第40話 だから言ったじゃない

絹江 「もう、今日と言う今日は、きっちり言ってやりますわ!」

雪江 「ええ、少しは言ってやらねばなりません」

絹江 「少しではありません!どこまで恥をかかせれば気が済むのでしょう、あの家

   族は。姉がにわか武士に嫁いだのは、まあ、止むを得ないとしても、その弟

   がこともあろうにデキ婚とは。何と恥知らずな…。あれからずっと、姑に嫌

   味ばかり言われてますのに。どうして私たちだけがいつもこんな屈辱を受け

   ねばならんのです!それもこれも、あのふみと兵馬のせいです。もう、許せま

   せん!」

雪江 「まあ、絹江。今からそう苛立っても仕方のないことです。ここは一つ冷静

   に事を進めなければ」

絹江 「では姉上、この怒りをどこへぶつけろとおっしゃるので」

雪江 「だから、そのぶつけ方ですよ。考えてもごらんなさい。あの薄ぼんやりの

   ふみですけど、今はさすがに呉服屋の嫁だけあって贅沢が出来るものだか

   ら、落ち着き払って、毎日いい物食べてるんです。ごらんなさいな、あの血

   色のいいこと」

絹江 「だから、余計でも」

雪江 「だからこそ、じっくりと責めてやるのです。ほめ殺しと言う手もあります。

   もはや正攻法の通用する相手ではありません」

絹江 「まあ、そうですけど」

雪江 「いいですか、先ずは私が何か言うまでは黙って適当に話を合わせるのです

   よ。いいですね」

絹江 「わかりました」

 

 雪江と絹江の姉妹は今度は兵馬のデキ婚に怒っていた。そして、雪江は一人言のように言う。


雪江 「もういい加減、着物の一枚くらい寄越せばいいのに」

 

 絹江はおかしかった。なんだかんだ言ってもこの姉は物欲が最優先なのだ。また、雪江は黙るように言ったが、絹江に黙れとはそれこそ馬の耳に念仏でしかない。一応、返事はしておいたが今日こそ言わなくていつ言うのだ。いや、このまま黙っていればあの家族は次に何をやらかすかわかったものではない。そのためにも…。

 そして、今日も二人に付いている女中たちは、また始まったかとうんざりしている。この姉妹に人の悪口を言わせたら右に出る者がいない。人を悪く言うことで自分を良く見せようとしていることすら気が付いてない。いつも自分たちが「正義」なのだ。

 

絹江 「ふみ殿、先日はお見舞いをありがとうございました」

 

 と、絹江は見舞い返しの品を差し出す。こう言うことはきちんとしている絹江に比べ、雪江はいつも何も持って来ない。手土産など、絹江一人が持参すればいいと思っているようだ。

 近年までは、人の家を訪問する時は必ず何か手土産を持参し、迎えた方も気持ちだけのお返しの品を渡すのが普通の事だったが、いつの時代にもケチな人間はいるもので、ケチに身分の上下はない。


ふみ 「絹江殿はお元気になられて良かったですね」

絹江 「ええ、お陰さまで…」


 と言いながら、絹江は雪江の方に目をやる。これでふみはわかった。絹江のしぐさ行為は至ってわかりやすい。その絹江は意外と体が弱い。年に一、二回は寝込む。ふみの母が病に倒れた時は絹江から見舞いの品が届いただけだったが、今はふみもこうして嫁いでいる。

 そこでふみは当時高級食材だった、それこそ病気の時でもなければ食べられない卵十個をもみ殻を敷き詰め、絹江の見舞いに持参した。絹江が嫁とは病気の時でも卵も食べられないと言っていたからだ。だが、その十個のうち、いくつかは雪江の腹に入ったのだろう。

 体が弱いからか絹江は流産をしている。その後も子供が望めないとなれば、夫に側室を迎えることは当然のことであるにしても、だが、その側室の女は既に妊娠しており、それを知った絹江は腹が煮えくり返ったが、子を生まれまでは黙って耐えた。側室は無事男の子を産んだが、それを待っていたかのように絹江のいじめが始まり、到底耐えらる筈のない側室は子を置いて実家へと逃げ帰る。無論、子供の面倒を見るのは姑だが、少し大きくなるとしつけと称して子に厳しく当たる。それで姑と対立するのだが、女中に言わせればどっちもどっちで負けてない。夫であり息子である当主は全くの空気。

 一方、姉の雪江は絹江より早く男の子を産んだものの生後間もなく亡くしている。そして、雪江が悲しみにくれていた頃、夫は町娘との間に子を作ってしまう。当然許せる筈もなく火の様な性格の絹江をあおり女中たちを引き連れ、町娘の家にのりこみ家の中を滅茶苦茶に壊し、子供だけを取り上げた。後は絹江と同じで互いに身の不運を嘆きつつ、子を怒鳴りながらこちらも姑とバトルを繰り返している。

 だから、二人とも口を揃えて言うのだ。


絹江 「私たちはこんなに苦労しているのです。少しはわかりなさいよ」

 

