第48話 色は匂える

拮平 「これはこれは、誰かと思えば、誰あろう。真之介様ではございませんか」

 

 道場帰りの真之介を待ち伏せ、わざとらしく声をかける拮平だった。


真之介「白田屋だけに白々しい事を言いおって。何だ、私は忙しい。手短にな」

 

 拮平の話が手短だったことはないが、切り上げ時のために一応言っておかねばならない。


拮平 「いえ、その、それが、そうもいかないような訳でして。それに左程忙しそ

   うにも見受けませんが」

真之介「私の忙しい訳をお前に説明する暇もないほど忙しいと言う事だ」

拮平 「でも、これから、お屋敷にお帰りあそばすだけでは」

真之介「だからな、すぐに帰りたい」

拮平 「はぁ…。やっぱり、何はなくとも、奥方さまですか」

真之介「それがどうした。湿気たお前の面見るより、妻の顔を見ていた方が、何倍

   も気分がいいわ」

拮平 「まあ、それは、今の心情としては宜からぬ事でございましょうが、ここは

   一言!」

真之介「何を?一言とは」

拮平 「ですから、その、今のお気持ちを…」

真之介「今か。今は久しぶりに道場で体を動かし気分はいい。この上は早く汗を流

   し、さっぱりしてくつろぎたい。それが何か」

拮平 「まあ、じっとしてはいられないですよね。じっとしていると、こう、胸が

   締め付けられると言うか、ぽっかりと空いた胸の穴を埋めるには、やはり、

   じっとしてらんねぇ、でございましょ」

拮平 「何をまた、お前がそうやって回りくどい言い方をする時ほど、ろくでもな

   い話と相場が決まっておる。で、今日はどこかのお芳がまた滑り落ちたか」

拮平 「お芳のことはお止しになって」

真之介「では、お敏が」

拮平 「そのお敏の事なんだけど、あんなことになっちゃってさ。その感想を一言」

真之介「良かったと言うべきか…。お前にすれば残念だったな」

拮平 「そんなんじゃなくてさ」

 

 拮平は真顔になって言う。


拮平 「ひょっとして、人生初だったのではないですか。初めて振られた経験に付

   いて、今の気持ちを一言」

----わっ、拮平ちゃん、かわら版屋になるの巻!

真之介「誰が振られただと」

拮平 「いや、その、あら、お惚けになって。嫌ですよ、白々しい」

真之介「白々しいのと回りくどいのと勘違いはお前の三大専売特許じゃねえか。加

   えて早とちりもな」

拮平 「いや、だから、お敏の事よ」

真之介「お敏がどうした。ああ、お前が振られたんだったな」

拮平 「それはそうとしても、真ちゃんだって、お敏狙ってたじゃない」

真之介「別に狙ってなどおらぬわ」

拮平 「自分にも都合があるんで、はっきりしろとかおっしゃいませんでした」

真之介「ああ、言った。言ったがそれが」

拮平 「実のところ、側室にしようとか思ってたんでしょ。それを横からさらわれ

   ちゃって」

真之介「おい!お前の頭、かち割って脳の中の思考回路見て見たいわ。きっとあり得

   ない配列で繋がってんだろうよ。気の毒に…」

拮平 「何が気の毒なのさ!真ちゃんこそ気の毒で、落ち込んでいると思って元気づ

   けてあげようと思って、思いがけない待ち伏せに喜ぶと思ったのにさ!」

真之介「それを全くの勘違いと言うんだ。いい女の待ち伏せなら喜びもするが、お

   前は道を塞いだだけの邪魔者だ」

拮平 「しどいね、しどすぎるよ、真ちゃん」

真之介「ああ、お前が慰めてほしかったのか」

拮平 「ちょいと、話はぐらかさないでよ。側室にしようと思った娘が嫁に行っ

   ちゃうんだよ。ねっ、悲しいでしょ」

真之介「そう言うことか…。あのな、あれはな、お敏を弟の嫁にと思ってな」

拮平 「まったまた、善ちゃんのせいにして、悪い兄さんね」

真之介「本当だ。お敏は気立ても良くしっかりしてるで、こんな娘が弟の嫁になっ

   てくれたらと思ったが、お前が気に入ってるで、ひょっとしたら嫁にするの

   ではと。それで早く決めろと言ったのに、お前がもたもたしてるから、紀三

   郎にさらわれちまったと言うオチだ」

 

