第32話 新婚躁々物語

お芳 「拮平!起きなさい!いつまで寝てんの!」

----うるさいなあ、誰だい、朝っぱらから。ん、この声…。

お芳 「もう、本当に!」

 

 掛け布団を剥ぎ取られた拮平はびっくりして飛び起きる。


拮平 「な、なんですか…。およ、およ、お止しになって、お、おっかさん」

 

 そこには箒を持ったお芳が立っていた。嘉平と祝言の翌日に、改めて引き合わされた。


拮平 「拮平です。これからはお父つぁんの事よろしくお願いします。お芳さん」

 

 拮平にすれば低姿勢で挨拶したつもりだったが、お芳は毅然として言う。


お芳 「おっかさんと呼んで下さい」

拮平 「えっ」

お芳 「当然でしょ」

嘉平 「そうだよ、拮平。歳は関係ないんだよ」

拮平 「そうですか。わかりました」

お芳 「本当にわかってくれたんですか」

拮平 「わかりました。お、おっかさん」

お芳 「それならよろしい」

 

 拮平は全くよろしくない。


お芳 「だから、もう、よろしいの」

拮平 「はっ?」

嘉平 「だから、もういいんだってさ」


 と、嘉平にまで言われてしまう。つまり、もう用はない。邪魔だから早く失せろと言うことだった。

 拮平は黙って立ち上がり、部屋を出ようとした時。


お芳 「これからは勝手に二階に上がって来ないでくださいね」

----勝手ったって、ここは元々は俺の部屋じゃないか。それを追い出しといて、やって来たばかりのくせして、ナマ言うんじゃないよ!ふん、何さ、母親気取りなんかしちゃってさ。俺はそう甘かぁないよ。覚えときな!


 襖が閉まると同時に、お芳は嘉平にしなだれかかる。


お芳 「あらぁ、お前さん、あれでよかったかしら」

嘉平 「よかったよ、お芳。早々から、お前に苦労かけて済まないねぇ」

お芳 「まあ、そんなぁ」

 

 あの女は何かあると、まあ、そんなぁと言うのだ。そう言えば自分は可愛く、何でも許されると思っている。そして、そんなお芳にでれでれしている嘉平。

 毎日すべてが面白くない拮平は、それからは出来るだけお芳と関わらないようにして来たつもりだった。また、新婚夫婦にはお披露目やあいさつ回りがあり、大店ともなれば訪問客も多い。それやこれやで、拮平もしばらくはお構いなしの状態だった。なのに今、般若の形相のお芳が箒持って仁王立ちしているではないか。

 あれから拮平は一度も二階へ上がってないし、食事はほとんど一人で食べ、出来るだけ関わらないようにしているのに、叩き起こされてまで文句言われるようなことはない筈だ。


お芳 「お前は一体いつまで寝てるの。もう、お天道様はとっくに高く昇ってらあ!」

拮平 「まあ、そんなぁ。いつの間に」

お芳 「何が、まあ、そんなだよ」

拮平 「いえ、おっかさんの口ぐせですよ」

お芳 「へ理屈は置いといて、もう少し早く起きられないの」

拮平 「あのさぁ、もう、あたしのこと放っといてくれません。義理にも母親かも

   しれませんが、何よりお芳さんはお父つぁんのお嫁に来たんでしょ。なら、

   あたしのことより、お父つぁんのことを第一に考えるべきじゃあないですか

   ねえ」

お芳 「ええ、そうですよ。私ゃ嘉平の嫁ですよ」

拮平 「だから、あたしのことは無しにして、老い先みじ…。とにかくお父つぁん

   のこと、大事にしてくださいよ」

お芳 「ええ、お父つぁんのことは誰よりも大事にしてますよ。でもさ、そのお父

   つぁんの頭痛の種が拮平、お前なの。朝も夜も遅いし、ろくに働きもしない

   で毎日どこをほっついているのやら。でも、もうそれも今日まで、明日から

   は夜明けとは言わないけど、私たちが起きる頃には起きること。いいね!」

拮平 「だからぁ、そちらは新婚でしょ。朝はゆっくりしたいだろうと思って、あ

   たしもそうっとしてるんじゃないすか」

お芳 「それをね、余計なお世話と言うの。いくらゆっくりったって、もうすぐ昼

   だよ」

拮平 「まったまた、そんなご冗談を」

女中1「若旦那、ご新造様のおっしゃるとおりですよ」

 

