第31話 お芳はお止し

 そんなある日、真之介を見つけた拮平が走って来る。


拮平 「真ちゃん、聞いてよ」

真之介「何だ、とにかく私は忙しいで手短に頼む」

 

 これは無理と言うより、拮平の話が手短であったことはない。いつも、なんだかんだ、ぐちぐち言うのが常であるが、今の気配なら尚のこと、形だけでもそのように言っておかなければ長々と付き合わされそうだ。それにしても、いつに増して、情けなそうな拮平の顔ではないか。


拮平 「あのね、真ちゃんち、嫁さん迎えるんで畳の表替えとか襖の張り替えやる

   よね」

真之介「何を言うか、私のところはそれだけではない。何しろ旗本の姫がお輿入れ

   なさるのだから、門も新しく、部屋は一間増やし、台所も厠も板を張り替た

   りと大変なのだ」

拮平 「そう…。それがさ、俺んとこも何だけど、ある日さ、俺の部屋から箪笥を

   運びだしているから、どうしたのかなと思ってたら、畳の表替えするって。

   ああ、部屋がきれいになるんだ。後妻が来るのも悪くないなって思ったりし

   てたのよ」

真之介「それは良かったではないか」

拮平 「そんでさ、畳も襖もきれいになったから、新しい畳の上でごろ寝でもしよ

   うと思って二階に上がろうとしたら女中が、若旦那の部屋はあちらですっ

   て、一階の角部屋に連れていかれてさ。そこに俺の箪笥とか、諸々が適当に

   おいてあんの。何でだって聞いたら、今までの部屋は新しいご新造様がお使

   いになられるとかぬかしやがって。そんで、お父つぁんに文句言いに行った

   らさ、しれっとして、お芳がそう言うんだからって。ああ、お芳ってのは後

   妻の名前」

真之介「はぁ」

拮平 「はぁじゃないよ。あの部屋は子供のころから俺の部屋なんだよ。真ちゃん

   たちと一緒に遊んだ部屋だよ。それを後妻に使わせるなんて、そんなのお止

   し!」

 

 こんな時でも、そんなに面白くもない駄洒落を言う拮平だった。


拮平 「実の息子より後妻を優先するなんて、こんなの、しどい、しどすぎるよ

   ね。そうだろ、これ、何とかならない、ねぇ真ちゃん」

真之介「それくらい自分で何とかしろ。今からそんなことでどうする。取られたら

   取り返せ」

拮平 「まあ、そんなぁ…。ああ、いやだいやだ。この、まあ、そんなぁと言うの

   はさ、あの女の、後妻の口ぐせよ。それが移ってしまうなんて。ああ悲

   しっ」

真之介「それは、意外と相性がいいからではないか。癖や欠伸が移ると言うのは、

   気を許している証拠だ」

拮平 「何が相性がいいもんか。これから毎日あの女と顔を合わせるのかと思う

   と、夜は眠れないし、三度の飯も喉を通らないよ。だから、こんなに痩せち

   まって」

真之介「その体のどこが痩せてると言うのだ。すっかり中年体型ではないか。昼寝

   して、夜食、食えばそのように…なるのだな」

拮平 「真ちゃんも、しどい!」

真之介「まあ、仲良くやれ。では、私は忙しいでな」

 

 真之介がその場を去ろうとした時だった。


兵馬 「あっ、兄上、兄上ではありませんか」

 

 声の主はふみの弟の兵馬だった。


真之介「これは若様。お出かけにございますか」

兵馬 「そんな、兄上、もう、兄弟ではないですか。兵馬と呼んでください」

真之介「はい、では兵馬殿。これからいずこへ」

兵馬 「いずこも数の子もあったものじゃないです。わが屋敷は姉上の婚礼一色。

   もう、私など蚊帳の外。いえ、返って邪魔にされる次第で、こうして町を

   ぶら付いているような次第です」

 

