第1話 事故と転校


 俺は死んだ。

 理由を説明すると、学校の屋上から落ちたから。

 別段、死にたい理由はなく。事故というのが、正しいのだと思う。

 そして今、俺は小さな船の上にいた。

 小舟は木製で、提灯の明かりだけが世界を照らしていた。周囲にも同じような小舟が山のようにあり、どれも一定の方向に流れていた。水面を覗き込むと、これと言った特徴のない顔が映り込む。我ながら平凡な容姿だと思いながら、底の見えない水面から視線をあげた。

 どの船にも人間が一人、眠っていた。全員、死んでしまった人なのだろうか?

 俺に考える余裕を与えず、船は九十度ほど回った。もう、それは唐突に。明かりの大群は一瞬で遠ざかり、俺だけが取り残されていく。

 そう言えば何かの本で、自殺をした人間は地獄に行って、一番重い罰を受けると読んだ事がある。

 俺に自殺をした自覚はないが、原因は不注意と少しの興味。見方を変えれば自殺だと思えなくもない。

「俺は地獄行きか?」

 地獄とはどんな場所なのか、考えあぐねている時だった。

「ブッブッー。不正解です」

 女の子の声が降ってきた。反射的に振り返ると、黒い長髪の少女が微笑んでいた。見た目は俺と同い年程度の十七・八で、この場には不似合いな制服らしきものを着ていた。

 言葉も出ない俺に、少女はニコニコと笑いかけながら言った。

「あたしは如月水樹。焔姫って呼んでね! 月嶋戒君」

「エンヒ?」

 頭の中が真っ白になった。彼女の呼び名がどうして変なのか、どうして俺の名前を知っているのか。全然理解が出来ない。

「じゃあ、行こうか?」

「何処に?」

 焔姫の差し出す手を、俺は疑問に思いながらも握っていた。そして焔姫はとても嬉しそうに口にする。

「もちろん、あたし達の学校だよ!」

 首を傾げる時間もなく、世界は色を変えていた。

 暗闇の世界が、一瞬で光の溢れる世界に。

 地面はしっかりとした固いもので、白一色で創られた噴水と少しの緑。そこはただ綺麗で、美しい世界だった。

「いらっしゃい。あたし達の世界へ」

 焔姫は俺の手を引っ張って、立たせてくれた。そこで漸く、俺は学校の中庭らしき場所にいるのが分かった。間違っていなければ、俺を囲っている大きな建物は学校の筈だ。でも、不思議な建物だった。それはまるで色を知らないようで、白と黒い影で形作られていた。

 まるで、夢の国のようだ。光のかけらが、当たり前のように俺の目の前を舞っていく。

「では、いざ参りましょう!」

「?」

 俺の思いは、焔姫には伝わらなかっただろう。彼女は唐突に走り出した。焔姫の手は俺の手を掴んでいて、俺も握り替えしていた訳で、俺の身体は焔姫の力で宙に舞っていた。

 焔姫の足がどれほどの速度を出していたのか、俺には予想が付かなかった。ただ彼女の黒髪は舞い、俺は宙に浮いて、周りの景色は一瞬で過ぎ去っていった。そして……。

 ――バンッ

 大きな破壊音と共に、俺は地面に叩き付けられた。身体中が痛むのは当然で、起きあがれたのは奇跡だと思った。

 見えたのは教室の中で、教室の扉は周囲の壁ごと吹き飛んでいた。俺の周りにも瓦礫のように白い塊があるが、やはり目に付くような色が存在しない。そもそも、この白い塊は何の素材なのだろう?