 女中が三人が笑いながら障子から顔をのぞかせている。どうやら、ずっと見ていたようだ。


拮平 「うるさいっ」

お芳 「とにかく、明日からは早寝早起きを。起きない時はぁ」

 

 お芳は箒を振りかざす。


拮平 「はいはい」

お芳 「返事は一回!」

拮平 「はぁぃ」

 

 お芳は箒を投げ出し、やっと部屋を出て行く。


拮平 「何だい、お前たち、見世物じゃないよ。早く、あっちへお行き!」

女中1「若旦那、お掃除終わってないの若旦那のお部屋だけなんです」

女中2「まあ、箒なんか持っちゃって、若旦那がお掃除して下さるんですか」

女中3「あらぁ、うれしい。若旦那、素敵ぃ」

三人 「では、よろしくぅ」

 

 と、三人声を合わせ、今度はどたどたと走り去る。


拮平 「これ、女中123、子供じゃないんだからさ、廊下を走るんじゃないよ!廊

   下を」

----どうして、こうなるの…。


 そして、こんな時なのになぜか思い出してしまう、真之介のこと…。

 真之介とはあれ以来会ってない。思えば祝言で忙しかったのはわかるけど、こんなに長い間、真之介の顔を見ないことは今までなかった。だが、真之介も実家でのお披露目の際、隣近所に新妻連れて挨拶回りをしている。なのに、その時拮平は不在だった。後で、その話を聞いた時はものすごく悔しかった。そのせいか、拮平には真之介が嫁をもらったという実感がまだわいてこない。ひょっとしたら、その辺りでばったり出会い、飲みに行こう何てことになるかもしれない。そう考えると拮平はいてもたってもいられず、寝間着を着替え、転がってる箒を跨いで部屋を出る。

 だが、洗面を済ませた拮平が座っているのに、女中たちの誰一人、拮平を気にも止めないのだ。そこで「飯っ」と言ってみた。すると、ご飯とみそ汁とたくわんが二切れ出て来た。


拮平 「これは何だい!こんなんで俺の朝飯って言えるかい」

女中1「ご新造様がそれでいいとおっしゃられまして」

女中2「ええ、何でもこれからは遅くまで寝ている者には、これでいいからと」

拮平 「あのさぁ、お前たち、何でもかんでもあの後妻の言いなりになるんじゃな

   いよ!この店を継ぐのはあたしだからね。特にこれからはあたしの言うことを

   お聞き。あんなね、後入りなんかその辺にうっちゃっときゃいいんだよ」

 

 と言って、仕方なくみそ汁でも飲もうとして椀を持てば、みその香りはしないし、何より具がほとんどない。こうなりゃ自棄だと、拮平はご飯に汁をかけてかき込む。当然一杯で足りるはずもないが、その時、お敏と言う女中が少し小振りのおにぎりを五つ持って来てくれた。


お敏 「若旦那、もうみそ汁はないのでおにぎりにしてみました。中の具は梅干

   と昆布とおかかです。これでよかったらどうぞ(小声で)お好きな海苔は

   しっかり巻いておきました」

拮平 「ありがとうよ。ほんとに、お敏はやさしいね」

 

 お敏ははにかんだように去って行き、今度はお茶を持って来てくれるではないか。拮平は先程までの嫌な気分はどこへやら、お敏の心づくしのおにぎりを食べながら、暖かい気持ちになっていた。 

