第39話 青春レクイエム

 ふみの輿入れに付いて来た侍女の久。

 ふみが慣れるまでの間と言う条件付きだが、正直、真之介の監視役である。何かあれば逐一ふみの実家に報告が行くことになっている。

 真之介もきっと、ああでもないこうでもないと口をはさむだろうと思っていたし、忠助やお房も何を言いだされる事やらと最初はびくびくしていた。

 だが、これが意外と気のいい女で、まだ真之介とふみがぎこちなかった頃はやきもきしていたが、その後はすっかり馴染み、今では五人の暮らしが普通の事になっている。

 真之介も久に旗本の暮らしについて聞いてみた。それは思っていた以上の窮乏生活であった。

 知行(土地)持ちの旗本はそこからも収益があるので比較的暮らしは安定している。だが、知行を持たない旗本、さらには病人がいれば薬代が家計を圧迫して、苦しい暮らしを強いられることになる。

 三浦家もたった一人の男子である兵馬が病弱であったため、医者よ薬よと金がつぎ込まれるのは当然としても、兵馬を溺愛する祖母は嫁の加代、孫娘のふみにはきつく当たっていたと言う。


久  「それはもう、傍から見ていてもお気の毒でした」

 

 また、久たちが庇えば庇うほど、祖母は今度は別の事で、加代やふみに当たるという悪循環を繰り返していた。祖母にすれば嫡男の兵馬の健康が気になり、つい当たってしまうのかもしれないが、加代とふみにとってはつらいことだった。

 その甲斐あってか、兵馬も何とか健康を取り戻すことが出来たものの、次は加代が倒れた。だが、祖母は加代などもう用済みとばかりに素知らぬ顔をしていたと言う。ふみが母の看病をするのは当然にしても、薬代もままならなかった。そんな時、仁神家からふみを側室にと言う話が持ち込まれる。しかし、これには祖母が反対した。

 その祖母が亡くなった時は、それこそ葬式もできるのかという家計の惨状だったが、そこは坂田夫妻の尽力もあり、何とか葬儀を出すことが出来たが、その後も暮らしが厳しいことには変わりなかった。


----それで、にわか武士のところへなんぞ来る気になったのか。いや、それしか選択肢がなかったのだ…。


久  「でも、私も姫様も旦那様の許へ参って本当に良かったと感謝致しておりま

   す」

真之介「縁あって、一つ屋根の下に住まい致しておるのだ、これから色々あるやも

   しれぬ。人はな、皆がお互い様と思っていればいいのだ」

 

 そんなある時、ふみが少し座をはずした時、久がぽろっと言った。


久  「多分、これは姫様もご存じないのではと思いますが…。うちの殿様もお若

   い頃は色々あったそうです。あの坂田様ともう一人の方と町に繰り出して

   は、悪さをしていたとか」

----あの父上が…。

久  「ええ、まあ、あの仁神ほど悪質ではなかったでしょうけど、町人の取り巻

   きを引き連れ、好き勝手やっていたようなのですが、それがある時からピ

   タッと止んだそうです。それからは真面目になられたとかで、その後は坂田

   様はご養子に行かれました。もう一人の方は今はもうお亡くなりになられた

   そうです」

 

 まだ、それほどの年でもないのに、既に好々爺然としている坂田にも血気にはやり暴走していた頃があったのだ。


久  「当時はかなり落ち込んでいられたそうですから、余程のことがおありにな

   られたのでしょうねぇ」

 

 久はこの話を古株の女中から聞いたと言う、その女中も今はいない。あの時、聞いておけばよかったと思うものの、女中が言わなかったと言うことは…。

 ふと、真之介は思い出した。婚礼前の両家の顔合わせの時、梅花亭の女将が言ったことだ。


女将 「この度はおめでとうございます。まあ、真之介様が三浦様の姫様と、お仲

   人が坂田様…。それはそれは、このような日がやってこようとは。夢の様で

   すわ」

 

 その時は気に留めることもなかったが、思い返せば、妙に含みのある物言いだった。

 だが、それもこれも昔の事だ…。

 人は皆今を生きているのだ。今が大事なのだ。

 だが、今度は力の抜けそうな事が待っていた。

 ある日、帰宅するとふみが泣いているを見た真之介は慌てる。


真之介「どうしたのだ、何を泣いておる。母上、父上に何かあったのか」

 