 ――パンッ

 今度は指を弾くような軽い音がして、一瞬で壊れていた筈の教室の扉が元に戻った。手に取ろうとした瓦礫も、一瞬で消えてしまう。

 色々な事が一気に起こって、俺は夢でも見ている気分だった。

 女の子は凄い怪力で、壊れた筈のものは一瞬で無かった事になって。

「焔姫クン、君は少し自分の力を考えて行動した方が良い」

 聞き覚えのない少年の声がした。

「あはは。ごめんね、すっかり忘れていたよ」

 焔姫の様子を見るかぎり、相手は顔見知りの様だ。

 立ち上がって声の方を見ると、有り得ない光景が広がっていた。

 そこには短めの金髪が綺麗な、明らかに外国の人が居た。瞳は空を思わせる深い蒼で、肌はこの世界と重なって消えそうな病的な白さ。ここまでなら、俺も驚かなかったと思う。

 でも少年の指先には見るからに高級そうなティーカップに、中には紅茶らしき液体が入っていた。目の前にはティーセットと軽いお菓子が並んでいて、椅子や机には赤い布が敷かれていた。

 一瞬、お城にでもいる感覚を味わってしまった。でもどう足掻いても、それは不審すぎる光景だった。

 ここはあくまでも、普通の教室なのだ。不自然すぎるし、無駄にきらきらと輝いているのは何なのだろう?

 少年は俺と目が合うと、優しげに微笑んだ。

「初めまして、月嶋戒クン」

「はぁ……」

 もう二度目になるが、何で俺の名前を知っているのだろう?

 歳は同じぐらいだが、こんなにも様になった紳士スマイルをする人間を、俺は知らない。

「僕はユーファ・オスファルト・アスニヒル三世。気軽にゼノスと呼んでくれたまえ」

 俺はゼノスと呼ぶらしい少年を見ながら、首を傾げてしまった。あまりにも謎が多すぎる。名前と呼び名がまったく違うし、そもそも二人の制服が全然違う。色から材質、形に至るまで様々だ。唯一同じなのが、上着がブレザーという所。それに何より、優雅にティータイムを楽しんでいる少年と、机に乗って足をふらつかせている少女の接点が掴めない。

「あの」

「何だね?」

 ゼノスはゆっくりとカップを机に置いてから、俺を見て首を傾げた。これは質問をしても良いと言う事だろうか?

「その、何で名前と呼び名が違うんだ?」

「それは単純さ」

 そう言いながら、ゼノスは人差し指を一本振った。見れば見るほど、無駄な動きが多い奴だ。

「名前は生まれた時に付けられた、ただの呼称だ。そしてここに来た時、神から新しい名前が授けられる。それが呼び名という訳だ」

 なぜだろう? まったく理解が出来ない。

「名前はおいといて、ここは何なんだ? 俺は死んだはずだよな?」

「そうだよ。君は死んだ。だから今、ここにいる」

「えーと……」

 やっぱり理解できない。

「仕方がないね。一から説明した方が良さそうだ」

「ああ、頼む」

「じゃあ、ここを何処だと思っている?」

 ここが何処か? それが分からないから聞いているのに、何だか話が遠回りになっていく。

「答えは単純。僕の楽園さ!」

「は?」

 唐突に、何を叫び出すのだ? 頭の中がもっと混乱する。

「ゼノス君、そう言う嘘を言ったら駄目だよ。戒君が困ってるでしょ!」

「別に、僕にとっては事実だよ。それに、ここには時間だけは山のようにある」

「そう言う問題じゃないよ。ちゃんと説明してくれないと、あたしは凄く悩んだんだから」

「ふむ。そうまで言うなら仕方がないな」

 焔姫が間に入ってきて、俺の代わりにゼノスに抗議をしてくれた。嬉しい限りだが、ゼノスの機嫌を損ねた気がするのは気のせいか?

「つまらないが、事実だけを説明しよう」

 溜息を付くように口にして、ゼノスは説明とやらを始めた。

「ここは死者の世界の一つだ。ここには神になれる候補だけが、存在を許される」

「神?」

 初めから不穏な話だ。俺は神様を生まれてこの方、信じた事がない。

「そう! いわば、あたし達は神に選ばれた存在なんだよ!」

 ハイテンションな焔姫が横から入ってきて、俺は二人が相当な変わり者なのではないかと、今更ながらに確信した。

「まぁ、そんな感じだ。ここは神の創りし、神候補の世界。そして選ばれるのは、悪意、殺意、邪気などを一度も抱かなかった存在だけ」

 ゼノスは俺を見て、深い笑みを作った。

「と言っても、君の場合は少々……知識に貪欲なようだ」

「はぁ……」

 貪欲と言われても自覚はないが、周りからはそう見えるのだろうか?