 紀三郎は漁師町の太物屋の息子だった。いずれは絹物も扱う様な店にしたいとの思いから、親が本田屋に奉公に出した。そこで、隣に女中奉公に来ていたお敏と知り合う訳だが、急な暇取りとなったのは、若旦那の拮平が家を出て新たに店を持つらしい、その時は自分も拮平に付いて行くことになる。また、それを真之介が後押ししている。そうなっては、紀三郎と会えなくなってしまう。また、ひょっとして拮平と…。

 その事を紀三郎に相談した結果であり、近く、紀三郎も暇を取ることになっている。

 そう言う真之介も以前、お敏と紀三郎が裏口で会っているのを見掛けたことがある。お敏が真之介に気が付いた。


お敏 「まあ、どうも、ご丁寧にありがとうございます。ご新造様にお伝えしま

   す」

 

 と、二人は離れ、紀三郎は真之介に挨拶をして立ち去った。


お敏 「ご新造様にお似合いの柄が入ったと知らせて下さったのです」

 

 その時は、取り立てて気にも留めなかったが、後に拮平から似たような状況を聞きすぐに気が付いた。お芳に似合いそうな柄と言うのは、二人が会っているところを見られた時のカモフラージュ言葉だったのだ。

 真之介がお敏を弟善之介の嫁にと思っていたことは事実だが、とんだところに伏兵がいた。


拮平 「まあ、そうとも言えるけどさ、内心真ちゃんも、そうは言っても狙ってた

   んじゃないの」

真之介「まだ、そのような下らない事を申すか。この大馬鹿者め」

拮平 「でもさ、真ちゃんだって内心じゃ、お敏のこと…」

真之介「おい、たまにゃ馬鹿も休め!自慢じゃないがこの俺はよ。狙った女、はずし

   たことたぁねぇ。俺がその気になりゃ、お敏なんざすぐにも落としてやる

   わ。誰がお前なんぞに遠慮するか!」

拮平 「あらぁ、お敏を落とすなんて、真様でもベタな駄洒落を言いなさいますの

   ね」

忠助 「あの、若旦那。もう、そのくらいになさった方がよろしいかと」

拮平 「おや、そうかい」

忠助 「ええ、でないと、また、ほら、あの、え…とかなんとかに」

拮平 「ああ、えすね。そうだったそうだった。忠助ちゃん、ありがとうよ。今

   度、蕎麦でもごちそうするからさ」

忠助 「それはどうも。でも、気をつけなさいませんと、御覧なさいな、まだ道場

   で暴れた余韻が残っておりますでしょ」

拮平 「それ、忘れてた」

真之介「忠助、帰るぞ」

忠助 「はい」

拮平 「いえ、あの、もそっとお待ちを」

真之介「知らぬ」

拮平 「いえ、今までのはほんの前振りでして。これからが本番じゃないですか」

真之介「これからが本番?何と長い前振りよ。もう、腹一杯で何も入らぬわ」

拮平 「そこは別腹に」

真之介「それ程の物があるとは思えぬが」

拮平 「それがさ、あってさ、どんなさ、あたしのさ、計画あってさ、夢あって

   さ、希望もあってさ、壮大でさ、それをちょいとご披露するんでさ、驚くん

   じゃないよ」

----どうせ、大したことないわ。  

拮平 「おいで」

 

 と、拮平は手招きをする。


拮平 「さあ、こちらが本田真之介様ですよ。ご挨拶を」

お里 「初めまして、お里と申します。旦那様のことは若旦那から伺っておりま

   す。お会い出来て光栄です。今後ともよろしくお願い致します」

 

