第9話 狐の嫁入り

 仁神安行は、思わず手に持った湯呑を落としそうになった。


安行 「何!ふみ殿に縁談!して、相手は誰じゃ」

牛川 「それが…」

安行 「早く申せ!」

牛川 「本田真之介と言う御家人でして」

安行 「御家人?旗本の娘が御家人に輿入れとは、この仁神安行も見くびられた

   ものよのう」

牛川 「それも、元は呉服屋の息子だそうで」

安行 「何い!!にわか武士だとぉ…」


 怒りに震える仁神安行だった。


猪山 「牛川殿、その話は誠のことでござるか」

牛川 「猪山殿、何で、このようなことを出まかせで申せましょうや。三浦家

   にこちらの内通者がいるのはご存じの筈」

猪山 「うむ。それにしてもにわかには信じがたい話ではないか。よりによっ

   て、あの三浦の親父殿がそんな縁組を承知されるとは…」

牛川 「それはあの真之介と言う男が、金を積んだそうです」

猪山 「金なら、当方も色々より良き条件を提示したではないか。それを大身

   の旗本とにわか武士を天秤に掛けただけでも腹立たしいのに、呉服屋風

   情に傾くとは。これでは、若殿の顔に…」


 猪山はここで言葉を止めたが、これは牛川と猪山の予定調和だった。この仁神安行と言う男、物事に飽きっぽい半面、その執着も人一倍強い。さらに、常に刺激を求めている。そんな安行が今までの側室たちとは違う、思いやりの様なもので、三浦家の喪が明けるのを待っていたのだ。

 そこへ降ってわいたような、ふみの縁談。即ご注進となるのは当然のことだが、真之介が金を積んだ話の部分は、安行を刺激するために他ならなかった。


安行 「もうよい!!」

牛川 「若殿、どちらへ」

安行 「これがじっとしておれるか」

猪山 「では、ふみ様のところへ」

安行 「うるさい!」


 それそれ、そうこなくっちゃ。これで、今度のターゲットは本田真之介と言うにわか侍に決まった。

 外は天気雨が降っていた。

 俗に狐の嫁入りと言う。

 すぐに止むであろう雨の中を安行は歩いた。

 ひょっとして、三浦家に縁談の真偽を確かめに行くのかと思ったりもしたが、方向が違う。

 黙ったまま安行は歩く。こうなれば、このまま従うしかない。二人とも安行の性格は熟知している。その足は繁華街の方に向かっていた。

 真之介の実家の呉服屋近くまで来た時、安行は真之介の情報を集めるように牛川と猪山に命じる。二人は周辺の店にそれとなく聞いて回るも、縁談のことはまだ知られてないようだ。


猪山 「あの話は、早とちりなのでは」

牛川 「それなら、それに越したことはござらんが」

店主 「おや、噂をすれば、影でございますよ」


 天気雨が止み、陽の光を背に受けながら、一人の侍がこちらへ向かってくる。

 飛んで火に入る夏の虫か、それとも…。

 武士は差した刀の鞘どうしが接触しないよう、左側を歩く。向い合せに歩けば決して交わることのない道幅であるが、安行はいつでも道の真ん中を歩く。

 真之介は三人の侍に会釈し、そのまま通り過ぎようとした。


牛川 「待たれよ」

猪山 「卒爾ながらおたずね申す。本田真之介殿とお見受け致すが…」

真之介「如何にも本田でございますが」

牛川 「おう、これは噂通り…。いや、聞くところに寄れば、お主、三浦家の姫と

   縁組されるとか」

猪山 「いやはや、お目見え以下でありながら、大したご出世ではござらぬか」

真之介「いえ、これはまた、お戯れを。私はこの通りのにわか武士にございます。

   その様な者が旗本の姫様など恐れ多いことにございます」

牛川 「ほう、戯れとな…。これ、こちらはお旗本の仁神様の若殿であらせられ

   る」

 

 やはり、そうだったか…。

 そうでなければ、こんな道の真ん中で、どこの侍が真之介に声をかけると言うのだ。

 あれから真之介も思案をするものの、何も思い浮かばない。思えば、相手の顔もよく知らない。かすかな期待を胸に、こうして、勝手知ったる実家近くをうろついていた。

 今は実家にも帰れない。帰れば母のお弓から矢の様な催促を浴びせられる。店の者に様子を聞いてみれば、いつにない厳戒態勢で腕の立つ浪人者を集め、弦太、壮太ですら、迂闊にお伸に近づけなくなっている。浪人たちも最初は何事かと気を引き締めていたが、今はうまい食事と何も起こらぬ楽な仕事を満喫しているとか。

 また、家から出られぬお伸のために、友達が呼び集められる。そこは娘たちであるからして、午前中にやって来て、昼ごはんとおやつにちょっとした土産を貰って帰る。彼女たちの行き帰りは弦太と壮太が付き添う。

 今までは、それらのことを笑って見ていられたが、こんどばかりはそうはいかない。すべては真之介から発したことなのだ。

 そして、ようやく仁神に会うことが出来た…。

 顔立ちは普通だが、自信に充ち溢れた目つきと、右の口角が上がっているのが印象点だった。どちらか一方の口角が上がっているのは、それだけ多くの人間を見下し、せせら笑いをして来たに他ならない。


真之介「これは存ぜぬこととは申せ、ご無礼のほど平にご容赦の程を。本田真之介

   にございます。また、私の様な者が仁神様にお声をかけて頂くとは、誠に光

   栄の至りにございます」

牛川 「では、今一度、正直に答えられよ」


 その牛川の言葉を遮るように。


真之介「これは私としたことが、仁神の若殿様をこの様な何もない所で立ち話とは

   無粋なことにて。ここは、お近づきの印に花のある所へご案内させて頂きた

   く存じますが、ご都合の程は如何でございましょうか」


 花のある所と聞いて、牛川と猪山には一瞬の動揺が見られた。


猪山 「あのように申しておりますが」


 安行はわずかに顎をしゃくる。


猪山 「喜べ、若殿がご承知なされた」


真之介「ありがとうございます。では、町籠でも呼びましょうか」

牛川 「いや、まだ陽も高いゆえ、歩いて行かれるそうだ」

真之介「では、ご案内いたします」


 牛川が真之介の側に張り付く。


牛川 「して、花とは、どのような花である」

真之介「蜜花がよろしいかと」

牛川 「蜜花…」


 蜜花とは、その艶やかさと舞姿の美しさで、江戸でその名を知らぬ者はいない、当代一の芸者である。さすがの安行も驚きを隠せない。

















































































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