 お芳とお敏、一字違いでこうも違うとは…。  

 だが、拮平は翌朝もやられてしまう。


お芳 「拮平!起きなさい!何度言ったらわかるの!」


 またも雑巾を裂くような声を浴びせられる。当然、箒も持っている。


----余程、箒が好きなんだな、この女。その箒に跨って、どこかへ行ってくれればいいのに…。

拮平 「ふあい、ふぁい。起きますよ、起きりゃあいいんでしょ」

お芳 「起きればいいのかとは何です。そんなに寝てたけりゃ、ずっと寝てなさい

   よ、ご飯も食べずにね」

拮平 「そんなに言われたって、いきなり早起きは出来ませんよ」

お芳 「そんなんだから、隣の真之介と比較もされないんだよ」

拮平 「比較もされない?」

お芳 「そっ、あっちは何でもかんでもやりこなし、今じゃ、侍と商人の二足のわ

   らじ履いて、納めた税金取り戻していると言うに、こっちはずっーと、全然

   全く変わりなし」

拮平 「なら、おっかさん」


 と、拮平は手を出す。


お芳 「なにさ?」

拮平 「金。私も真之介見習って侍になって、納めた税金取り戻しますから。その

   ための軍資金」

お芳 「誰も今さら侍になれなんて言ってやしないよ」

拮平 「あのさぁ、納めた税金取り戻すだの、二足のわらじだのとか、さもわかっ

   た風に言ってるけどさ、あいつが侍になるためにどれだけ金使ったか知って

   ます?それだけならまだしも、あんな貧乏旗本の娘押しつけられてさ。少しく

   らい税金取り戻したって、今のところ、これから先も算盤上は赤字のまん

   ま。それを何さ、朝っぱらから、あんな金の使い道に困って侍になったよう

   な奴と一緒にしないんでもらいたいんですけどっ」

お芳 「いいじゃないのさ、それだけ稼いでんだから」

拮平 「そんなに真之介がいいんなら、お父つぁんみたいな年寄りのとこへなんか

   来ないで、真之介の側室にでもなればよかったのにさ。ま、この際、真之

   介が承知するかどうかは置いといて」

お芳 「なんで、このあたしが、妾如きにならなきゃいけないのさ。あたしゃ、

   腐っても鯛だよ。いくら。金があるからって、妾になんぞなるもんかい。見

   損なうんじゃないよ!」

拮平 「なら、どうして引き合いに出すんですかい」

お芳 「それはさぁ」

嘉平 「お芳や、お芳」

 

 嘉平が呼ぶ声がした。お芳は箒を拮平を投げつけ、一睨みしてから部屋を出る。


お芳 「はあい、はい、ここですよ」

拮平 「ふん、何だい!この箒女。そんなにあたしが邪魔なのかい…。まあ、そうだ

   よね。あたしがいなければここの身代はあの女のものだ。やっぱりお前も金

   目当てじゃないか。それで跡取り息子を追い出し、いや、箒で掃き出そうと

   してんのかい。なら、あたしはゴミかい!ようし、こうなったら」

 

 ここからは拮平の一人芝居。


拮平 「拮平、血相変えてどこへ行く。どこへ行こうと知れたこと、これから行っ

   て真之介に、きりきりとゴミ問題をぶつけてやるんでぃ!止めねぇでおくんな

   せぇー。きゃ、拮平ちゃん、格好いい!」

 

 と、弾みをつけて部屋を飛び出して行ったが、寝間着のままに気が付いてあわてて戻ってくる。着替えながらも尚、一人芝居は続いている。


拮平 「真之介、待ってろよ、すぐ行くからさ。あれ、真ちゃーん」

 

 逸る気持ちはあれど、腹が減っては戦が出来ない。また、今朝は黙っていてもお敏がご飯とみそ汁、昨日の残りの野菜の煮付けに梅干しを出してくれた。拮平は涙が出るほど嬉しかった。

