エピローグ
「後味悪すぎだ」
「ほれ」
鶫山警部が差し出したのは報酬の10万円ではなかった。それはすでに貰っている。いらないと拒否したが、「命がけのボランティアなどすんじゃねぇ」と強引に渡された。
二日間の旅で稼いだ金と、10万円の報酬によって、今月分の家賃、水道、光熱費が問題無く払えるほど稼ぐことできた。
だけど最悪な後味だ。あれ以来、夢見が悪かった。ガッポリと金が入っても、喜べない自分がいる。
「どうした、飲んでみろよ」
醤油を入れる小皿にはいった豚汁の汁だ。警部のいる台所は、夕飯の良い香りが漂ってくる。言われた通り、俺は飲んでいく。
「ちょっと薄いかな?」
小皿を警部に返す。豚のバラ肉の他に大根、にんじん、ジャガイモ、こんにゃく、ネギ、と具だくさんな豚汁だ。
他にも、鶏ひき肉で作った照り焼きハンバーグ、ほうれん草のおひたし、を作っている。
「なら丁度良いってことだ。おめぇのような若造は濃い味に慣れすぎなんだ」
「三十近いんだ。もう若くない」
「俺も一吹先生の頃はそう思っていた。だがな、四十過ぎの俺から見たら若造もいいところだ。六十代から見りゃ、この俺も若造なんだろうよ」
警部は、娘の愛利のための夕食を作っている。彼は、エムストラーンに関連する事件の調査のため、日本中を飛び回っている。
父娘が一緒にいられる時間は少ない。
娘が父を嫌っているのもあって、殆どないといって良かった。
それでも、親として何かしてやりたいのだろう。
鶫山警部は、異世界転送機を自由に使うことができる。転送機を利用すれば、北海道からでも、東京にある我が家まで数秒で帰ることが可能だ。電車、飛行機などの移動時間を短縮できるので、その空いた時間を利用して、愛娘のご飯を用意するのを日課にしていた。
「愛利のやつよ。俺がせっかく作っても、残すことが多いんだ。全く手を付けず、ゴミ箱に捨てられていたことがあった。ありゃショックだわ。食べ残しがなくなったのは、一吹先生が来るようになってからなんだ」
だから作りがいがあると、警部は嬉しそうにする。
「俺よ、一吹先生ならやってくれると思っていたんだ。うん、調子良いこと言ってやがると思っているだろ? その通りだ、本当にやるなんて思っちゃいなかった」
「愛利のこと?」
「そっちもだが、俺が言いたいのはそっちじゃねぇ」
リビングにあるテレビを顎で示した。60インチもの大きさだ。台所からでも問題無く観ることができる。
午後のニュースが付けっぱなしになっている。
畝川総司の死体が茨城にある実家で発見されたことを報道していた。首を吊っての自殺となっていた。ナイフで刺されていることは、一切ふれられていない。
「警察って嘘つくんですね」
「今更だろ。事実を流した所で、誰も信じちゃくれねぇよ」
「短剣で刺されるのは、地球でもあり得ることじゃ?」
「骨や内臓があんな綺麗にスパッと切れる刃物が存在するなら教えてくれと、鑑識が驚いていたぜ」
あれも、地球上ではありえない死体というわけか。
「刺し傷は17だ。相当、恨んでいた奴の犯行だな」
「相当、恨んでいたからな」
殺された恋人の復讐だ。
「ムトウメグミは25歳、職業は看護師。畝川の二番目の被害者だ。どう殺されたかは、言うまでもないだろう。無残なものだ」
警部は、お玉杓子かき回していた手を止めて、鍋の火を止める。
「おめぇ、一緒に冒険していた、その、メグミの婚約者の名前を知りたいか?」
つまり、エムストラーンでメグミだった男の本当の名だ。
「いや」
知らないほうがいいだろう。
「もしかして、彼に会ったのか?」
「畝川を殺したと自首しにきたんで、俺が聴取したんだ」
「彼はどうなった?」
「妄想も大概にしろと、警察署から追いだしたよ」
「それでいいのか?」
相手が快楽殺人者とはいえ、人を殺そうがお咎めなし。それどころか、殺したことすら認められなかった。
「いいんだ。こっちは畝川を発見できて万々歳。奴だって、愛する女を殺した男に復讐できて万々歳。ハッピーエンドじゃないか」
「俺にとってはバッドエンドだ」
警部が愛利を連れて行くのを禁じたのは、この結末を予想していたからだろう。その通りだ。小学生が見ていい光景じゃない。愛利がいなかったのは不幸中の幸いだ。
「畝川総司は、強姦殺人をしたあとは、エムストラーンに逃げていた。そこなら警察の手が入らないと踏んでのことだ。エムストラーンで、何日、いや何週間と隠れていた。ネオジパングには地球の人間どもがわんさといる。だが、裏の顔は別人となっているんだ。自分がお尋ね者であるとバレる事はない……はずだ」
