第47話 拮平、から騒ぐ

拮平 「あれ、夢遊病とか言うんだってな」

 

 拮平は何でも屋に来ていた。


万吉 「ええ、そうですって」

拮平 「けどよ、あれじゃあ、どう見ても幽霊だ。それにさ、あたしが見た時にゃ

   大勢いたからさ」

仙吉 「えっ、大勢いたって、どういうことっす」

拮平 「手ぬぐい噛んでたらさ、息苦しくなって、ふと見れば幽霊がいっぱいい

   た」

仙吉 「ええっ」

万吉 「若旦那、何か勘違いしてるんじゃないですか。幽霊と思ったのは実は幽霊

   じゃなくて夢遊病の娘だった、と言う話なのに、幽霊がいっぱいって…」

仙吉 「若旦那、気ぃ失う時に夢か何か見たんすか」

拮平 「誰が、気ぃ失ったって」

万吉 「若旦那ですよ」

拮平 「それはさ、誰かがあたしの口の中に汚ねぇ手ぬぐい突っ込みやがったから

   じゃないか」

万吉 「汚かないですよ。ちゃんと洗ってまさぁ」

拮平 「どうだかね。万吉がそんなにきれいに洗濯するとも思えねぇな」

お澄 「あら、あの時の手ぬぐいは私が洗ったものですけど、何か」

拮平 「あっ、いや、お澄はきれいに洗ってもさ、万吉が雑だから」

万吉 「何言ってんですか、俺たちゃ、手ぬぐいはいつも腰からぶら下げてますけ

   ど、あん時は別に懐に入れて持ってったのを口に当てたんですから。それを

   若旦那が変な声出すから、こりゃ大変って若旦那の口をふさいだんじゃない

   ですか。なぁ、仙公」

拮平 「ななな、何だって。お前の口に当てた奴を、このあたしみたいないい男の

   口の中にぃ。ぺっぺっぺぺぺっ、その方がよっぽど汚ねぇじゃないかよう!

   ぺっぺぺぺっ」

仙吉 「そりゃ、仕方ありゃせんや。若旦那が自分の手ぬぐいを使わなかったんが

   悪いんしょ。あっ、それとも何すかい、ひょっとして手ぬぐい忘れてたと

   か」

拮平 「誰が忘れるもんかい。今日だって、こうして」

 

 と、拮平は懐に手を入れる。


拮平 「あれっ、あっ、今日はちょいと、うっかり」

万吉 「いつも忘れてんでしょ」

拮平 「違うさ。いつもはお敏がちゃんと用意してくれんの」

万吉 「えっ、それなのに、どうしてあの時と今日に限って、お忘れとは」

拮平 「いや、それがさ、お敏は最近悩んじゃってるの」

仙吉 「何を、どんな悩み?」

拮平 「それが、変な男に言い寄られちゃってさ」

お澄 「それって、大変じゃないですか。こう言う時こそ、助けてあげるのが男っ

   てもんでしょ」

拮平 「それが、色々あってさ…。あっ、そんなことより、万吉が無理やり手ぬぐ

   い、突っ込むもんだから、あたしゃ、死にかけたじゃないか。話はぐらかそ

   うたってそうはいかないよ。ひょっとして、ドサクサにまぎれて、あたしを

   殺せって、あの後妻のお芳にさ。おいこら、一体幾らで引き受けたんだよ!

   ったく」

お澄 「若旦那、人聞きの悪いことはお止しに、なってくんなまし!いくら何でも屋

   だからって、人殺しみたいな人の道に外れたことはどんだけ積まれたってや

   りゃあしませんよ」

拮平 「どうだか」

お澄 「お止しなさいよ。お芳さんの事、悪く言うのは」

万吉 「悪く言えば悪く言っただけ、自分に返ってくるだけですよ」

仙吉 「そうすそうす。今日は兄貴も姉さんもいいこと言うねぇ」

拮平 「何がだい!あたしはさ、死にかけたんだからさ!」

万吉 「それを大げさと言いまして。あん時、気ぃ失ったの若旦那だけです!」

拮平 「でもさ、そん時に大勢の幽霊見たんだよ」

仙吉 「それって、俺たちのことじゃないすか」

万吉 「そう、気ぃ失う時に覗き込んだ込んだ俺たちの事を幽霊だなんて」

仙吉 「しどい、しどすぎまさぁ」

お澄 「そうですよ、女の私達だって、あの時は本当の幽霊見たと思って恐かった

   んですよ。でも、みっともない真似は止めようと頑張ったんですからさっ」

拮平 「何さ!寄ってたかって、みんな、俺ん事、ちっとも心配しないんだね」

お澄 「若旦那にはお敏さんがいますから、別にねぇ」

拮平 「それが…。そんなことより、あの夜歩きの夢遊病の娘、実際問題どうなっ

   たんだい」

万吉 「何でも、かっぱ寺にいるそうですよ」

 