 腹ごしらえが出来た拮平は勇んで店を飛び出し、早足でしばらく歩くも、ふと我に返る。

 自分は一体、どこへ行こうとしているのだ…。

 新婚早々の真之介が町をうろついているだろうか。四六時中、新妻といちゃついているに違いない。そんな新婚家庭を見てみたいような、見たくないような…。


万吉 「おや、若旦那じゃないですか」

仙吉 「これからお出かけですか」


 こんな時に限って、別に用もない奴らに会ってしまう。


拮平 「違うよ。これでも取引先に行った帰りさ」

万吉 「そうなんですか。やっぱり若旦那も気合が入りましたか」

拮平 「私はさ、これでもやる時はやるんだよ。つまり、出来る男ってわけよ。そ

   んで、お前たちは、もう終わったのかい」

万吉 「午前中のが片付いて、これから帰って飯食って。午後からは溝掃除。これ

   が結構大変なんですよ」

仙吉 「それより、真之介旦那のお嫁さん見ましたよ」

拮平 「えっ、いつ、どこで」

仙吉 「いつって、ほら、この間のあいさつ回りの時、ちょうど出くわしまして」

万吉 「若旦那のところへも行ったでしょ」

拮平 「いや、ちょうど、あの時、俺、留守してたんだ」

万吉 「それは残念でしたね」

仙吉 「ほんと、残念。で、どちらへお出かけだったんですか」

 

 問われてもとっさには答えられない拮平。あの日あの時、どこで何をしていたか、さっぱり思い出せないのだ。


拮平 「ああ、ちょっとね。それよりそこで大福でも買ってきな」

 

 買えるだけと仙吉に金を渡す、いつになく気前のいい拮平だった。


拮平 「さあ、これを茶のあるところで食べよう」

 

 三人が歩き出した先には、まるで大福が呼び寄せたかのように「茶」が待っていた。


お澄 「あら、若旦那。お茶入れますからね」

 

 お澄は持っていた買い物ざるを万吉に押しつけ、仙吉から大福を取り上げると我が家、何でも屋に向かって歩きだす。後を追う男三人…。

 

お澄 「どうぞ」

拮平 「ふん、どうせ出がらしだろ」

お澄 「まあ、私がいつ若旦那に出がらしなんぞ出しました」

拮平 「こないだ」

お澄 「あれはこのろくでなしの兄貴のですよ」

万吉 「ろくでなしとは何だ」

お澄 「その通りじゃないか」

仙吉 「あの、兄貴、姉さん。兄妹喧嘩はそのくらいにして、俺にも大福一つ」

お澄 「それより、お昼にしようよ。大福はその後で。おかずの用意するから」

万吉 「おかずは何だ」

お澄 「金平ごぼう」

万吉 「また、金平か」

お澄 「またって今月稼ぎ悪いし。でもさ、彩りよく人参も入ってるよ」

万吉 「今夜は何だ」

お澄 「もう今夜の話かい。今夜はさ、こんにゃくの味噌煮、ああメザシもある

   よ。どうこの豪華版」

万吉 「どこが豪華なもんか。若旦那から見りゃ貧しい食事ですよね」

拮平 「いやいや、今の俺の飯なんてしどいもんだよ。でもさ、俺って兄弟いない

   から時々思うよ。兄弟喧嘩てのもいいなって」

万吉 「そんな、特にいいなんて思いませんよ」

仙吉 「若旦那は一人っ子だからそう思いなさるんで、兄弟なんていればうるさ

   い、いなけりゃ気になるってだけのもんすよ」

お澄 「それより若旦那、お昼は」

拮平 「ああ、あたしは出先で食べて来たから腹は減ってないけど、別腹の大福

   食べる前に、お澄の金平ちょいと味見させろい」

 

 小皿に盛った金平ごぼうと箸が拮平の前に出される。


拮平 「おお、中々うまいじゃないか」

お澄 「真之介旦那も褒めてくれました」

仙吉 「そういや、旦那のお嫁さん、きれいでしたね」

 

