種蒔

七章 種蒔

 割り当てられた土地は、それまで人が寄りつかない放棄された田であったらしい。その事情を高橋から聞かされた時、雑草が伸び放題になっていたことに納得した。犂の扱いを教える実業教師としてやってきた辰次郎であったが、その前に草を刈り取って他の田と同じく使えるようにしなければならなかった。

「この冬の時期に草刈りをしなければならないのも初めての経験だろうが、実業教師として来たからには、できるだけ早く君たちが犂を使えるようになってほしい。それにはまず、この田を使える状態にしなくてはならない」

 犂の使い方を学びに来た農民たちはそれなりの数がいるものの、田の状態を見て期待の薄さに幻滅も感じたのだろう。何人かは不安げな表情をしている。

「君たちが不安に思うのも仕方がない。この土地も、話し合いの末ようやく得られた練習用の田なんだ。以前犂を使って田畑を耕そうとした士族がいたそうだが、彼らでさえ土地の信用は得られていない。信頼はこれから積み上げなければならない。犂を使うことが、人の力だけで働くより効率的だとわかれば、この村のためにもなるだろうし、ひいては戊辰の役の雪辱を果たすことにもなる」

 すると何人かの目の色が変わった。反応したのは辰次郎と同じくらいの、四十がらみの男たちで、彼らにも戊辰の役で敗れたことの記憶は鮮明であるようだった。

 対してそれよりも若い農民たちの表情は変わらない。もしかすると物心ついたのが明治に入ってからの者たちかもしれない。経験の違いが心持ちの差になるのはやむを得ないにしても、広沢の言った明治の役という言葉が共感を得られにくいかもしれないと思うと寂しくもなった。

「始めよう」

 それでも辰次郎が号令をかけると、それぞれ鎌を持って田の周りに散った。それほど背の高い草はないのが幸いで、目を突かれる心配はあまりない。

 辰次郎を含めて十人の男手によって、半日もかからずに草刈りは終わった。元のように

集まった農民たちに向け、辰次郎は暗渠排水のことを語り出した。

「この辺りの田では犂が使えないので、使えるように土地を改良する必要がある」

 そう説明し、辰次郎は手順を語り出した。暗渠排水には粗朶や石材、土管など使う材料には様々な種類があるものの、最初に土を掘り返す作業が要る。辰次郎は一度彼らを、廃屋を改修した詰め所に集め、その手順の説明をした。

 暗渠排水は文字通り排水の便を良くするための設備のため、一度土を掘り起こして必要なものを埋め込む必要がある。犂の扱いを学ぶ前にすることとしては大きな負担であったが、そうしなければ犂が使えない土地であるということは納得しているようであった。

 今後の指導方針を説明し、実際に犂を使った実習は暗渠排水の設備ができる春以降になると最後に結ぶと、

「仕方が無いか」

 農民の一人がそう呟いた。犂を学ぶことへの憧れが強かったのだろう、すぐには学べないことに不満を覚えているようだった。

「済まないが、少し時間がかかる。実業教師を信じてほしいとしか言えないが」

「それはもちろんです」

 そう言ったのは、最初に福島の田を案内してくれた男であった。集まった農民たちの中では年かさで、明治以降に和田という苗字を得たと言っていた。

「実業教師と言えば、有名ですから」

 盲目的な信頼ではなく、確固たる根拠が眼差しに秘められて見えた。実業教師としての実績もない自分の、肩書き以外の何に寄る辺を感じたのかわからないが、幸い和田は男たちの中では一定の発言力があるらしい。和田の声の後では、和田さんがそう言うなら、という声さえ聞こえてきた。

「こちらからも、よろしく頼む。実際にこの土地を耕すことができるのは私ではない」

 実業教師として赴いたからには、土地の人々に犂の使い方をはじめとする新たな農耕技術を伝えていくことが使命となる。しかし自分の分限はそこまでで、抱持立犂を自分自身の手で使って作物を生み出すのに役立ててはいけない。勧農社から託された抱持立犂を使えるのは、これから整備する実習用の田に於いてのみなのだ。

