第7話 剣の本

 暑い季節になり、天気のいい日の日中は外を出歩く人間も少なくなってきた。日が昇りきる前に買い物を済ませたい人達で店先はごった返している。

 三日月通りのパン屋も同様だった。

「あいよ、パン三つ」

「こっちは新作をくれ」

「はーい。三日月パン二つだね」

 以前古書店の店主に味見してもらった新作パンは、通りの名を取って「三日月パン」と名付けられた。ハゲ親父の店の新たな名物である。


 そろそろ日が中天にさしかかろうかという頃になって、ようやく客がはけた。やれやれと店員が一息ついた所に、店の入り口から一人の客が入ってくる。

「らっしゃーい」

 軽い口調で言ってから店員が客に向かう。この辺りの人間でないのは一目でわかった。

 すり切れた日よけのマント、埃に汚れた靴、服も所々ほつれたりシミがついていたりする。長旅をしてきた人間だろうか。

「何にしやすかー?」

 店員は人の良さそうな顔で注文を聞いた。だが客の口から出たのは、パンの注文ではなかった。

「この辺りに、古書店があると聞いてきたのだが」

「こしょてん?」

 店員は首を傾げた。この付近に書店と名の付く店などあっただろうか。彼が答えに窮していると、店の奥から店主のハゲ親父が出てきた。

「古書店ってーと、もしかしなくてもばあさんのとこか? あんた、あそこに用事かい?」

 親父の言葉を聞いて、店員の方がぎょっとしていた。彼も店主の評判はもとより、店に買い物に来る当人を見て知っている。

 それに、あの店に買い物に来る客には訳ありが多い、というのがもっぱらの噂である。よく見てみれば、目の前の人物も店員には訳ありに見えた。

 ハゲ親父の陰から窺う店員の前で、客はハゲ親父に向き直っている。

「ばあさんというのが誰かは知らないが、この通りにある古書店とだけ聞いている」

「ああ、それじゃあ多分ばあさんのとこだな。おい、お前ちょっとこのお客さんを案内してこいや」

「え?!」

 思いがけないハゲ親父の言葉に、店員は飛び上がる程驚いている。

「お、俺がですかい?」

「何驚いてるんだよ。すぐそこじゃねえか」

「い、いや……でも……」

 何があるという訳ではないのだが、あの店にはどうにも近より難い。よくこのハゲ親父は頻繁に訪れる事が出来るな、と内心思う程だ。

 だが店員の焦りを余所に、客はあっさりハゲ親父の申し出を断った。

「店主。すぐそこだというのなら口頭での説明で構わない。そこまで手間をかけさせるつもりはない」

「そうかい? まあ、確かに店はここから近いから、迷いようはないけどよ」

 ハゲ親父はそう言うと、店を出て通りの奥へ向かって行くよう指示した。

「看板が出てるからすぐわかるだろうさ。この通りで本屋はあの古書店しかないから」

 確かだった。大通りにいけば書店は他にもあるが、この通りに書店は魔導古書店以外に存在しない。

「感謝する」

 客はそう言うと、さっさと店から出て行った。その後ろ姿を見送った後、店員がぼそっと呟く。

「あの客、商品買っていきませんでしたね」

「そうだな……まあ、ばあさんのとこの客なら、パンには用はないだろうよ」

 ハゲ親父はそう言うと、店の奥へと戻っていった。


 パン屋を出た客は、程なく古書店に辿り着いた。確かにすぐにわかる店構えだ。

 扉を開けて中に入ると、不機嫌そうな老婦人がこちらを睨んでくる。

「何か用かい?」

 声にまで不機嫌さがにじみ出ていた。確か先程のパン屋で厳つい大男がこの古書店を、「ばあさんのとこ」と言っていた。

 では、この老婦人がこの店の店主という事か。そうでなくとも他に人影が見当たらない。

 客は店内をぐるりと見回した。大きな本棚には本がぎっしりと詰められている。他にも店内にあるテーブルの上に積み上げられているようだ。