 兵馬は側の拮平が気になる。


真之介「ああ、紹介します。これが、隣のあの拮平と言う者です」

兵馬 「ややっ、こやつが姉上に声をかけたという、あの不埒者の拮平であるか」

拮平 「えっ、こちらが、あの、その」

兵馬 「道理で、ろくでもない面構えであるな。これ拮平。あの時、兄上が通りか

   からなかったら、お前は姉上をどうするつもりだったのだ。有態に申せ」

拮平 「いえ、あの、どうのこうのするつもりなどなく、これは誤解なんです!うら

   若き姫様がお一人でお困りのご様子だったから、何か、お力になれればと思

   い、声をお掛けしたのであって、決してその様なやましい気持ちではござい

   ませんです、はい」

兵馬 「では、姉上が供とはぐれて難儀していると言ったら、何とした」

拮平 「その時は、すぐにも駕籠を…」

兵馬 「嘘を申せ。町駕籠とは必要な時には中々つかまらぬもの。先ずはどこぞの

   店に連れ込んで、食い物で釣ろうとかしたであろう」

拮平 「そ、そりゃぁ、まあ…」

兵馬 「それを兄上に邪魔されて、残念であったな」

拮平 「いえ、あの、その、その節は大変ご無礼を致し、誠に申し訳もございませ

   ん。この通りでございます」

兵馬 「ところで、私なら、釣られてやってもよいぞ」

真之介「それは良きことを、さすがは兵馬殿。これ拮平、兵馬殿にいつまで立ち話

   をさせるつもりだ。左様、まあ、今日のところは、鰻で良しとしませんか。

   いかがです」

兵馬 「えっ、鰻!もう、兄上にお任せします」

真之介「では拮平、参ろうか」

拮平 「あの、真、様。真様は何やらお忙しいのでは」

真之介「人間、どんなに忙しくとも、食と睡眠は欠かせぬものだ。お前は申し訳な

   いのだろう。そう言う時は一重にお詫びするに限る。それ、善は急げだ」

拮平 「いえ、あの、そのぉ」

----何、このしどい、こじつけ。しどすぎる…。

 

 この後、三人で鰻屋に行くが、兵馬は家来が釣って来た鰻を食べたことはあるが、鰻屋と言うのは初めてだった。鰻は注文を受けてから、調理にかかるので焼き上がるまでに時間がかかる。その間はたくわんをつまみに酒を飲みながら待つのだと真之介から教えてもらう。

 鰻屋を出ると拮平と別れ、真之介とともに菓子屋へ行き、茶菓子にと菓子折りを受け取り、兵馬は上機嫌で帰宅する。出迎えた者たちは兵馬の機嫌の良さもだが、手にしている菓子折が気になる。


三浦 「今まで、どこをふらついておったのだ」

加代 「兵馬、ずいぶんと楽しそうではないですか、何かいいことでもあったので

   すか」

兵馬 「いいことも何も、ふっふぁぁ。あっ姉上、これは兄上からです」

ふみ 「えっ」

 

 手渡された菓子の包装紙には見覚えがあった。先日、佐和への手土産用としたものと同じだった。二箱買い、一箱は皆で食べるつもりだったのに、雪江と絹江の茶菓子として出せば、雪江が目敏く箱を見付け、残りも全部持って帰ってしまった。