 と、大人びた口調で答えるも、現れたのは先程から視界に入っていた少女だった。


真之介「これはご丁寧なことで。で、若旦那からはどのように」

お里 「はい、顔がいいだけでなく、文武両道に秀でた方だとお聞きしてます」

真之介「それだけか」

お里 「はぁ、貧乏旗本の姫様をお嫁に迎えられたので、それで苦労されていると

   か。算盤上は赤字だけど、金は有り余っているのだから、それこそ、余計な

   お世話だとか、それと、未だに…」

拮平 「お、お里。もう、その辺でいいからさ。先に帰ってな」

真之介「お里か、幾つだ」

お里 「十歳です」

 

 真之介は忠助に小遣いを渡すように言う。


お里 「ありがとうございます。では、お先に失礼します」

 

 お里は一礼して去る。


拮平 「ね、ねっ、かわいいだろ」

真之介「ああ。それにな、十歳にしては随分としっかりしておるなぁ、おい」

拮平 「でもさ、何てたって、まだ子供だからさ」

真之介「そんな子供にろくでもない事吹き込むな」

拮平 「いやさ、まだ子供だからよくわかってないって。これからだよ」

真之介「これから?」

拮平 「あのお里さ、あたし専属の女中なのよ」

真之介「それで」

 

 お敏は拮平付きの女中と言う訳ではなかったが、拮平が気に入って何でもお敏に任せ、連れ歩いたりしていた。


拮平 「だからさ、これからね、あたしがさ、あの田舎娘を今風のいい女にしてや

   ろうじゃないかと言う、どう、この壮大かつ美しい計画」

真之介「何が美しいだ。ひょっとして、拮平、ろりに走るか」

拮平 「ろり?ああ、エゲレス語のろりーた…。いやぁ、そんなんじゃなくてさぁ。

   何て言えばいいのかなぁ、わかんないかないかなぁ…。ねえ、わかってよ」

真之介「はぁ」

拮平 「だからさ、先ずは最初にしっかり言い聞かせたのよ。いいかい、お里。

   お前はあたし専属の女中だからさ、他の奴の言うことなんて聞かなくていい

   よ。あたしの言うことだけ聞くんだよって。どうだい」

真之介「それで、その後は」

拮平 「それはこれから、追い追い」

真之介「まあ、好きなようにやってくれ。私は疲れたで帰るわ」

拮平 「どうぞ、お気を付けて。奥方様によろしく」

真之介「ああ」

 

 と、去っていく真之介の後姿に、尚も語りかける拮平。


拮平 「くれぐれもあたしの美しく壮大な計画をおうら、うらうら、うらっ、お羨

   みに、やっと言えた。お羨みに、なりませんように。そんなことしたら、奥

   方様が角生やしますよ!もう、綿帽子脱いじゃってから、随分経ちますもん

   ね、大変よ、ねぇ、真ちゃーん」

 

 お敏が去ってから、拮平が落ち込んでないかと少しは心配もしたが、それはとんだ徒労だった。

----また、とんでもない事、思いつきやがった。

 だが、帰宅すると、何とお初が待っていた。


真之介「久しぶりではないか、元気そうで何より。それにしても随分ときれいに

   なったものだ」

お初 「まあ、いやですよ。旦那様まで。相変わらずお口のうまい…」

久  「いえ、本当です。お輿入れの時にお会いして以来ですけど、一段と」

お初 「あらまぁ、久さんまで。もう、穴があったら入りたいですわ」

忠助 「では、折角ですので、庭に穴でも掘りましょうか、旦那様」

真之介「そうだな、その穴で池をもう一つ作り、お初ケ池とでも名付けるか」

お初 「もう、そんなに私を困らせないでくださいませ。今日は旦那様のお着物を

   仕立てて参りましたのに…」

真之介「よく、そんな暇あったな」

お初 「どんなに忙しくても、旦那様のお召し物は縫わせて頂きます」

 