「この歳になるまで邪心に取り憑かれない者は少ないようでね。この世界には、残念な事に君を入れて五人しか存在しない。初等部と中等部とは、世界が分けられているんだ。それより、君は魂だけの存在である事を自覚しているかい?」

 魂だけ? それは何だ?

 俺にはしっかりと身体があって、歩く事も出来るし、痛みも感じる。

「全ては錯覚だよ」

「錯覚?」

「僕たちは口を動かして会話をしているが、実際は魂が直接思いをぶつけているに過ぎない。そうでなければ、君と僕が会話を出来るのは可笑しい」

「どうしてだ? 歳だって同じだし、話ぐらい出来るだろう?」

「見た目は、ね」

 そう言って、ゼノスは俺を鼻で笑った。

「君は時代も歴史も言葉も違う人間と、会話が出来るとでも言うのかい?」

それは、どういう意味だろう?

焔姫に視線を向けると、困ったように笑いながら口を開いた。

「えーと、あたしは日本? で生まれて、二百年ぐらい前からここに居るんだよ」

「二百年!」

 疑問よりも、驚きの方が大きかった。確かに口を開かなければ、清楚な日本女性に見えなくはない。でも、現代の女子高生と何ら変わらない。

「で。ゼノス君は三千年前ぐらいの、今のブルガリア地方の王族の生まれなんだって」

 三千年前? 王族?

 話が飛びすぎて、今度は理解が及ばない。確かに王子的な印象はあるが、三千年前と今ではもっと違うはずだ。俺の中では変な習慣があったり、もっと民族衣装的なものを着ているイメージだ。

「全てはイマジネーションに過ぎない。今回は君の世界観に合わせて、この様な姿や形をとっただけだ。この学校もそうだ。君があまり驚かないように、現代日本の学校を再現しただけの事だ。僕たちは死んではいるけれど、ここでは生きている。だからして僕たちは知識を増やし、時には共有し、世界をいつも眺めている」

 それは、成長していると言いたいのだろうか?

「そうそう。君はこの世界の構造を知りたがっていたね」

「へ?」

 俺はそんな事を口にしただろうか?

 ゼノスは面白そうに俺を見た。

「見ているだけで分かるよ。君は自分で思っているより、感情が外に出やすいタイプだ」

 そんな風に言われたのは、初めてだ。

「ハッキリと言ってしまうと、僕にも本質的な物は分からない。ただ僕らは、神の光と呼んでいる。まぁエーテルなんて呼ぶと神秘的かな?」

 ゼノスは分かりやすく中身の入ったままのカップを手にして、机の上をスライドさせて手を離した。

 カップは当然のように地面に吸い寄せられて、液体はこぼれ落ちていく。一瞬で液体のはねる光景と、陶器が割れる音が想像できた。でも、全ては覆された。

 液体は光の粒子となって舞い上がり、カップも光の中で消えてしまった。

「この世界の全ては、この神の光で創られている。家も、物も、身体も、存在全てが、だ。だからして……」

 ゼノスが腕を上げると同時に、俺は空中に浮いた。有り得ない事に驚きながら、浮遊感が俺の身体を支配する。そしてゼノスの手の動きに合わせるように、俺は窓ガラスに投げつけられた。

 痛いと思うのと同時に、ガラスを突き破った。そのまま落ちていくのを見ながら、教室が三階にあったのに漸く気付かされる。次に来る衝撃と痛みを思って、俺はしっかりと目を閉じた。

 でも、痛みはいつまで待っても来なかった。

「大丈夫ですか?」

 代わりに落ち着いた女性の声がした。目を開けると長い銀髪が舞っていて、蒼い瞳が優しげに細められた。俺は年も変わらない彼女にお姫様だっこをされていて、彼女ごと空中に浮いていた。羽も何もないのに、まるで天使のように見えた。そう思わせる程に、それは幻想的だった。

 ギュッと抱きしめられて、彼女の温もりと大きな胸に気付かされる。何というか、恥ずかしいを通り越して、少しだけドキドキする。彼女はそんな俺にも気付いていないのか、何処までも優しく俺を地面に立たせてくれた。

「申し訳ありません。伯父様がご迷惑を……」

「へっ?」

 伯父様?