 その娘も子供の頃、夜に起き出して辺りをうろつく夢中遊行の癖はあったが、両親はそれは一時的な事でそのうち治まると思っていた。事実、治まっていた。だが、最近また夢中遊行が始まる。最初は家の中だけだったが、やがて、外もうろつくようになると、その姿を見た者が幽霊だと騒ぎだす。さりとて、どうする事も出来ないままに、両親も昼間の農作業の疲れで眠りこんでしまう。

 原因として考えられるのは、かわいがっていた犬の死。それも自然死とかではなく惨い殺され方をしていた。発見したのも娘だった。この村にそんな事をする者はいない、誰か余所者の仕業だろうと言うことになったが、犬とは言え、むごたらしい死に方をみた娘はあまりの事に茫然自失となり、気が付くと夢中遊行が始まっていた。

 かっぱ寺の和尚に、しばらく寺で過ごしてみてはと説得されるも、自分が夜中に辺りをうろつくことなど、到底信じられない娘は抵抗するが、和尚と両親の真剣さに次第にその話を受け入れ、今は寺と家を行き来しているそうだ。 


拮平 「そうかい。大変な病もあるもんだな。それで、かわら版が幽霊より病気っ

   ぽい話になってたんだな」

万吉 「ええ、旦那がお姉さんの嫁ぎ先の薬種問屋から、気を落ち着かせる薬を

   かっぱらって、いえ、これは旦那がおっしゃったんですよ。今はその薬、飲

   ませてるそうです」

拮平 「ああ、持つべきものは医者と薬屋だね。よし、俺もこの胸の痛みが何とか

   なる薬を、真ちゃんにかっぱらって来てもらおうっと」

お澄 「若旦那のは、医者でも薬でも治らないって病気では」

拮平 「そうかな、そうだったかな」

お澄 「でも、いいじゃないですか、一つ屋根の下にいるのですから。私なんか、

   ずっと離れ離れの…」

拮平 「お澄!」

お澄 「若旦那!」

拮平 「二人とも、切ないね」

お澄 「ほんと、切ない…」

拮平 「近くても遠くても、切り刻まれるようなこの胸の痛み」

お澄 「どこか空しくても、どこか燃えてる」

拮平 「ああ、消えずの火よ。どうせなら、この身を焼きつくしておくれ」

お澄 「焼きつくしても焼きつくしても、心という糸のない操り人形」

拮平 「例え、この身が灰になろうとも」

お澄 「風に吹かれるままに、操り吊られ」

拮平 「お澄!」

お澄 「若旦那!私たち、どうすれば」

拮平 「どうもこうも、このまま、風に身を任せ飛んで行こう」

お澄 「誰と?」

拮平 「こうなったら、二人で行こう」

お澄 「嫌よ」

拮平 「誰が嫌だと言わすものか」

お澄 「嫌なものは嫌よ」

拮平 「うるさい!」


 側で呆れている、万吉と仙吉だった。


万吉 「いつまでやってんのさ、あの二人」

仙吉 「やらとしときやしょうよ。飽きたら終わりやすよ」

万吉 「そうだな。あーぁ、それにしても暇だね」

仙吉 「ほんと、ここんところ、ひ、ま、ですよね。兄貴はチヨちゃんでも探しに

   行きやすか」

万吉 「こんな時に限って、お種さんと昼寝してるさ」

仙吉 「そうすね。でも、こう暇だと…」

拮平 「何だい、お前たち、暇そうじゃないか」

万吉 「あれ、やっと終わりましたか」

お澄 「だって、若旦那とじゃ、気分出ないもの」

拮平 「そりゃ、こっちの台詞さ。何だい、お澄が寂しかろうと思って、ちょいと

   付き合ってやったのに。ふん、がっかりだよ!」

仙吉 「どうぞ、ご自由にがっかりして下さい」

拮平 「ったく、ここの連中ときたら…」

万吉 「それより若旦那。何か仕事ないですか」

拮平 「やっぱり、暇なんだ」

万吉 「ええ、もう、閑古鳥も鳴かない有様で」

