6・じゃあ、バイトするっスか?

 自動車の走る音がした。


「B組のオヤマ、行方不明なんだって」

「えー、ウッソー、最近多くない?」


 若い女の子の話し声が近づいてくる。路地の方向をみると、セーラー服の女子高生が二人が、丁度歩いてくるところだった。ローファーに黒のニーソックス。そういえばセーラは足にはなにも履いていなかったな、とどうでもいいことを思い出す。

 地球にある日本という国の平和な光景だ。

 なんら変わり映えしない。


 戻ってきたのだろうか?


 戻ってきたのだろう。


 そうは分かっていても、実感が沸かない。

 身体では覚えている。

 けれど、頭のほうは現実離れした体験に情報が整理できずにいる。


『あー、もしもし、イブキさーん。聞えるっスか?』

「うわああああああああああっ!」


 どこからかセーラの声が聞えてきた。


『なっ、なんですか、びっくりしたなぁ。驚かさないでくださいっス』

「え? あ、どこにいるんだ?」


 この世界にやってこれるのか?

 辺りを見渡すけど、十五センチの少女はどこにもいなかった。


『ここっス、ここっス。もしもーし。可愛い可愛い、あなたのセーラちゃんですよー』


 彼女はケータイの中だ。

 ビデオ通話のように、液晶にはセーラの顔が映っている。

 セーラは、液晶をコンコンとするけど、ガラスを叩いた音はしなかった。


『ちゃんと戻ってこれましたね。よかったっス』

「戻ってこれないことがあるのか?」

『ないけど一応確認っス。体の異常もないすよね?』


 声はスピーカーから出ていた。聞き取れないことはなかったが、俺は音量を最大にあげていく。


「ああ、なんとか……な?」

『実感なさそうっスねぇ』

「そりゃ、あんな体験をしちゃあ、無理ないだろ」


 俺は、ATMのような機械の前に突っ立ったままだ。

 手にあるのは剣から、飲みかけのコーラに変わっていた。

 自販機で買ったものだ。あれから何時間か経過したはずなのに冷たかった。飲んでみると、炭酸が抜けてなくて、喉に心地良い刺激を与えてくれる。


『それ、美味しい?』

「俺のこと見えるのか?」

『ええ、そのケータイ。上にカメラ付いてるでしょ。そっから見えるっス』


 人差し指を上に向けて、ケータイのフロントカメラを示した。

 そこからコーラを飲んでいる俺が見えているようだ。


「コーラ、知らないのか?」


 セーラはこくんと頷いた。


『うちの世界にはないドリンクなんすよ。ジュワーッと喉ごし最高っぽいんで飲んでみたいもんすねぇ……ああ、うらやましい、うらやましい、うらめしい、うらめしや~』

「そういえば……」

『なんすか?』

「俺、左足を怪我してたんだけど、なんともないんだ」


 足の痛みが消えていた。軽く地面を蹴ってみるけど、なんともない。


『それは転送機でエムストラーンに移動したときに治癒魔法をかけて治したからっスねぇ。大怪我した状態で来られても困りますんで。実はこれ、トラックで異世界に飛ばしていた時代の名残らしいっス』

「半年前に奥歯の詰め物が取れたんだ。虫歯があるようだが、治してくれないか?」

『歯医者いけっス!』


 怒られた。


『治すっても軽い怪我限定っス。交通事故起こして大怪我をしたからと、異世界で治そうと考えず、救急車呼んでくださいな』


 病院代わり使おうと考えたのを否定された。


「もうひとつ気になることがある。今はなん時だ?」


 ケータイの時計を見ようにも、セーラがいる画面に時間は表示されていない。


『ええーと、午後4時14分っス』

「セーラは時計代わりになるんだな」

『いやいや、言われたから答えたまでっス。普段はうちにそのような活用、しないでくださいよ。ほんと頼むっス。イブキさんがなにを気してるのか、よーく分かるから、お答えするっス』