「チュートリアルのデフォルトの顔になっていた」
「分かりやすい顔だな。それなら情報がちっとは来たはずだが、なかったということは、人目を避けて、ネオジパングにはろくに行ってなかったってとこだ。奴は、人のいない土地を点々としていた。旅をし回っていたということだ。そして、女を犯したくてウズウズしてきたら、地球に戻ってくる。ターゲットとなる女を見つけて、殺人を犯していった。終われば、エムストラーンに隠れる。その繰り返しだ。エムストラーンで休み、地球で狩りをするという、一吹先生のようなイェーガーとは逆のことをやっていた」
「メグミの婚約者は、そのことを警察よりも先に知った」
「彼もエムストラーンに行き来していた。それで俺たちよりも早くに分かったんだろう。警察よりも先に捕まえて、復讐をする決意をしていた」
「だが、畝川がどんな姿でエムストラーンにいるのか分からない」
「それで、恋人の姿となった」
それが畝川を見つける、唯一の手がかりとなるはずだった。
ヨシワラの『タコボウズ』というそば屋で俺たちを見つけたのは偶然だった。
人相書きを見て、俺が畝川のことを探していることを知った。店を出て行った後も、去ることをせず、俺とセーラの会話を聞いていたのだろう。セーラの声は大きい。店の外からでも、なにを話していたのか筒抜けになっていた。
それで、先回りをしてテナシナザルを探すことにした。
俺と関わる切っ掛けを作るためだ。
瀕死のテナシナザルが畝川と関わっているとは、想像すらしていなかったはずだ。
そのテナシナザルが大事に持っていたエムデバイスが畝川のものだったのは、メグミにとって、ついに得た重要な手がかりだ。俺に不審な念を抱かせないために、感情こそ表に出さなかったが、心の中は相当震えていたことだろう。
モグッポから情報を引き出すために35万ギルスもする短剣を迷いもなく購入したり、アイラ樹海という未知の土地だろうと「これも縁だ」と直ぐにガイドを引き受けたり、考えてみれば、よほどの理由がなければ腑に落ちない行動をしていた。
その、よほどの理由があったわけだ。
彼にとって予想外だったのは……。
「畝川は、殺した女の顔を覚えていなかったらしい」
鶫山警部は、鼻で息をついた。思い出したように、エプロンを外していく。
「皮肉だな。畝川の性衝動は、美しいものを醜くすることにある。暴力によって女が醜くなっていく様に興奮していたんだ。美しい状態の女の顔には興味なかった。直ぐに忘れたんだろう。殺された時のむごい顔だったら、畝川は気付いたのかもしれない」
「醜きものか」
「ああ、ほんと醜い野郎だぜ」
畝川が、氷漬けにしたユニークビーストに自己投影していたことを思い出す。
自分の心を具現化したようなミニクキモノと、何週間と向かい合っていた。
なにか気付くものがあったのだろう。
「畝川は、悟りを得たと言っていた」
そして、メグミに殺された時。彼は一切抵抗せず、まるで祝福されているかのように、死の運命を受け入れていた。
「俺よ、悟った経験ねぇし、悟る気もねぇから分からねぇ。宗教興味ねぇしな。でもよ、やつは単に、人を殺しちゃいけなかったと、気付いただけかもしれねぇぜ。そんなの、殺す前から分かって当然のことじゃねぇか。悔い改める奴が偉いんじゃねぇ。やらないのが当たり前なんだ。奴は四人の女を殺している。強姦をいれたらもっとだ。どう悟ろうとも、同情することはねぇ」
「そうだな……」
「ああ、そうだ。そう思っておけ」
警部は、俺の背中を痛いぐらいに叩いた。
「そうそう、メグミのフィアンセからの伝言だ。本当のこと言わなくてごめんとのことだ」
謝罪だった。
「別にいいさ」
言わなくて正解だった。畝川が復讐相手だと知っていたなら、俺はメグミの行動に気付いて止めていたはずだ。
「あと、畝川を刺した短剣なんだが、俺が預かっているんだわ。一吹先生にやると言ってたがどうする?」
「いらない」
殺しに使われた武器でなかったとしても、欲しいとは思わなかった。
「もったいねぇな。売れば15万はいく代物だぜ。俺が貰ってもいいのか?」
「売らないなら」
「いただこう。護身用に使えそうだ」
「彼は、エムストラーンには?」
「二度と行かないってよ」
「勿体ないな。イェーガーとして有能だった」
「有能だから引き際がいいんだよ」
「俺とは大違いだ」
苦笑する。
俺は本当の彼を知らない。地球で会うこともない。バッタリ会ったところで俺は気付かない。彼も声をかけることはない。
永遠の別れだ。