仙吉 「何なら、お敏さんに言い寄る野郎、とっちめてやりやしょうか」

拮平 「そう、手荒な事も」

万吉 「あっ、何だったら、あの厚かましくて憎たらしい後妻を絞めるってのはど

   うです?」

お澄 「そうです、それがいいですよ」

拮平 「お澄までそんなこと言っちゃってるよ」

お澄 「でも、若旦那、殺されかかったんでしょ」

拮平 「まあね」

万吉 「いい方法があるんですよ」

仙吉 「絶対、バレない方法が」

拮平 「ふん、ふんふん、で、それは絵に描いた餅かい」

お澄 「いいえ、とんでもない。まず私があの後妻を呼び出します。または一人に

   なったところをうまく連れ出す」

万吉 「連れ出した先は、人気のない木の下」

仙吉 「木の上にゃ、俺と兄貴が紐を持って待っている」

万吉 「お澄がよろけた振りをして、後妻を木に押し付ける」

仙吉 「すかさず、俺と兄貴が紐をたらし、後妻の首と言うか顎に引っ掛ける」

万吉 「紐の端を、俺と仙公とできっ!と結ぶ」

仙吉 「はい、これで、首吊りの一丁出来上がり!てのどうです」

拮平 「でもさ、あいつが首吊りする理由はどうすんだい」

万吉 「そりゃ、例の想像妊娠を苦にして」

拮平 「もう、遅いよ。それ、どうしてもっと早くに言わないのさ」

仙吉 「それが、最近、思いついたもんでして」

拮平 「でもさ、危ないことはやらないとか言ってなかったけ」

お澄 「若旦那のためなら」

万吉 「バレないのなら」

仙吉 「金のためなら」

三人 「いつでも、どうぞ」

----その足で、番屋に駆け込む。


 しばらく考えて込む拮平だった。


拮平 「うん、悪かないけど、今はちょっと…。保留にしといとくれ」

お澄 「わかりましたと言いたいけど、もう、三人とも日干しになりそうなんです

   よ」

万吉 「斜め前に同じ」

仙吉 「横にも同じく」

拮平 「それにしちゃ、お澄は元気、ふっくらじゃないか」

万吉 「女はね、男と違って脂肪が付いてますから、少しくらい食わなくったって

   平気なんですよ」

お澄 「だれが平気なもんですか、こんなの水太りですよ。もう、水飲んでも太っ

   ちゃって…。だから若旦那、何か仕事下さいよ」

拮平 「日頃、阿漕に稼いでるくせに」

万吉 「今はもう、一漕ぎも出来ません」

仙吉 「あの何でしたら、若旦那。こないだ、新調なさったお着物。しばらくの間

   貸して頂けやせんでしょうか」

拮平 「日干しの仙吉が着物なんかどうすんだい」

仙吉 「ちょいと、質屋まで」

拮平 「質屋!?」

仙吉 「ええ、それで、ちょいと金借りて。今夜の飯代、いえいえ当座の生活費」

お澄 「仙ちゃん!それ、すごいひらめき!」

万吉 「久々の大当たり!」

拮平 「うるさい!何だい、言わせて置きゃ、勝手な事ばっか言いやがって。あの着

   物はさぁ、まだ手も通してないんだよ。しつけ糸付いてんの!」

万吉 「だから、いいんじゃないですか。俺たちなんか、そんなしつけ糸の付いた

   着物なんて…。記憶にございませんっ」

仙吉 「ですから、そのお着物をしつけ糸のまんま、ちょいと移動させるだけじゃ

   ないすか」

お澄 「それで、私たち、日干しにならなくて済むんですぅ、ねぇ、若旦那ぁ」

拮平 「ああ、わかったよ」

 

 と、財布から一朱金を取り出す。


拮平 「これはさ、お前たちに只でやるんじゃないよ。こん次、あたしが仕事を依

   頼する時の前金だからさ。いいかい、忘れるんじゃないよ!手付け金だよ」

お澄 「はい!ありがとうございます」

 