 特に体の弱い絹江は悲劇のヒロイン気取りだが、女中たちは陰で「猛激のヒロイン」と呼んでいる。 


絹江「ところで話は変わりますが」

 

 挨拶は済ませたので、これからが本題とばかりに決して黙っていられない絹江が切りだすのを、雪江はまだ早いのにと眉を顰めるも、こうなれば絹江にヒールをやらせればいいと思ったその時。


久  「奥方様、旦那様がお帰りになられました」

 

 雪江と絹江は思わぬ伏兵の出現に一瞬うろたえる。そして、いそいそと出迎えに行くふみの後姿を苦々しく見つめるのだった。   

 旗本の娘はそのほとんどを屋敷の中で過ごし、男と言えば父と兄弟くらいしか知らずに育つ。だが、雪江は子供の頃から物おじせず客が来れば必ず顔を出し、自分の可愛さアピールに余念がなく、年頃になれば大抵の男と平気で話が出来た。だが、そんな彼女にしても真之介は異質の異性だった。


真之介「これはようこそお越しなされました。いつも愚妻がお世話になっておりま

   す。また、この度は弟の事で色々お気使い頂きまして誠にありがとう存じま

   す。絹江殿はお加減の方は」

雪江 「はい、妹も体が弱いものですから、お式に参列できず失礼いたしました」

真之介「いえいえ、お元気になられなによりです。人は健康が一番です」

雪江 「そうですわ、兵馬殿もお小さい頃は病気ばかりなさっていたのに、今は

   すっかり一人前の殿方になられましたこと」

 

 と、品を作りながら言う。


真之介「はあ、元気なのはよろしいのですけど、いささか…」

雪江 「まあ、今時の若い人ですもの。それに、何ですか近頃は授かり婚とか言

   うそうではないですか。どちらにしてもおめでたいことには変わりないで

   すもの」

真之介「その様におっしゃって頂きますと、こちらと致しましても気が楽と言うも

   のにございます」

雪江 「いえ。私たちはいいのですけど、その、頭の固い年寄りがいるでしょ。特

   にうちと妹の姑の頭の固さと来たら、それこそ岩よりもでして。なだめるの

   に大変でしたわ」

絹江 「ええ、そうですわ。いい加減ボケが始まったのかと思ったくらいです」

 

 何か言わねばと焦るあまりに頓珍漢な事を言ってしまう絹江だった。


雪江 「それ…。それでですね、絹江などはお見舞いに頂いた卵を姑に半分取られ

   ましたのよ」

 

 これにはさすがの絹江も呆れるしかなかった。卵を持って帰ったのは雪江ではないか。それをいけしゃあしゃあと妹の姑のせいにするとは…。 

----さすが、姉上。

 ふみはおかしくてならなかった。特に雪江の口は羊羹を食べながらとしゃべることを実にうまく使い分けている。しゃべる時は黒文字に差した羊羹を持ったまま、それで品を作るのだからある意味器用と言える。その事に気が付いたのか、取って付けた様に。


雪江 「まあ、この羊羹、おいしいですわ」

 

 と、やっと茶を飲むもすぐに次の羊羹が口に運ばれる。

 いつまでも続きそうな愚痴話にいい加減うんざりした真之介は話題を変えることにした。着物に限らず女が喜びそうな話題には事欠かない真之介だった。

 そして、最後に言った。


真之介「一度、私の実家へもお立ち寄り下さいませ。実は実家にも弟がおりまし

   て、これはこれで色々と…。その様な訳でお招きするのが遅くなり申し訳

   なく思っておりました」

雪江 「まあ、そんなぁ。あの、私共も一度ご挨拶に上がらねばと思っていたので

   すよ。それはまあ、どこの家でもありますわよ、色々と」

絹江 「ええ、是非、寄らせて頂きますわ。姉上、良かったですわね」

雪江 「えっ、何を言うの。あら、まあ、楽しみにしておりますわ」

真之介「近いうちにふみに案内させます」

 

 二人は上機嫌で帰って行った。

 だが、またも帰り道で二人だけの「バトル」が始まる。


雪江 「だから言ったじゃないの!」

絹江 「何が」

雪江 「正攻法ではだめだと言ったでしょ」

絹江 「まあ、それは聞きましたけど、あれが正攻法ではない方法なのですか」

雪江 「だから、うまくいったでしょ」

絹江 「至って普通じゃないですか」

雪江 「それでもうまくいったのだからいいの」

絹江 「ええ、きっと卵の話が功を奏したのでしょう」

雪江 「また、それを言う」

絹江 「でも、姉上は本当に嬉しそうだったじゃないですか。あ、今も」

雪江 「右に同じく」

絹江 「そんなぁ。まあ、ちょっとは興味あります」

雪江 「大いにでしょ」

絹江 「左に同じく。でも、つくづく世の中不公平だと思いませんか。私たちの様

   にこんなにも清く正しく生きている者が辛い思いをして、要領よく立ちま

   わった者が楽をしているのですから」

雪江 「世の中とはそんなものですよ。ふみを御覧なさいな、それこそ虫も殺さな

   いような顔をしてるくせに、平気で虫を殺してるじゃないですか」

絹江 「えっ、あの、ふみがどんな虫を…」

雪江 「ですから、それは例えの話ですよ、例えの。つまり、そう言う生き方をし

   てるってことです」

絹江 「ああ」

雪江 「これからは真之介にも的を合わせなくては」

絹江 「でも、あんな顔だけの男、私はやっぱり苦手ですわ」

雪江 「絹江は適当に相槌を打ってればいいのです。後は私任せておきなさい」

絹江 「そんなことより、姉上、下!」

雪江 「シタがどうしたのです」

絹江 「下!」

雪江 「シタッ!?」

 