 ごほん、とセーラは咳払いをする。


『本日イブキさんのエムストラーン滞在時間は1時間48分。その間に、ちきゅーは1時間48分進みました。つまり同じっス。何時間、何日、何年飛ぶといったことはないから、ご安心を』

「浦島効果はないんだな」

『うらしま……うらしまこ? うらやましい? なんすか?』


 浦島太郎を知らないようだった。


「日本の御伽噺だ。おまえは、ずっと俺のケータイにいるのか?」

『うちからも、イブキさんからも通信切れば終了できるっス』

「じゃあ終了だ」

『まっまっまっ、待って下さい! まだ終わってないんだから!』


 終わらせようとしたら、セーラは慌てた。


『うちは、イブキさんのナビっスから、ちきゅー世界でも、こうして会話することが可能なんす。ただし、ちきゅーさんでいうWi-Fiって言うんですか? 異世界転送機に、そんな無線機能が付いているんすよ。転送機の近くにいれば、私を呼べばいつでもお喋りできるっス。寂しくなったらどぞっス。セーラちゃんはイブキさんをぼっちにはさせません!』

「この転送機、他にもあるのか?」

『ありありのありありっス。素質ある人間に見えるようにできているですよ。ない人には見えません』


 両手でバッテンを作る。


『とはいえ生まれ持った才能というより、タイミングっスねぇ。今日は見えて、明日は見えないなんてザラなんで。イブキさんはお金に困っていて、稼ぎたいと思っていたんじゃないっスか? それで、この台が見えたんです。異世界初体験した後は、イブキさんは登録済みとなったんで、転送機が存在する限り見えるっス。意外なところに設置されているから、探してみるといいっスよ』

「なるほどな」

『遠足は家に帰るまでって言いますよね? チュートリアルは帰るまで……でなく、そこの異世界転送機の説明をしておしまいとなるッス』

「ああ、まだ終わってなかったのか」

『あい。これは肝心なことだから。まずは画面に、ケータイをタッチをよろしくっス』


 言われたとおり、異世界転送機にタッチした。

 異世界に飛ばされることはなかった。それは最初の一回のときだけのようだ。

 ピッという音がしたあとタッチ画面には、


『ID 479371×× イブキアサダ』


 と表示された。


「暗証番号はないのか?」

『異世界に転送したときに、イブキさんのDNAをスキャンしたっス。他の人がこのケータイでタッチしても、エラーが起こるんでご安心ください』

「ケータイを無くしたら?」

『DNAでイブキさんを認識してるんで、新しいケータイをタッチするだけでOKっス。ID登録した後なら、タブレット、携帯ゲーム機でもいけるっスよ』


 そいつは便利だ。


『転送機の画面を見るっス』


『冒険する』

『ステータス』

『お引きだし』

『お預け入れ』


 の4つの項目があった。

 『冒険する』だけは画面上に大きく表示されている。


『見たまんまっスね。エムストラーンに行きたいなら「冒険する」をタッチよろです。イブキさんのお金は「ステータス」で確認できるっス。8000ギルスあるのは分かっているんで、「お引きだし」をタッチです』


 いわれた通りにする。


 お預り金額 8000ギルス


 と表示された。


「ATMと同じだな」

『引き出し方は分かるっスよね。貯金することも可能だけど、どうします?』

「もらう。次があるかは分からないからな」

『ええー、また、冒険しましょうよ。次は街の紹介するんだから。お仲間に会いたくないっスか?』


 セーラを無視して、俺は8000円を引き出すべくタッチ操作していく。

 「確認」のボタンを押すと、画面の奥がパカッと開いた。

 千円札が何枚もあった。久しぶりの賃金だ。にんまりとしてしまう。

 だけど違和感があった。

 100円玉が2枚あるのだ。


「足りないぞ」


 8000円引き出したはずだ。

 なのに、数えてみれば7200円しかない。


『あはは、実はですね、ええと、エムストラーンのギルスを円に替えるとき、手数料がかかるんですよ』


 セーラは苦笑していた。


「聞いてねぇぞ!」

『だっ、だから、説明してるじゃないっスかっ!』

「7200円ってことは10%かよ! けっこう高いぞ!」

『たった2時間エムストラーンに行っただけでそんなに稼いだんですよ! 時給3600円じゃないですか! ちきゅーさんでアルバイトするよりも、ウッハウッハの大もうけっス!』