 真之介の乳母であったお初の嫁いびりを警戒して、何とかお喜代の店で引きうけてもらったのだが、当のお初を待っていたのは生まれて初めての恋だった。相手は売れない役者と言っても、左程若くないお初といつまで続くものかと周囲は冷ややかな目で見ているが、今のところ大丈夫なようだ。

 だが、お喜代の姑はのぼせ上っているお初に忠告したものだ。


姑  「いいかい、男ほど当てになんないものはないよ。それにさ、おかみさんに

   なれるってわけでもないし、これから年を取って腰でも曲がってごらんよ。

   そん時に頼りになるのはあの真之介様しかいないと思わないかい。それを忘

   れちゃいけないよ。そっちもちゃんとつなぎ止めとかなきゃ、駄目だよ。い

   いかい、人生の先輩の言うことは聞いとくもんだよ」

 

 その役者には正式な妻はいないが、どうやら別に女がいるようだ。その辺のところはお初もわきまえているつもりだが、時々、どちらが本命なのだろうか、ひょっとして、自分の方がと思ったりもしたが、現実はそんなものではなかった。複数の女の影も見えて来た。それでも、お初は諦められなかった。お初にとってはどんな浮気者でも、好いた男には変わりないのだ。

 だが、この頃ふと不安になる。それこそ何の保証もないのだ。そして、いつか自分が捨てられても、世間は自業自得としか見ない。やはり、ここは真之介とのつながりも大切にしなければ…。

 生まれて間もなくから自分の乳を飲ませ、着る物は下着に至るまですべて自分が縫って来た。婚礼までにしっかり縫っておいたがここはそろそろ新柄でもと思い、今日持参して来た。

 そして、やってきてよかったと思った。

 真之介の妻のふみは確かに美しかったが、婚礼と言う緊張感もあったろうが、痩せてどこか寂しげで今にも折れそうだった。それが今見るとどうだろう。すっかり血色が良くなり、ふっくらして余裕すら感じられるのだ。痩せていたのは貧困ゆえの栄養不良であったにしても、それだけではない落ち着きが感じられた。

 やはり、女は男次第と思わずにはいられないお初だった。


忠助 「そうだ、お初さん。白田屋の若旦那が、また新しい事始めるそうですよ」

お初 「新しい事?、あの若旦那が何を。さぁ、私にはいつもぶらぶらしてるように

   しか見えませんけど」

真之介「それがな、当人にすればあれこれやっているつもりなのだ。お敏のことに

   しても、親を説得するつもりでいたような、いないような。そこで、私が家

   を出てお敏と店でも持てと言ったのに、これもなんだかんだと理屈をこねて

   いる間に紀三郎にさらわれてしまった。そこで、今度は新たな長期計画を立

   てたと言う訳だ」

お初 「どのような計画ですか」

 

 いつの間にかお房もやって来て、四人の女はいつも何かやらかしてくれる拮平の長期計画話に興味津々だった。


真之介「お敏が嫁に行ってしまったで、今度は拮平専属の女中を雇った。名をお里

   と言ってな、拮平自ら口入屋に出向いて見つけて来たとか。そのお里をこれ

   から理想の女にして行くのだそうだ」

お初 「まあ…」

 

 と、呆れつつもこんふぇいとを口を入れる手は休めない女とは実に器用なものだ。


お初 「そのお里とは幾つなのです」

真之介「十歳だ。後五年もすればいい女になっているとか、言っておった」

ふみ 「本当にそのような事が可能なのですか」

お初 「いいえ、奥方様。それにはまだ若すぎます。特にあの若旦那では。まあ、

   うちの旦那様なら、後十年か十五年くらい…」

真之介「私はそんな気はないわ。わが子でさえ、思うようにならぬと言うに、何が

   理想の女だ」

お房 「その通りです。それにまだ十歳では将来どんな顔立ちになるやらわかった

   ものではありません!」

 

