第10話 花座敷

静奴 「こんばんわ。静奴でございます」

雪路 「静奴さん、遅かったじゃないですか」

糸路 「もう、お待ちかねですよ」

静奴 「これでも、私も色々と。あらまあ、真様。近頃すっかりお見限りじゃご

   ざいませんこと」


 静奴は真之介の側に行く。


静奴 「一体、どこで浮気してらしたの。もう、ほんと、憎らしっ」


 真之介は黙って飲んでいる。


牛川 「本田殿、肝心の密花がまだじゃと言うに、その様に見せつけられては若殿

   がお気の毒とは思われぬか」

静奴 「密花さんは、仁神の若殿様がお見えと聞いて、また鏡の前に座りなおされ

   てました。そんなことしなくても本当にお美しいのに。女心ですわね。で

   も、もうすぐお見えになりますわ」


密花 「こんばんわ」

静奴 「ほら、噂をすれば」

密花 「蜜花にございます」

安行 「これは…」


 安行のみならず、密花を見た三人は思わず息をのむ。

 美しいとは聞いていたが、その艶やかさに圧倒されてしまう。

 その密花が嫣然と安行に微笑みかける。


密花 「まあ、若殿さま。お会いしとうございましたわ」


 これにはさすがの安行も、それまでの一応の落ち着きぶりはどこへやら、思わず酒を飲む手も止まってしまう。だが、側に密花が来れば、魅入られたように盃を干していく。

 牛川と猪山も最初は不慣れな座の華やかさに戸惑いもあったようだが、それでも、安行の腰巾着であるは忘れてない。


猪山 「ところで本田殿。先ほどの話だが、火のない所に煙は立たぬと申すでは

   ないか」

静奴 「あら、火がなければ、つければよろしいじゃないですか。まあ、本当の

   火付けはいけませんけどね、噂の火くらい、いつでも付けられます」

牛川 「静奴とか言ったな。どんな噂か知りもせず、むやみに口を出すではない

   わ」

静奴 「まあ、真之介様のことで、私の知らないことなんてありますかしら、ねえ、

   真様」


 と、真之介に目をやるが、この男は素知らぬ顔をしている。そこがまたいいとこなのだ。


牛川 「さようか。では、その噂の火をつけたのは一体どこの誰なのだ」


 牛川がねっとりと絡むように言う。


静奴 「それは、私と」

密花 「私」

牛川 「ほう…。今をときめく芸者二人が、そのような噂を流すとは、はても面妖

   なことよ」 

猪山 「左様。何の得にもならんと思うに」

静奴 「密花さんは、並みの男じゃ満足できないんですよ」

密花 「静奴さんは、真之介様一筋」


 そして、二人声を合わせるように言う。


静奴・密花「私たち、仲がいいんですの」

静奴 「でも、じっとしていたのでは、何も起きなくて」

密花 「会いたさ見たさに、恐さも忘れ」

静奴 「そこでちょいと、二人して噂を流せば」

密花 「私は若殿さまと」

静奴 「私は真之介様と」

密花 「こうして会えましたもの」

静奴 「女は会いたいとなれば、これくらいのこと、何でもありませんわ」

牛川 「では、会えただけで満足か」

猪山 「会うために、嫁取りの噂とは、いやはや」

静奴 「まあ、何をおっしゃいますやら、真之介様の嫁になるのは、この私でござ

   います」

牛川 「ほう、左様であったか」

猪山 「それは、それは」

静奴 「ええ、そうでなければ、誰がこいつのしつこさに太刀打ちできるもんです

   か」


 と、思いがけない不意打ちをくらってしまう真之介だった。その真之介のうろたえ振りに、安行が声を上げて笑う。


安行 「はっははははっ。二人とも、もうそのくらいにしておいてやれ。ほれ、本

   田が赤くなっておるではないか」

牛川 「いや、これでも、さすがは本田殿と感心しておりましたに」

猪山 「はても、色男とはうらやましい限りで」

雪路 「まあまあ、こちらの旦那さま方は、先ほどから難しいお顔をなさってばか

   りじゃございませんこと」

糸路 「そうですわ。そりゃ、こちらの二人に比べれば、私たちなど道端の花かも

   しれませんけど」

雪路 「これでも一生懸命咲いておりますのに、少しは眺めてくださいまし」

安行 「そうだ、その通りだ。折角の本田の好意だ。二人ともその様に肩肘張らず、

   今宵は存分に美しい花と酒に酔うとしようではないか。なあ、本田」

真之介「はい」


 安行にそう言われると、今まであまり経験したことのない、華やかで甘い雰囲気に惑わされるものかと虚勢を張っていた牛川と猪山だが、酌をしてくれる芸者も中々の者だ。もう、楽しんでもいいだろう。


静奴 「さあさ、では、ご陽気に」


 そう言って、真之介の手を取り、踊りへといざなう。そして、踊りながら。


静奴 「如何でした」

真之介「やり過ぎだ。冷や汗が出たわ」

静奴 「あらあら、本当は嬉しいくせに」

真之介「嬉しくないわ」

静奴 「ほら、顔が引きつってますよ」


 真之介はすぐに笑顔を作る。

 花街の夜は始まったばかりだ。




 


 


































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