 それにしても兵馬がどのようにして、真之介からこの菓子を受け取ったのか気になる。


加代 「これはこの間の菓子と同じものですわね、ふみ」

ふみ 「はい、そうです」

加代 「よかったわね」

兵馬 「この間の菓子って、いつ食べたのですか、私は何も知りませんが」

三浦 「それより、この菓子はどうしたと言うのだ。まさか、真之介のところへな

   ど行ったのではあるまいな」

兵馬 「そんな、町で偶然お会いしたのです。ああ姉上、その時にですね。ほら、

   あの時、声を掛けて来た拮平もおりました。もう、私は拮平に言ってやりま

   した。我が姉上に声を掛けるとは、この不埒者め、成敗してくれよう、と、

   刀の柄に手を掛けえ。まあ、これは兄上に止められましたが、その後も私は

   拮平にきつく言い渡しておきました。あの拮平と言う男、女にはすぐデレデ

   レするくせに、全くの根性無しで、すぐに土下座しおりました。そして、お

   詫びのしるしに鰻でもと言うので、まあ、受けてやりました。いや、でも、

   あの顔合わせの時の梅花亭の料理はまさに山海の珍味でありましたが、鰻も

   脂がのってこれまた美味でした。で、帰り際に兄上が姉上にって、これを、

   ねえ姉上」

 

 真之介はふみにと菓子折を託したのではなく、手土産として手渡したのだが、兵馬はそう言えば、ふみが喜ぶと思っているようだ。

 ふみは、あれからも真之介のことばかり考えていた。近く夫になる人だから、当然と言えば当然であるが、なぜか時々胸が苦しくなる。梅花亭の庭では、話に聞いていたのと違う真之介の反応にふみは戸惑うしかなかった。それでも、今は自分を妻として迎えてくれる気になってくれているようだ。だからと言って、取ってつけたように、ふみになどと言うだろうか…。それなのに、兵馬は早速に菓子に手を伸ばしてくる。


ふみ 「お婆様にお供えするのが先でしょ」

  

 祖母の葬儀では、みっともないくらいに号泣していたくせに、今では仏壇に手を合わせるも儀礼的でしかない。祖母は兵馬を溺愛していた。嫡男であり当然のことかもしれないが、ふみは祖母の甘やかしが今の兵馬を形作ったと思っている。確かに兵馬は病弱であったものの、祖母の甘やかしが余計にでも、兵馬をひ弱にしたと思っている。その裏返しか、母とふみには異常なくらい厳しかった。


兵馬 「でもお供えって、朝のうちにするもので昼過ぎるとしないのでは?だった

   らいいでしょ。それに、この前は私だけハネにしたじゃないですか」

 

 誰がそのような事をしたと言うのだ。ふみから雪江の所業を聞く。


兵馬 「では、早速隠しましょう。今日はもう来ないでしょうけど、あの二人のこ

   と、明日はわかりませんよ。それで、お供えするのは二つだけですよ。いい

   ですね」

 

 それだけ言うと、兵馬は自分の部屋へ向かう。


加代 「まあ、何ですか、兵馬は」

三浦 「まだ、若い故、配慮が足りないのだ」

ふみ 「いいえ、お婆様が甘やかしたから、あのようになったのです。これからは

   父上がもっと厳しく、兵馬に接して下さいませ。後継ぎの長男があれでは、

   私も安心して輿入れできません」

 

 あれでは真之介殿の方が…。

 さすがにそこまでは言えなかった。それでもいつにない、ふみのきっぱりとした物言いに両親は唖然とする。

 十六歳と二十三歳の男をそのまま比較するのつもりはないが、真之介が十六歳の時には店の主人として、立ち働いていたと言う。商売のことはよく知らないが、とにもかくにもあれだけの使用人を束ねていたのだ。なのに兵馬は菓子を勝手に食べただのと、まるで子供の様な事を言う…。


久  「姫様、先程はよくおっしゃいましたわ。私から見ましても、お若いとは申

   せ若様には、もう少ししっかりして頂きたいものです。何と言っても、お旗

   本の嫡男でございますもの…」

 