 さて、自分の欲しい本は本当にこの店にあるのだろうか。客はものは試しと店主に問うてみた。

「『剣の本』という本を探している。心当たりはないか?」

 もう随分とあちこちを探し歩いた。噂を聞きつければどこにでも向かった。だが、そのどれもが「はずれ」だったのだ。

 今回の噂も、そんな中に紛れていたものだ。正直また偽の情報ではないのかと疑ったが、今回はほんの少しだけ信憑性がある。

 何しろ、この国の魔導士の最高位にある人物が懇意にしている店なのだから。

 その割には、こぢんまりとした店だ。古書店というだけあって、店の中には大きな本棚がみっしりと置かれていて、棚にはこれもみっしりと本が詰まっている。

 新しいか古いかまではわからないが、どれもが曰く付きの「本」なのだろう。

 客の質問に、店主はしばらくじっと客の顔を見ていたが、やがて深いため息を吐くとカウンターの向こうから出てきた。

「まさか、こんな小僧がねえ……」

 何やら、腹立たしい一言を言われた気がする。だが、店主の老婆は特に気にした風もなく、客の前を通り過ぎると、窓際に置かれたテーブルの上から、一冊の本を手に取った。

「こいつがお探しの本だよ」

 そう言って、客に手渡す。赤い表紙には、何も書かれてはいない。

「これが……」

「おっと、ここで開くのはよしておくれ」

 店主は今にも開こうとしていた客を止めた。中身を確認するくらい、いいではないか。そう不満げに客が言えば、店主の老婆は首を横に振った。

「あんた、話は聞いてきたんだろう? ここでその本を開けば、本の持ち主はあんたじゃなくなるかもしれないんだけど、いいのかい?」

 客ははっとした。確かに、本を開くのは一人の時にしろと、散々言われたのを覚えている。

「それは、これが本物だったら、の話だろう?」

「失礼な小僧だね。この店には偽物なんざ一冊もないよ」

 店主の一言に、棚の上から一冊の本が落ちてきた。まるで、棚から誰かが取り出してそこに放ったように。

「お前さんが憤る事はなかろうよ。偽物とついちゃいるが、『本物』なんだから」

 不思議な老婆だ。まるで本が生きているように語りかけている。それにしても、偽物とついていても本物とは、どういう事だろう。

「店主、その本は――」

「こいつはあんたには関わりのない本だよ。目当てはそいつだろう? いい加減、手元に置いておくのもうんざりしていたんだ。とっとと持っていきな」

 老婆に心底嫌そうに言われた客は、慌てて懐から金を取り出すと老婆に渡した。

「これで、足りるだろうか?」

 渡された袋の中身をちらりと見た老婆は、また深い溜息を吐く。足りなかったのだろうか。

「あんたじゃなきゃ、もっとふっかける所なんだけどね。欲を出すには相手が悪すぎる」

 客は首を傾げた。自分など、大した事はない。国でも末端の剣士の一人に過ぎないのだ。

 その考えが伝わったのか、店主は嫌そうな顔をさらに歪める。

「あんたじゃないよ。悪い相手はあんたが持っているその本の方さ」

 つい、客は手に持った本に目線をやった。本当に不思議な老婆だ。

「代金はこれでいいよ。さあ、その本を持ってとっとと出ていきな」

 追い立てられるように、客は店から出る。あの態度で、客商売がうまくいっているのだろうか。

 いっているのだろうな。噂では、あの店にある本は、どれも余所では手に入らないものばかりだという。

 世界でただ一冊の本。しかも、不思議な力を持っている。誰でも喉からでが出るほど欲しいだろう。

 だが、不思議な本は手に入れるときもそうだが、使う時にも用心が必要だと聞いている。間違った使い方をすると、自らの命を縮める結果になるのだとか。

「それでも……」

 どうしても、客にはこの本が必要だった。剣の本。古今東西、ありとあらゆる剣術が載っているという本。