 と、またも口走れば万吉に睨まれ、あわててうつむく仙吉だった。


拮平 「でもさぁ、いくら金目当てでもあれだけ可愛けりゃあ許せるよなぁ」

お澄 「でも、若旦那のとこのご新造さんもおきれいじゃないですか」

拮平 「何が、きれいなものか。あのキツネみたいな目してさ。顔がキツネなら、

   腹の中はタヌキだよ。聞いとくれ、とにかくしどいったらありゃしない。何

   てたって、俺んこと、箒で殴り付けるんだよ」

お澄 「まさか…」

 

 これには三人とも唖然となる。 


拮平 「まさかじゃないよ。ちょっと起きるのが遅いからといって、朝から具のな

   いみそ汁にたくわん二切れだよ。お澄の金平ごぼうの方が何倍もうまいよ」

 

 その後も拮平の虚実取り交ぜた話は留まるところを知らない。その間に三人は昼ごはんもデザートの大福も食べ終える。


万吉 「若旦那、お話の途中ですけど、俺たちこれから仕事があるんで、また聞か

   せて下さいよ」 

仙吉 「そうです、今度、ゆっくりと飲みながら」

拮平 「そうだね、あたしにも都合があるんだった。そんじゃ、邪魔したね」

万吉 「いいえ、ごちそう様です」

仙吉 「また、お近いうちに」

お澄 「今度は一緒にご飯でも」

 

 拮平の話のほとんどすべてに、尾ひれが付くことは承知で聞いている三人だったが、今度ばかりはあまりのことに言葉が出てこない。

 一方の拮平は、あれこれしゃべって気が落ち着いたようだった。


拮平 「あらまっ、真ちゃんじゃない」

 

 それは紛れもない真之介だった。

 しばらく会わなかっただけなのに、懐かしさが込み上げてくる。


拮平 「これはとんだご無礼を。まさに新婚の旦那様ではございませんか。その後

   いかがお過ごしでしょうや。さぞかし毎日…お忙しい事でございましょう

   に。あら、いつもの忠助ちゃんがご一緒とは、これまた、つれないことで」

真之介「何がつれないだ。お前は、親父殿は元気か」

拮平 「親父は元気よ…。そうだ、ちょっと聞いてくれる、真ちゃん」

 