数ヶ月後には、エムストラーンのことは綺麗さっぱりと忘れてしまっているのだろう。
「復讐をして、得るものがあったのだろうか?」
一人言のように、俺は言った。
「明日を得た。彼は、エムストラーンで稼いだお金で、世界中を見て回るとのことだ。今度はちゃんとした、自分の姿でな」
※
不機嫌だった。
「…………」
地球上の愛利も、エムストラーンのアイリスも、ずっと無言だ。俺のことを拒絶しているわけではない。俺が、愛利から離れようとすれば睨み付けてくる。
つまりは、一緒にいて欲しいけど、怒っているので、話したくないということだ。
女の子というのは色々複雑であり、それに付き合わされるこっちは面倒なものだ。
さらに面倒なのは、鶫山警部と愛利の親子関係だろう。
鶫山警部は料理を作り終えると、「そろそろ愛利が帰ってくる頃だ」と、逃げるように仕事に戻ってしまった。
「愛利は、俺のことを嫌っているからな。いねぇほうがいいんだわ。ちゃんとご飯を食べてくれるだけで幸せだ」
と、一緒に食べようとしない。
その役割は俺に任せてしまっている。信頼されているとはいえ、俺は鶫山家の家族ではない。
他人だ。
鶫山親子の間を取り持つ気はない。二人にとって都合の良い男として、こき使われるのはご免だった。
「いやあ、うまいなこれ。こんな具が盛りだくさんの豚汁を食べるのは初めてだ。愛利の親父さんは料理の天才だな。俺さ、家庭の料理って馴染みなかったんだよ。親子関係が最悪だった。愛利とは比べものにならないほどだ。親は俺のこと息子として見てなかった。いや、息子ですらなかったんだ。だから、愛利のように、娘のことを思ってこんなに美味しい料理を作っているお父さんがいるのが羨ましい。愛利は素直になって、お父さんと仲良く……」
ダン!
黙れ!とテーブルを叩かれてしまった。
「…………」
胸の内で溜息をつく。
なんで俺は、小学生の少女のご機嫌を取らなきゃならないのだろうか。しかもバイラスビーストと戦う時よりも苦労している。
愛利は顔を合わせることも、味わうこともなく、急ぐにように食べていく。
「あちっ」
そのため、舌を火傷していた。
「大丈夫か、だからいわんこっちゃ……」
うるさいと睨まれた。
「で、これなに?」
「…………」
代わりに食べろと言う事なのだろう。愛利の嫌いなほうれん草のソテーは、気がつけば俺の皿に入っていた。
「アイリスさんはなんで怒っているんすかねぇ?」
エムストラーンに入ってもアイリスは口を開かなかった。東の大地の見知らぬ土地――アイリスにとっては来たことのある土地のようだ――を早足で歩いていくのを、俺は後ろから付いていっている。
なにが目的で、この地に来たのかすら分かっていない。
「アイリスをほったらかしにして、勝手に旅に出たからだろ」
「いやあ、それについては、アイリスさんも分かってくれているはずなんですけどねぇ」
「分かっていても、やっぱり嫌だったんだろ」
女心は複雑だ。モテない俺でも女と付き合った経験はあるから、ちょっとは学んでいる。
「それを言うならアイリスさんだって……」
「あいつ、どっか行ってたのか?」
「だから、男の子とデートしていたって言ったじゃないですか」
野宿をした時に、そのような事を言っていたのを思い出す。
「男の子って誰だ?」
「うちじゃなくて、本人に聞けばいいでしょ。そこにいますよ」
「といってもなあ、今のあいつに、何を言ってもさらに怒らせるだけだろうし」
「んなことないっスよ。その男は誰だ、アイリスは俺の女なのに、うがーっ! ゆるせねぇ! とヤキモチを焼けば、機嫌を直すこと出来るっス」
アイリスの足が止まった。顔だけ振り向いた。ジト目になっていた。直ぐに顔を戻して、歩き出した。
さきほどより、足を踏む音が大きくなった気がする。
「セーラの声がでかいから丸聞こえだったぞ」
「あいや、あははははは……」
少女の機嫌は天気の気まぐれ。
暫くすれば元に戻るはずだ。
だけど、ここは地球ではなくエムストラーン。いつ危険が降りかかるか分からない。
今のアイリスの状態で、バイラスビーストと戦うことになれば、ミスをしてしまう恐れがある。それが致命的な事になり兼ねない。
なんとかしなきゃな。
「しょうがない」
「おっ、男を見せるっスか」
子ども相手にしたくない事ではあったが……。
「愛利」
名を呼んだ。彼女は振り向きもしない。ツカツカと歩いて行く。
俺は小走りで追いかける。
後ろから抱きついた。
「ごめんな」
地球よりもちょっと成長しているとはいえ、小柄な体だ。力一杯に抱きしめたら、折れそうな弱さがあった。