 と、言ったものの、その様な事なら、ふみがここで座り込んで泣いている筈はない。取りも直さず実家に駆けつけるのではないか。また、真之介に不満があるなら泣かずとも、その不満をぶつければいい。

 意味が見えないとはこの事だ…。

 なす術もなく真之介も座り込む。

 そして、やっとふみが口を開いた。


ふみ 「じつば…ざぎをござれまじ…」

真之介「……?あの、もっと、落ち着いて、ゆっくりと」


 ふみは、実は先を越されましたと言ったのだが、これでは聞き取れるはずもなかった。


ふみ 「実は…。実は、兵馬が、嫁をもらう…です」

----えっ!もう…。

真之介「それは、めでたいことではないか。それが、泣くほどのこととも思えぬ

   が」

ふみ 「それが…」

真之介「まだ、何か」

ふみ 「実は、相手は既に…懐妊しているのです」

----あの野郎!草しか食わねぇ様な顔して、二股かけてやがったとは…。

ふみ 「今までは私が実家に帰りますと、父も母もそなたにばかり苦労かけて済ま

   ないと、それは大事にしてくれたものです」

----えっ!

ふみ 「それなのに、今は生まれて来る初孫に夢中で、そなたはまだか、どうして

   出来ないのだと、責められまして…。旦那様、うちはどうして出来ないので

   すか」

----知るかっ。

真之介「いや、輿入れしてまだ一年も経っておらぬではないか」

久  「いえ、殿様はまさか若様が順序を間違えるような事をなさるとは…。それ

   こそ青天の霹靂、衝撃のあまり、つい、姫様に当たってしまわれたのでござ

   います」

 

 あの舅にすれば、さぞやり切れないことだろう。わが娘をにわか武士の元へ嫁がせた事だけでも汚点となっているのに、息子は他家の娘を孕ませてしまった。責任とって嫁にすればそれで良しと言う訳でもない。

 娘に身売りまがいの嫁入りをさせるような親の息子は、やはりふしだらな事をしでかした…。

 世間の目とはそんなものであるし、デキ婚とは隠そうとして隠し通せるものではない。

 そんな苛立ちから、ふみに当たってしまったのだとしても、こればかりはどうすることも出来ない。


ふみ 「で、その、兵馬の相手と言うのが、私と同い年なのです」

----また、年上か…。

 

 それより真之介が気になったのは、舅姑が娘が嫁ぎ先で苦労していると思っていることだった。それは取りも直さず…。


忠助 「それはですね、どんなにいい嫁、いい婿であっても親からすれば気に入ら

   ないのだそうです」

----はっ、なるほど。息子は少し順序を間違えたが、近く孫の顔を見せてくれる。娘に子が出来ぬのは婿が遊び人ゆえ、苦労が絶えぬ、と言うことか…。


 ふと、兵馬の事を暴露したい衝動に駆られる真之介だった。

 そして、照れ笑いする兵馬と会う。


兵馬 「まあ、そのような訳でして…」

真之介「どのような訳です」

----へらへらしやがって。

兵馬 「いや、だから、もう、ご存じでしょ」

真之介「何も知りません」

兵馬 「そんなぁ、兄上ぇ」

----お前も、そんなぁか。

兵馬 「いや、そのぅ、この度、嫁を迎えることになりました!」

真之介「誰が」

兵馬 「誰がって、私がです」

真之介「それはおめでとうございます」

兵馬 「あ、ありがとうございます…。いや、これも兄上のお陰です」

真之介「はて、私は何もしておりませぬが、お相手の事もこれからの予定も何も存

   じませぬが」

兵馬 「まあ、それはこれから、オイオイ…」

----そんなにのんびりしてられるのか。

兵馬 「でぇですね。兄上、この度の事は何卒、兄上の胸にしまって置いて頂きま

   すよう…」

真之介「私は何も申しません。しかし、兵馬殿も嫁を迎えられ、いずれ父となられ

   るのですから、これからは身を慎まれすよう。この次、何か事を起こした時

   には、私も黙っておりません」

兵馬 「何だ、知ってるじゃないですか。兄上も意地悪ですね」

真之介「ええ、曰くつきの女と懇ろになり子供が出来たと言われた事ですか」

兵馬 「いえ、その話じゃなくて。あの兄上、その話はもう止めてもらえません

   か。私も出来るだけのことはしましたので」

----あれが出来るだけの事か…。

兵馬 「それより、子供の事、知ってるじゃないですか」

真之介「何の事です。私は一般論を申しただけで。ああ、そう言えば、どこかのが

   デキ婚するとかは聞きましたが」

兵馬 「はいっ、それは私です」

真之介「そうでしたか、それは重ね重ねおめでたいことで」

兵馬 「そんなことより、兄上」

 