 お澄の手がさっと伸びる。


お澄 「これで、日干しにならなくて済みます」

万吉 「若旦那は命の恩人」

拮平 「大げさだね、それで何か食って早く寝な」

 

 拮平は帰って行った。


仙吉 「うまく行きやしたね。姉さん、それで今夜は」

お澄 「メザシ」

仙吉 「そんな、メザシって」

お澄 「だって、稼ぎの悪いのは事実なんだもの。三人が一日中、顔を突き合わせ

   てりゃメザシでも有り難いってもんだよ」

万吉 「いや、こう言う金はパッと使った方がいいと思うけどな」

仙吉 「そうすよ。ねぇ、この後何もなきゃいいけっどぉ」

 

 翌日、拮平は早速仕事の依頼にやって来た。


拮平 「おや、お澄一人かい。日干し二人はどうしたい」

お澄 「ええ、今朝、急に仕事が入りましてね」

拮平 「そりゃ、良かったじゃないか」

お澄 「それもこれも若旦那のお陰です。さあ、どうぞ、今お茶入れます」

拮平 「ところで、昨日の話だけどさ」

お澄 「昨日の…」

拮平 「ほらさ、お芳を絞める話さ」

お澄 「ああ、あのことですか」

拮平 「あれってさぁ、本当にうまくいくかな」

お澄 「えっ、ええ、いえ、いいえ」

拮平 「どっちなんだい」

お澄 「あの、お茶をどうぞ」

拮平 「ありがとよ」

----まさか、あの話を真に受けて…。

拮平 「何だ、今日の茶は出花の頃合いでうまいな」 

お澄 「そりゃ、もう。あの出がらしは偶々ですよ。たまたま」

拮平 「もう、苛々するんだよな、あの女」

お澄 「でも、いざ、やるとなると大変ですよ」

拮平 「そうだろうねぇ。でもさ、何かやってやりたいんだよね」

お澄 「その気持ち、わかります。でも、若旦那にはお敏さんがいるじゃないです

   か。それはそうと、お敏さんはなんて言ってるんです」

拮平 「いや、実はさ、そのお敏に言い寄ってる男ってのが、隣の紀三郎なんだ

   よ。だから、あの夜もああやってのこのこ付いて来ただろ」

お澄 「そうだったんですか。若旦那、こうなったら、やっぱり旦那のおっしゃる

   ように、お敏さんと一緒に家を出られたらどうです」

拮平 「うん、でもさ、その前にお芳にひと泡吹かせてやりたいんだよ」

お澄 「わかりました。それなら、ちょいとお時間下さいよ。これでもかと言うく

   らいの考えときますから」

拮平 「そうかい。じゃ、期待してるよ」

 

 と、拮平は帰って行ったが、お澄は頭をフル回転するしかなかった。別にお芳をやっつけるとかではなく、いつもの事だと適当に相槌を打っていたけど、拮平の様子がどうもおかしい。時間が欲しいと言ったのは、その間に拮平の気が変わることを期待してのことだった。だが、翌日、その当のお敏がやって来た。


お澄 「まあ、お敏さん。どうぞお入りになって」

お敏 「あの、若旦那が昨日のことは無しにして欲しいと…。お澄さんにそう言え

   ばわかるっておっしゃってました」

お澄 「ああ、はいはい。承知致しましたと若旦那にお伝え下さい」

 

 お澄は安堵するも、お敏の様子も気になる。来た時から、元気がないのだ。


お澄 「お敏さん、何かあったのですか」

お敏 「実は、ご新造様が…」

お澄 「ご新造様がどうかなさったんですか」

 

 これはお澄でなくとも気になる。


お敏 「ええ、実は昨日若旦那が出かけられてすぐ後の事なんですが…。その、階

   段から足を踏み外されまして」

お澄 「まあ、で、お怪我の方は」

お敏 「それが、打ち身と言うか、打撲で、あちこち痛い痛いとおっしゃられて」

お澄 「それは災難でしたわね」

 