「チート状態だっただろ! レベル99であっさりと勝てから、それだけ入ったんだ。ああ、レベル50ぐらいのモンスターを倒すべきだったっ!」

『いやあ、初っぱなからレベル50はいくら99でもキツいっス。最初だから、手頃なバイラスビーストを選んであげたのに、うちの親切になぜ気付かないんスかねぇ、泣きたいっス……』


 セーラはブツブツと言っている。


「次からはレベル1なんだろ。いくらスロットがあっても、一匹倒せば効果が切れるんだ。低レベルのうちは、2時間で500円もいかないんじゃないか? それなら、バイトした方が効率いいだろ?」

『じゃあ、バイトするっスか?』

「……ぐ」


 痛いところをつかれた。

 バイトはしない。する気もない。一年間全く働いてこなかったし、今後もしたいという気が起きない。無気力だ。だから貯金が切れて家賃が払えなくなっている。

 なのに、映画一本分の時間、ちょっと異世界に行っただけで、7200円も入ってきたのだ。


『ぷぷぷぷぷ、やっぱ異世界で稼いだほうがいいっスよねぇ、無職のいーぶーきーさーん』

「…………」


 調子に乗りやがった。


『あ、あと、初回はサービスだけど、次回からはナビ料をいただくっス』

「聞いてないぞ」


 まだ取るのかよ……。


『だから今いったっス』

「いくらだ?」

『獲得賞金の30%になるっス!』

「40%かよっ!」


 ぼったくりもいいとこだ。

 つまり、俺をナビするのが、セーラの商売だということだ。


『いやいや、ギルスのままなら30%っスよ。10%は円に替えたらの話だから!』

「転送機というか異世界ATMに『お預け入れ』があるんだが、これは円をギルスにすることができるのか?」

『正解っス』

「預金したら10%UPか?」

『ゼロっス。あ、でもですね、クレジット登録が可能なんですよ。クレジットでお買い物すれば、なんと全商品5%引きになるっス!』

「10%にしろ! つか、円からギルスに変える奴っているのかっ?」

『いるっス! エムストラーンはちきゅーの日本さんより、物価がビックリするほど安いんすよ。バイラスビーストを退治してお金を稼ぐんじゃなく、異世界でまったり生活を楽しまれる人も大勢いるっス』

「高レベルになるべくスロットを何度も回して、何百万円と借金した奴はいるのか?」

『あは、あは、あはははははは……』


 その苦笑いはイエスと言っているようなものだ。


「詐欺だ。俺は、もう二度と異世界にはいかん! 今日だけだ、今日だけ!」

「そ、そんなぁ……」


 俺は、路地裏をでた。

 通行人がこっちを見ていた。普通の人なら、異世界転送機やセーラのことを見ることも聞くこともできない。

 知らない人からすれば、俺は一人で叫んでいる危険な奴だ。

 近づくと、早足で逃げていった。

 俺は空のコーラを、自動販売機の隣にあるゴミ箱に捨てる。


『ま、……ま、……く……だ、さ……い』


 転送機から離れるとナビと通信ができなくなるのは本当のようだ。かすれた声になっていた。

 ケータイを見れば、画面にノイズが入っている。


「なにか、言いたりないことがあるのか?」

『ええ……と……怒らせたお詫……びに、ひとつ……知っとく…べ…ことを教……っス』


 セーラの声を聞くために、少しだけ戻る。


「なんだ?」

『他のナビなら言わないことっス』


 声が聞えるところで足を止める。


「言ってみろ」

『ちきゅー人さんの恋愛はちきゅーでするべし。エムストラーンを出会い系代わりに使うのはオススメしません』

「よくわからん」

『うちがいえるのはそれだけっス。あなたの大切なナビ、セーラちゃんでした』


 そう言い残して、セーラは通信を切った。

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