 そこに歯がゆさを感じ、日が暮れてから県庁に寄って高橋を誘い、以前飲んだ小料理屋で胸の内を素直に吐露すると贅沢ですな、と笑われた。

「このご時世、未だに士族の商法という言葉があるように、仕事を思うとおりに得られない人など掃いて捨てるほどいます。その中で倉本さんは望んだ通りの道を歩んでおられる。それにまだ満足されないなど、贅沢でしょう」

 御一新から間もなく二十年が経とうとしている。十年前ほど暮らしに困窮する士族の話は聞かなくなったが、彼らが救われたわけでも、安らかな死を迎えられたわけでもない。子供や老人から死んでいく暮らしを、妻子と共に乗り越えた現在は、録や家族を失った者から見れば幸せなのだろう。

「それは幸せの証ですから、羨ましい限りです」

 高橋は杯を傾け、空になった二つの猪口に手早く酒を注ぐ。礼を言う間もなくそれを飲み干して手酌した。

「そう見えるものですか」

 高橋の声音に皮肉っぽさはないものの、辰次郎の胸には釈然としないものが残った。

「悩ましい顔をしておられる。何かありましたか」

 三歳年上だという高橋は、赤ら顔をしながら年長者らしく優しい眼差しを見せた。酒と高橋の柔らかな表情に誘われるように、誰しも分限というものがあるのはわかっています、と切り出した。

「しかしそれを理由に力を出し切らないのは、発展の妨げにならないかと思います」

 斗南での暮らしが過酷であったのは、かつてのことを一切捨てて暮らしに臨まなければならなかったからであろう。それこそ武士の分限を超えた仕事をいくつもこなし、ひどい時には犬を食らうこともあった。

 生に執着することと仕事をこなすことは同じに語れないことだろうが、一度疑問に思うと何か答えを出さないと落ち着かない。

「実業教師として力を出し切れば良い。そうすれば農民たちは農民たちで、自分たちの分限で精一杯働いてくれるでしょう」

 高橋は一瞬で杯を乾かし、言った。事も無げな答えに、全てを見透かされていたような清々しさを覚える。

「あなたが一人で赴いて、一人で原野を開拓しなければならないのなら、分限などに構ってはいられないでしょう。しかしここは違う。勧農社は技術を落としにあなたを遣わせた。技術を受け止められる人がいると見込んだのでしょう。悩ましいのなら、自分の教え子たちをもっと信頼すれば良い。あなたが分限の限り精一杯働けば、あなたが去った後の福島も安泰でしょう」

「手を動かすために招いたわけではないということですか」

「体を使うだけの人間では、そこにいつづけてもらわないと困ります。しかしあなたは違う。あなたが落としてくれるものが人を動かす。それは単に体を動かすよりも長く役に立ってくれるでしょう」

 その効果が表れるのは先の話で、自分は遠くで風の噂として聞くだけだろう。それを受け入れられるほど大きく心持ちが変わったわけではないが、決して悪いことではないと辰次郎は思った。


 教えに来た技術を使うには、土を掘り返すことから始めなければならない。それを受け入れてくれるかどうかの不安はあったが、実際作業する段になると、皆は不満を見せることなく辰次郎の指揮に従ってくれた。これまで自分の手を動かすことで何かを成してきたが、今回は他人の手が頼りになる。しかしその手も、実業教師の言葉を頼りとしている。互いが寄せる信頼が必要であった。

「まずは正しい位置に竹筒を入れていくことからだ」

 そう言いながら、辰次郎は事前に書いた図面に従って、排水管となる竹筒を埋めていくように指示を出す。人手をあまり確保できない上に土地もそれほど広くないため、一人で持ち歩ける長さの竹筒を何本もつなぎ合わせるという手段を採った。

 その分継ぎ目の隙間は徹底して埋めなければならない。辰次郎は水漏れがないか何度も水を流して確認し、問題なしと判断してから竹筒の上に粗朶を置いた。

 排水管を埋めたら排水路を田の周りに作る。冬の深まる時期にその作業が終わり、それまで冬も水を湛えていた田から水が消えて乾く。

 その状態に不安を覚えたのだろう、農夫の一人から耐えかねたように平気なのでしょうかと問いかけられた。

「水をなくしたら、土に悪いのではないでしょうか」

 不安は誰の心にもあったのだろう。年かさの和田も、不安を鎮めるようなことは言わない。彼にも不安を鎮めるだけの言葉がないのだ。

「そんなことはない」

 辰次郎は努めて声を低くした。彼らが自ら不安を鎮めたり乱れた心を落ち着けたりする言葉を持たないのなら、教師たる自分しか頼りはいない。

「この乾田が何をもたらすか、今一度教えよう」

 そう言って辰次郎は、農夫たちを小屋に集めた。今や学舎となった小屋は、十人も入れば満杯になるぐらいだが、机の前に書物など広げて話をすれば、皆に伝わる。それで不自由はなかった。