 それで、急遽中止になったと言う訳か。それにしても、お澄はそれが拮平が出かけた後でよかったと思った。

 階段から落ちたお芳は店の者によって一階の客間に運ばれ、念のために医者が呼ばれたが、膏薬を貼って安静にするしかなかったが、痛みゆえ喚き散らすのだった。


お芳 「うっかり落ちたのじゃないからね!誰か突き落とされたんだ!痛たたたたあ」

お菊 「そんな、ご新造様。お二階にはご新造様の他には大旦那様がいらっしゃっ

   ただけですよ」

お芳 「本当かい。本当に誰もいなかったのかい!ああ、痛いー」

お菊 「本当でございますよ」

お芳 「この時間は掃除で誰か上がってる筈だよ。よく調べて、痛っ」

嘉平 「お芳、本当に誰もいなかったよ。そんな奴がいたら真っ先にこの私がとっ

   ちめてやるさ。只で置くもんかい」

 

 と、嘉平がなだめるも聞く耳を持たないお芳だった。

 そんな時に、拮平が帰って来た。さすがに驚いてお芳のもとにやってくる。


拮平 「そりゃ、大変でしたね。私の部屋にも膏薬ありますから持ってきますよ」

 

 と、日頃の反目はこの際、置いておかなければ…。

----何さ!内心ざまぁ見ろと思ってるくせに。誰がお前の膏薬なんぞ貼るものか!

 そして、嘉平も拮平も側からいなくなると、お芳は呪いの様につぶやくのだった。


お芳 「この家はおかしい。この家に来てから、ちっともいい事ない。この家には

   何かある…」

----幾らなんでもそんなことは…。若旦那が目障りなだけでしょ。

 そう思っても、それを口にするどころか、逆にお芳の言葉を広めるお菊だった。


拮平 「それは、こっちの台詞だよ」

お敏 「しっ、若旦那、聞こえますよ。今のご新造様のおっしゃることはすべて聞

   き流して下さい。あちこちが痛むとつい、余計なことまで言ってしまうもの

   ですよ」

拮平 「ああ…。あっ、そうだった。お敏、ちょいと頼まれてくれ」

 

 それで、お敏が何でも屋にやって来たという訳だ。


お澄 「そうでしたの…。お敏さんも大変ですね。結局のところ、あの二人は合わ

   ないんですよ。こうなったら、どちらかが家を出るしかないですね」

お敏 「それは、その、若旦那が…」

お澄 「ええ、若旦那が家を出ればいいんですよ」

お敏 「でも…」

お澄 「ええ、若旦那一人じゃ、ちょっとね。だから、お敏さんが付いてておあげ

   になれば…」

お敏 「ええっ!そ、それは…」

 

 いつになくうろたえるお敏だった。


お敏 「そんな、それは困ります。困るん…でして。あの、その、私は女中ですか

   ら…。あ、あの、では、失礼します」

 

 お澄はお敏の気持ちを量りかねるも、拮平の「計画」が頓挫した事に安堵していた。

----冗談にせよ、人を危める事なんか口にするもんじゃないね。

 その時、万吉が帰って来た。


万吉 「ああ、くたびれた…」

お澄 「お帰り」

万吉 「誰か来てたのか」

 

 そこには手付かずの茶があった。お敏に出した茶だった。


お澄 「ええ、ちょっとお客が」

万吉 「ふーん」

 

 と言いながら、その茶を飲む万吉。


万吉 「おい、それはそうと、大変だぜ。白田屋のあの後妻、階段から落ちて

   唸ってるそうだ」

お澄 「ああ」

万吉 「何だ、知ってたのか。さすがに耳が早ぇ」

お澄 「それがさ、誰かに突き落とされたの、この家には何か憑いているとか喚い

   てるって」

万吉 「ふーん。じゃ、また若旦那大変だ」

お澄 「そう…。それでさ、やっぱり若旦那、あの家、出た方がいいと思わない」

万吉 「いや、だけどよ、若旦那には家を出るなんて気はなさそうだね」

お澄 「どうして、旦那は出ろって言ってるじゃない。店を持ったら手伝ってや

   るって」

万吉 「そりゃ、若旦那が新たに店持てば、旦那も協力するだろ。だからそれは、

   店持てばの話。思うに、どうにもあの若旦那にゃ、新しく店を持ってどうと

   かの気がねぇ様な…。まあ、なんだかんだ言っても今の方が気楽だもんな」

お澄 「そうかねぇ。あんな後妻と顔突き合わせてるより、いいと思わないのかね

   え」

万吉 「要は、お坊ちゃまなんだよ。細かいことに向いて、いや、苦手、つまり、

   やりたくないってことさ」

お澄 「だから、お敏さんの様な人が側に付いててあげればさぁ」

万吉 「ああ、お敏さんなら、俺だって嫁に欲しいわ」

お澄 「やっぱり」

万吉 「そうだよ。やさしくてさ、よく気が付くし。でもさ、俺らなんかより、若

   旦那の方がいいに決まってるさ」

お澄 「そうとも言えないよ」

万吉 「なんで」

仙吉 「ただいまぁ、大変ですよ」

 