 急に強気になる兵馬。


兵馬 「兄上のところはまだですか」

真之介「何がです」

兵馬 「まったまた、お惚けになって。子供はまだ何ですか」

真之介「ええ、そのようです」

兵馬 「なんだかんだ言っても、父上も母上も初孫が産まれるのを楽しみにしてい

   ます。しかし、兄上より早く初孫をみせることが出来るとは」

真之介「それはお手柄ですね。何よりの親孝行ではないですか」

兵馬 「ええ。まあ、ですから、兄上も、朝昼晩に頑張って下さい」


 と、上から目線、見下し目線満載の兵馬だった

----るせっ、お前なんかに言われたくないわっ。

 

 そして、あわただしく輿入れの準備となるのだが、兵馬の相手の実家から嫁入り衣装から親族の着物の依頼を受けた本田屋も大わらわで仕立てに取り掛かり、何とか間に合わせたものの、その後の支払いは無しのつぶてだった。

 

園枝 「兵馬殿が衣装は本田屋に任せればいいとおっしゃいました」

 

 兵馬の新妻、園枝はそう言ったきり何もしない。


兵馬 「えっ、そんな。確かに衣装は本田屋にと、私はそれだけしか言ってませ

   ん」

 

 と兵馬は最初から逃げ腰なのだ。


ふみ 「本当に申し訳ありません」

 

 ふみは真之介に詫びる。


真之介「まあ、いいさ。いつか取り返してやるわ」

 

 ふみはそれを聞いて少し安堵する。結納金の一部を持って輿入れしたふみだが、その金はまだ三分の二ほど残っている。この度の衣装の代金が如何ほどか知らぬが、場合によってはこの金を出すべきではとも考えていた。


ふみ 「白田屋の事を面白がっていましたけど、同い年の嫁から姉上と呼ばれるの

   もあまり気持ちのいいものではありませんでした。それが白田屋は母親です

   もの、気の毒ですわ」

 

 それだけではない。デキ婚を恥じる様子は微塵もなく、兵馬も園枝も勝ち誇ったように言うではないか。


兵馬 「姉上も早くお出来になるといいですね。そのためには兄上の協力が必要で

   すけど」

園枝 「本当にそうですわ。ほほほほっ」

 

 聞いているふみの方が恥ずかしかったものだ。


真之介「では、拮平を呼んで、何かうまいものでも」

ふみ 「あ、はい」

 

 だが、その当日、拮平より先に半泣き状態の兵馬がやって来た。


真之介「これは、新婚の婿君が、何をそのようにお嘆きで」

兵馬 「それが…。その、朝起きたら、知らない女が隣に寝ておりました…」

真之介「子までなしておきながら、知らない女はないのでは」

兵馬 「それが、化粧を落とすと、全くの別人なのです…。あれはもう詐欺です。

   あの、姉上はそんなに変わりません。それはもうご存知で…。とにかく、

   その知らない女が食事中にうえぇとやるのです。もう、気持ち悪くて気持ち

   悪くて…」

真之介「それはつわりと言うものです」

兵馬 「それでも気持ち悪いことには変わりありません。あれは経験したものでな

   ければわかりません。そうだ、姉上、何か食べさせて下さい」

ふみ 「どうしたのです。食事をしてないのですか」

兵馬 「ですから、あれでは食欲も失せます」

真之介「それは、そういう時期だから仕方のないことです」

兵馬 「わかってますけど、実際にやられると、兄上も私の立場になられたらわか

   りますよ。もう、どこか、見えないところでやってほしいです。まったくぅ」

 

 そう言いながらも、上から目線だけは継続している兵馬だった。


真之介「男にはわかりませんが、子を産むことはそれだけ大変ということです」

兵馬 「そんなことは知ってます。でも、頭ではわかっていても、駄目なものは駄

   目なんです」

 

 真之介もふみも掛ける言葉が見つからない。そこへお房が食事を運んで来た。


兵馬 「お房は幾つだ、若いっていいな」

ふみ 「何ですか、嫁を迎えたばかりだと言うに、今からそんなことでどうするの

   です」

 