「そもそもこれまでの泥田の不便は、犂を使いにくいということが一つある。それを改善することに異議はないはずだ」

 辰次郎は皆を見回す。皆一様に頷いた。

「明日にでもやろうと思うが、乾田となった田は人の手に余る。人の力では農具を深く土に突き刺すことができないからだ」

 深く耕すことは作物の根を深く張らせることにつながる。植物の根が深く伸びるのは、より多くの養分を土から吸い上げるためだ。

 それが、泥田だとうまくいかない。本来土の奥深くに染みこむはずの栄養が、水に溶けたまま地表付近に漂うからだ。

「犂を使うことの利点は他にもある。何といっても早く、少ない人数で、労少なくして仕事を終えることができる。異論はあるだろうが、犂を導入することの最大の利点はこれなのだと私は思う。子供が学ぶ余裕を持てるのは大きい」

 辰次郎は言いながら、各自の表情をうかがった。少ない労力で仕事を終えられるということにはそれぞれ敏感な反応を見せたが、子供が学ぶ余裕を持てると言っても表情の揺らぎは鈍い。出自は同じであろうが、二十年の中で子供の学びの大切さが薄れてしまったのかもしれない。

 その中で和田だけは、何かに気づかされたように目を見開いた。彼なら、自分が去った後も皆を率いてくれるような気がした。

「さすがに斗南藩にて礎を作った方の言葉だけのことはありますな」

 何気ない風ではあったが、辰次郎にはふと昔を思い出させる言葉であった。子供たちの、次の世代の礎になろうと決めて働いていた日々は今も胸に残り、昨日のことのように鮮明

である。しかし実際には二十年の時が過ぎ、その間国は変わった。

 変わったのは体制だけではない。自分自身も身の振り方を考え、新たな生き方を見出した。その結果が抱持立犂を担いで各地を歩く日々につながったが、ともすれば忘れそうなことでもある。

 この土地にはかつて、士族たちが犂を根付かせようとした。それは結実しなかったが、礎の一つにはなった。その上に自分がまた、新たな礎を積み上げる。そうして一つ一つが積み上がって、いつしか立派で強固なものができあがる。そのための日々であった。

「そうだ、これは礎の日々なのだ」

 農民たちに、そして自分自身に言い聞かせるように辰次郎は言った。

「こんな言い方も何だが、東の農業は西に比べて遅れたところが多い。それは環境であり、考え方であり、仕方の無いことも多い」

 元々東北は米作りに向かない土地だ。現に斗南藩にいた頃は食糧の確保に苦労した。それさえ苦しみの一端であると思い知るような歴史もあった。そのような土地に人が住むなど、本来は自然の摂理に反したことなのかもしれない。それでも人は去らず、親藩も置かれた。困難を乗り越える力は、東北の人々に備わっている。

「しかし我らは諦めない。だからこそここに集まってくれたのだと信じている」

 広沢安任は明治の役という言葉をしきりに使い、牧場に集った元斗南藩士たちを鼓舞した。その結果が明治天皇の御巡幸であっただろう。その直前、犂による耕耘も天覧したと辰次郎は後で聞いた。

「我らが積み上げた礎に、今農学校で学ぶ若い者たちが強いものを建てると信じて、これからも働こう」

 和田は穏やかに見つめてくれたが、他の農夫たちは心に響いていないような顔をしていた。しかし拒絶するでもなく、どう受け止めていいかわからないところに、今は希望を見出す他ないと辰次郎は思った。


 暗渠排水のための設備を作り終え、犂の使い方を伝える。それだけで一年を費やしてしまった。元々二年福島県にいて教えることになっていたため予定通りであったし、礎を作るという気持ちに変わりはないものの、国の変化を外から眺めていると、中央に関われない歯がゆさもある。