 仙吉が帰って来た。


万吉 「何が大変って。白田屋の後妻の階段落ちなら知ってるよ」

仙吉 「あら、もう。でも、これは知らないっしょ」

お澄 「何よ、早く言っちゃってよ」

仙吉 「へへっ、その白田屋に祈祷師が呼ばれちゃいまして」

お澄 「ええっ、もおぉ」

万吉 「へえぇ、それで、祈祷師は何だって」

仙吉 「まだ、そこまでは…」

お澄 「まあ、それにしても義理とはいえ、親子どちらも被害妄想の強いこと」

万吉 「全くだよなぁ。息子は毒盛られるで、母親は階段から突き落とされるか」

仙吉 「こう言う時、祈祷師って、どんなこと言うんすかね」

お澄 「さあ。私、祈祷師でないからわかりませんっ」

万吉 「いや、こう言う時こそ、お祓いをしろだとか、これを買えば災いが消え、

   福が来るとか言うんだよ。祈祷師とか言ったって、所詮商売さ」

仙吉 「そうすね。でも、御託並べて金儲けできるなんて、いい商売。俺もやって

   みたいっす」

お澄 「仙ちゃん、その後托がさ、大変なのよ。うまいこと言い繕えるだけの口達

   者でなきゃ、到底無理。世の中、単純な人間ばかりと言う訳じゃなし」

仙吉 「そっかぁ。俺なんか、口下手だからさ、そんでいっつも損ばかりして。

   ねぇ、兄貴」

万吉 「そうだよな。だから、体動かすしかねぇのさ」

仙吉 「全く…」

お澄 「おや、今日は二人意見が合ったわね」

仙吉 「こんな事で合うなんて…」

万吉 「全くだ」

仙吉 「悲しい俺たち」

万吉 「全くだ」

仙吉 「腹減りましたね」

万吉 「全くだ」

お澄 「やれやれ、これじゃ、女にもてない訳だ。かわいそうだから、ご飯の支度

   でもするか」

万吉 「おかず、何」

お澄 「メザシ」

万吉 「また、メザシ!」

お澄 「金平もある」

万吉 「それ、昼の残り」

お澄 「贅沢言わない」

 

 そんな三人の夕食が始まった頃、またも拮平がやって来た。


拮平 「飯だったのかい。悪いとこ来ちまったな」

お澄 「いいえ、若旦那。こんなものでよかったら、どうぞ」

拮平 「そうかい」

 

 と言って、拮平は竹の皮の包みを差し出す。


お澄 「これは」

拮平 「何でも屋へ行くと言ったら、お敏が持ってけってさ」

 

 竹の皮の中身はおにぎりだったが、艶のいい海苔がしっかり巻かれていた。


仙吉 「わっ、うまそう」

拮平 「よかったら、食いな」


 拮平はメザシを齧っている。


お澄 「若旦那、祈祷師は何て言ってるんですか」

 

 お澄は万吉と仙吉がおにぎりにかぶり付いている隙に、拮平にあの話は、この二人は知らない事を身振りで伝える。


拮平 「ああ昔々、うちの先祖が住み着く前にこの場所で何やら事件があってよ。

   若く美しい娘が嘆き死にしたそうだ。その娘の霊がうちの後妻と波長が

   合って、つい取りすがったらびっくりした後妻が足を滑らせたって訳なんだ

   そうだ」

お澄 「それじゃ、お祓いしろとか」

万吉 「何か、買えとか」

拮平 「ああ、何とかかんとか言ってたようだが、馬鹿馬鹿しくてさ。それで外に

   行こうとしたら、お敏が夕飯はって言うからさ。何でも屋で出前でも取るっ

   て言ったら、それ持ってけって」

万吉 「さすが、お敏さん」

仙吉 「このシャケうめぇ」

お澄 「じゃ、若旦那、何か出前でも取ります?」

拮平 「いや、これでいい」

 