「オーイラ、新人に分かりやすい説明をしている途中なんだ。変な言い方をしないでくれないか?」

「いいえ。そのやり方は古すぎますわ、伯父様。驚いているではありませんか」

「この方が、理解がしやすいだろう? まぁ、今回はアレで十分だろう」

 気が付くと同じ場所にゼノスと焔姫が立っていた。一瞬のうちに、どうやったのだろう? 自ら飛び降りたとでも言うのだろうか?

 それにしても俺を助けてくれた彼女が、ゼノスと言い争いを始めた。オーイラと呼ばれた彼女はゼノスを伯父様と呼んでいるが、同い年の叔父と姪と言うのは存在するのだろうか?

 よく見れば髪の色こそ違うが、顔立ちや瞳の色が同じだ。

「それで本題だ」

「うわっ!」

 気が付くとゼノスが目の前にいた。俺が驚いたのがいけなかったのか、ゼノスは少しだけ不機嫌な顔になりながら続けた。

「君の概念では、ガラスにぶつかると血が出るのかな? それとも、経験した事があるのかい?」

 ゼノスの言葉で、フッと中学時代の事を思いだした。ちょうど卒業間際だった気がする。

 クラスで喧嘩が起きて、その時に流血沙汰になったのだ。教室のドアの小さなガラスが割れていて、大量の血が地面に流れていた。ただそれだけが目に焼き付いて、次の日その少年は腕と頭に沢山包帯を巻かれていた。

「君、血が出ているよ」

「へっ……」

 ゼノスの言葉に頭に手を当てると、べったりと生暖かいものが付いた。見るとそれは赤くて、直ぐに血だと分かった。頭もズキズキと痛む。

「痛いかい?」

 俺は呆然と頷いた。言葉が上手く出てこない。

「その痛みも、血も、全ては錯覚だ。君の創りだした、ただの思い込みだよ」

「えっ?」

 こんな時に、何を言っているのだろう?

 錯覚? 思い込み? そんな悠長な事を言っている場面ではないだろう。そもそも原因はゼノスな訳で、そもそも何でゼノスは俺を投げたりしたんだ?

 あれ? 頭の中が可笑しい。沢山の事を考えてしまって、一つの事に集中できない。もしかして、錯乱している?

「少し、やり方を変えた方が良さそうだ」

 言いながら、ゼノスは微笑んだ。

「ここは教室だよ」

 周りを見ると、本当に教室の中だった。俺が焔姫に連れられてきた時と、何ら変わらない。窓ガラスは割れていなくて、変わったのは女の子が一人増えているだけ。

「今見せたのは、全て僕の創りだした幻覚だ」

「へ?」

 そう言えば、頭のズキズキした痛みがない。手に付いた血も消えていて、触ってみるが頭には血の流れた痕はなかった。全てが消えていた。

「嘘みたいだ」

「嘘だよ」

 俺が口にすると、ゼノスがまた続けた。

「嘘?」

 一体どっちが嘘で、どっちが本当なんだ?

「今起きた事は、全て本当だ。君の感覚は思い込みだ」

「はい?」

 理解力はある方だと思っていたのだが、どうやら駄目だったようだ。

「いいかい? 僕は君をここから投げ飛ばした。結果、君は痛みを訴えて血を流した」

「ちょっと待て」

 話が飛びすぎていて、付いていけない。そもそも、根本的に有り得ない。

「まぁ、慣れない間は仕方がないだろう。でも、一つだけ聞いておくよ?」

「?」

「君は焔姫君に地面に叩き付けられて、痛みを感じた筈だ。今はどうだい?」

「それは……」

 そう言われれば、体中の痛みがない。

 もしかすると、焔姫にあった時から全てが幻覚だったのだろうか? 今だって、全てが幻覚かもしれない。俺は夢を見ていて、変な妄想をしているのかもしれない。

「どう思おうと、全ては君の自由だ。でも、想像一つで神の光は自由自在に変化する。それがこの世界の法則だ」

 法則? ここには痛みも何もなくて、想像と思いだけで何もかもが出来ている? そして俺の身体も、神の光の一部でしかないのか?