 お房はどさくさに紛れ、こんふぇいとを尖らせた口に運びながら言う。


お房 「私だって、十歳の頃はそれはかわいくて、将来は何とか小町だなんて言わ

   れていたのに…。それが今では誰もそんなこと言ってくれません。顔って変

   わるんです」  

ふみ 「お房は今もかわいいです」


 ふみが微笑みながら言う。 


お房 「奥方様…」 

 

 だが、その話題のお里はそれまで被っていた猫を脱ぎ始めていた。  



お澄  「それで、あのお里って娘、いやまだ子供だけどさ、どうなったって」


 お澄が早速に情報を仕入れて来た万吉と仙吉から聞いていた。


万吉 「まあ、誰だって見知らぬとこ、まして、奉公先ともなれば最初は緊張した

   りするもんだけどさ、全く物怖じしないんだって。それでも一応の事、覚え

   るまでは誰の言うことにも素直に、はいはいって言ってたそうだけど、何し

   ろ若旦那が他の奴らの言うこと聞かなくていい、自分の身の回りの事だけや

   ればいいんだとか言うもんだからさ、すっかりのん気にやってるって」

仙吉 「そりゃ、若旦那の世話っても、布団の上げ下ろし、洗濯、部屋の掃除にた

   まの按摩、肩揉みくらいっしょ。後は若旦那にくっ付いてあっちこっち行っ

   てりゃいいんだから、楽なもんすよ。そんでさ、ちゃっかり菓子何かねだっ

   て。まあ、それを一人占めしないでみんなにお裾分けしてるって言うんだか

   ら、かわいいとこもあるんですけどね」

万吉 「そんなもんじゃなくてよ。まあ、子供のくせにと言うか、まだ子供なのに

   八方美人てやつで。とにかく誰にでも愛嬌振りまいて、もう歯の浮くような

   お世辞なんか平気で言うんだって。それも子供だから誰も悪い気しないと

   か。だけどさ、ついに見ちゃった、見られちゃったんだよ。お世辞言われて

   喜ぶ大人見て陰で舌出して、大人なんてちょろいって言ってんのをさ。それ

   を皆に知られたら、ひどいひどいって大泣きするもんだから、若旦那が子供

   いじめるんじゃないと怒りだしてさ」

お澄 「なかなかやるじゃない」

万吉 「ああ、やりすぎなきゃいいけど」

お澄 「そうね、大人なんて、かわいく甘えるとすぐに許してくれると思ってるん

   だろうよ」

万吉 「お澄の子供の頃のようにな」

お澄 「私はそんなことなかったわよ。私じゃなくて兄貴がだらしなかったから、

   私がしっかりしているように見えて、その延長で私がしっかりして来たん

   じゃない」

万吉 「よく言うよ。何でも出しゃばって来たくせによ」

お澄 「それはさぁ」

仙吉 「あの、お取り込みのところ恐れ入りやすけど、兄妹けんかはそのくらいに

   して、そろそろ晩飯の方を」

お澄 「ああ、そこにこんにゃくとゴボウの煮たのがあるから、勝手にやって」

万吉 「ええっ、今晩こんにゃくとゴボウだけ?」

仙吉 「それはちょっと」

お澄 「仕方ないわよ。今月稼ぎ悪いもの」

万吉 「そこを何とかやりくりするのが女じゃねぇかよ」

お澄 「無い袖は振れませんっ」


 いつもの様に三人の夕食が始まる。


万吉 「しかしよ、子供の頃ちょっとしっかりしてたお澄がこんなになるんだか

   ら、あのお里はどんな女になるんだろうねえ」

仙吉 「ええ、それがね。女中頭のお熊さんが、お里ちゃんはかわいくて愛嬌があ

   るから、芸者になったらきっと売れっ子になると思うよって言って見たんで

   すって」

お澄 「それで?」

 

 お澄の箸が止まる。


仙吉 「そしたら、ものすごい顔してお熊さんを睨みつけたとか」

 