 と、またメザシを齧る拮平だった。 

 だが、翌日、拮平のみならず、誰もが目を丸くするような事が起きる。


お澄 「若旦那、起きて下さいよ。事件ですよ」

 

 昨日、そのまま何でも屋に泊まり込んだ拮平だった。


拮平 「ん、事件て何だ。事件なんてな、そう滅多に起こるもんじゃないさ」

お澄 「その滅多に起きる事のない事件が起きたんですよ」

拮平 「えっ、どこどこ。どこのどいつがどこでどのような事件をどのように起こ

   してどうなったい。どうだい、このわかりやすい聞き返し」

お澄 「何わかった様なわからないこと言ってんですか。それより早く起きてお帰

   りになった方がいいですよ。今、お店の人が来ましてね」

拮平 「あっ、お敏が心配して迎えに来たとか」

お澄 「お敏さんじゃなくて、小僧さんですよ」

拮平 「何だ」

お澄 「それが、若旦那をお迎えに来たのではなくて、仕事の依頼なんです。もう、

   うちの二人は行きましたけどね」

拮平 「それって、どんな仕事かい?」

お澄 「さあ、何か手伝ってほしい事があるとか。小僧さんも詳しくは知らないよ

   うでした」

拮平 「それいつのこと」

お澄 「つい、先程ですよ」

拮平 「ふーん、何だろうねぇ。何だと思う」

お澄 「そんなの私にもわかりませんよ。ですから、すぐにもお帰りになった方が

   いいと思いますよ」

拮平 「そうだねぇ」

 

 依頼された仕事が気になるお澄は拮平と共に白田屋へ出向くことにした。


お澄 「お鹿さん、留守番お願いね」

 

 その白田屋では、万吉、仙吉の二人が尻っ端折りで箪笥を二階から下ろしているところだった。


拮平 「どうなってんのさ」

お敏 「若旦那」

拮平 「一体、何が始まったんだい」

 

 お敏が言うには、一階の客間で寝起きしていたお芳は、お菊に二階まであれこれ取りに行かせていた。


お芳 「違うよ!これじゃないよ!もう、何度言ったらわかるのさ!」

お菊 「でも、ご新造様、似たようなのが多くて。何でしたら、引き出しごと

   持って参りましょうか」

お芳 「もう、いいよ。こうなったら、明日にでも二階の箪笥をここに持って来と

   くれ。その方が早いし、苛々しなくて済むから」

嘉平 「お芳や、お前は若いんだから、すぐに痛みも治まるさ。そうなったら今ま

   で通り二階のあの部屋で過ごせばいいじゃないか。あの部屋気にいってんだ

   ろ」

お芳 「ええ、でも、当分は二階に上がりたくないんです」

----拮平の部屋なんか使うんじゃなかった。

 嘉平の説得をお芳が聞く筈もなく部屋替えとなったが、翌日は店の男衆の手が離せず、手伝いに回せるのは小僧くらい。いくら引き出しを抜いた箪笥、空の長持とはいえ、小僧と女中では無理と言うもの。そこで何でも屋の出番となったと言う訳だ。


お敏 「ですから、若旦那は元のお部屋に…」

 

 お芳はこれからは一階の客間を自分の部屋とし、拮平が使ってた部屋は衣装部屋に使うことにした。

 拮平は驚くと言うより、呆れてしまう。

 だが、これくらいのこと、何でもなかった…。

 数日後の朝、拮平はお敏の姿が見えないことに気付く。他の女中たちに聞こうとしてもすぐに逃げられてしまう。妙な事もあるもんだと思っていると、お芳から呼び出しを受ける。

 今はお芳の部屋となった元客間で上座に嘉平が座っていたが、側のお芳の方が威圧感がある。


嘉平 「実はね、お敏の事なんだけど」

お芳 「暇を取ったよ」

 

 間髪入れずお芳が言った。

 咄嗟に拮平はその意味を量りかねた。その様子を見透かしたようにお芳は。


お芳 「誤解しないでくださいね。暇を出したんじゃなくて、暇を取ったんですか

   らさ」

 

 それにしても、どうして拮平に黙って出て行ったのだろう。


お芳 「何でも、嫁入り先が決まったとかで、本当に急なことで。痛たた…。

   まあ、それじゃ、拮平が困るだろうから、新しい女中は手配したから」

拮平 「わかりました。新しい女中は自分で探しますので、お気使いなく」

----誰がお前の息のかかった女中なんか要るもんか!