 真之介の顔を見ると又もどうしようもない気持ちが湧きあがってきた拮平は、お芳からの「仕打ち」を愚痴り始める。


拮平 「かわいそうな僕…」

真之介「何がかわいそうだ。どうして部屋を取り上げられた時に何も言わない。だ

   からなめられてしまうんだ。だがな、お前も悪い。朝くらいちゃんと起き

   ろ。これは言われても仕方がないことだ」

拮平 「だって僕、低血圧なんだもの、無理」

真之介「その血色でどこが低血圧なものか」

拮平 「でもさ、箒でやってくるなんてしどいと思わない。そんでさぁ、あのキツ

   ネ、いや蛇みたいな目で睨まれたら、ほんと、怖いのよぅ」

真之介「何が蛇だ。本物の蛇でもあるまいに、たかだか女一人にやられっ放しとは

   情けねぇ。やられたらやり返せ」

拮平 「でも、うち、箒一本しかないの」

真之介「箒?」

拮平 「お宅、本田屋、箒何本ある?」

真之介「さあな、五、六本あるかな」

拮平 「財閥だね」

真之介「箒の五、六本で何が財閥だ。大体、お前の店で箒一本じゃ掃除にどれだけ

   時間がかかる」

拮平 「でもさ、昔から一本だけなんだよ。その一本をあの後妻が持ってやって来

   るんだからさ。俺、真ちゃんみたいに二足のわらじ履けないし…」

真之介「わらじがどうした」

拮平 「お芳がさ、真ちゃんは武士と商人の二足のわらじを履いてるって。そう

   やって、今までに納めた税金の一部を取り返しているんだって。でも、ま

   だまだ赤字だよね」

真之介「人のことより、自分の頭のハエを追え」

拮平 「でも、実のところどうなの」

真之介「まあ、うちには有能な番頭がいるから商売の方は大丈夫だ。ひょっとし

   て、俺の店のことであの後妻と何か企んでいるのか」

拮平 「違うよ、あのお芳さ、真ちゃんの事が気になるみたい」

真之介「へーえ、俺は全然気にならねぇ。そうだ、そこを突いてやれ」

拮平 「そこって?」

真之介「人は誰にでも弱点がある。それを見つけて突けってことだ」

拮平 「弱点か…」

真之介「そう言うことだ。ああ、私はこれから二足目のわらじを履きに行くとこ

   だ」

拮平 「なら、俺もと言いたいけど、ちょいと用が出来たわ」

真之介「そうか、じゃ、またな」

拮平 「うん、今度はゆっくり話しようね」

 

 と、今来た道を引き返えす拮平だが、ふと、振り向くも真之介の姿はなかった。拮平は何でも屋に舞い戻る。


お澄 「おや、若旦那、何か忘れ物…無いし」

拮平 「いや、ちょいと頼みたい事が出来てな」


 途端に、営業スマイルになるお澄だった。


お澄 「まあ、そうですか、それはどうも。さあどうぞどうぞお掛け下さいな。あ

   あ、先程はおいしい大福をありがとうございました。すぐに、出花のお茶を

   入れますんで」

拮平 「仙万はいつごろ戻る」

お澄 「もう少しかかるかと。お急ぎですか。私に出来る事ならすぐにでも」

拮平 「いや、すぐでなくてもなくてもいい。それより、今そこで真ちゃんに会っ

   てさ」

お澄 「まあ、で、どんな様子でした。はい、お茶」

拮平 「それが変なんだよね」

お澄 「変て」

拮平 「いくら俺が聞いてもさ、自分のこと話さないんだよね。俺の話ばかり聞い

   て、あんな後妻に負けるなとかさ。まあ、それはわかるんだけど、新婚なん

   で少しはのろけるかなと思うじゃない。それが全然ないの。まあ、一応侍と

   して格好付けてるのかなとも思えなくもないけどさ、何かこう、そのこと避

   けてるみたいでさ」

 

 先程の真之介のことを多少の誇張を交えながら話す拮平。他ならぬ真之介の事なので黙って聞いているお澄。


拮平 「あれさぁ、やっぱりあれだよね」

お澄 「あれって」

拮平 「何で亭主持ちのお前にわからないんだよ。あれだよ、あれ。やっぱりうま

   くいってないってことじゃない。これくらい俺だってわかるさ」

お澄 「いえね、実を言うと私もそれ心配してたんですよ。相手が相手ですからね

   え。何てたって旗本の娘ですから、そりゃ気位も高いでしょ。きっと、来て

   あげたのよ、なんて上から目線。そんなんじゃ、いくら顔がいいからって男

   はやってられませんよ、そうでしょ」

拮平 「金目当てのくせに、気位だけは高いか」

お澄 「女はね、一にも二にも、三四も五にもずっーとずっと気立てですよ。気立

   てが良くなきゃいけません!この私みたいに。ねえ、若旦那」

拮平 「う、うん、まあ、そっ」

 

 相槌に困る拮平だった。


お澄 「でもさ、真之介旦那のどこが気に入らないんですかね。あんなにいい男で

   金持っててやさしくてさ、言うことないでしょうに。それを元商人を承知で

   輿入れして来たくせに、あんまりじゃないですか!そんなしどい嫁だったなん

   て、もう私、旦那がかわいそう、お気の毒。すぐにも駆けつけて慰めてあげ

   たい…。くっくっくっ…」

拮平 「怒ったり泣いたり忙しい女だな。これもくたびれるわ」

万吉 「こっちもくたびれました!」

 