「ではまず、君に名前を授けよう」

「名前?」

 俺は、俺だ。月嶋戒以外の、何者でもない。

「オーイラ」

「はい」

 オーイラと呼ばれた少女が前に出て、俺に礼儀正しく礼をして見せた。今更ながら、なぜセーラー服などを着ているのだろう?

「あらためまして、私はイリス・オスファルト・アスニヒル四世と申します。どうぞオーイラとお呼びください」

「はぁ」

 何というか、もったいない人だな。せっかくの可愛い名前が台無しだ。それに名字からして、やっぱりゼノスの関係者なのだろう。二人の異常な優雅な雰囲気は、王族だからか?

「オーイラには、君の名前を神から預かって貰っていたんだ。どうやらここでの君の名前は決まったらしい」

「そんな事を言われても……」

 ゼノスの言葉に一歩下がると、今度はオーイラが近づいてきた。

「神託により、貴方はこれより千竜と名付けられました。よろしくお願いしますね。千竜さん」

「ち、りゅう……?」

 何だそのふざけた名前は。それ以前に、それは人間の名前なのか? 明らかに名前ではない気がする。

「そう言う事だ。よろしく頼むよ、千竜クン」

「改めてよろしくね、千竜」

 ゼノスと焔姫が笑いかけてくれるが、俺は首を傾げるしかない。俺の事をしっかりと見ているのに、他人の名前を呼ばれている気分だ。

「その変な名前で呼ぶな」

「神から授かった名前が気にくわないのかい?」

 ゼノスが首を傾げて、焔姫とオーイラが少しだけ眉をひそめた。よく分からないが、みんなの機嫌を損ねたらしい。でも、俺は何もやっていない。それに突然変な名前を受け入れろと言う方に無理があるだろう。

「何でだ? お前らはどうして……」

 そこまで神と言うものに執着している?

「やめにしよう」

 そう言って、ゼノスが手を叩いた。俺の言葉は途中で途切れて、残りの二人はゼノスを注視していた。

「彼はこの世界を、まだあまり知らない。誰もが、最初は無知だ。僕しかり、君たちしかり、彼もそうだ。昔の僕たちと同じだ。異論はあるかな?」

「いいえ」

「あたしも……」

 ゼノスの諭すような言葉に、二人の少女はあっさりと頷いた。まるで信者だと思った。ずっと思っていたが、ここでの権力はゼノスに一任されている気がする。何があっても、二人がゼノスに刃向かう事はないと断言できる何かがあった。それは生きてきた年月なのだろうか? この世界に存在している時間だろうか? それともゼノス自身に何かがあるのだろうか?

「では、本題に入ろう」

「はい?」

 本題と言われても、今までのが十分に本題ではなかっただろうか?

「このキャンバスに色を付けてくれ」

 キャンバスと言われても、画材道具も何もない。

「やっぱり、学校と言えば木で出来てるよね!」

 唐突に焔姫が近づいてきて、同意を求めるように叫ばれた。

 確かに、学校は木でも出来ている。

「土で出来た学校というのもありますわ」

「それは何か違うと思うよ」

 確かに、それは何か違う建物の気がする。

「では、やはり煉瓦造りでしょか?」

 アメリカの学校だろうか? 何となくそんなイメージだ。

「それも何か違うような」

「形自体を間違えたのでは?」

「それは大丈夫だと思うよ? 十分オーソドックスな感じだし」

 何を中心にオーソドックスなどと言っているのだろう? そもそも二人は何の話をしたいのだろう?

「そうかしら? 私が見た中には楕円状に机を固定しているものもありましたわ」

「あたしは見た事ないよ」

 それは大学とか、公民館などの事だろうか?

