第31話:微睡の中の真実
夢を見ていた。
過去の夢だ。
小さい頃、母親が亡くなった時の夢。
当時のままのその光景は、ゆっくりと私の周りを流れる。
夢の中の私はどこか広い公園の中で誰かを捜してとぼとぼ歩く。公園を見渡せるほど視界は高くなくて、そんなに大きくもないが決して狭くもない公園を私は歩き回ってその人物をさがす。
足取りはどこまでも重く、しかし『謝らなくては……』と、そんな訳の分からない使命感に刈られた私の足は止まるところを知らなかった。
程なくして目的の人物を見つけて、私はそっと近づいた。短髪と言うには少し長い髪を後ろで結んだその青年は、公園のベンチに腰掛け、少し俯いたまま物思いに耽っていた。
「おにいちゃん」
そう呼びかけると、はっとしたように顔を上げ、そして少し驚いたように目を見張った。
「あずさ、おにいちゃんとの約束やぶってごめんなさい。今日はそれだけ言いにきたの」
母の誕生日プレゼントに贈る花冠を一緒に作ってもらう約束をしていたのに、私はそれをすっぽかした。彼は怒っていないだろうか? そう思い、顔色をうかがうようにそっと見上げると、彼の優しい瞳と目があった。
「大丈夫なのか?」
その一言で彼が私の事情を知っているのを理解して、私は少し考えた。どう答えるのが一番なのだろうか、そればかりが頭をよぎる。
これ以上私のことで大人たちを振り回してはいけない。“かわいそうな子”とも思われたくない。何より、元気にしていることが死んでしまった母へ出来る最後のことなのだろうと思う。
「おにーちゃん何でも知ってるんだね。……おかーさんはお空のお星さまになっちゃったけど、あずさはその分元気に生きなくっちゃ!」
「そうか」
彼はそう一言だけ呟いて、大きな手で私の頭をゆっくりと撫でた。
「俺の母親が亡くなったとき、俺は泣いた……と思う。感情の儘に周囲に当たった。お前は偉いな」
「うん」
彼も母を亡くしていると聞いて、親近感が増す。彼はどうやってこの辛い胸の痛みを克服したのだろう。収まることのない思い出のフラッシュバックにどうやって耐えたのだろう。
私はどうやって耐えればいいのだろう。
「だが、別にこういう時は偉くなる必要はないんじゃないか?」
「うん」
「泣いてもいいぞ」
「うん」
『泣いてもいい』と彼は言う。けど周りの大人達は泣かない私を『偉い』と誉めたじゃないか。
どうしたらいいのかわからないまま、幼い私の涙腺は彼の言葉でいとも簡単に緩んだ。
「だめ。あずさ泣いちゃったら、もう本当におかーさんに会えない気がする」
緩んだのは涙腺だけじゃなく心の方もで、やっぱり幼い私は心の中にしまい込んだ本音をぽろりとこぼした。
もう母に会えない事は、煙突から送られる煙を見ながら理解した。した気でいた。けれどこれは夢なんじゃないかと疑う私も確かにいて、泣いてしまえば、今この瞬間を現実だと認めてしまう気がして泣きたくなかったのだ。
大きな彼の手がまたゆっくりと頭を撫でる。困ったような、それでいてやっぱり優しい彼の顔にもう私の瞳のダムは決壊した。
母が死んだことで、嗚咽を漏らすように泣いたことはあったけれど、大きな声を上げて泣きじゃくったのはこの時が初めてだった。
「忘れてもいないし、思い出すと今でも悲しいが、大概の事は時間が何とかしてくれる」
泣きやんだ後、悲しくなくなる秘訣を聞いた私に彼は少し困った顔でそう言った。
ベンチの隣に座り、彼の顔をのぞき込んでにっこりと笑うと、彼の瞳の片方が色が違うことに気が付いた。
「赤いの? おめめ?」
「ーーーーっ!」
咄嗟に隠された両目を見たくて、私は彼に詰め寄った。私が五センチ進めば、彼は五センチ後ろに下がる。
目の前の彼は明らかに動揺していて、それが面白くて私は身を乗り出した。
彼の指の間から隠れた赤がゆらゆら揺れるのが見て取れる。
炎の赤色というよりは、少しだけピンクが混じったような赤色。私の脳裏に浮かぶのは先日図鑑で見つけた宝石の名前だった。
「きれいね! おにーちゃんのおめめ!」
「……は?」
あの赤い輝きをもう一度見たくて、私は手の隙間から彼の瞳をみようと必死になる。そんな私を追い払うかのように彼は抵抗をした。
「やめろ」