 万吉と仙吉が帰って来た。


万吉 「もう、戻って来たのにも気が付かないほど、二人の世界に入り込んで何

   やってんですか」

仙吉 「若旦那、大丈夫っすか。相手はこの姉さんですよ」

拮平 「何てこと言うんだい。違うよ、あたしたちはさ、真ちゃんのこと心配して

   たんじゃないか」

万吉 「旦那がどうかしたんですか」

仙吉 「先ほどお会いしましたけど、元気そうでしたよ」

拮平 「お前たちにゃ、わかりっこないか」

万吉 「お澄、柄にもなく何しんみりやってんのさ」

お澄 「柄にもないだけ余計」

仙吉 「そんなことより、旦那に何かあったんですか」

拮平 「真ちゃんさぁ、うまく行ってないんだよ」

万吉 「それって、ひょっとして」

拮平 「そう、釣り合わないとこから嫁もらうからさ」

仙吉 「で、旦那、どんなこと言ってました」

拮平 「それが何も言わないんだよ。でもさ、あたしにゃわかるんだよ。真ちゃん

   の悩み深き心の内がさぁ」

お澄 「ねっ、私の心配してた通りになっちまったじゃない」

拮平 「そんなんで、お澄は怒ったり泣いたり」

万吉 「そうなんですか…」

仙吉 「しかし、こればかりは…。でも、若旦那も何と言うか、それを知らせにわ

   ざわざ?」

お澄 「あっ、そうでした。何かご用があったんじゃ」

拮平 「仕事のこととなると、変わり身早いねぇ」

お澄 「どんなことです」

万吉 「何でも引き受けます」

仙吉 「何でもやります」

拮平 「箒だよ」

お澄 「箒?」

万吉 「箒って、あの箒ですか」

拮平 「そう、庭用じゃないよ。座敷箒だよ。その箒を買ってきて欲しんだよ」

万吉 「お安いご用ですけど、その箒で何を。まさか若旦那がお掃除なさる、こと

   はないか」

拮平 「とにかく何でもいいからさ、買ってきとくれよ。私は今から帰るから、い

   いかい裏口の方へ持って来るんだよ。表は駄目だよ、じゃ、頼んだよ」


 拮平は帰って行く。三人は又も意外な注文に驚く。


万吉 「誰が箒担いで、店の正面から入ったりなんぞするもんかい」

仙吉 「今度は何やらかそうてんですかね、あの若旦那」

万吉 「さあ」

仙吉 「さあ」

 

 と、続きそうなので、お澄は財布を取り出す。


お澄 「仙ちゃん、行ってくれる」

仙吉 「へい、姉さん、受け取りは」

 

 お澄は少し思案してから受け取りを書き、金と受け取り書を仙吉に渡す。


仙吉 「こりゃ、また」

お澄 「何しろ、若旦那がお使いになるのだから、安物は駄目だよ。なので、手間

   賃も特上」

仙吉 「わかりやした。行ってきます」


 仙吉は出て行く。


万吉 「若旦那が箒で、真之介旦那がだんまりで。おや、こっちのお澄はぼんや

   りかい」

 

 一方の仙吉は、足取り軽く箒を担いで白田屋の裏口へと行く。戸を開けると拮平が待ち構えていた。


仙吉 「若旦那」

拮平 「しっ、声が大きいよ」 

 

 仙吉は箒と受け取りを渡す。


拮平 「何だい、随分じゃないか」

仙吉 「そりゃ、若旦那がお使いになるですから、最高級の箒をお求め致しました

   んで」

拮平 「まっ、いいか」

仙吉 「毎度、ありがとうございます」

 

 低い声で言うと、仙吉は金を受け取り帰って行く。

 拮平は辺りに人がいないのを確認すると、そっと自分の部屋に箒を隠す。


拮平「覚えてろよぉ」






 

















 

 






   















 



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