 それだけではない。持ち主に、その剣術を授けてくれるのだ。読むだけでいい。それだけで、過去の英雄達が使った剣の術を体得出来るなど、夢のような話ではないか。

 それだけに、この本の「副作用」は強いと聞く。剣の術を体得出来るのは、本を開いたただ一人のみ。

 他者に教える事も出来ず、他者が教わる事も出来ない。

 そしてもう一つ、嫌な副作用があると聞いている。この本の持ち主は、生涯独身で過ごすのだという。

 一節には、強すぎる剣の腕を持つ為に、戦に駆り出されて早死にするからだとも言われている。

「いいさ、構わない」

 元々親も兄弟もいない。現在付き合っている相手もいない。この先も、家庭を持つ予定はないのだ。

 客は買ったばかりの本を小脇に抱え、三日月通りを後にした。


 数十年後、一人の剣術家が死んだ。平均寿命を遙かに超える年での、大往生だった。

 彼は若い頃に体得した剣の技術を使い、魔物に苦しめられた故郷を救った事で知られている。その後も辺境を渡り歩き、剣術の修行と称しては魔物に苦しめられる名もなき人々を救い続けたという。

 彼の死の床には、長年連れ添った妻と彼女との間に生まれた子供ら、その孫らが集い、誰もが剣術家の死を悲しんだそうだ。

 彼等だけではない。剣術家に救われた村々からも人が訪れ、彼の死を悼んだという。

 彼は死の間際まで、一冊の本を大事に抱えていた。赤い表紙のその本は、表紙には何も書かれておらず、中を開いても白い頁が続くばかりだったそうだ。

 その本は、彼の死と共にいずこかへと消えていった。


 古書店の窓際のテーブルには、いくつかの本が積み重ねて置いてある。朝の日課である掃除をしている店主の目に、赤い表紙が映った。

「……随分長いこと一緒にいたようだね」

 店主は赤い本を持ち上げると、裏表紙を開いた。そこには、あの客のものと思わしき名前と、享年九八歳という文字、それと妻と子供、孫らの名前が全て書かれていた。

 それを目にして少しだけ驚いた店主は、再び本をテーブルの上の定位置に戻す。

 どうやら、あの客は人に向けて剣を振るわなかったようだ。

「おばあちゃん、どうしたの?」

 いつ入ってきたのか、気配も感じさせずに魔導士長が店主の背後に立っている。

「何でもない」

「あ、それ。剣の本ね。そういえば、しばらく店頭から消えていたようだけど」

「ついさっき、戻ってきたのさ」

「ふうん」

 魔導士長は、先程の店主と同じように裏表紙を開けた。そこに書かれた文字を見て、彼女は素直に驚きを露わにする。

「凄いね、この人。この本を使って、一度も人を傷つけなかったんだ」

「だろうね」

 店に来た時も、この本を手に入れようとする人間にしては、随分と「おとなしい」と思ったものだが、まさか一切人を傷つけなかったとは。

「この本、人間が好きだものね……」

 魔導士長がぽつりとこぼした。この本を手に入れて剣術を会得した人間は、その殆どが人との争いに使っている。

 この本は人が好きな為に、自らが与えた剣術で人を傷つける事を酷く嫌う。噂で出回っている「副作用」とは、戦に使われた本が戒めとして持ち主に与えた罰のようなものだ。

 その代わり、一切人を傷つけなければ幸せな人生を送ることが出来るという。それが本のせいなのか、単にそういう人間だから幸福を得られるのかはわからない。

「久々にいいもの見られたな」

 そんな事を言いながら、魔導士長は何も買わずに店を後にした。店主もカウンターの向こうで、いつもの手作業に入る。

 その口元には、珍しく笑みが浮かんでいた。

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三日月通りの魔導古書店 斎木リコ @schmalbaum

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