「僕は大理石で造られているのが基本だと思うよ」

「タイルで出来た学校もありましたわ」

「それは厳しくない? やっぱり形はこのままで良いと思うよ」

 ゼノスが間に入ってきたのに、軽くスルーされている。ゼノスに少しだけ権力者のイメージを持ったのだが、やはり気のせいだったのだろうか? それともやはり女の会話に男は入れない因果なのだろうか?

「では黒板は白で」

「オーイラちゃん、それじゃ黒板じゃないよ。黒板は青でしょ?」

 青って何だ? 想像しただけで気持ち悪い。それにオーイラの言っているのは明らかにホワイトボードだろう。

「青とは現代の緑の事ですか? どちらにしろ黒くないなら何色でもよろしいのでわ?」

 黒板は変な色では困る。そもそも赤とか黄色とかだったりしたら、目に悪すぎるだろう。

「それも、何か違うような」

 俺の考えを代わりに焔姫が口にしてくれるが、何故だか嬉しくない。考えが近いのは国が同じだからだろうか? 本当なら可愛い女の子の同意を快く思いたいが、焔姫自体が問題発言をしているのでそっちの方が感にさわった。

「あのー……」

 俺が声を掛けると、二人の少女は同時に振り返った。

「なあに? 千竜」

「意見があるならどうぞ」

 どうやら二人は他人の意志を尊重する事を知っているらしい。意外だが、このままいつまでも蚊帳の外では困る。全然、付いていけない。

「二人は何の話がしたいんだ? ゼノスの言ってる事も理解できなかったし」

 キャンバスがどうとか言ってたが、そもそも色すらない。

「話の議題は学校だ。そして全ては君に託されている」

「はぁ……」

 やはり話は学校の事らしいが、説明が簡潔すぎて分からない。しかも俺に託されても、迷惑だ。

「二人も、これは千竜クンの為の企画だろう? ここは何も言わずに彼に一任しよう」

「そうですわね」

「異論なし!」

 みんなが笑顔で俺を見るが、何を求められているのか俺には理解が出来ない。ただ確かに感じるのは、理不尽さだけだ。

「どうしたんだい?」

 ゼノスに問われて、全てはお前のせいだと言ってしまいたい。でも意味不明な名前から今の状況まで、下手に口にするとさっきみたいに悪意を向けられそうだ。

 理解は出来ないが、ゼノスは俺の為だと言っている。俺の基準でそれがどの程度のものかはともかく、三人はあくまでも俺の為と思っているのだ。ここはぐっと堪える事にしよう。

「学校って、ここの事だよな? 悪いが一から説明してくれないか? さっきから三人の会話が噛み合っていないというか、俺には理解が難しそうだ」

「はーい!」

 俺が説明を頼むと、焔姫は元気よく椅子に座って手を挙げた。それに習うようにして、なぜかオーイラまでもが席に着いた。

「はーい、先生!」

 焔姫がしつこく手を挙げ続けている。もしかしなくても、これは学校ごっこでも始めるつもりなのだろうか?

 俺は話が進まないので、もう展開は任せる事にした。仕方なく教壇に立って、俺自身驚くほど感情のこもっていない声で焔姫を指差した。

「はい、焔姫君」

「説明はゼノス君がしてたと思うけど、ここは千竜の時代というか、世界観に合わせてあたし達が造ったの」

 そう言えば、ゼノスは俺が驚かないように配慮したような事を言っていた。残念ながら焔姫のせいで全ておじゃんになっているが、そこには気が付いていないようだ。

「それで、何で学校になったんだ?」

 もっとこう、家とか普通のものは考えられなかったのだろうか?

「はい」

 今度はオーイラが軽く手を挙げて、俺を見た。一々呼ばなきゃいけないのが面倒だが、進行の邪魔はしない事にする。

「はい、オーイラ君」

「千竜さんの死んだ場所が学校との事をふまえて、日常的に利用していた場所を選ばせていただきました」

 普通に考えて、最低な理由だ。俺がもしも陰湿なイジメにあって自殺していたら、学校に逆戻りなど悪夢だろう。そこの配慮はここの人達には頼めないのだろうか?