 その時、雪江は穴に足を取られて転ぶも、ふみからもらった手土産は離さない。女中が慌てて駆け寄る。


女中 「大丈夫でございますか、奥方様」

雪江 「大丈夫な訳ないわ!絹江!お前たちもどこを見て歩いてるの!どうしてもっと

   早く教えないの!主人が転ぶのがそんなに面白いのか!」

女中 「決してそのようなことは。申し訳ございません」

 

 雪江の怒りは治まらない。


絹江 「だから、言ったじゃないですか、下に穴があるって」

雪江 「絹江は下としか言ってません」

絹江 「言いましたよ、下に穴があるって、そうでしょ。言ったわよね」

女中 「は、はい…」

 

 それぞれの女中は女主人に逆らえない。逆らえばどちらも後がものすごく恐い。


絹江 「そんなことより、早く立ちあがらないと人に見られてしまいますよ」

雪江 「だって、足が…」

 

 どうやら足をくじいたようだ。女中二人に支えられて何とか立ち上がる雪江。手土産は絹江が持った。


雪江 「痛たたたっ」

絹江 「仕方ない、屋敷まで送ります」

 

 やっとの思いで屋敷にたどりつけば、土下座して謝る女中にヒステリックに喚く雪江だが、絹江の持つ返礼の菓子が気になってならない。それを見抜いている絹江はわざとらしく雪江の前に菓子を置く。


絹江 「くれぐれも、お大事にぃ」

 

 雪江の屋敷からの帰り道、絹江は楽しくて仕方なかった。


絹江 「これ、見たであろう。何でもかんでも人の分まで横取りして食べるから、

   あの腹回りの大きいこと。あれでは安定が悪くて転ぶはずです。だから、私

   が気を付けて歩かねばといつも言ってるのに、すぐに忘れるのだから。ま

   た、自分の不注意で転んだくせにそれを女中のせいにするとは、わが姉なが

   ら…。そうは思わぬか」

女中 「それはもう…」

絹江 「私などは到底あのようなことは出来ぬ。いえ、あの姉は昔からそうでし

   た。何でも自分が一番で都合の悪いことは全部私に押し付けたものです。年

   の離れた弟の面倒を見たのも、母に代わって家の中を切り盛りしたのも私で

   す。だから父はよく言ったものです、絹江が男ならと。それなのに、これだ

   け家のために尽くし、やっと輿入れが出来たと思ったら、今度は姑に苦労さ

   せられるのですから。でも、私は姉とは精神が違います。また、あのふみの

   様に口と腹が別物と言う訳でもありません。お前も今日の事でよくわかった

   であろう」

女中 「はい、それはもう、十分に承知しております」

 

 女中は無難に答えるしかない。

 その後も絹江は自分アゲ・人サゲは続く。


女中 「奥方様、水溜まり!」

 

 と、女中が叫ぶも自分の言葉に酔っている絹江の耳には届かない。


絹江 「ふん、いい気味です」

 

 と、水溜りを踏んでしまう。


絹江 「何よ!お前まで!よその女中と同じことして、恥ずかしくないのか!」

----だから、言ったのに…。

 と、思うも口を突いて出たのは、いつもの言葉。


女中 「申し訳ございません。お知らせしたのですが」

絹江 「また、そんな嘘を。お前はそうやって嘘ばかり言う。私が嘘つきが大嫌い

   と言うことを知らぬ筈はあるまい!」

女中 「申し訳ございません、申し訳ございません」

 

 絹江もこうなったら手がつけられない。ひたすら謝るしかない。

 その水溜りの場所は隣の屋敷の前だった。


絹江 「もう、雨が止んで大分経つと言うに、水溜りの処理もしないのか!この屋

   敷は」

 

 と、塀越しに声を張り上げる。


絹江「常識のない!」

 

 と、言い捨て、やっとその場を離れる。


絹江 「まあ、今日はなんて日かしら。それもこれもきっと、ふみのせい」

 

 雪江と絹江付きの女中は、つくづく久が羨ましいと思う。確かに以前は貧窮の中での暮らしで大変だったと思うが、何よりふみは周囲に当たり散らすようなことはしない。今日も短い時間であったが久しぶりに三人で話をした。久はすっかり明るくなり毎日が楽しいと言い、二人に半襟をくれた。

 そして、雪江が足の痛みを嘆き、絹枝が着物の裾が汚れたことに文句を言っていた頃、ふみは真之介とその義実家・本田屋にいた。

 そこには姑、善之助、お伸、姉夫婦に親族も揃っていた。

----今度は何かしら…。


  


























 






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