 その時、お里はきっぱりと言い切ったそうだ。


お里 「誰が芸者なんぞなるもんですか。行きつく先は良くて置屋の女将か誰かの

   囲い者。冗談じゃありませんよ。私はいいところに嫁に行きたいんです。本

   当は大奥に上がりたかったんですけど、あそこはコネがなくちゃ駄目なんで

   す。それで、仕方なく口入屋に行ったという訳です。ですから、間違っても

   芸者だなんて言わない下さい。今からそんなこと言われたんじゃ、それこそ

   嫁入り傷になります」


 側にいた者たちは、これが十歳の少女が言うことかと驚き通り越し唖然とするばかりだった。

 いや、お里は玉の腰を狙っているのだ。この態では後五年もすれば、ひょっとして拮平若旦那の嫁になってるかもしれない。いや、差し当たってのターゲットが拮平で、本当はもっと上を…。


お澄 「そんな、末恐ろしいとか言うけどさ、要はまだ子供なのよ。現実はそんな

   に甘いもんじゃないのにさ。女中が若旦那の嫁になれるもんかい」

       

 女は年齢に関係なく、同性には手厳しい。


万吉 「そうだよ、あのお敏さんでさえ、大旦那も二の足踏んでたものな」

仙吉 「それにいくら、お敏さんが嫁に行く、暇を取るって言ったって、あんな、

   追い出すようなことしなくても、なあ」

お澄 「あれはお芳さんの差し金よ。義理の息子の嫁が女中だなんて、許すもんか

   い。そこんとこがわからないうちは、まだまだ子供よ」

仙吉 「わかってくるのはこれからでしょ」

万吉 「まあ、こちらは高みの見物って訳だけど…」

仙吉 「それにしても、若旦那もあんな子供相手にして面白いすかね。俺なんか、

   幾らなんでも十歳のガキとじゃぁ、一日、いや半日がいいとこですけんど、

   兄貴はどうです」

万吉 「俺だって、いいとこ二、三日ってとこかな。まあ、若旦那は色々遊びを

   やって来た、と言うことで」

仙吉 「その代わり、飽きるのも早い」

万吉 「俺もこんにゃく飽きた」

お澄 「贅沢言うんじゃないの」

仙吉 「明日は何か違うものにして下さいよ」

万吉 「止めとけ、多分明日はメザシだ」

お澄 「当たり!さすが鋭い」

万吉 「鋭くなくたってわかるわ」

仙吉 「若旦那、今頃何してんですかね」

万吉 「さあな」

お澄 「さあね」

 

 その頃、拮平はお里に按摩をさせていた。


拮平 「違うよ、もうちょっと左。それは行きすぎ。あぁ、そこ、そこいいね。あ

   らっ、もう外れちゃったじゃないか。せっかくいいとこだったのにぃ」

お里 「若旦那、私、按摩無理です。按摩さん呼びましょうか」

拮平 「そんなんじゃ駄目だよ。まあ、今日のところはこのくらいにしてやるか

   ら、明日はもっとしっかりやんな」

お里 「はいはい」

拮平 「返事は一回!」

お里 「はい」

----真ちゃん、何してるかな。恐れ多くて、あの嫁に按摩は頼めないよな…。

 

 翌日、拮平は地理を教えるという名目のもとに、お里を町に連れ出す。


お里 「若旦那、くたびれました。それにこんなに店が多くては一度に覚えきれま

   せん」

拮平 「何も一度で全部覚えろなんて言ってないよ。道を覚えるって言うのはさ、

   先ずは目印になる店を覚えりゃいいのさ、特に角の店。あの角を右とか左と

   か言うだろ。他には自分の好みの店とか、そうやって覚えて行けばいいんだ

   よ」

お里 「ああ、それなら、汁粉屋は覚えました」

拮平 「食い気か。まあ、それでいいさ」

お里 「でも、くたびれました」

拮平 「子供が何を言ってるんだい。大して歩いてないじゃないか。箱入り娘みた

   いな事言うんじゃないよ」

お里 「私、箱入り娘です」

拮平 「何言ってんのさ、箱入り娘が口入屋に行って女中になったりするもんか

   い」

お里 「実は、私、本当はいいところの娘だったんです。おとっつぁんが悪い人に

   騙されて死んじゃって、無一文になって、おっかさんも病気がちで、それで

   どうしようもなくて女中になったんです。だから、若旦那、助けて下さい

   よ」

拮平 「あんだって。じゃ、あの口入屋に一緒にいたのは誰なんだよ」

お里 「若旦那、それはここではちょっと。それに話はまだ長くて、喉は渇き、そ

   れにお腹はぺったんこ」

 

