第18話 陽はまた昇る 一
最初に、それを発見したのは物売りだった。
空が白み始めたとはいえ、とっさにはその状況が呑み込めなかった。一瞬、何か見間違いでもしたのではないかとさえ思った。ちょうど、向こう側からも人がやって来たので、確かめてもらおうと物売りが近づくより早く、男は素っ頓狂な声を上げる。
男 「げっ!なんだなんだ、こいつぁ、朝っぱらから目ぇ覚まさせてくれるじゃ
ねえか。へえ、何があったか知らねえが、侍がこのザマとは二本差しが聞
いて呆れらあ。おおい!みんな来てくれえ。ちょっとやそっとではお目にか
かれねえ面白れえもんがここに鎮座してるぜ、おい!」
それは、長襦袢姿で猿くつわを噛まされ、ザンバラ髪の牛川と猪山が往来の木の根元に括りつけられている姿だった。すぐに野次馬が集まってくる。その野次馬の中に万吉、仙吉、お澄もいた。
仙吉 「ひょっとして、あれ、仁神の腰巾着じゃねえかな」
と、仙吉がぼそっと呟き、すぐに三人はその場を離れる。
野次馬「おう、そうだ。そいつは仁神の腰巾着だ」
「そうだそうだ」
「いつも威張り腐ってるのがよ、何てザマだ」
「へん、いい気味だぜ」
「やっちまえ!」
と、一人の男が石を投げれば、それに呼応するように他の者も石を投げ始める。
友之進「止めろ、止めないか!」
その時、数人の侍が野次馬の前に立ちはだかる。縄を解かれた牛川と猪山は一目散に走り去る。
友之進「若殿は」
侍 「わからないそうです」
友之進「手分けして探せ!」
侍たちも去って行く。
お澄は一人の石を握りしめている若い女を見ていた。女は今にもあふれそうな涙を堪えていた。
----本当は仁神に投げてやりたかったね。その気持ち、わかる…。
この時代、男がザンバラ髪を人前にさらすことは最大の恥辱であった。ましてや、髷を切られるとは町人であってもそれこそ外にも出られない。
こちららは髷を切られ、木に括りつけられた安行にかっぱ寺の和尚が近づいて来た。
和尚 「はははははっ。こやつがいたずらばかりすると言う噂の河童か。とうとう
捕まりおったか。これ、河童。これに懲りて今後は非道なことはするでない
ぞ」
と、縄を解いてやる。猿くつわは自分で外した。
安行 「ここはどこだ」
和尚 「これより先は地獄の一丁目である。地獄に落ちたくなくば、さっさと失せ
ろ!」
和尚の剣幕に、安行は転がるように逃げ出す。
和尚 「おおい、忘れ物だ」
と、切り落とされた髷をつまむ和尚。
和尚 「いらんか」
髷はまたも捨てられる。
安行は足の裏が痛かった。思えば裸足で土の上を歩いたことなどない。だが、今は何より着物が欲しかった。それが無理なら、せめて手ぬぐいか何かで頭を隠したかった。いやいや、先ずはどこかへ身を隠したい。実際に穴でもあればすぐにも入り込みたいくらいだった。
見ると、民家の軒先に寝間着と手ぬぐいが干してある。安行がそれに手を伸ばそうとした時。
主婦 「ぎゃああああ、泥棒!」
安行 「いや、金は後で払う!」
だが、異様な風体の男に主婦はパニックを起こし尚も大声で叫べば、その夫はもちろん、近くの住人までが飛び出して来た。
またも安行は痛む足で逃げるしかなかったが、どこへいっても声を上げられ、時には棒で殴りつけられ、侍だとわかると水を浴びせられもした。特に子供には執拗に追いまわされた。
逃げても逃げてもきりがない。そして、ついに力尽きて倒れ込んでしまう。
友之進「若殿…」
もしやと思ったけれど、うずくまったまま長襦袢の袖で頭を隠しつつも、苦しそうに息をしている男。間違いであってほしいと思いつつ、尾崎友之進は声を掛けずにはいられなかった。だが、それは紛れもなく仁神安行であった。さらに、友之進を驚愕させたのが、安行の髷が切り取られていることだった。牛川と猪山は元結が切られているだけだった。
先ずは安行の頭を隠さなければならない。友之進が自分の着物を脱ぐべく腰から刀を引き抜こうとした時、駕籠屋が通りかかる。
友之進「駕籠屋!」
友之進は安行を駕籠の中に放り込むように隠し、ふと後ろを振り向く。あまりにもタイミング良く駕籠屋が通りかかったことが気になった。だが、そこには誰もいなかった。
友之進「急げ!」
駆け足で遠ざかっていく駕籠を物陰から見ている真之介に、弥助が吐き捨てるように言った。
弥助 「旦那!ここまでやりながら、何であんな奴に駕籠なんか…。あの駕籠は旦那
がのって帰るんだとばかり思ってやしたよ」
真之介「あの侍の着物も脱がせたいのか」
弥助 「……」
真之介「尾崎友之進という侍の話を知ってるだろう」
弥助 「へえ…」
真之介「あの侍がその尾崎友之進だ」
弥助 「……!!」
真之介「俺だって、自分の妹がひどい目にあわされたら、到底冷静じゃいられね
え。だから、お前を仲間に誘ったんだ。だが、あの尾崎という侍は誰より
もつらい筈なのに、自分の着物を脱いで主人に着せよう、頭を隠そうとし
ていた。そんな男の着物を脱がせられるか」
弥助は声にならない声を上げた…。
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