 と、ふみがたしなめる。


真之介「いやいや、兵馬殿は冗談を言っておられるのだ」

兵馬 「冗談なんかではありません!デキ婚なんかするもんじゃないです。楽しくも

   何ともありません」

 

 取りつく島もないとはこの事だ。


兵馬 「そうだ、酒を下さい」

ふみ 「また、そのようなことを」

真之介「兵馬殿、実は今日拮平が来ることになってますので、酒はその時に」

兵馬 「拮平が、それはいい。では、お敏も一緒ですかね」

真之介「多分」

兵馬 「お敏もあれで中々可愛いですからね」

 

 真之介とふみはふと不安になる。

 そして、拮平とお敏がやって来た。


拮平 「これはこれは、新婚の兵馬様ではございませんか。さぞかし、ご機嫌麗し

   いような…」

兵馬 「それを言うでない」

拮平 「まあ、何をそんなにお照れになって。何です、いつから真之介旦那は、新

   婚早々の方を呼び出してその仲を裂こうって野暮になったんですかね。自分

   だってまだ新婚のくせにっ」

兵馬 「よいか、拮平。何があろうとデキ婚なんぞするでないぞ。早々につわりと

   かでうぇーでは気分悪くてかなわぬわ。それでここへ逃げて来たという訳

   だ」

拮平 「おや、まあ。でも、その素早い命中率、電光石火の早業じゃないですか。

   どこかで昼寝して遅れを取っている兎野郎に爪の垢でも煎じて飲ませておや

   りなさいませ」 

兵馬 「だから、もう、その話はするなって」

 

 やがて酒と料理が運ばれ、今日もお敏はつまみを作って来た。


兵馬 「おお、お敏か、酌をしろ」

お敏 「えっ」

ふみ 「兵馬」

 

 ふみが言うより早く拮平が銚子を傾ける。


拮平 「まあまあ、お敏はね、まだこう言うことには不慣れなものでして、まあ、

   この次までには、あたしが良く仕込んでおきますからね。ささ、どうぞどう

   ぞ。その代わり、これお敏が作ったんですよ。ちょいと味見してやって下さ

   いまっせ」

兵馬 「うん、うまい」

拮平 「でしょでしょ」

兵馬 「女もこれくらいの頃が一番良いわ。病気でもないのにつわりくらいで大騒

   ぎされては、こっちはいい迷惑だ」

 

 これにはさすがのふみも黙っていられない。


ふみ 「兵馬、何と言うことを…。三浦家の跡取りが生まれると言うに嬉しくはな

   いのですか。そのために妻が苦しんでいるのに、やさしい言葉の一つも掛け

   てやれないのですか」

兵馬 「だからあ。それが、大袈裟なんですよ。父上までがその度におろおろして。

   あれでは子供さえ生まれれば私の事など…。いえ、本当にそんな感じなので

   す。誰も私の事など関心ないのですから」


 子供の頃から祖母に溺愛され、いつも家の中心だった。祖母亡き後も嫡男であることには変わりないが、それでも家計の苦しさを知り自重していたが、ふみの輿入れが決まり準備に追われ始めると仲間外れにされたようで面白くなかったが、それでも婚礼は華やかなイベントに変わりなかった。

 だが、いざ自分の婚礼となると、男とはじっと待っているしかなかった。また、輿入れして来た妻は身重で今はすべてが新妻を中心に回っていることに、またしても疎外感を味わってしまう。


ふみ 「でも、兵馬は父親になるのですよ」

真之介「いや、まあ、色々おありになる様だから、今日はそんな事も忘れて飲みま

   しょう。ふみもそのくらいで」

拮平 「そうですそうです。飲む時はぱあっといかなきゃ、ぱあっとね。そうで

   しょ兵馬様。さあ、飲みましょ飲みましょ。熱燗どんどん持って来てよ、肴

   はこの通りあるからさ」


 そして、兵馬はまたも肴をろくに食べもせず飲んでいく。 

 その後もしばしばやって来ては、屋敷内での疎外感を訴えるも、ある時から、ぱったりと姿を現さなくなった。

 ふみは兵馬が少しは自分の忠告を聞き入れてくれたと安堵してるようだが、真之介はまた何か事を起こさなければと思っている。

 そんなある日、真之介は弟の善之介から呼び出しを受ける。

----また、何か…。 








 


























  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る