「ちょっ、なに、いきなりなにっ!」
「やっと喋ってくれた」
「うっさい、離せ!」
腕の中でアイリスは暴れる。
「無駄だ。愛利がいくら抵抗しても、離すつもりはない。愛利の機嫌が直るまで、ずっとこのままでいる」
「スケベ! インポ! ロリコン!」
「ごめん」
顔を愛利の耳元に近づけて囁いた。
「汚れ役を引き受けていたんだ。だから愛利を連れて行くことはしなかった。愛利は俺にとって大切な女の子だ。汚したくない。おまえには綺麗なままでいて欲しかった」
セーラの「くっ、くさっ」といううめきが聞えてきた。
後ろから抱きついて甘い言葉を囁くのは、空凪の機嫌が悪くなったときによくやっていた手だ。それを新しい恋人ではなく、子どもにするのはどうかと思ったが、他に思いつかなかったのだから仕方が無い。
「……はぁ」
アイリスの抵抗はなくなった。諦めたような溜息が聞えた。
「ユニークビースト」
「え?」
「戦ってたんでしょ?」
「それをなんで?」
聞くまでもない。セーラが、素知らぬ顔で口笛を吹いていた。
「喋ったのか?」
「え、えーと、猿さんを助けるためアイラ樹海に行ったというぐらいであって……」
さすがに、畝川のことと、その結末については伏せたようだ。
「約束。これからはユニークビーストと戦うときは、わたしを連れて行く。絶対に。そうでなければ戦ってはダメ」
「危険な目にあわせたくない」
「わたしも、イブキを危険な目にあわせたくない」
「いや、俺は……」
「同じ。この世界では、わたしのほうが先輩。年齢、関係ない」
アイリスは俺の手の指を握った。
「危険なことするなら、わたしも一緒だから。そのほうが安全。わたしがいなくて、誰がイブキを守るわけ。わたしのいないときに戦って、知らずに死んじゃうなんて、許さない」
「あっ、だから、怒ってたのか」
俺を心配してのことだった。
「他になにがあるわけ?」
「いや、女戦士と旅してたからヤキモチとか……」
「うぬぼれすぎ!」
ポカンと、杖で俺の頭を叩いた。俺の腕から離れていく。
「なんで、イブキにヤキモチなんか焼くわけ。ありえない。バカ! バカ! バーカ! ……え? ルル、黙って!」
聞えなかったけど、ルルがアイリスの顔を赤らめることを言ったらしい。
「分かった。今度から、ユニークビーストと戦う時はアイリスと一緒だ。一人で戦ったりしない。約束する」
「当たり前。イブキはまだ半人前だもの」
「俺とアイリスの二人で一人前だ」
「違う、百人前」
「そうだな」
笑った。こういう100%を120%と言うような所は子どもっぽかった。
「そうだ。アイリスにお土産があるんだ」
メグミが作った笛を取り出した。
「笛?」
アイリスは笛を興味深げに眺める。
「仲間になった女戦士が作ったものだ」
「彼女?」
「中身は男。エムストラーンでの目的が終わったから、ここには来ない、もう会うこともない」
「ふーん」
「この笛、でっかい原獣がウットリするほど、いい音をするんだ。聞かせてやるよ」
俺は笛の吹口に唇を当てる。
息を吹き込んだ。
「おかしいな……」
笛の音がしなかった。
「へたくそ」
「簡単に鳴らしていたから、誰にでもできるものかと思ってたんだか……」
「貸して」
「やる。これはアイリスのものだ」
アイリスの手に笛を置いた。
「…………」
アイリスは、笛の口をジッと眺めていく。
「どうした?」
「な、なんでもない」
なにか照れることがあったのか、頬を赤らめながら、そっと唇を笛に当てた。
息を出していく。
「上手だな、ブラボー」
俺と同じく、息しか聞えてこなかった。
「うるさい」
アイリスは、笛を吹く練習をしながら、エムストラーンを歩いて行く。
最初は息しか聞えなかったが、段々と音らしいものが出てきた。
そのうち、コツが分かったようだ。
綺麗な笛の音が鳴った。
それに合わせて、遠くにいる原獣たちの遠吠えが聞えてくる。
「これいい」
満足げだった。
やはり女の子。プレゼントは有効だったようだ。さっきまでの不機嫌が嘘のように上機嫌になっている。
「いいの手に入れた。これ、使わせて貰う」
「なにに使うんだ?」
「んーと……」
何か企んでいるようだ。言いたくてウズウズしながらも、その気持ちを飲み込んで、
「秘密」
アイリスはあどけない笑みを浮かべた。
無職だけどちょっくら異世界で稼いでくる @j-orisaka
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