 それにしても、お敏はひどい。急に嫁入りが決まったにせよ、自分に黙って去ることはないと思う。一言言ってくれれば祝いの品、せめて祝いの言葉くらいは掛けてやったのに…。

 拮平は何か裏切られたような気持ちでいっぱいになり、ふらふらと外を出た。


仙吉 「若旦那!」

 

 その声は仙吉だった。


仙吉 「いいとこで。早く来て下さいよ。お敏さんが待ってます」

----お敏が。さては、お芳の奴。なに、やらかしやがったんだ。


 ひょっとしたら、嫁入り話も怪しいものだ。急ぎ、何でも屋に行けばお敏は小さくなって座っていた。


拮平 「お敏!」

お敏 「申し訳ありません…」

拮平 「それより、本当のところはどうなんだい。お芳の奴は勝手に暇取ったなん

   てぬかしやがったが、実際は違うんだろ。暇出されたんだろ。ねぇ、お敏」

お敏 「いいえ、暇を取らせていただいたのは本当です。でも、私としては。い

   え、誰でもお暇を頂くときは、お店の方たちにもきちんとご挨拶をしてか

   ら、それが普通です…。でも、ご新造様が暇を取るなら、こちらにも都合

   があるから早く、出来たら今すぐにとおっしゃられまして…」

 

 お敏は先ずは女中頭のお熊に暇を取る旨を伝えた。そして、翌日主人夫婦に呼ばれる。


お敏 「このような時に勝手申しまして…」

嘉平 「いいんだよ、お敏。それにしてもめでたい事じゃないか、ああ、お芳のこ

   とは気にしなくていいさ。何てたって若いからさ。もう、ほとんど良くなっ

   てるし」

お芳 「そうよ、おめでとう、良かったわね」

お敏 「ありがとうございます」

 

 嘉平もお芳も満面の笑みだった。


お芳 「これはね、商売ものだけど、婚礼用の足袋。着物もと思ったけど荷物に

   なるし、これで」

 

 と、差し出された金に驚くお敏だった。


お敏 「いえ、こんなには…」

お芳 「いいえ、今までお前はよくやってくれたし、それとお祝を兼ねての額だか

   ら、嫁入り道具の足しにでも」

 

 だが、それは婚礼衣装・道具一式が十分に揃えられる額だった。尚も固辞するお敏にお芳は言った。


お芳 「実はね、頼みがあるの」

 

 お芳の頼みとは、今すぐ暇を取ってほしいと言うことだった。


お芳 「これはさ、お前が悪い訳じゃないのはよくわかってるよ。でも、拮平に、

   幾ら縁談進めても乗り気じゃないの。そりゃ、拮平がお前を気に入ってるの

   はいいけど、それと縁談は別物なのにどうにも逃げてしまう。だから、私達

   もお前の縁談を先にしようかなんて言ってたくらい。それが、まあ、いい頃

   合いに決まってくれて喜んでる訳よ。でもさ、こうなったら善は急げ。今す

   ぐ暇を取ってほしいの。あ、荷物が多いなら小僧を付けてあげるからさ。そ

   の方が拮平もふんぎりがついて、何だかんだ言っても、拮平のためになろ

   うってもんだよ」

----いつ、若旦那に縁談なんてあったかしら…。

 

 結局、押し切られるままに女中頭のお熊と共に、荷物をまとめるしかなかった。そして、他の女中たちともろくに言葉を交わす事もなく、まるで追い出されるように白田屋を後にしたのだった。


お敏 「でも、それでは若旦那に申し訳無くて…」

拮平 「そうかい、そうだったのかい…。えっ、で、嫁に行くと言うのは本当か

   い?」

お敏 「はい…」


 お敏は赤くなって俯いている。


拮平 「えっ、そう…。で、その相手と言うのは、どこの…」

お澄 「それが、意外な人なんですよ」

拮平 「意外な…」

----えっ、それって、まさか、嫁に行くたって…。真ちゃん!




 

 























 






















 












































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