 お里が今通り過ぎて来た、汁粉屋に行きたいと目で訴えていた時だった。


兵馬 「これは拮平ではないか」

拮平 「あ、これは兵馬様、ご無沙汰をしております」

兵馬 「ああ、随分、無沙汰したな。うむ、噂は事実であったか」

拮平 「噂と言いますと」

兵馬 「お前が大人の女に失、失望して、子供を連れ回し、おると言う噂だ」

 

 兵馬はお敏に失恋した拮平が妙齢の女に見切りを付け、今度は子供相手に良からぬ事を企んでいると言いたかったが、側にお里がいたので言葉を選んだ。


拮平 「まあ、そんなぁ。あらっ、また。違いますよ、この子はうちの女中でし

   て、田舎育ちなもんでこの辺の地理を教えてやっていたのですよ。ねぇ、

   お里」

お里 「はい、若旦那は本当にやさしくていい方です。でも、若旦那、こちらの素

   敵なお侍さまはどなたでございますの」

 

 兵馬はまだ子供とは言えお里から素敵などと言われ、一瞬戸惑ってしまう。素敵などと言われたのは生まれて初めてのことだった。


拮平 「こちらはね、ほら、真之介様の奥方様の弟君の兵馬様ですよ」

お里 「ああ、あの、順番、いえ、ごく最近奥方様をお迎えになられたと言う」

拮平 「そうです。先ずはご挨拶を」

お里 「お初にお目にかかります。お里でございます。いつも若旦那がお世話にな

   りまして…。それでもう、お子様はお生まれになったのですか」

 

 それまでのいい気分はどこへやら、兵馬の目が吊り上がる。


拮平 「ああっ、あの、兵馬様。まだこの通りの子供でして。あの、それより、

   ちょいと小腹がお空きの頃ではございませんか。実はこの先に新しい蕎麦屋

   が出来まして。それがもううまいのなんのって、蕎麦もうまいけど、これま

   た天ぷらがうまいんです。この通りの子供で女っ気はありませんけど、天ぷ

   らで軽く一杯なんて、いかがでございましょうや」

兵馬 「さようか、よかろう」

----やれやれ…。

 拮平は胸をなでおろすも、義兄弟とはいえ、どうして真之介と兵馬はこうも短気なのかと思わずにいられない。

 蕎麦屋で兵馬とお里は早速に天ぷらにかぶり付く。


兵馬 「うまい。こんなうまい天ぷらは初めてだ。もう、わが屋敷では食欲も失せ

   るでな」

拮平 「やっぱり、その、大変なんですか。私にはよくわかりませんけど」

兵馬 「ああ、一日中口を動かされて見ろ。いい加減うんざりするわ」

拮平 「今、そんなにお召し上がりになる頃ですか?でも二人分お食べにならなく

   てはいけないのでしょうから、そこのところは」

兵馬 「それが食べるだけならよいが、何もしてくれぬとか文句ばかり言いおる。

   男に何が出来ると言うのだ。子を生むことは女の仕事ではないか。もう、毎

   日が憂鬱でしかない」

拮平 「それなら、兄上のところで将棋でも、あそこなら色々ごちそうもしてくだ

   さるでしょう」

兵馬 「それが…。ちと、姉上を怒らせてしまい、敷居が高い」

拮平 「あらあら、では、本田屋の」

兵馬 「あそこへは行きたくない!」

拮平 「そうですか。本田屋の使用人食堂も意外とうまいんですけどね」

兵馬 「使用人食堂?」

拮平 「ええ、あそこはうちよりも使用人や出入り業者が多くて、女中が作ってる

   んじゃなくて、元料理人が腕振るってますよ、と言っても至って普通のもの

   ですけど、わりとうまいですよ。私なんかも時々行ってますよ、なあ、

   お里」

お里 「ふぁぃ、ほれふぁ、もぅ」

 