「宝石みたいね! おにーちゃんのおめめ! るびーって宝石みたいね!」
思ったままにそう言えば、彼は変な顔をして固まった。異質な物を見るような目で見られて、私は訳が分からなくて首を傾げた。
そして、その影が急にブレた。
辺りの景色も変わって、私は一瞬で成長する。
ベンチに座っていたはずの私は誰かに抱えられていた。そして私は、私たちは空を飛んでいた。比喩ではなく、本当に。
私を抱える男の人の背中には黒い靄のような羽が生えている。辺りは暗くて顔はよく見えないが、あの時のおにいちゃんに彼はそっくりだった。
おにいちゃんよりは髪の毛も短くなっていたし、少し雰囲気も大人びたような気もするが、ルビーのような赤い瞳はそのままだ。
「綺麗ですよね。ちょっと目立ちますが、ルビーみたい」
何も思い出していない過去の私は、しがない話題としてそんな風に言った。彼は数回瞬いて、“おにいちゃん”と同じように変な顔をした。
そして、“おにいちゃん”とその男の顔が重なる。
あぁ、やっぱり同一人物だったのか。
そう理解した瞬間に、まぶしい光が網膜を焼いた。
ゆっくりと瞼を開ける。最初に目に入ったのはこの数ヶ月間お世話になっている見知った天井だった。
「梓?」
怖々とそう呼ばれた声に顔を向ければ、先ほどまで私を抱き上げて空を飛んでいた男と目があった。微睡む頭は夢と現実の区別があまり付いていない。だから私は彼をこう呼んでしまった。
「おにいちゃん?」
その言葉を聞いて、彼は面白いぐらい大げさに顔をしかめて、固まった。
◆◇◆
「おにいちゃん?」
その言葉に紅哉は固まった。
彼が梓にそう呼ばれたのはもう十三年も前の話で、彼女はその事を覚えていないはずだった。
「……何か思い出したのか?」
紅哉はベットに横になる梓の頭を撫でながら、そう問いかける。その言葉に梓も瞠目した。
「え? やっぱり紅哉さんが“おにいちゃん”?」
「……」
「本当に? 何で? 私、紅哉さんと小さい頃会ってたんですか!? というか、あれ十年以上前の話ですよね? 紅哉さん見た目変わってないですよね?」
「…………」
「……紅哉さん?」
「……お前の疑問も尤もだと思うし、色々答えてやりたい気もするんだが、とりあえず」
紅哉から不穏なオーラが出てきて、梓は思わず小さく悲鳴を上げた。
これは怒っている。完全に怒っている。
とりあえず怒られる原因を考えようとして、すぐに思い当たった。
(私、紅哉さんに陽太を殺させたくなくて、邪魔したんだった!)
紅哉と陽太の間に入っていった所までは明確に覚えていて、それからの記憶がない。どうやら誰かに昏倒させられたようだ。体も痛まないので怪我はしていないのだろう。
「ご、ごめんなさい。邪魔しちゃって。でも、あの時は私も必死で……」
「…………」
「でも、やっぱり陽太君を殺してほしくなくて、紅哉さんが傷つくの見たくなかったし……」
「…………」
「あ! そうだ! 陽太どうなったんですか!? 無事なんですか!? 紅哉さん殺してませんよね? 大丈夫ですか? 紅哉さんも怪我してませんか?」
「……もういいから、しゃべるな」
「へ?」
その瞬間にベットからそっと起こされて、梓は紅哉に抱きしめられた。背中に腕を回されて苦しいぐらいに締め付けられる。梓はこれでもかというくらい混乱した。なにがどうして怒られる予定が抱きしめられる予定に変わったのだろうか。厚い胸板からはいつもより早い鼓動が聞こえてくる。
「生きてるな」
「はい。生きてます」
「痛いところは? 何か変わったところは?」
「大丈夫です。いつも通りです」
「体が熱いぞ。熱があるのか?」
「……いえ、多分紅哉さんの気のせいです」
抱きしめられたまま質問に答える。最後の質問だけは正直に答えられなかったが。
紅哉はゆっくりと体を離し梓に向き合った。
そして……
「今度あんな危険な事したら、椅子に縛り付けて一歩も外に出さないからな。わかったか?」
最上級に恐ろしい顔で梓はそう怒られた。
アカオニの契約者 秋桜ヒロロ / 桜川ヒロ @hiroro1213
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