「その気持ちはわかりますな」

 また贅沢だと笑われると思っていた辰次郎は、高橋が理解を示してくれたのを少し意外に思った。

 福島県への赴任以来高橋との行きつけとなった小料理屋にて、慣れたことのように熱い酒を酌み交わしている時に出た話題である。一年間暗渠排水の効用と犂の使い方を教授するのに費やしている間、日本人の誰もが知らなかった体制が生まれていた。

 高橋は杯を空にして、熱い息をついてから口を開いた。

「内閣が生まれたと言いますが、そこに敗者はおりません」

 人生全体を見れば、内閣総理大臣となった伊藤博文をはじめとする下級武士の出身である者たちは、ようやく勝ち始めたといったところだろう。そこにたどり着くことができずに世を去った者も多い中、彼らは敗者となる危険を乗り越えて勝者の地位にたどり着いたのだ。

 広沢牧場の出資者は大久保利通であったし、伊藤博文も土地を確保するのに一役買ったという事実がある。藩閥政治という批判もある新たな体制だが、誕生を評価したい気持ちもある。

 しかしその中に、絶望的な敗北を乗り越えてきた者を含めてほしいというのが、辰次郎の正直な気持ちである。永岡久茂は残念だったが、今でも牧場を安定させている広沢安任や、西南戦争では谷干城の救援に一番乗りした山川浩など、会津藩の時代から人々を導き、支え続けた者が残っている。彼らに声をかけなかった理由を、広沢とのつながりもある伊藤に問いただしたかった。

「国も歴史も、勝者だけで形作るものではない。そして敗れたからといってすぐさまこの世を去ることができない者もいる。そんな人々のために、敗者も体制には必要なのだと思いますが」

 広沢がしきりに口にしていた明治の役という言葉は、再起戦という意味合いもあったのだろうが、敗者となった自分たちが忘れられないようにするという決意の表れでもあっただろう。勝者が敗者を無視できないようになれば、明治の役にも一定の成果が出たと言って良いが、それには遠いようだった。

「しかし子供は育ってきているでしょう。正毅くんでしたか、ご子息は」

「今は軍人の道を歩んでいます」

「立派ではないですか」

 軍人としての歩みを進めているのは正毅自身の力で、自分はその始動地点へ導いたに過ぎない。そう言うと、

「それこそ親の務めだったでしょう。育てるとはそういうことだと思います」

 子離れして良い頃ですよ、と高橋は締めくくった。

「それより見てもらいたい子供はもっと近くにいますから、むしろ子離れしてもらわないと困ります」

 これから農学校の生徒たちにも教えなければならないのだ。遠くの息子を心配している状況ではない。それが実業教師として頼りにされる理由なのだ。

「礎の上に子供たちがちゃんとしたものを作れるように、しっかり指導をお願いします」

 そう言って高橋は空の杯に酒を満たす。自分が作る礎に家を建て、その次に城でも建てれば、体制も注目せざるを得なくなる。それに関わった者が中央へ参加できた時こそ、明治の役に勝ったことになるのだろう。

 農学校の生徒たちに教えるのは年が明けてからで、その間は農民たちの田と生徒たちの

田の往復が続く。そのうちに雪が溶けて、山に特徴的な雪形が描かれるようになると、犂を教えた農民たちが牛を使い、犂を曳かせる。間もなく訪れる種蒔の時期のためだ。水を落とした田は硬かったが、人の力では曳くのに難渋する犂の力が硬い地面を砕き、柔らかくほぐしていく。その土の中を作物の根が伸びていき、それまで吸いきれなかった養分を得ていく。

「ようやく種蒔ですな」

 犂が田を耕していく様を眺める高橋が言った。犂の扱いを教え、それを活かせる土地を作るまでの時間は短くなかっただけに、万感が込められて聞こえた。

「一年間が楽しみですよ」

 収穫だけが犂を伝えに来た自分の楽しみではない。犂を使うことで負担を軽くして、余裕を生む。それがどんなことにつながるのか見ていきたい。農民たちの安らぎでも良い、子供たちの学びの時間になるのも良い、犂が生み出していく、目に見えない貴重なものが現れるのを待ちたい。

 乾いた土の上で人の声が上がり、そのたびに土はほぐれていく。柔らかな、しかし堅固に人の暮らしを支える土地は、どこまでも遙かに広がって見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日は遙か haru-kana @haru-kana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