 久もそこで口をつぐんだが、またも真之介のことを考えてしまう、ふみだった。


 一方の何かすっきりしない拮平は何でも屋の万吉と仙吉と出くわしてしまう。ある意味も今一番合いたくない二人だった。


万吉 「これは若旦那。おめでとうございます」

仙吉 「おめでとうございます」

拮平 「何だい、お前たちまで。それはあたしに対する嫌味かはたまた皮肉かい」

万吉 「皮肉なんかじゃないですよ。大旦那が新しいお嫁さんもらいなさるんで、

   心からのお祝い申し上げてるんじゃないですか」

拮平 「そんなことたァ、あたしに言わずに直接おとっつぁんに言っとくれ」

万吉 「それが、大旦那にお会いすることがないんで、先ずは若旦那にと思いまし

   て」

仙吉 「今の気持ちを一言」

拮平 「一言も何もあるかい!」

仙吉 「若いおっかさんが出来るってどんな気持ちなんですかね」

拮平 「あんなのさ、あたしの母親でもなんでもないさ。あれはおとっつぁんの

   嫁!だからさ、あちきは、関係ありんせん」

万吉 「でも、一つ屋根の下に暮らすんでしょ」

拮平 「知るかい。あたしはあたしの道を行くさ」

万吉 「あ、聞いたんですけど、大旦那の祝言て、真之介旦那と同じ日だそうです

   ね」

拮平 「そうなんだよ。依りに依って同じ日にしなくったって。大体こっちはさ、

   二度目なんだから適当にやっておけってつーの。お陰でさ、真ちゃんの婚

   礼に行けなくなっちまったじゃないかよう。あの野郎がどんな顔して座って

   んのか。或いはそわそわしてその辺歩きまわるのか、見てやりたかったの

   にぃ」

万吉 「どんな顔って、旦那のあの顔ですよ。何やっても絵になりまさぁ」

仙吉 「その辺歩きまわったりなんかしせんよ。格好付けさせりゃ天下一品」

拮平 「いやさ、ついでに嫁の顔も、もう一度拝みたかった訳」

仙吉 「中々お美しいとか」

拮平 「まあ、悪くはない」

万吉 「で、大旦那の方は」

拮平 「これがさ、これもそこそこ。本当にそこそこなんだよ。それなのに自分

   じゃ小町気取りでやんの。ふん、娘たって、行かず後家じゃないか。それを

   もらってやるって言うのに、もう、嫁に来る前からわがまま放題、やりたい

   放題の、家の中ひっ掻きまわしてんだよ。しどいと思わないかい」

万吉 「でも、若旦那はご自分の道を行かれるんじゃ」

拮平 「しどすぎるぅ!」

万吉 「何もしどいことはないっすよ。まあ、うちの兄貴もそろそろ何ですが

   ねぇ。さっぱり、なもんで」

 

 と、仙吉が言えば、当然万吉も面白くない。


万吉 「何言やがる。条件のいい若旦那がまだってのに、俺みたいな何でも屋風

   情にゃ、沖は暗いわ。そう言う仙吉、お前もだよ」

仙吉 「いえいえ、俺は兄貴の先を越してはいけねぇと思ってますんで、先ずは兄

   貴からぁ」

万吉  「お前がそうやって圧力掛けるから、俺の方もうまくいかなくなっちまうん

   だ」

仙吉 「そんな、どちらも頑張って下さいよ」

拮平 「うるさいっ。大体、何を頑張るんだい。あたしゃさぁ、親父が嫁もら

   うってんで、後二、三年はもらえないんだよ。親父に金かかることは最低で

   も二年は開けろって言われてんだよ。何さ、人の気も知らないで、勝手にて

   めえ達の将来設計の目標物なんかにすんじゃないよ!もう、みんな、しどい。

   しどすぎる」

 

 拮平は顔を俯け、蛇のうねり歩きのようにその場を去って行く。


仙吉 「あれが噂の、嘆きの蛇歩きですかい」

万吉 「そうみたい。俺も初めて見たよ」

仙吉 「まあ、親父が自分と同い年の嫁をもらうって嫌なもんすよね」

万吉 「そりゃ、誰でも嫌だろう」

仙吉 「いいのは、旦那だけ」

万吉 「いや、旦那も実際のとこ、どうなんだろ」

仙吉 「あぁ…」

 

 婚礼を待ちわびているのは、嘉平とお芳だけかもしれない。

 それぞれの思案など知らぬげに、時は過ぎて行く…。













 













 




















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