「まぁ良い。じゃあ、色を付けるってのはどういう意味だ?」

 今度はゼノスが無言で手を挙げた。きっと気分は優等生だ。

「はい、ゼノス君」

「見ての通り、この学校には色が存在しない」

 それは見るだけで分かる。

「学校の形は、それぞれの知識を合わせた妥協案で決まったが……残念な事に色彩に関しては意見が分かれた。材質などの問題もあって、色については千竜君に一任しようという訳だ」

「なるほど」

 学校と言うものの常識がかなり偏見されていたのは、それぞれの知識や習慣の問題だったのだろう。

「色はともかく、俺には特別な美術の才能はないし、やろうにも画材道具の一つもないのだが?」

「はーいはーい!」

「はい、焔姫君」

「ここは想像が形になる世界だよ? 千竜が望めば、色は勝手に生まれるよ」

 それは凄いな。でもなるほど、自由に形が出来るなら色も同じなのだろう。そんな斬新な考えはこの若造には予想だも出来ませんでした。

 今度はゼノスが手を挙げた。

「はい、ゼノス君」

「僕たちが纏っている色は、全て想像によって出来たものだ。深くは考えずに、まずは試してみればいいよ」

 先程から教師と生徒が逆転している立場が気になるが、ここは深くは考えずに言われたとおりに試してみよう。それに何だかんだと、俺以外はこの学校ごっこを楽しんでいるらしい。

 まず最初に目に付いたのは、黒板だった。もちろん色は黒に近い深緑で、光沢は殆どない。考えながら目を開けると、そこには色が生まれていた。驚きはしたものの、なぜか納得している俺がいた。

 他も試そうと、次々と色や材質を思い描いた。

 黒板の縁はアルミ製で、光沢のない鋼色。

チョークは白・ピンク・青・緑で、どれも薄い印象である。

 地面はリノリウム製で、廊下は淡い緑色だ。そう言えば、教室の地面は木製になっていた。綺麗に編み目が組まれていて、ワックスで光沢があった。

 机と椅子は木と鉄で作られていて、机の上はなぜか作り物めいた木目模様が印刷されていた。鉄パイプの塗装ははがれ落ちているものも見うけられたように思う。

 考えれば考えるほどくだらない事も思いだして、気が付くとそこはしっかりとした教室に変わっていた。先程までどこか現実味がなかったのは、色が付いていなかったからなのかもしれない。

「凄い……」

 試しに近くの机を持ち上げてみたが、重さから材質まで完璧である。さながらここは魔法の国だ。

「少々、想像していたのと違います」

 オーイラが物珍しげに教室内を見渡した。彼女の場合は、学ぶ場所を全て同じ物としている節がある。今回は高校がメインだと思ったのだが、考えは人それぞれだろう。それに実際に日常としてとらえるのと、見ているだけでは印象が違うのかもしれない。

 それに一番驚いているのは、間違いなく俺だろう。焔姫は喜んでいるようだが、特別に驚いてはいない。

「何だか広いな」

 俺の印象では、もっと学校は狭かった。何処に行っても人で溢れている。それが俺の知っている学校だ。

「人数が少ないからね。広く感じるのは仕方がないだろう。直ぐになれる」

「そうか」

 ゼノスがそう言うのなら、そうなのだろう。そもそも、全ての固定概念を覆すのがこの世界なのだ。

「ん?」

 そう言えば、ここには俺を入れて四人しか存在しない。広くて当然の事だろう。普通ならこの教室に二十人近くが居るはずなのだ。空席の教室とは、何とも空しいものだ。

「では、そろそろ自由行動にしよう。千竜クンの事は、焔姫クンに一任するよ」

「りょーかい!」

「はぁ?」

 ゼノスは自ら自由行動と言いながら、動く気配はない。オーイラは軽く頭を下げて立ち去って、俺は焔姫に腕を掴まれた。そのまま勝手に腕を引っ張られていく。

「そうそう。彼に挨拶するのを忘れないようにね」

「うん、分かった」

 焔姫はニコニコとゼノスの言葉に頷いて、勝手に話を終わらせてしまった。いっそここまで自分勝手だと、賞賛に与えする。

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