのでは。日取りはお決まりになりました

   の」

お伸 「それが…。もう少し先のことになりそうなのです」

 

 そう言えば、あわただしく婿取りの話が決まったものの、その後の進展はないようだ。


ふみ 「まあ、何かございまして」

お伸 「いえ、先方のお店の都合だとかで…」

ふみ 「そうですの。でも、お伸殿はまだお若いのですから、そんなにお急ぎにな

   らくともよろしいですわ」

お伸 「まあ、お姉様とそんなに変わらないではないですか」

ふみ 「いいえ、少し先輩風を吹かせてみたかっただけです」


 女たちは笑い合ったが、それぞれの腹のうちは違っていた。

 ふみは従姉に自分の義実家に出入りしてほしくない。お伸は婿取りが早まった訳を、ふみには言えない。久は絹江付きの女中の態度から、別の思いがよぎっていた。

 そして、久の思いはほぼ当たりだった。

 帰宅して、久がお房からこま切れに聞いた話によれば、雪江と絹江の姉妹が昼間やって来た。留守だとわかってもずかずかと上がり込み、お房はあわてて茶を用意をするも、出された茶菓子を食べ終わると、今度はすべての部屋を捜索でもするように見て回ったと言う。この時はさすがにお付きの女中たちも止めたが、二人とも端から聞く耳など持ってない。


雪江 「何を言うの、私達は旗本ですよ。ここは御家人の家ではないの」

絹江 「そうよ、どうして格下に遠慮しなければいけないの」

雪江 「こんな狭い家、何をもったいつけて隠すものがあると言うのです」

絹江 「最初に案内するのが筋と言うものですわ」

 

 それからは、中の物には触りこそしなかったが、押し入れと箪笥などのほとんどすべての引き出しが開けられていった。


雪江 「さすが、衣装持ちですわ」

絹江 「そこに惚れたのですよ」


 果ては台所の米櫃まで覗く始末。


絹江 「鰹節も昆布もたくさんありますこと、ねえ姉上」

雪江 「でも、今日は卵はないのですね」

----あんな高級品がいつもあるかっ!あっ、ひょっとして、あったら持って帰るつもりだった?


 あまりの傍若無人振りにに頭に来たお房は、思わず鰹節を手土産に差し出してしまう。二人が持って来たものは、ありきたりの手ぬぐい一枚。


お房 「申し訳ありません。勝手なことをしまして、鰹節が二つ…」

久  「いいのよ、あの二人の事は奥方様もよくご存じですから、後で私から伝え

   ておきます」

お房 「お願いします。でも、留守だとわかった時は本当にがっかりしてましたけ

   ど、何かあったのでしょうか」

久  「多分、あったのでしょう。あの後、旦那様のご実家の前をうろついていま

   したから」

お房 「えっ、あのまま帰ったのではなかったのですか」

久  「ええ、ご実家の二階から二人が見えました。きっと、かっぱ寺からの帰り

   には実家に寄ると思って待ってたようですけど、今日私達は裏口から入りま

   したの」

お房 「それで」

久  「しばらくしたら、諦めて帰りました」

お房 「わあぁぁぁ」

久  「しっ、声が大きい」

お房 「はい」

久  「この事は、旦那さまや忠助には内緒ですよ、絶対ですよ」

お房 「はい、承知致しました」

 

 久から話を聞いたふみは苦笑するしかなかった。


ふみ 「あの二人こそ、尼寺へ行けばいいのに」

 

 その顔はすっかり真之介の妻だった。











 













































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