 てんぷらを食べ終わったお里は、口に銜えた蕎麦を落とすものかと頑張っている。


兵馬 「さようか、なら、一度覗いてみるか」

拮平 「あっ、そうだ。いい話教えましょう。敷居が低くなりますよ」

兵馬 「ん、何だ。それより、酒だ。天ぷらも」

拮平 「あ、はいはい、ちょいと、酒と天ぷら追加ね」

お里 「あたしも天ぷら、お代り」

 

 ぴたりと箸を止めたお里だった。


拮平 「そんなに食べて大丈夫かい」

お里 「はい!若旦那、返事は一回」

拮平 「わかりました」

兵馬 「それで、そのいい話とは」

 

 運ばれて来た酒の酌をする拮平。 


拮平 「お敏の事なんですけどね」

兵馬 「お敏?お敏は、それ」

拮平 「それ何ですよ。実はね、お敏を狙ってたやつがいるんですよ」

兵馬 「それはお前ではないか」

拮平 「いえ、幾らなんでも、白田屋の跡取りが女中を嫁にすると思います」

兵馬 「まあな」

拮平 「でも、側室なら別でしょ」

兵馬 「誰がお敏を側室に?」

拮平 「これだけ言ってもわかりませんか」

兵馬 「えっ、まさか…」

拮平 「そのまさかですよ」

兵馬 「しかし…」

拮平 「ええ、残念ながら、お敏は紀三郎に持ってかれましたけどね。問題はその

   後ですよ」

兵馬 「その後と言っても、お敏は既に」

拮平 「お敏じゃなくて、その野郎の、ことです」

兵馬 「どうしたのだ」

拮平 「それが負け惜しみの強い奴でさ。狙ってたんじゃねぇ、弟の善之介の嫁に

   しようと思ったんだって。こんな事まで弟におっ被せてやんだから」

兵馬 「まあ、口は重宝なものだからな。口だけではどうしようもないわ」

 

 天ぷらがやって来た。またしても、天ぷらに夢中になるお里。兵馬も天ぷらを食べるものの、酒のピッチが早くなっていた。


兵馬 「それより拮平、お前は町行く娘への声掛けは止めたのか」

拮平 「近頃、好みの女を見掛けないもんで。私だって、何も手当たり次第に声掛

   けてるってわけじゃないんですよ。好みがありますよ、好みが」

兵馬 「その好みと言うのは変化するようだな。ついには子供…。こんな子供とい

   て、楽しいか」

拮平 「ええ、それはそれで楽しいです。なあ、お里」

お里 「ふぁい、それは楽しいです、若旦那」


 だが、それにしても兵馬はよく飲む。

----前から、こんなに飲んでいたかな…。


兵馬 「馳走になったな。次は子供抜きで面白いことはないか」

 

 店を出ると、兵馬は言った。


拮平 「はい、いずれ」

 

 兵馬と別れ、拮平が歩きだすも、お里の歩みがのろい。


拮平 「食いすぎて動けないか」

お里 「はい、もう、お腹一杯です」

拮平 「そうかい。じゃあな、十分遊んで食ったから、明日からは一生懸命仕事に

   励むんだよ」

拮平 「えっ、若旦那がもっと、色々教えて下さるんじゃ」

お里 「一度には無理だから。それにさ、今度は私にうまいもの食わせられるよう

   になっとくれ。針仕事も覚えてさ」

お里 「……」

----これから、いい女になるんだよ。


 夕焼けが美しかった。






 




 



































 

 


 





















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